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異能ある君は爪を隠す  作者: 御誑団子
第一部 流星の君
3/139

変哲の無い日常2

 駅前に到着するとイルミネーションが視界いっぱいに飛び込んでくる。

「……見慣れたなぁ」

「だねぇ」

 正直一カ月前からこの光景を見ているからなのか正直飽き飽きしている。

「綺麗だとは思うけどね」

 バスから降りると雑踏の音が聞こえてくる。今日はクリスマスイブ。もちろん、そこらかしこに腕を組む男女に寄り添う男女、仲睦まじい女女もいる。

 うらやましくなんてありません。ただ末永く爆発してほしいだけです。

「ひがんでるねぇ」

「プイッ」

「アハハ」

 前髪で顔は隠れているはずなのにこの人は何で僕の感情を読み取れるのだろうか。今度からマスクもしようかな。

「というか、楠さんはなんでここに?」

「んー、ケーキ買いに……かな。クリスマスは家族と過ごすって決めてるからねぇ」

「そう」

 今、僕はどんな顔をしたんだろうか。少なくとも自分で他人に見せられるような表情ではないとすぐに判断してとっさにそっぽを向いた。

 でも正直、羨ましいな。

「ならすぐ買って帰ろう」

「えー、遊んで行こうよー。カラオケとかどぉ?」

「どうかって言われても僕は歌とか上手くないし」

「歌わないと上手くなんないでしょ」

「お金ない」

「奢ってあげよう」

「……ちょっと待って」

 とっさに財布の中身を確認した。

 お金持ってるのに奢らせるのは流石に気が引ける。

 正直、ケーキ代と移動費を引いても夏のバイト代はまだ余りある。貯金しようとも思っていたが父さんはパパーっと使い切ってしまえと言っていた。それは泡銭としてではなく趣味を見つけろとかもっと遊べとかそういう方面での言い方だ。

「……三時間なら」

 楠さんの顔を見て、それぐらいならばと進言する。

「ほんとぉ!?やったー!じゃあさっそくぅ」

「あぁあぁあぁ……」

 引っ張られるまま、成すがまま、何なら借りてきた猫のように腕を絡められてカラオケ店を目指す。

 内心思う。

 これデートでは?




 学校での僕の評価は、多分誰も気にしない、程度だ。

 授業態度はまとも、忘れ物等は無く遅刻も欠席も無し、手もかからず物静か、友人らしき人はおらず悪い事もしない。良くも悪くも目立たない。そう立ち回っているんだから当たり前なんだけども。

 何故、と問われれば父の仕事が関係しているとしか言いようがない。

 父さんの仕事は人を救う仕事であり、同時に命の危機がある仕事だ。そして、下手をすれば僕にも危険が及ぶ。実際二度ほどあった。異能持ちの犯罪者に命を狙われた事が。

 一度は僕一人が人質にとられ、二度目の時は友人だと思っていたクラスメイトが僕を庇って大怪我を負った。怪我をしたその子の両親から詰められた時はパニックになって泣き出してしまったし、その日以来連絡を取っていない。引っ越し先も教えなかったし。

 事を大きく見た父さんは僕に護身術と対異能者用特殊装備の使い方を教えてくれた。自分の身は最低限守れるようにと。

 僕と仲良くなれば必然と危険に晒す。だから誰とも仲良くしようとは思わなかった。

 でも、こうして誰かと過ごすのはやっぱり楽しい。

 だからこそ言いたい。

「言ったよね……」

 長期間、人と遊んでこなかった僕が歌など上手いはずがなく。

「アハハハハハ……でも、初めてなら五十九点は高い方だと思うよぅw」

 顔から火が出るほど恥ずかしい点数を叩き出した。これならずっとタンバリン鳴らしてた方がマシだ。

「次そっち」

「はーい」

 小さい個室にマイクとモニターの付いたリモコンをテーブルに置いてソファーに座った。最初に注いできたジュースは半分ほどが減って、時間としては三十分ぐらいが経過していた。

 レパートリーが無い僕は一曲歌っただけで次どうしようなどと考えているのに、楠さんは最近の流行りの曲をバンバン入れてどんどん歌っている。

 良くカラオケに来ているのだろうか、採点では全ての曲で八十点以上を叩き出している。

 歌っている最中に踊るのはやめて。壁とかにぶつかりそうで怖い。

「~♪」

 でも本当に上手だ。こう、なんて言うんだろう。絹のような艶のある声音、と言った方が良いだろうか。とにかくきれいな歌声だ。

 顔も、性格も、ルックスも、声まで良いとなればその生涯において劣等感なんて抱くことは無いだろうな。

 ますます一緒に居ても楽しくも無い僕とカラオケに来ている意味が分からない。

 と、歌い終わった。なんかすっきりした顔してる。

「あー、やっぱすっきりするなー。ねね次は何歌うの」

「……次ィ!?えー、何歌おう」

「悩むぐらい歌いたい曲があるんだね」

 無いんです。歌える曲が。

「……えーいままよ」

 しょうがないので最近人気なドラマの主題歌を入れた。一番ぐらいは立派に歌いきってやる。

「そうだ、アドバイス。片耳を塞いで歌ってみたら意外と音程取りやすいよ」

「やってみます」

 左耳を塞いで右手でマイクを持って立ち上がり彼女の前で歌って見せる。緊張で声が震えていい感じのビブラートになってしまった。




 二時間が経過しているというのに彼女はなんでこんなに歌えるんだろう。僕はもう声枯れ始めたよ。

「さあさ次々、何歌う~?」

「もう入れてる」

 でも緊張も解けて少しずつだけど歌えるようになってきた。レパートリー?無理矢理ネットから引っ張ってきたよ。流石に付け焼き刃だから全然うまく歌えてなかったけど、楠さんは笑って流してくれた。そんなもん、そんなもんって。

 もしかして、もしかしてだけども彼女は、僕の事が好きなのかな?罠だよね?からかわれてるだけだよね?からかうだけなら一緒にカラオケに来ない?それはそうなんだけども……。

「おぉ~」

 パチパチと拍手をする音が聞こえて、曲が既に終わっている事に気付いた。なんか混乱してたような、酷い勘違いをしていたような、勘違いじゃないような。

「すごいすごーい、今日一番の点数じゃん」

「え」

 モニターを見ると今日一番の点数、七十九点が映し出されていた。

「一昔前のラブソングだよね。確か現代版ロミオとジュリエットのドラマの主題歌で」

 よりにもよってラブソングで今日一を出すなよ僕……。

「なんか耳に残ってと思ったら昔流行った曲かぁ」

「人気凄かったですもんね、あのドラマ」

 流石に喉が限界かもしれない。普段こんなに声を出す事なんか無いし。

「あ」

 でも既に六杯目のジュースは既に溶け出した氷の水しか残っていなかった。

「……僕飲み物注いできますけど楠さんいります?」

「ん、ちょっと待てて」

 四分の一ほど残ったオレンジジュースを一気に飲み干しグラスを差し出してきた。

「炭酸以外なら何でもいいよ」

「分かりました」

 楠さんからグラスを受け取って靴を履き、扉を開いて廊下に出る。微かに零れる他の部屋の歌声を聞きながらドリンクバーに歩を進める。途中、受付の前を通るのだが少しばかり騒がしかった。

 何かの問題が起きているようでも無い。ただ騒がしい男子高校生が五人ほどが人に聞こえるほどの大きな声でベチャクチャ喋りながらたむろしていた。

「んでさ、前ヤッた女がさ、彼女面してきてマジうざったくてさぁ」

 聴くに堪えない、吐き気を催す下世話な会話がされている。

 その集団の横を通り過ぎてドリンクバーに着いた。

 自分のは久しぶりにコーラを入れて、楠さんには……紅茶でも入れておこう。

 グラス一杯ほど注いで両手で自分のと彼女のを持ち運ぶ。

 また男子高校生の集団の隣を通ると馴染みのある名前が聞こえてきた。

「あー、楠っていい女だよなぁ」

 同じ高校でしたか。ちゃっちゃと消えよ。

「でもよ、今日誘ったんだけどよ、直前でやっぱ無理って連絡きてさぁ」

「お前しつこく誘ってたもんなぁ」

「良い睡眠薬手に入ったから今度こそできるって思ってたんだけどよぉ」

 ……はぁ、そういう会話を大声でするなよ胸糞悪い……。

 録音しといて正解だった。警察に送り付けておこう。あとどこの学校の生徒かも。

 楠さんが待っているであろう部屋の扉を開くと一瞬、明らかにゴミを見るような目で彼女の視界にしか映っていないであろうARデバイスの画面を見ていた。ARデバイスの本体機器が僕のより小さいから取り付けている事にすら気付かなかった。

「はい」

 靴を脱いで上がり彼女の目の前に置いた。

「あ!ありがとう……」

 何の警戒もなく楠さんは僕が注いできたミルクティーを飲み始めた。これは確かに不用心だ。

「楠さん」

「ん?」

「人が注いできた飲み物を何の警戒も無しに飲むのは……その」

「フフ」

 だが彼女は笑ってその事実を受け流した。

「そんな事しないでしょぉ、翔君は」

 信頼故の無警戒でしたか。

「じゃあ、僕以外は、ちゃんと気を付けてよ」

「……うん!」

 元気な声で、笑って彼女は受け答えた。その満面の笑みがきっと多くの男性を惑わすのだろう。その鬱屈の無いその笑顔を独り占めできる今を僕は、もっともっと幸福だと感じるべきなんだろうな。

「……あと一時間しかないけど」

「ん?」

「もう少し歌っていきますか?」

「うん!」

 今宵はクリスマスイブ。これぐらいの特別は神様だって許してくれるはず。




 空はすっかり陽が沈み暗くなっていた。大体五時間は歌っただろうか。喉痛い。

 最後辺りは結構上手く歌えていたと思う。

「そろそろケーキ買わないと」

「あのケーキ屋さんでしょ、チョーうまいよね」

「毎年クリスマスと誕生日はあそこのケーキ買ってる」

「へぇ~」

「思い出の味だからね」

 会計を済ませ外に出ると雪が降り始めていた。あぁ、これがホワイトクリスマスかぁ、なんてのんきに考えていると冷たい手が暖かい彼女の手に触れた。

「あ」

「フフ、冷たいねぇ」

 女性経験の無い僕にとって顔を赤くするには十分すぎるハプニング。でも成り行きで結局手を繋いでしまった。

「買いに行こっか」

「う、うん」

 混雑、とはいかないがそこそこ多めの人がイルミネーションの周りに集まっていた。手を繋いでいないとはぐれてしまいそうなほどに。

 人の手ってこんなに暖かい物なんだなと並んで歩いている最中、思い出した。

「楠さんはさ」

「なぁに?」

「甘いの好き?」

「うん好き」

「どんなの好き?」

「んー、アイスならバニラは外せないでしょ、後チョコ、ミントも。抹茶は苦手かな」

「抹茶苦手なんだ」

「好きなの?」

「いや、一番好きって訳じゃないけどたまに食べたくなるから」

「一番は?」

「バニラ」

「わー、一緒だぁ」

「もし、その、今度があるんだったらおすすめのカフェがあるからさ、一緒にどうかな?」

「……うん。うん!行こう!」

 そうこうしている間に行き付けのケーキ屋に着いた。大通りの角にその店は佇んでいる。

 相変わらずの繁盛っぷりだが、カラオケの最中に予約を入れていたからすんなり自分の分が出てきた。

 いつもと変わらない多くても四人分しかないホールのイチゴのショートケーキ。

「小さくていいの?」

「食べるの僕と父さんしかいないからね」

「来年はもうちょっと大きめの食べれるようになろうね」

「……?ん?」

 どゆこと?

 でもこれ質問しない方が言わぬが花だな。

「まぁ、うん、かも」

 僕達二人はケーキ屋を出るとまた装飾を施された大きなクリスマスツリーを目の前にする。

 その周りに男女が集まり手を繋いで愛を深めている。なんとも羨ましい光景だと思ったが、彼女がまた手を繋いできた瞬間、僕達も傍から見れば彼ら彼女らと同じに見える筈と思ってしまった。

 とっさに僕は手を引いた。

「あ、ご、ごめん」

「ううん……」

 ごめんなさいそんな顔しないで、悲しそうにしないでください。

 離してしまった手を僕はもう一度繋ごうとする。ほんの少し、指先が触れる程度に求めて、そして、僕は耳を真っ赤にしながら彼女の手を取った。

「……その、寒かったから」

「……ハハ……いいよ」

 強く握り返してくれた。

「今度遊ぶ時は、いつにしますか?」

「明日から一時実家に帰るから年明けの、学校始まってからになるかな」

「三学期からかぁ……」

 時間は六時まであと数分、そういえば昼ご飯食べてない。

 ケーキ買ったし、どこかで食べて帰る余裕ないし、帰るぐらしかない。

 でも、もう少しこうしていたい気持ちもある。

「……そろそろ……帰らないと、家の人心配するんじゃないですか?」

「んー、別にぃ大丈夫だよ。帰れないかもと言ってたし」

「それは、怒りますよ」

「なんで?」

「帰れないと帰らないじゃ意味が違いますし、そんな遊び方してほしくないです」

「……それも、そっか」

「帰りますか。送りますよ」

「もしかしてあたしんち近くのバス停で降りるつもり?そこまでしなくてもいいって」

「させてください。ほら行きますよ」

 今度は僕が手を引いて帰路に就く。てか、あいつらに良いようにされる前提で遊ぶつもりだった事に腹が立った。彼女の自由だとは思うけど、なんか嫌だった。夢見がちなのだろうか僕は。

 でも、自分を大事にしないのはもったいない。

 その時だったと思う。突如甲高い悲鳴が響いたのは。




 いきなり人の流れが逆流する。血の気が引いて、冷汗をかいて、怯えに怯えた人々が悲鳴が上がった地点とは逆の方向に走り出す。一部の人は何かが起きた場所に止まり何かを撮影しだす。

 その時点で僕は察知する。ただ事では無い事件だと。

 走って逃げるかそれとも……。

 悩んでいる間に二回目の悲鳴。弱弱しく助けを求める絶叫だ。

 その時点で僕の心は決した。

「楠さん」

「な、何」

「出来るだけ建物の中に入って身の安全を確保してください」

 繋いだ手を放して僕が買ったケーキを持たせる。

「ごめんなさい。行ってきます」

「ちょ、まって!」

 彼女の制止を無視し僕は人の流れに逆らった。一瞬だけ振り返ると楠さんはさっきのケーキ屋さんの中に居たお客さんたちに腕を引っ張られ中へと入れられていた。

 心残りというか気掛かりというか、唯一の不安は解消された。なら、後は、多分大丈夫。

 人の波を掻い潜り一気に視界が開ける。人が円状にその光景を目の当たりにし、野次馬は撮影する。一人の男による無差別殺傷現場を。

「どいつもこいつも羨ましいなぁ、こんな夜に、大事な人と一緒に、キラキラした場所に来れて」

 痩せ細り、不健康な顔色をした青年程の雰囲気の男、その男は手に柄も何もない刃物を持って女の人をめった刺しにしていた。その後ろにはスーツを着た男がピクリとも動かず倒れ、刺され泣いている子供が一人居た。

 家族だ。

 この刺された三人は、家族だ。

「なんでお前らだけ、こんな幸せそうなんだよ」

 なんで……。

「なんでお前らだけ、美味そうなもん食ってんだよ」

 なんで……。

「なんでお前らだけ、まともに生まれてきたんだよ!」

 なんで……、殺した……、テメェ!

 怒りも憎しみも、今は呑み込んで飛び出す。

 飛び出した僕に気付いて刃物を握りしめて向かってくる男を飛んで避け、被害者と犯人との間に入った。

「なんだよ、お前も、か?」

 明らかに正気を失った目は焦点が定まっていない。加えてナイフ、今朝のニュースを思い出した。

「お前も?」

「お前も、お前も、俺を見下すのか?」

 なんだその良く分からない基準。

 でも、その男は僕の目を見て表情を変えた。

「その眼、その眼だよ、希望に満ちた目、怒りを込めた目、俺を見下す目ェ!どうせ旨いもん食って暖かい布団で寝て満ち足りた人生送ってんだろ!ちったぁ俺に寄越せヤァ!」

 ……満ち足りた人生?どこが?旨いもん食って暖かい布団で寝てるけど、人間それだけで満ち足りるほど単純じゃない。

 彼は僕より良い環境で育っていない、何なら同情すべき人間なんだと思う。

 それはそれとして。

「お前にやれる物なんてこの世に一つでもあるもんか」

 人を傷付ける事を正当化するな。

「テメェェェ!」

 刃物を振り上げ僕目掛けて振り下ろされる。

 素人の、粗雑で何にも鍛えていない無駄な動きばかりの殺傷は、この瞬間から無為に帰す。

 何も果たせずに終わる。

 なぜならば、僕が用心深い性格だから。

「対異能者用特殊装備、展開」

 イルミネーションの光に照らされて細やかな光が散乱する。

 瞬間、光が飛ぶ。それは即ち、極細の(ワイヤー)

「てめぇまさかぁ」

 糸は十本、腰に付けられたリールから服の下に着た薄地のスーツの中を通って手の甲から糸が飛び出す。太さは髪の毛程、強度は車をも引っ張れる。

 そのワイヤーが周囲の電柱や引っかかりを支点に網の目を作り瞬時に男を拘束する。

「この程度ぉ」

 しかし男の皮膚の下から刃物が飛び出す。これでほぼ間違いは無くなった。目の前に居る男は異能者。

 体から刃物を生やす能力はしかし、男は悲鳴をあげながら全身に生やす。

「ぶっ殺してやる、ブッ殺してやる!その生皮剥いで串刺しにして切り刻んで殺してくださいって懇願させてやる!」

「キモ」

「うるせぇ!」

 絶叫、徐々にその男は正気を失い始めている。

 だからこそ、僕は糸を全て使い切る勢いでリールを回して次の一手を完全に止める為の陣を展開する。

 男は足の裏の刃物をしならせ、バネの要領で加速して飛ぶようにして僕へ向かってくる。

 その突撃を、僕は巨大な蜘蛛の巣を作って真正面から受け止める。

 蜘蛛の巣の糸はもちろん僕が使っている物、強靭なワイヤー。そして得物が引っかかれば糸はリールからもっと多くの糸を持って行こうとする。そこを系を掴んで力ずくで引っ張って阻止する。

 そうなれば、敵の攻撃は僕には届かない。そこには絡め捕られた男が一人存在するだけ。

 それでも止まろうとはしない。掌から肉と骨を貫くように飛び出した刃物が尋常ではない速度で伸び始める。

 両手が塞がった僕にはこれを防ぐ術は無い。なら……一度すべての糸を解く。

 糸から手を放し糸を緩め、刃物を回避する。その隙に男は一歩踏み込み自分から生えた刃を折り握りしめて突き刺す為に構える。

 悲鳴が上がったと思う。多分僕が刺されることを予感しての悲鳴。でも、僕はその未来へとは繋がない。

 緩めた糸を巻き戻しリールは音を立てて再び蜘蛛の巣を張る。

 今度は完全に拘束する。宙吊りにする形で。

「この、クソガキィ!」

 そんな言葉は無視して僕は大衆に呼び掛けた。

「すいません!救急車と警察をお願いします!」

「も、もうしてます!」

 僕が完全に男と無力化したのを確信した瞬間に野次馬の中から刺された人たちの救助活動が始まる。

 事態は一時的に収束した。




「お前なぁ」

「は、はは。ごめんなさい」

「まぁまぁ先輩。お子さんのおかげで被害は抑えられたんですから今回は良しとしましょう」

 糸に絡まりながらも奇声を響かせ暴れまくる異能者の男を約十分程抑え続け、救急車と警察、そして対異能部隊の隊長を務めている父さんが部下を引き連れ駆け付けた。

 もちろん、めちゃくちゃに怒って。

「何の為に身の守り方を教えたと思ってるんだ。積極的に異能者を無力化するためじゃないんだぞ」

「はい。ごめんなさい」

 使い切ったリールを取り上げられて父さんは般若のような顔で激怒する。ただし周囲は違った。僕を擁護する声が多い。それでも父さんは叱った。

「何かあってからじゃ遅いんだからな」

「はい」

 この、こいつまたやるな、という視線が心に刺さりながらも猛省する。うん、怒るの仕方ないよね。

「……家帰ったら説教の続きだからな。まっすぐ家に帰れよ」

「はい」

「隊長」

「あぁ、今行く」

 しょんぼりとする僕を背に父さんは一言付け加えた。

「怪我が無くてよかった」

 そう言い残して父さんは事態の後始末へと赴いた。

「……翔くーん」

「あ、楠さん」

 物陰からこちらを伺っていた楠さんが話が終わったのを確認してひょっこり現れた。

「お話終わった?」

「うん。ごめんなさい一人にして」

「ううん。大丈夫」

 しかし、その瞳にはどこか恐怖があった。

 その恐怖を押し殺して彼女は伝える。

「救助した人の中に医療従事者の人が居たらしくてね、誰も死ななかったらしいよ」

「そう……ですか」

 それはこの状況における数少ない吉報だったと思う。

 良かったと胸を撫でおろして、僅かに震える彼女に手を差し出した。

「今日は帰りますか」

「……うん」

 こんな事が無ければ何か違ったのだろうか。もしかしたら、という考えはこの状況ではもうしなかった。

 今はただ、楠さんの身と心が心配だったから。この日の出来事が後々に響かなければいいな、と。

 僕達は再び帰路に就く。名残惜しくも、お互いの温もりを掌に感じながら。

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