幕間 特別か、凡庸か
「雫さん~、余談なのですが~」
海の向こうで嵐があった翌日、コンビニのバイトもなく、かといって家でやることもなく、友人がいても都合が付かず、カンナギさんの事務所に涼みにやってきていた。
もちろん、お土産を持参して。
白衣姿の幼女のような立花博士は糖分補給とだけ言って数個の甘いお菓子を持って研究室に戻り、白衣に大きな丸メガネと窶れた姿のサロメさんはお茶を淹れて一緒に食べてくれた。
世間知らずな私は色々と教えを乞うていたのだけど、その時、話題が変わった。
たまたまテレビの画面にアメリカ最高のヒーロー、幻影が映ってから。
「能力には最小規模と最大規模と呼ばれる基準があるのですよ~」
「最小規模と最大規模?」
「はい~。この二つは能力のランク分けの基準にもなっておりまして~」
「フンフン」
「最小規模とは~、どれだけ小さい規模で異能を使えるかで~、最大規模はどれだけ大きい規模で異能が使えるかなのですが~」
「読んで字の如くじゃないですか!」
「そうなのですが~、ここで一つ考えて欲しいのです~。最小規模と最大規模、どちらが優秀だと危険か~」
そう言われて私は顎に手を当てて考える。
「それは……やっぱり最大規模?」
「ブブー。最小規模が優秀だと危険~」
「え?何で!?」
フフンと、したり顔で私を見つめるサロメさんはお茶が入った湯呑みに手を翳す。
「水を操る【水流操作】で例えますと~、このお茶は能力的には操りにくいもの~」
「え?どうして?」
「水を操るということは水以外を操れないということ~」
「……もしかしてお茶の成分が原因で操りにくくになる……?」
「はい~」
……いや、お茶の成分ってそんなに入って……無いよね?
「水流操作の最小規模はつまるところ精密操作が出来るかどうか~、ということになるのです~」
「いや、でも、たったこれだけの不純物で?」
「人間の体重の約六割は水分~、もし水流操作がこの程度の不純物で操りにくくならないのならば~、人体の水分を操って爆発させるなんて朝飯前~」
一瞬、悪寒が背筋を走った。
「逆に最大規模は一度に操れる量の上限~、驚異ではありますが人が多い現代社会では最小規模の方が見えない凶器としては危険~」
「なるほど」
人一人殺すのにとても強い兵器を使わないように、異能も突発的に人を殺せる力を危険視してるってことだ。
「ちなみになんですけど、その、水流操作で一番の最小規模ってどれぐらいですか?」
「実例で一人~、海難救助を主に行っているライフガードの方がいらっしゃるのですが~、その方は海水でも難なく操作~、理論上は雨粒一つから操作可能~、溺れた子供の肺から海水を出したり~、泥と水を分離させたり~、出来ますね~」
「雨粒一つから?」
「10mlあれば人は溺れるので~」
そうなんだ。
「そっか、危険ならランクは高くなるもんね」
「いいえ~、ランク分けは危険度では無い~」
「えっ!?違うの?」
「はい~。いえ、世界基準では合っているのですが~」
サロメさんは部屋の片隅に置かれているデジタルホワイトボードを引っ張ってきた。
そのホワイトボードに文字を書いていく。
【罪位】と【真位】が並び、その下に【天位】【地位】【人位】と続いていく。
「罪位と真位は関係性が複雑なので一旦放置~、天、地、人、についてお話を~」
「はいッ!」
「【天位】【地位】【人位】で基本的にはランク分け~、人位は個人で到達可能、地位は複数人で到達可能、天位は大人数で到達可能と、日本基準では定められているのです~」
「世界基準は?」
「人位は格闘技を習っていれば~、地位は接近武器で武装した人間数人か銃器を使うか~、天位は訓練された武装集団が必要~、とされています~」
私はホワイトボードを見る。
「じゃあ、【罪位】と【真位】は?」
「罪位と真位の関係性なのですがぁ~、実はこのランク付けを最初にしたのは日本~。再現性を重視した日本の基準では真位は現時点では到達不可としたもの~、対して危険性を重視した世界の基準では~、罪位とは総力を持って相手取らなければならない異能~」
「総力って?」
「軍を動かすとか~」
「戦車とか?」
「はい~。しかも一両二両ではなく、戦略が成立する量が必要~」
……翔は……確か罪位。
世界が動く異能なんだ。
「ちなみにですが~、実は人位の異能には名称は送られないのです~」
「そうなの?」
「はい~。人位は個人の努力で届くので~」
「そうなんだ」
でも、逆に言ってしまえば努力しない届かない天才のように見えてしまう。
「特別……なのかな異能者って」
思わず口にしてしまった。
「……確かに~、ギフテッドシティがある以上彼ら彼女らは非異能者よりも優れているとも言えるかと~。しかし~、理性の無い社会構造は獣の世界~。特別でなければ生きられない街など目指してはいけないのです~」
「……確かに」
ルールがあるから世界は今も平和なんだ。逆に言ってしまえば無法地帯が荒れるのは当たり前。
「特別だとか凡庸とか関係無し~。人類は優れたものだけ生きれば良い生き物ではないのです~」
そう言ってサロメさんはお菓子を頬張っていた。
モキュモキュしてる。
「……あ」
そういえば、と、最近見た言葉を思い出す。いや、聞いた言葉だったかな?
それでもふと、脳裏に浮かんだ。
「真罪……」
サロメさんの手が止まった。
「確か、真罪の異能……みたいなのあるんですよね?」
サロメさんはお菓子を飲み込んでお茶を啜って私を見た。
「……一応、表向きの表現ではないので~」
「はい」
「真罪の異能とは二つのランク・シンの頭文字を繋げただけの言葉で~、正式なものでもないのですが~」
「はい」
思ってたより神妙な面持ちで話し始めていた。
「真罪とは~、現在の人類が抱えている問題の事を指し~、いわゆる寿命やエネルギー問題の事でして~」
私は頷き相槌を打ちながら話を聞く。
「真罪の異能とは~、これらの人類が抱えている問題を解決できる異能だと言われているのです~」
「寿命、とかを?」
「はい~。ただし、この問題は本来解決できないもの~」
そう言ってまたデジタルホワイトボードに何かを書いていく。
「永遠の労働力、不老不死。地上の灯火、永久機関。病の完全克服、無病息災。災害の完全掌握、自然操作。人類未踏の開拓、環境改変。宙の理、宇宙開発。不可侵の領域、不触障壁。人類を導く律、思想統一。そして、人類にとって永遠の夢にして不可能の代名詞、過去への介入、時間溯行。これら九つの不可能を可能にする異能を真罪の異能と言うのです~」
「……え?」
不可能……を……可能にする異能?
「もちろん今の今まで一人も見つかってはいないのですが~」
「あっ、なんだそうなんだ。ビックリしたぁ」
「まぁ、自然界に事実上の不老不死が居るので、超人カイン・シュダットが同じような不老不死を獲得しているかも~」
「えぇ……」
「しかし~今上げた九つの異能はあくまでも問題の完全解決の為のもの~。つまり~、これから先悩むことを無くす解決方法~」
悩むことがない、かぁ。それって人類永遠の課題を放棄するって事でもあるんだよね。
「人類が抱えている真の罪、完全解決した暁には堕落一直線~」
「やっぱりそうなんだぁ。アハハ」
半笑いで私は適当な返事をした。そんなことはない、そんなことは、って。
何故か私の障壁と翔の青い光が溢れる胸部を思い出しながら。
「あ~、それでですね~」
「はい」
「実はなのですが~、アメリカ最高のヒーロー【幻影】は環境改変の異能者なのではないかとの噂~」
環境改変……環境改変?
私は首を捻って環境改変の異能が何なのかを考えた。
「家を建てる……とか?」
「近くとも遠からず~。とても簡単に言いますと文化の礎~、人類も持っている入植能力~、テラフォーミング~」
「テラフォーミング?」
「はい~。身近な例で言いますと~、ビーバー何かは枝や丸太などで川を遮りダムを作って狩場をこしらえます~。それと同様に人間は家を建て~、村を作り~、国を立ち上げ~、果てには星を掌握する~。環境改変とはここまで数千年かかる人類の大事業を一瞬で構築する異能だと言われているのですよ~」
「へ、へぇ」
何かピンと来ない。けどこう考える。
どんな環境でも人が住めるように出来る。その果てに、きっと、他の惑星を地球と同じ環境にすることだって可能かもしれない。
「居るかもしれないんだ。そんな、凄い力を持った人達が」
「はい~」
私はきっと貴重な話を聞いた。異能の研究、その最前線を走る人の言葉なのだから。
私は湯呑みを持ってお茶を啜る。何かを考えるわけじゃなくって、何ていうか、こう、知らない世界の事をまた一つ知った。そんな、気がした。
だからこそ気付かない。
サロメさんが私を見るその表情が、とても、同情的だったことに。




