仮面を捨てる時
「そう、範囲外に無事出れたか。んじゃそっちは頑張ってね」
病巣が通信を切ると自分の方へ向き直る。
「さてルーク。開戦とは言ったけど見た目どおり病巣には戦闘手段がない。だから……」
そう言って両手を上げた。
「……何のつもりだ」
「降参だ。私は戦わない。煮るなり焼くなり好きにすれば良い」
これでも数多の異能者と戦ってきた。だからこそ分かる。何かを企んでいる人間の目を。
銃口は下げない。
「何を企んで……」
「何も。のんびり世界の行く末を見守っているだけ」
「……」
溜め息混じりに退屈そうに、欠伸をして眠たそうにしている。
「全く、皆は異能を使ってもここまで動けるなんて羨ましいよ」
「……」
「……少し話をしよう」
そう言うと彼は頬杖をつき気だるげに脱力した。
「炉心、世界にまだ数件しかない異能であり、そしてそのほとんどが自らの内側で燦々と輝く星に焼かれて死んでいる」
「炉心……だったな確か」
僅かに咳き込みながら返答し、一瞬こちらを一瞥して彼は続けた。
「瞬間推力を保有する零落は人体改造込みで機能する数少ない炉心系能力者であり、代表だった」
だった、その言葉に何かが引っ掛かる。
「まるで今は違うみたいな言い方だ」
「違うも何も、今は上位互換が居るからな。流星飛翔、音を超え、空気を突き破り、地上に存在するあらゆる物体の速度を超えて駆け付ける、まさしく流れ星」
「……上位互換……ね」
上位互換で済ませて良いのか。それが翔の異能の性能で、その上まだ完全に目覚めきっていない。
「……炉心の発現は十五年前から。彼も今は十六歳。そして、全ての異能には原点異能が存在する」
「カケルが……原点異能者だと思ってるのか?」
「逆に聞くが、彼以外に居るのか?数多の悲劇を引き起こしてきた炉心系異能の産みの親が、あらゆる悲劇を踏み倒して空を飛ぶ流星が、雨宮翔という厄災の星以外に在るのか?」
僅かに怒気が籠った声にたじろぐ。
「原点異能とはその系統の最初にして完成形、後発の、発現した異能は全て原点異能の劣化品に過ぎない。全ての異能は始まりの力を超えられない」
「だったらどうしてカケルに零落をぶつけた?勝てるわけないんだろう?」
「証明だよ。我々のような劣った存在でも……」
瞬間、病院の壁数枚を貫通して人差し指ほどの弾丸が太ももを貫き、両足を吹き飛ばした。
「あがッ!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!
「……君らのような優れた存在を叩き潰せるという、ね」
バランスを崩した後に襲ってくる強烈な痛みが全身を脳ミソにアラームを鳴らせる。
「そ、げき……まだ居たのか!」
「居たとも。戦争に置いて敵を殺すのはほとんどミサイルや爆撃機、そして狙撃手だ」
地面に向かって顔から落ち、流れ出る血が水溜まりを作る。
「ハァ……ハァ……」
脳内麻薬がドバドバ出てるのか痛みが僅かに和らぐが、ほとんど誤差だった。
「どうせもう準備しているんだろう。あらゆる被害を無かったことに出来る事象消滅」
「何を……」
「君は頑なに人間を作り直すことを避けている。だが、自身は例外。街一つを破壊する圧縮空気砲を受けても自らは作り直した。つまり、君だけは劣化しない。自身の能力でどれだけ体を弄り回しても完全に同じ自分を作れる。そうだろう?」
「……だったら?」
「そもそも無駄なんだよ。幻影は死なない。どれだけ殺したところで、バックアップを用意しているんだろう?」
「……それで?」
「……強がりだな、分かっているんだろう?ヒーロー。血反吐を吐いても立ち上がり、腕が折れようとも武器を手に、足が吹き飛ぼうとも立ち向かう。そんな英雄を無力化するには、英雄の皮を剥げばその下は怪物であると世界に宣伝するしかない」
やっと、その思惑が理解できた。
「さぁ、化けの皮が剥がれる時だ、ヒーロー」
幻影の本来の異能を大衆の前で使用させる。それが病巣の思惑。
「……ここに人はいないが?」
「そう思う?」
いない……いないはず。皆避難してた。
「医療現場の事は良く分かってないようで安心したよ。寝たきりの人間まで簡単に避難できると思ってくれていたようで」
だとしてもここ以外の出口から。
「そしてファンも多い」
病巣が自分から目を反らし奥の廊下を見たその瞬間、女の子の短い悲鳴が上がった。
「避難せずに残ってるなんて、何て悪い子なんだろうか」
「なん……」
「今まで戦闘を一般に公開していないことが裏目に出たね。最高の娯楽だろう?ヒーローが悪党を叩き潰すなんて」
「待って、待ってくれ、この子は関係ない一般人だ!」
「そう、一般人だ。英雄が救うべき罪のない人々だ」
「だから!」
「だからこそ、ヒーロー達は見捨てられない」
地べたに這いつくばって、必死に懇願する。そんな自分の姿を笑うでもなく蔑むでもなく、病巣は冷たく見つめていた。
そこに熱はない。英雄というものを落とすことに熱意はない。
まるで仕事をするように、処理をするように。
「全く、真正面から叩き潰して力を誇示することに固執するから今まで勝てなかったんだよ。搦め手には不意討ちで対処しなきゃね」
足を直せば立って戦える。身体中を巡る病原菌を消せば十全に戦える。
なのに、人に見られているという事実が歯止めをかける。誰もいなければ容赦なくしていただろうに。
「正直君を倒すことに固執はしてない。なんなら君の本当の力を知ってもヒーローとして慕う人達は黙ってくれるだろう。でも、本人の心は堕ちる。君の脳内に必ず力を使えば良いという選択肢が常に現れる」
「……お前……」
「自分の脳みそ弄って消した衝動、出来ることならもう一度取り戻してほしいなぁ、なんてね」
あぁ、この人は、この男は自分を殺そうなんて思っていない。こいつが殺そうとしているのは、【幻影】という英雄。
「なぁ……」
自分が歯軋りをして選択を決めかねていたその時、小さな影が飛び出した。
小さな影は病巣を殴り飛ばし、衝撃が遅れて何も触れていない空中で二発目が炸裂した。
「ゴフッ……」
女の子が自分の前に立っていた。
「……クソガキ」
笑って、病巣はそう言った。
「クソガキ、で結構!私はキャシー!幻影の代わりにお前を倒す!」
「……へぇ」
病巣が指を軽く動かすと倒れた車椅子が自立して彼の元まで自走して行った。
「子供にしては強い拳だったよ。衝撃の増幅と多重かな。君、覇権取れるよ。愚かじゃなければね」
病巣が車椅子に座ると底知れない光ない瞳でキャシーを見ていた。
その意図にすぐ気付いてしまった。
「やめっ、逃げろ!」
「え?」
刹那、キャシーの左腕が吹き飛んだ。
二の腕から先が宙を舞い、地面に落ちて、血を流し始めて彼女は痛みに気付いた。
「あ……あぁ」
瞬間、空間を揺らすほどの悲鳴が上がった。
「い、いだい……いだいよ……」
「さぁ、どうする?子供は大人と違って止血してやらないとすぐ死ぬ……」
……あぁ、クソ。
折角手に入れた英雄という仮面と、痛みに悶える少女。
結構、気に入ってたんだけどなぁ。アメリカ最高のヒーロー。
まぁ、背に腹は変えられないよね。
「化けの皮ァ剥ぐ程度で済めば良いけどなァ!病巣!」
迷うという選択肢はない。英雄の仮面と少女の命、天秤にかけるまでもない。
幻影によって少女の腕を写し、落ちた腕を一度分解、幻に合わせて再構築、腕が吹き飛んだという事実を無かったことにする。
「大丈夫、大丈夫だよ、痛くないからね」
足を直して少女を抱える。キャシーと名乗った女の子の涙を拭いながら。ウイルスも全部消した。
「良いの?人に使うのは」
「メンタルケアは必須、だけど、怖いけど、お父さんとお母さんの二の舞はゴメンだからね。完璧に仕上げるに決まってるだろう」
傷はない、痛みはない、違和感はない。そうなるように、そう感じるように、全く同じではなくとも同じと思えるほどに完璧に。
曰く、人間はコンマ三パーセント変わっただけで全くの別物になる。その小さな容量に個人を決定させる情報が詰まっている。
故に、細心の注意を払って作り上げた。
虚飾の幻を本物にするために。幻影を現実にするために。
それが、衝動を消した際に課した己への誓い。
人の目はごまかせない。積み上げた歴史は消し去れない。込められた思いは変容しない。
故に、自らが作り上げた偽物は見破られるかもしれない。
幻影、現実改変、即ち、贋作を作り続ける生涯。一度たりとも本物を作り出せない本質。
ルークという怪物が選んだ英雄という人の面、もしその仮面を捨てる時が来たのならば、それは、どんな在り方であろうとも万人を救うと決めた時だ。
「正直、人を殺すということを拒絶していたことは認めるよ。思ったよりも引き金は重かった」
「へぇ」
「でも、被害が自分だけならいくらでも我慢するが、無辜の人々に手を出した時点で矜持も信念も投げ捨てる。どんな手段を使ってでもお前達という悪を地獄に叩き落とす」
「……」
とても無邪気とは言えない邪悪な笑みを病の巣は浮かべている。
「人を捨ててでもか?」
「そんなものいくらでも拾うさ」
さっき、自分の足を撃ち抜いた弾丸の方向とこの子の腕を撃ち抜いた弾丸の方向は全く別だった。
つまり、別の地点から狙撃した。可能性として狙撃手が複数、あるいは瞬間移動を持っているか。
もしそうだとして、手加減する必要はない。
遠方に建つビルの屋上の空気が僅かに揺らぐ。
幻影の能力の一つ、周囲を把握するためのスキャンに引っ掛かった。
なら、後は捕まえるだけだ。
「いかなる手段、いかなる意思を持っていようとアメリカは屈しない」
全てを、ただ一人の悪意を討ち滅ぼすために。
「最高の英雄、その真髄を見せてやる」
「……やっと、お初にお目にかかる」
失意の底、両親を改造したという事実を前に絶望した自分を救い上げた、本来ならば力ある者が救わなければならなかった弱者の勇気をルークという怪物は知っている。
彼に出来て己が出来ないなんて道理はない。
小さな街角の小さな奇跡、あの日、なけなしのお金で奢ってもらったハンバーガーは何よりも美味しかった。
何があろうと自分は世界を守る。異能を持たない多くの人々に救われたのだから。異能を持たない、多くの救われない人々にせめて希望を持ってほしいから。
仮初の光を、目映い灯火にするために。
「幻影を倒したければ帝王を連れてこい。お前達が相手にするのはアメリカだ」
「生憎、王様は休養中。引きずり出したければ私という騎士を倒してからにしてもらおう!」
戦う力はないと言いながら退くつもりはなく、意思はないと言いつつその目には決意が込められている。
こういう手合いはいつだって手強い。なんたって、死ぬ覚悟をして戦っているんだから。
だからこそ、一切の油断をもうしない。
瞬きの後、自分は街全体を更地に変えた。




