武芸の才
「休憩ッ!!」
「「「「「はいッ!」」」」」
「……」
「……」
僕と雫は道場に上げられ、稽古場の端っこで正座して稽古が終わるのを待っていた。
「なんで父さん混ざってるの?」
「腑抜けを治すって言われて……」
「えぇ……」
道場には学校一学年程の人数の弟子がいる。前より多くなったかな?
渡辺道場。かつて士族だった経験から道場を開き、門徒を広げ、例え農民であっても剣を学ぶことを良しとした。
殺人ではなく活人の剣術。剣を通して心を育てる場。
それが渡辺道場。
そこの師範代、父さんの師匠が弟子に休憩を取らせ僕達の方に歩いてくる。
「すまんな、翔。手間を取らせてしもうた」
「いえ、大丈夫です」
「そちらのお嬢さんが……」
「雪村雫と言います。この度はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそもてなしも出来ず申し訳ない」
おお、丁寧に喋ってる。
「儂は渡辺一彦と申します。翔が常日頃よりご迷惑をおかけして申し訳ない」
「いえ、翔とは目映い日常を過ごさせていただいております。本当に……本当に……」
僕と父さんは呆然として二人を見ていた。
「……どうした?二人とも」
「珍しいものを見る目をして」
「「珍しいものを見ているので」」
父さんは大伯父に、僕は雫にチョップを浴びせられた。
「いて」
「イッッ!」
僕からはコテンと軽い音がしたが、父さんの方は骨と肉が潰れたんじゃないかって思えるほどの音がした。
「本気でやることはないでしょう!」
「だまれ腑抜けが!」
怖。
「素質を持っておきながら投げ捨ておって……そこになおれ!その根性叩き直してやる!」
そう言って大伯父さんは父さんを引き摺って道場の真ん中に連れていく。
「剣を持て!今の実力を試してやる!」
父さんに竹刀を持たせて構えた。
「すごい人だね大伯父さん」
「実際すごい人だからね」
前向きじゃない父さんと怒髪天の大伯父さんが構え、見合っている。
「僕が知る人の中だと父さんより強いのはあの人だけだよ」
「それは、剣術で?」
「いいや……戦闘の全てで」
なんなら僕より強い。異能を使ったとしても相討ちのイメージしか湧かない。
皆が固唾を飲む。
全員が道場の師範代と父さんに注目する。しかし、注目されている二人はほとんど動かない。
「……ねぇねぇ翔」
「ん?」
「なんで動かないの?」
「動いてるよ」
「……何処が?」
「手元と足元」
父さんの竹刀が僅かに上向くと大伯父さんの剣が僅かに下に向き、父さんが僅かに前に出ると大伯父さんの足が僅かに開かれる。
「二人は今、相手がどう動くのかを読み合ってる。構えの僅かな変化、重心の微かな移動、息遣いから感情の機微、その全てから相手の動きを予測し、先の一手を模索する。それを武術の世界では……」
瞬間、父さんが大きく動く。父さんから見て左下から右上への逆袈裟斬りを狙い、そして……
「【先の先】と呼ぶ」
それよりも速く大伯父さんが一撃を与えた。
通り様の抜き胴、父さんが大きく動いたからそっちに目が行ったけど先に動いたのは大伯父の方だ。
「……衰えたな、雷蔵」
「……」
最強と謳われる父さんが勝てない人。
「頭のものに頼りすぎじゃ。才にかまけ基礎を怠るからこうなる」
「異能相手ならこうもなります」
「……それがおまえの驕りじゃ」
大伯父さんが僕を一瞥して父さんに視線を戻した。
「翔に教える身のお前がその様でどうする」
父さんの顔は見えない。けど、酷く落ち込んでるのはわかった。
結果ではなく、言葉の方に。
「翔!」
「はいっ!ッ!?」
「次はお前じゃ」
「はいィ!?」
「ネットで散々大立回りしとるんじゃ。実力を確かめる」
「イヤッ……えっ……いや、流石にその……えぇ……」
僕は動揺しながら渋るも既定路線のようだった。
「恵」
「はいお祖父様」
めぐちゃんは嬉々として立ち上がった。余裕の笑みを浮かべて。
「や、やるのぉ?」
「頑張って」
雫が僕を焚き付ける。
「やあ……」
「翔」
僕が駄々をこねそうになっていると父さんが肩を叩いた。
「してきなさい。得られるものはある筈だ」
「……はい」
そう言われて僕は立ち上がって稽古場の真ん中に歩いていく。
正直戦闘なんてしたくない。殺し合いなんてなおのこと。スポーツとしてならともかく大伯父さんは僕の実力を知る為にこの場を設けている。
だから始める前に一つだけ、大伯父さんに確認した。
「これは剣術としてですか?それとも、実戦としてですか?」
「……翔」
「はい」
大伯父さんは険しい顔で、僕に言う。
「本気でやれ」
「……わかりました」
僕は、父さんと墓参りに行くために立ち寄ったのに、なんでこんな事になったんだろう。
……その邪念を払うために、竹刀を一旦置いて頬を叩く。
大きく深呼吸する。スイッチを入れる。
常に冷静に、でも、心を燃やして。
異能は無し。ワイヤーは持ってない。まさしく身一つで。
「……やります」
あの寒空の下、クリスマスの夜に君は人を超えた存在と戦った。
金属の翼、輝く炉心、流星のように飛び、君は翔る。
敵と戦う後ろ姿を見た、超人を睨み付ける横顔を見た。
だから一瞬で身が引き締まった。君が頬を叩いた瞬間、その姿は戦うための心に切り替わった。あの日のように君は変わったから。
静かに、でも苛烈に、戦うために。
翔の顔を見たのか、めぐちゃんと呼ばれた彼女から笑顔は消えてしっかりと竹刀を握りしめている。
対して翔は自然体。竹刀は片手で軽く握って左手はダランと力を抜いている。
見合った二人は微動だにしない。彼女は翔がさっき言った小さな動きを私にも分かるぐらい大きく行う。翔は本当に動かない。手も足も、息遣いも、一切乱れない。
膠着状態、でも、翔は突然二歩下がった。
その二歩に彼女は距離を詰めようとしない。しかし、焦ってはいた。
「雷蔵……」
「なんだい?」
翔一人分の距離に座る雷蔵に私は話しかけた。
「翔はなんで距離取ったの?」
「間合いの外に出るためだ」
「間合い?」
「攻撃が届く範囲の事。あの距離は踏み込めば切っ先が当たる距離だった。ましてや上段だ」
「ジョーダン……?」
「刀を振り上げてる構えだ。剣術、剣道における最強の構えだよ」
「最強の……」
「刀の振る速度が最も速くなる。だから、相手よりも遅く動いても先に当たる」
「なら、なんで皆使わないの?」
「動きが分かりやすく防ぎやすいからだ。ただ、使い手によっては防御ごと叩き割るが……」
と、その時、道場内がどよめいた。
「か……」
「……なるほど」
私は開いた口が塞がらず、雷蔵は呆れたように笑った。
翔が地面を這うような姿勢を取り、片手を床に付けた構えをしたから。
「クラウチングスタートの姿勢……確かに剣術としての立ち合いとは言わなかったが」
これは実戦を模した仕合。剣を持った相手にどう対処するかという翔なりの答えだった。
流石に相手も困惑している。
けど、言ってしまえばその困惑こそ翔が誘い出したかった感情。
刹那、翔が走り出すための一歩を踏み出した。
同時、彼女は間合いに入りそうな翔に対して踏み込み、竹刀を振り下ろそうとする。
だから、翔の策にはまった。
翔の手から離れ投擲された竹刀に反応し彼女は一息速く振り下ろしてしまった。まだ翔が間合いの外にいるのに。だから攻撃が終わった瞬間の懐に入り込まれる。
襟首と袖を掴み、足を掛けて体を倒して上から取り押さえた。柔道の内股だ。
「そこまで!」
「……へ?」
「ふぅ……」
勝負は一瞬で着いた。
「……翔は今、相手の動きがどうなるか良く分かってた」
「あぁ。上段の構えからの振り下ろしに対してそもそも『相手にしない』という手段を取った」
以前、翔は自分には戦闘の才能はないと言っていた。
何をもって才能と呼ぶのかは分からない。一彦師範代のような恵体ではないし、雷蔵のような精神構造でもない。
肉体も精神も戦闘には向かない。でも、恐らく人間の物差しでは測れない何かを翔は持っている。
それを戦闘に転用した。私にはそう見えた。
「空の座の、その上……」
きっとそれは、人が突入していい領域じゃない。
ゆらりと立ち上がった翔が倒した相手に手を差しのべる。
私はその姿を見て笑う。
あぁ、良かった。君は飲まれていないって。その瞳を、顔を見ていつも胸を撫で下ろす。
超人を殺す覚悟を決めたあの時の顔をしていない。その事実が私は何よりも嬉しかった。
君がちゃんと人に戻れた姿を見れて。




