黄昏にて
時間にして十数分、静かだった街は嵐が訪れたように騒がしくなる。
戦いが終わった合図だった。
「まさか、細菌兵器すら体から除菌するとは」
病巣はため息を吐きながらソファで横になっていた。
「……病を作る能力は打ち止め?」
「まさか。だけど、作れるようになるのは数年先かな。あくまで新しい病を打ち込まれなければだが」
「モルモットにしないよう伝えておくよ」
「……あぁ。そうしてくれると……本当に助かる」
自分も近くの待合室のソファに座る。
翔と、鳴りを潜めたノエルから変わってフランが自分の視線の先にいる。
ノエルを説得した翔はまさしく善意の救い手だった。道を違いかけていた一人の少年に強引でも手を取った。
いつか見た小さな善意をくれた人。誰もが持ち、誰もが揺らぐ、誰もが捨てかねない善性。それを何の迷い無く握りしめて走り出した。
星、暗闇の中でこそ輝く、救いの光。
「ちゃんとヒーローじゃあないか。翔」
その在り方を誇りに思う。自分達はその生き方を志す。
正義ではなく善良を掲げ、悪の殲滅ではなく弱者の救済を目指す。
とはいっても、弱い人間が本当に救われるには自らの努力による脱却が必要不可欠なのだから、自分達に出来るのは、死という理不尽な不幸を食い止めることだけだ。
彼らの背中を静かに見つめているとそこそこ強い力で脇腹を小突かれた。
「いッつァ!なん……エイヴァ……なに……?」
ぷっくりと膨れた頬は怒っていることを表していた。
「えっと、あー……無事で良かった」
「お前は……」
その後に続く言葉を大体察知してそそくさと逃げ出し、即捕まったまま逃げる。
「止まれお前!しばき倒してやる!」
「痛い!ごめんってほんと!」
静かな騒がしくなり始めた病院内に悲痛な悲鳴が響き渡る。
あっ、目の前にドローン飛んできた。
「うわぁ……」
僕は遠目から女性二人に引きずられているヒーローの姿を見送って向き直る。
ノエルが飛ばしたナノマシンの群れはこの国を包み病巣が撒いたウイルスを駆逐した。
最小の病院、ナノマシンはそれを理念に人類は開発しようとしている。
それを個人によって無尽蔵に作り出せる。それが彼の真罪の異能。最も人類が今最も克服する可能性のある罪の力。
フランちゃんの兄は今もその胸に。
「それで、どうする?フランちゃん」
「日本に行くかどうか?」
「うん」
二人で空を見上げながら思案する。
生まれ育った故郷を離れる。それは、多くの人にとって辛いことだ。多くの思い出が詰まった場所なら尚の事。
それでも人はいつか────
「海の近くがいい」
「……うん。そうしよう」
空を見上げていた少女は僕を見る。僕は腰を落として目線を合わせた。
笑顔を浮かべる少女は真っ直ぐに澄んだ瞳をしている。その瞳の奥にチロチロとノエルが見えた。
「……何かあった?」
「ん?」
「悩んでいる音がするから」
心の音を拾う彼女は僕の迷いを見透かした。
僕は一度視線を落とし、覚悟を決めてフランちゃんの目を見た。
「君の……異能について……僕は専門家じゃないから、正しいことは言えない。でも、考察について少しだけ……聞く?」
唇を噛み締めてフランちゃんは首を縦に降った。
「心の音を拾う異能はフランちゃんの能力の側面の一つであって全部じゃない。前に病院で襲われた時、周りの人達が過剰なまでにパニックを起こしていた。まるで恐怖が伝染するように」
「……フランのせい?」
「君のせいじゃない。でも、異能が原因だと思う」
「……」
「まだ聞く?」
「……うん。全部聞く。全部聞きたい」
勇気ある、覚悟ある返事だった。
「感情伝播系と受信系の合わせ、『響鳴』に似た現象が君の異能一つで起きてしまったんだと、僕は推察してる」
「響鳴?」
「僕の昔の家はね、まだスマホとか受話器がある電話機を使ってたんだけどね、その二つを通話状態にした上で近付けると大きな音が出るんだ。これを『ハウリング』って言うんだけど、フランちゃんの感情も同じように感情の増幅と受信と伝播をしていた……んじゃないかなぁって」
「なんで自信なさげなの……」
「ちゃんとした検査してないから」
感情の増幅、受信、伝播は個別で前例は存在する。ただし、一つにまとまったものはない。
「答えはノエルが知ってる。君の中で異能の抑制を行ってるから。増幅と伝播の二つを抑制してる」
「……じゃあ、病院でパニックになったのは……」
自分を責めるフランちゃんの目には涙が浮かんでいた。
「違うよ。異能の暴走は当人の罪じゃない。フランは……なにも悪くないんだよ」
「でもッ!」
「その為に僕達が居る、ヒーローが居る、お兄ちゃんが居る。暴走する異能が誰も傷付けないために、ね」
異能者の内、多くの道を踏み外した人達は最初の異能暴走で誰かを傷付け、そして死なせてしまった経験がある。
故に、戻ることはできないと錯覚してしまう。
異能によって悪道へ突き落とされる、その始まりを阻止する。ケアする。
悪を滅するのではなく、悪を産み出さぬために。
「君は誰も傷付けなかった。だからこそ、悪くないんだよ」
「……フランは、フランはね」
「うん」
「………………一人でこの力を……なんとか出来るかな」
「一緒に頑張ろう。大丈夫、僕とノエルが居る」
「……うん。頑張る」
笑う君の頭を撫でる。昔、こうしてもらった記憶があるから。
「何だ……随分と優しいな」
カラカラと音を立てて車椅子に乗った病巣が近付いてきた。
「あっ、病気の人」
「言い方よ。兄譲りか?」
「むむっ」
車椅子を押していたのは黒いスーツを着た、たぶんこの国の公的組織の人だ。
「最後に、お前と話したいとお願いした。良いか?」
「……雨宮翔だ。よろしく」
「これは丁寧に。モルブスだ。最後の最後にお前のような人間に会えて良かった」
体の内側から病は消え、病巣とは呼べなくなったその男は、毒気が抜けたような表情を浮かべていた。
「できれば二人きりにしてほしいが……」
「ダメに決まっているだろう」
黒服の人は強めの口調で言い返す。
「僕が責任を取ります」
「責任?お前が?」
おっと一気にイメージが悪くなった。
「なら自分が責任を持つ。それなら良いだろう」
黒服の後ろからルークが二人を引きずって声をかける。
「……良いだろう」
「ほら、フランちゃんも」
「うん!」
そうして、会話が聞こえるか聞こえないかぐらいの距離に黒服の人が立ち、ルークとフランちゃんは離れた場所で遊んでいた。
「……お前は、レイと戦ったんだよな?」
外を見ながらモルブスは口を開く。
「うん。戦った。殺しあった」
「そうか……そこまで行ったか」
その声には落胆が聞き取れる。
「レイは……王の器じゃない。他者の期待に応えようとして、王様として振る舞っているだけでしかない」
「……」
「あいつを支えてやれる奴は皆死んだ」
「えッ……」
僕は思わず声を出して彼の方を見た。
「友達も、後輩も、先輩も、兄も、皆、あいつの目の前で殺された。別棟の仮設病棟で隔離されていた私以外はな」
「……どうしてその話を?」
「理解してほしい。そして、出来得ることならば、レイを、レックス・マルティネスという……奴隷となってしまった王を……殺してほしい」
「ころ……」
とても、彼の理解者とは思えない言葉だった。
だが、その目に、その声音に、弱さがあった。
「どうしてですか?」
「衝動に抗うには人間性が必要になる。だが、獲得した人間性の方が精神を歪めた。レイは胸に残る衝動よりも、異能者の王という人間性を選び、結果として心を磨り減らした。もはや、死ぬ以外に救いはない」
「本当に?」
笑顔を浮かべて遠くを眺める。
「……今も笑う顔を思い出すんだ。花の冠を被り、缶蹴りのように、悪漢に拐われた王様を取り戻す騎士ごっこを良くやっていた」
「なにそのローカル遊び」
「昔の話だ」
夕日に照らされたモルブスの横顔から一瞬で笑顔が消えた。
「久しぶりにレイを見た時、子供の頃の面影が微塵も残っていなかった。見た目の話ではなく、精神の話で」
「……それは」
「衝動も、人間性も、両方失えば残るのはシステムとしての王、あの都市の人々に乞われれば世界だって壊すだろう」
「……」
「そうなってほしくない。せめて人として死んでほしい。人として……生きていけないのならば」
「……約束は出来ない」
「なぜ?」
「僕は、人を殺すことが怖い。どれほどの悪であったとしてもこの手は震え、呼吸は乱れる。僕が獲得した心は、きっと、そう言ったものだ」
「……良い人に育てられたんだな」
「うん。僕の誇りだ」
「……すまない。頼むのは筋違いだったな」
モルブスは車椅子の車輪を掴み向きを変える。
「連れて行ってくれ」
黒服の人がモルブスの車椅子を掴み出口に向かって行く。
「じゃあな、君はどうかその在り方を損なわないでくれ」
……貴方は僕に何を見たんだろう。
最後の最後に縋ったのが僕だった。面識があるわけじゃない、何なら戦った訳じゃない。そんな僕に、貴方は……。
「……モルブスッ!」
思わず声を張り上げて、彼を呼び止めた。
「約束は出来ない……けど、貴方の言葉を忘れない。それが、僕が出来る最大の事だ」
「……」
口を半開きにして少し放心して、そして笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
手を振って彼は連れて行かれた。
「……君が、もっと早くにレイと会えていたなら……」
そう、言い残して。




