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異能ある君は爪を隠す  作者: 御誑団子
第三部 揺蕩う心

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過去の光

 目蓋を閉じればいつだって思い出せる。

 金髪の母と赤毛の父。笑顔の絶えない、等身大の幸せな家族。

 当時としては異能者への差別も持たない珍しい両親で、自分の持つ異能へも理解があった。

 人を傷付ける能力ではなく立体映像を作る人を楽しませる能力だったから偏見をあまり持っていなかったのかもしれない。

 だとしても、幸福だったことに変わりはない。

 でも、周りは違う。

 能力の詳細を知ろうともせずに批難をするものは必ず居る。

 非異能主義。どれ程小さくとも異能を嫌悪し迫害する主義。

 黄禍論に似た考えが広くうっすらと人々の心に巣くっていた。故に、異能を使い効率良く働く者、犯罪を犯す者、人助けをする者、悪事を働く者、悪を討ち滅ぼす者、善を食い物にする者、その全てをまとめて敵視した。

 アメリカにおける最初の異能者、【透明刃(インビジブルナイフ)】を持っていた少年は食料を盗み、追いかけられていた途中で脅しのつもりで相手の足元に放った刃が直撃、両足を持っていかれた警官が発砲し命を落とした。

 異能者は悪。その意識はこの事件から蔓延し、そして病のように心を蝕んだ。

 その背景無き憎悪は自分にも降りかかった。

 石を投げられたこともある。

 銃口を向けられたこともある。

 直接殴りかかられたこともある。

 だけど両親との生活は幸せだった。

 充実していた。満足していた。この幸せがきっと未来永劫続くのだと思っていた。


 ……なのに……


 今も脳裏に甦る事故の瞬間。オイルの匂いと全身に浴びた生暖かい液体。鉄が錆びた匂いが充満する圧縮された車体の中で必死に呼び掛ける。両親を。

 返事はなく、動きはなく、命はなかった。死を理解するのにその時の自分は幼すぎた。だから、きっと寝ているだけ、きっと目を覚ましてくれる。きっと、きっと、きっと。

 救助されたときの男の人の顔が忘れられない。真っ赤に染まった自分を掬い上げた、あの人の顔を。

 血の気が引くとはまさにあの顔なのだと。

 救助され、入院し、検査され、そして誰もいない自宅へ返された。その日は叔母さんが面倒を見てくれた。

 そして、虚無の日々を過ごした。何も、何も覚えていない。ただひたすらに両親に会いたいと願っていた。


 そして、自分の能力は禁忌の領域に踏み込んだ。


 会いたいという願いが異能を深化させ、気付けば両親が目の前にいた。

 願いは叶えられた。そう思っていた。でも、自分の能力はあくまで表面的。肉体は完全に再現できても精神までは不可能だった。

 日に日に狂っていく母親、暴力的になっていく父親、自分は自分なのか、祖母の顔を忘れ、実の親の顔を忘れ、仕事を忘れ、思い出を忘れ、自らの精神を構築する骨子を喪失し、狂い堕ちていく。

 父親は母を殺し、涙を流しながら銃口を息子の額に押し付け、そして渇いた音が鳴り響いた。

 なのに、自分は生きていて、駆け付けた警察官が父を撃ち殺した。

 何が起きたか分からなかった。まるで、自分だけ時間が巻き戻ったような。

 その時始めて理解した。自分は自分の能力で死んだことを無かったことにしたのだと。

 呼吸が荒くなっていく。心臓が早くなっていく。心が訳の分からない感情で埋め尽くされていく。

 気付いてはいけなかったその事実に辿り付き、酷く混乱したことは覚えている。

 自分はあの交通事故の時、既に死んでいたんじゃないかって。

 あの時死んだことを自分の能力で無かったことにして、そして、何も覚えていないまま生きてきたんじゃないかって。

 じゃあ、今ここで生きている自分は?

 今、警察官の人に背中を撫でられながら泣き止もうとしている自分は?

 何者なの?

 自分は……ルーク……なの?

 いわゆるスワンプマン。自己連続性のない別の生き物。

 ルークという少年は既に死に、ルークという少年と同じ姿形と記憶、そして同じ能力を持つ別物。

 そこに在ったのは人間の複製体、或いは人の皮を被った虚飾の怪物だった。




 自然と、自分が別物であるという事実は数日すればすんなりと受け入れてしまった。それがルークという異能者の異常性、衝動の受け皿だった。

 嘘を吐くこと。虚言衝動。或いは偽ること。

 嘘を真に出来る自分にとってそれは重さのない生き方だった。

 今の自分に本物はない。過去はなく、頭の中身は受け継いだもの、この心は死んだ彼の再現にすぎない。

 すがり付くものは消えた。この衝動の赴くままに生きればきっと楽だとそう思っていた。

 なのに……そんな風に生きられなかった。

「大丈夫かい?」

 そう言って、路頭に迷っていた自分を呼び止めた人がいた。

 決して綺麗とは言えない身なり、それなりにお年を召した男性、ホームレスもしくは物乞いと呼ばれる人。

「迷子かい?」

 縦に首を振ったことを覚えている。

「今、警察に連絡するからね」

 なけなしのお金で今はもうあまり見ない公衆電話を使って警察に連絡し、通話を切り終わった後に男の人はお腹の虫が鳴いた自分のためにハンバーガーを買ってくれた。

 美味しかったのを、今でも覚えている。

 些細な、とても小さな、けれども確かな善意の施し。

 自分はその善意に何も返せなかった。だから、最初はボランティアとしてホームレスの人達に何かできないかと活動した。

 その活動の中で何度か会うことがあった。

 お礼を言った。何かできないかと駆けずり回った。なぜそうしたかったのか分からないけど、貴方の善意に何か返したかった。

 今思えばあの時施された善意はルークというがらんどうの怪物が唯一受け取った光だったんだと思う。

 ……あぁ、そうだ。人を助けることは嬉しくて、楽しくて、満たされた。偽ることは得意だ。偽善の救済、例え嘘でも、人のフリをすることは何者かになれているような気がした。


 あの日までは。


 数年経って、あの時ハンバーガーを買ってくれた男の人は社会復帰を果たして仕事にありついた。そして初めての給料日、お金を下ろすために銀行に行って、そして……運悪く銀行強盗に巻き込まれてしまった。

 結果、小さな子を庇って凶弾に倒れてしまった。

 駆け付けた時には男の人は、既に亡くなり、傍らで庇った子が泣いていた。

 あの時と同じように。自分を犠牲に誰かを助けた。

 優しくて、正しくて、でも、何も持っていなかった人が自分の全てをかけて見ず知らずの誰かを助けた。

 世間は美談として語り、自分は憤った。

 だってこんなのってあんまりだ。この人の人生は他人に感動を届けるための物語じゃない。譲れないものが、誇れるものが、失われた。ヒーローが死んだんだ。

 賛美を送るだけ?死を悲しむだけ?涙を流すだけ?

 そんなもの侮辱に他ならない。

 がらんどうの怪物はこの人から善意を受け取った。だから、きっと、こうするのが正しい……違う、そうじゃない。正しいからやるんじゃない。

 失われてほしくないから、やるんだ。

「貴方から貰ったもの、必ず受け継いでみせます」

 小さな善意の積み重ねがいつか大きな希望になるように。

 お父さん、お母さん、助けてくれた警官、ハンバーガーをくれた貴方、ルークというがらんどうに確かに中身はあった。

 変わらないものはきっとある。雨宮翔が示したように。

「あ、あの……」

「ん?」

「なにか、できること、ない?」

「君に?」

「うん」

 貴方が助けた少女が自分に問いかける。小さな善意を受け取った少女が。

「……名前は?」

「……エイヴァ」

「……まだ何が出来るか分からないけど、一緒に探していこう」

「うん」

 例え茨の道であろうともルークは歩む。

 血だらけになろうとも、この心に落ちた光は絶やしてはいけない。

 それが、ルーク・アエテルヌスが掲げるべき英雄の在り方なのだから。




 昔の事を思い出す。時間にして一秒にも満たない。

 自分のルーツ、そして、なんのために人を助けるのか。

 覚悟を決めるには十分な時間だった。

 目を見開きそして、病巣を睨み付ける。今から倒すべき敵を。

「お前、街一つを……」

「避難所は手を出してないけどな」

 今ので分かった。異能の範囲内に狙撃手は居ない。最低でも直線距離十キロ、ちゃんと射程範囲を計算してる。

 しかも十キロ以上の超長距離狙撃を可能にする兵器か。速攻で潰さないと。

 病巣は事実上相手にしてもしょうがない。車イスだけぶっ壊して残りのリソースは全て狙撃手に回す。

 しかし、視界が真っ赤に染まり口の中に鉄錆の味が広がる。

「なん……」

「まさか、仕込んだ病が一つだけだと?」

 あぁ、そういう……。

 なら関係ない。即座に自分の体を解析して活性中のウイルスを全て消去する。

 この際、損傷部位はどうでも良い。修復は後回し。

 砕け散った破片を繋ぎ合わせて周囲に残っている人をクッションと高速ドローンを作って即座に避難させる。

「捕まえる」

 遠くの高層ビルの屋上から微かな光が輝き、面前に弾丸が迫る。

 一度認識した攻撃を二度も食らうほど愚かじゃない。

 弾丸を砂にして消す。

 瞬間、別方向から弾丸が飛んでくる。

 飛んできた弾丸は的確に頭蓋を吹き飛ばし頭部が吹き飛ぶ。

 思考が完全に止まる。暗闇が訪れる。だから、予期して先手を打つ。

「事象消失、ルークの死を無かったことにする」

 瞬時に頭部を再構築、重要な情報を先んじてインストールする。

「瞬間移動!」

 いや、違う。最初の狙撃地点からまだ気配がある。狙撃手は一人だけじゃなかった?

 或いは、自分を増やした?

「……」

 即ち分身……

「……ルークに、そういった勝負挑んじゃう?」

 瓦礫をかき集めセメントからタンパク質に変換、寸分違わず己と同じ存在を作り出す。

 その存在を狙撃手との間、五キロメートル地点に配置する。

「あ、ヤバい」

「もう遅い」

 高層ビルが射程内に入る。

 同時、見える場所全ての高層ビルから弾丸が雨のように浴びせられる。三百六十度全方位から降り注ぐ弾丸の雨。

「その程度で殺せるなんて……」

 不死とは違う不死、人間が目指す最終進化、精神のデータベース化。しかし、複製体という事実は精神が耐えられない。

 故に自分達は、真罪は、人の領域を飛び出した精神構造をしている。

「嘗められてるな」

 でもまぁ、この子は守らないと。

 だから、美味しいところは全部持っていけ。


 ━━━ルーク・アエテルヌス。


 全ての弾丸を砂に変えたその後、遠くのビルが解体されその全てを以て狙撃手を拘束する。

 その証拠に頭蓋が撃ち抜かれる事はなくなり、役目を終えた複製体のルーク達はその場で自身を消した。

「自分一人を殺すために大掛かりな仕掛けをこれでもかと、お金あるの?」

「ない。レイ持ちだ」

「そう」

 戦闘時間、約一分。だとしても、流石に範囲を広げすぎた。また、怒られるだろうなぁ。

 ……人の命は背に腹は変えられない、ということで一つ。

 自分は指を鳴らして街を再構築し、目の前にいる車イスが壊れ、それでも動こうとする病巣に目を向けた。

「後はお前だけだ。病巣」

「……だね。さて、どうしようか?」

 まだ策があるようには見えない。はったりじゃなかったとしても、そもそも戦闘能力は無い。

 まだウイルスを仕込まれてるか?それでも即座に対応できる。

 見られたくはないけど。

「……」

「……」

「……不死身の怪物相手にそもそも、勝ち目なんてあるわけ無いだろうに」

 冷笑するように、嘲笑するように、酷評するように、勝ち目の無い戦いの結末をただただ、病巣は投げ捨てた。

「敗けた。後は好きにすれば良い」

 ただ、清々しく彼は敗け誇っていた。

「……そう」

 後は翔の方。大丈夫かな。そう、病巣から意識を外した瞬間だった。

 それはどこかで見た暗闇、それは自分にとっての、いや、異能者全員の天敵、即ち、死神のような黒いもやが再び現れた。

 自分と病巣の間に。

 まるで空間を裂くように、もしくは蚊が水上に柱を作るように、唐突に現れてそして、病巣に刃を突き立てた。

 皮膚から滲む血をもやは吸い上げ、刃は徐々に刺さっていく。

「やめ、止めろ!」

 もやを手で払い除ける。すると鳥が飛び立つように散っていった。

「おい大丈夫か!?」

 自分は抱えた女の子を近くに作ったソファに寝かせて病巣の様子を見る。

「さ、された……んだよな?」

「あぁ。痛むか?」

「………………うそだ、そんな……痛くない……なんて……」

 あまりにも鋭利な刃物で傷つけられた時は痛みを感じないという。鋭利な刃物の第一条件は薄いこと。

 いや、違う、でも、それが出来るのは一人しかいない。

 ナノサイズのマシン、それを組み合わせて刃物にする。先端の厚さはあらゆる刃物よりも薄くなる。

「解析開始」

 そう、幼い声が呟いた。

「解析終了、種痘生成、散布開始」

 黒いもやは虫や鳥などの形を成して空へ飛んでいった。

「今、お前の体の中にあるウイルス全てのワクチンと特効薬を作った」

 同時に、病巣の様子が急変する。顔が真っ青になり咳と嘔吐、脂汗を掻き、体が震え始めている。

「お、お前……」

「病巣、だっけ?お前の異能も停止させた」

 幼い少女、彼女の事を自分はよく知っている。

 だから、似つかわしくない荒々しい口調に違和感を覚えた。

「君は……フラン……」

 違う、口にしてそう思い、そして、一瞥した瞳を見て確信する。

「……お前は誰だ」

「窮地に追い詰めた怪物の事が気になるか?ヒーロー」

「……」

 ……曰く臓器移植をした人間は臓器提供者の記憶や人格を引き継ぐことがあるらしい。

「ノエル。愛すべきフランのお兄ちゃんだ」

 黒いもやが周囲を漂い、まるでハエのように集る。

 ただ一人の少女、少女を乗っ取った少年の命令通りに。

 蝿の王に。

「んじゃ改めて。病巣の異能は停止させた。蓄えてきた自らの病に侵されて死ね、病害」

 冷やかに、あらゆる命を平等に無価値と言わんばかりの声と態度、何よりその瞳は光を写さず、ただ目の前にいる病の巣を見下していた。

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