心を啄む極小
「以上が、この四日間で行われた作戦の結果でございます」
そう言って彼女、いや、彼は頭を下げた。
「【流星】ただ一人に阻まれたか。だが、終わったわけでもあるまい」
異能犯罪都市ギフトシティ。その街の【王】。その姿を直接拝謁した者は少ない。彼が居るその場所は常に垂れ幕がなされ影しか拝めない。それでも、声は年若い青年の声だった。
頭を下げる彼、【非存在証明者】の異能を持つ少女の様な容姿の少年はそんな王に慎ましい態度を取っていた。
計四回の【幻影】を狙った襲撃。その悉くを翔は潰してみせた。最速の異能を以てようやく捌ききれる物量の襲撃。しかし、底を突いた訳ではない。
「次の五回目こそ本命、五人の少数精鋭を用いて【幻影】を暗殺します」
「汝も出るのか?ヘルマ」
「はい。このヘルマプロディトスが命に変えてもかの障害を排除いたします」
力強く宣言する。影のみの王を真っ直ぐ見つめて。
「……やはり奴は……こちらには傾かないか」
「まだ、彼を引き入れたいのですか?」
「あぁ。あの力はやはり惜しい。社会を瞬時に構築、再現、改変できるあの力は他にはないものだ。だが、余の力も通じない。真摯に話し合うしかないのだが……」
「皆始末する方向で動いております。諦めてください。ここも、アメリカも、彼一人がなんとか凌げている。奴は嘘を吐くことにおいては右に出るものはいない。贋作のヒーローを持ち上げている今こそアメリカを弱体化させられるチャンス、本物が生まれれば、或いは現れれば、この街は苦境に立たされます」
「……フム……」
あれ程の力を持ち、あれ程の偉業を成し遂げる彼をギフトシティでは偽物と声高に叫ぶ。
英雄ではなく、伝説ではなく、正義ではなく、どこにでも居る凡庸な人間だと。
だが、王は見抜いている。
「偽物……と、思わせる、か」
微かに笑っている。昔を思い出しながら。
「懐かしい。一年前だったか。あまりにあまりな事態ゆえ【幻影】と一時共闘したが……」
「……」
「あれは本物の英雄よ。自身を偽善者と知っていながらそれでも自らが信じる善を成す。いや、善を演じる。それが、【幻影】という名のヒーロー」
「ずいぶん、高く買われるのですね」
「無論だ。真罪の異能を高く評価せずなんとする」
ヘルマは目を細めて嫉妬心を燃やす。
「人類不到の領域など必ず踏破してみせます」
「……楽しみにしておこう」
ヘルマは背を向け部屋を後にする。王はその姿を見送って、肩の力を抜いた。
「あー、緊張した。あんなガチガチに持ち上げなくてもよいのに」
垂れ幕の向こうで王は立ち上がり椅子の回りを歩き出した。
「……【流星飛翔】……本物の英雄か」
微かに笑って足を止めた。
「やはり会いに行くべきだったな、ルークに」
その瞳は日が差す窓の向こう、青く広がる空と流れて行く雲を捉えていた。
「……分かっている。手遅れだとな。だが、だがな、一年前のあの日、肩を並べて戦ったこと、嬉しかったのだ」
あの日のように空は青い。共に見上げ、共に倒すべき怨敵を睨み付けた、あの時、あの瞬間、確かに幻は王と同格だった。
「ゆえに余は確実にお前を殺す。今持てる全てを以てな」
深呼吸して心を落ち着かせる。そうして次を待つ。
そうしている間に部屋の扉が開かれた。
垂れ幕の向こう、目の下に隈を作った年若い少女が立っていた。
王には、誰が来たか見当がついている。それゆえに単刀直入に話を切り出した。
「よく来た、カトリーナ。早速だが仕事がある」
「……また、ルークを殺せと」
「あぁ。ヘルマがしくじった場合の後釜、或いは【流星】の足止めになるだろう」
唇を固く結び躊躇っている。
「……このままでも……良いんじゃないでしょうか?だって、ルークは異能が使えないかもしれないと聞きました」
「かも、では確実性に欠ける。余の邪魔をするのであらばこの世から消えてもらう他あるまい」
「ッ!」
「カトリーナ。貴殿なら出来る」
話し合うしかないと王は言った。にも拘らず今度は始末しろと同じ口で語る。
「今度こそ、その心を惑わした幻の影を掻き消す時だ」
まるで目の前に居る者によって仮面を付け替えるようにその在り方、理想の形を変える。些細で、それでいて人の心を掌握するには強大な手段。
「分かりました」
カトリーナは自身の意思で王の元へ下った。だがそれは、長い時間を掛けて誘導されたものでもある。
誘蛾灯に導かれるように少女は舗装された地獄を歩む。
三度の敵対を経てもなお、その心は縛られたまま戦場に送られる事となった。
『まぁた随分と希少なサンプルやね』
「急遽ごめんなさい。立花博士」
日は沈み、夜の青と夕焼けの橙が混ざる時間帯に僕は立花博士にコソコソと連絡を入れて話す。
『ええよ?ウチもそれなりに退屈してたさかい』
「で、どうでしょうか……」
溜め息か、深呼吸か、息を吐く音が聞こえて彼女は口を開く。
『まだ結果出てへんさかい断言出来ひんけど……』
間を置いてため息混じりに口にする。
『十中八九同じナノマシンやね』
「マジかぁ……」
僕がカンナギに嘘を吐いて、よく分からない異能を持つ子供達の髪の毛と一緒にフランちゃんのナノマシン付き頭髪を立花博士に送り見てもらった。その結果がこれ。
ルークを傷付け、異能の発動を封じているのは……齢八つの女の子。
「……原点異能って奴ですか?」
『せやね。無理矢理類似性を見つけようと思えば、金属加工、金属操作、流体金属……似通ってるのはそこら辺やね』
それで極小の機械が作れるとも思えない。
「操作感は同じってことですか?」
『そやね』
「……」
頭を抱えて壁伝いに腰を落とす。
「……」
『どないした?』
「いえ、僕なら制御の仕方を教えてあげられるかなって……」
『無理やさかい。止めとき』
「どうしてですか?」
『あんたが送ってくれたこのサンプル、自立して動いてはる。つまり、異能者から独立して機能する』
「……」
『数億、数兆の機械に一つ一つ命令を出しながら完全に掌握しいへんとこの異能は完全には制御できまへん』
「そんなの、人間に可能なんですか?」
『少なくとも今まで出来た人間をウチは知らへんな』
こんなことを言ってはあれだが、彼女は完全に爆弾だ。自身で制御できない異能が身の内に巣食っている。
「……どうすれば良いですか」
『知らへん。けど、あんたならどないする?』
「分かりません。ただ、あの子は……どこにでも居る普通の女の子です。その日常は守ってあげたい」
『変わらへんね。なら、それでええんちゃう?』
「……はい。ありがとうございます」
『気にせんでええよ。気張りや』
この人普通にしてればただの優しい人なんだけどなぁ。そう思いながら通信を切った。
「……さて」
僕は立ち上がりカンナギが居るであろうルークさんの病室に向かって歩き出した。
やることは変わらない。とにかくカンナギに話を通さないと。それだけは絶対だ。
問題はこれから。制御できない異能を保護のまま終わらせるかどうか。その話を今からしないといけない。
廊下を歩く。窓から空を見ながら歩く。
空が暗い青に飲まれていく。
………………胸騒ぎがする。
僕はルークさんが居るであろう病室に到着した。
扉に手を掛け、軽く力を込めて開く。そこにカンナギとルークさんが居た。
「ん?翔か。収穫はあったか?」
振り返るカンナギの瞳は僅かに青く光っていた。未来視を使った瞬間だと思う。そして、その目と口ぶりからおそらく未来視で結末を見ている。
「僕の口から言う必要ある?」
「あるぞ。ほら、ルークに伝えてやれ」
キョトンとしてベッドに横になっているルークさんに近付き、側にあった椅子に座る。
気合いを入れて失礼のないように、僕は敬語を使って話し始める。
「……めんどくさいので単刀直入に言います」
「う、うん」
「ナノマシンの異能を持つ人物を見つけました」
ルークさんは目を見開いて驚いていた。
「そう……」
「はい」
「……」
ルークさんはうなだれて少し悩んで、僕を見た。
「その人、は……」
何を思っているのか僕には理解できる。故意か、偶然か。
だから濁すことはしない。
「フランチェスカ。この病院に入院している齢八つの女の子です」
「その子は自分を、【幻影】を恨んでる?」
「……」
きっとルークさんの中で何か心当たりがあるのだろう。そんな風に言うってことは。
「僕の所感で良いですか?」
「もちろん」
「多分、恨みとかそんなものないです」
ただ、あの子にそんな雰囲気はなかった。何かを憎んでいたり、恨んでいたり、怒っていたりを感じることはなかった。
「今回の一件は暴走による事故だと、僕は思っています」
窓辺に立って腕を組んで僕を見るカンナギと、ベッドの上に居るルークさんは納得した表情を浮かべていた。
「結局カンナギより君の方が早く見つけたんだね」
「と、言いますと?」
僕はキョトンとして二人の話しに耳を傾ける。
「今日までで君に出動依頼があったのは二十件。内、あの黒いモヤが目撃されたのは四件。そしてその四件全て【幻影】を、つまり自分を狙った犯行だと犯人達が言ったんだ」
「何ならルークが傷を負った時もあの黒いモヤが狙ったのは敵だったカトリーナだ。あれは【幻影】を守るために動いてるんじゃないかってのがボクとルークの見解だった……んだけど」
「……そうか、正確にはルークさんじゃなくて病院を守るために」
「カトリーナの破壊範囲は広いし、あの時は雷で広範囲が停電になってたから」
停電……生命維持機が止まればいったい何人死ぬことになるのか。
でも、きっとそれも違う。もっともっと、深いところで何かが蠢いている。
僕は左手で口元を覆い、黙り込んで、考えて、悩んで、口にする
「……カンナギ、保護って言ってたよね」
「そうだね」
「日本で……保護って出来ない?」
「その心は」
「上手く言えないんだけど、検査が必要かなって」
「立花博士に見てもらった方が良いって思ってる?」
「マズイかな?」
「スイッチ入るだろうなぁ、あれ」
何で至高の頭脳の持ち主に倫理観を持たせなかったんだろうか神様は。絶対に実験体にする未来しか見えない。でも、彼女に調べてもらえば僕が感じる違和感を何とか出来る筈。例え何もなくとも杞憂で終わる。
また、僕は黙って考え事をしてしまった。
二人が沈黙を気まずく思っていることを他所に僕は別の案を提示し始める。
「……カンナギのコピーってさ、条件何?」
「えっ!?」
「カンナギのコピーで彼女の異能を複製して欲しい。昼間、チェスの時に言ってた事、もし本当なら彼女は……」
お兄ちゃんの置き土産。フランちゃんはそう言った。
「思考を読む異能を持つ少女の肉体にナノマシンの異能を持つ少年の心臓を移植したことで二つの異能が一つの肉体で機能してる事になる」
それが、僕が感じていた違和感。
「……は?」
「本当に?」
「分かんないです。僕の……ただ感じた事なので。でも、カンナギが異能を使って彼女の異能をコピーして、思考を読む異能か、或いは両方の異能をコピー出来れば……」
「してどうする?」
「……少なくとも、対策は取れる」
「「…………」」
ナノマシンは独立している……けど、異能は心と直結している。怒りや憎しみがそのまま力になる。
思考を読む能力がどこまで読めるのか。もし、共感や同調と呼ばれる程だった場合、あの異能は複数人の感情を抱えていることになる。
「……あの子のチェスの上手さは多分才能だろうな」
カンナギがゆっくりと歩き始め病室内をウロチョロとし始める。
「いきなり何?」
「異能の話。コピーするまでもない。サーチがあるからさ。あの子には確かに思考を読む能力がある。その証拠があのチェスの強さだ」
「どうしてですか?」
ルークさんは分からないと首を傾げ、僕はあることが頭を過った。
「異能に合わせた身体の成長?」
「そう。発火の異能者は熱に強くなり、身体強化の異能者は自身の筋力に耐えられる頑強な体を、自身の異能に自身が耐えられるように成長する。フランチェスカって子は複数の思考を同時に行える並列思考処理の持ち主なんじゃないかな」
「それ持ってるとチェス強いの?」
「チェスは知らないけど棋士になら何人か居るぞ」
「そうなんだ」
カンナギはベッドの前、病室の真ん中で足を止めた。
「確かに翔の言う通り、思考を読める能力とナノマシンを生産運用する能力が一人の人間の体に収まっているのだとすれば、拾った思考にナノマシンが反応、自律して自身の驚異になりうる存在をその子の意思とは関係なく迎撃する。その可能性は確かにゼロじゃない」
「待った!待ってくださいカンナギ!」
カンナギの話しをルークさんが声だけで止めに入った。
「それだと拾える思考の範囲が広すぎます。従来は……確か」
「学校全体、だいたい直径百メートル程だった筈」
「そうです!だから、それ以上の範囲なんて……」
「思考を拾う範囲が狭かろうと最近は何かと便利だからね」
カンナギはそう言って病室のテレビを見る。
「ニュースを見て、病院中の人達が恐れれば条件としては一応整ってしまう」
あり得ないと言い掛けて、僕とルークさんは言葉を飲んだ。
「仮説も多い、が、有り得なくはない。少なくとも精密検査は必須になる」
「……ルークさん」
「……ん?」
僕は神妙な面持ちをするルークさんに話しかけた。
「アメリカはやりますか?彼女の危険性を暴くことを」
その言葉に彼は視線を落とす。
「……そう……だね。いやどうだろう。異能狩りの思想は結構根深く浸透してるから……検査しようとはするだろうけど……上から殺せって声も確実に出ると思う」
「……その結果は……」
「検査するか、検査前に殺されるか、聞かなかったことにして殺されるか」
カンナギが元の位置に戻って窓際の壁に背もたれる。
「今のアメリカよりも日本の方が安全だ。立花博士ならボク一人で何とか出来る。問題があるとすれば日米両方の政府を説得できるかどうかだな」
「そっか。じゃあ後は、フランちゃんが納得してくれるかどうかだね」
「勝手に話し進めてたのか。いや、ボクに話を通してからってことか。なら仕方ないか」
「……カンナギさん、同席させてください。今回の件、自分も力になれる筈です」
「そう?なら大分ありがたい」
日が暮れる。空が暗く染まっていく。一人の少女の人生を左右する内容の話を当人が居ないまま進めていく。
「……」
僕は空を見ていた。何故かアメリカに来て空を気にするようになっていた。正確にはあの黒いモヤが目の前から消えた時から。
だから気づけた。その事象に。
「……ルークさん。ここってコウモリとか居ますか?」
「コウモリ?いや分からないな」
なら、コウモリじゃない。あの空を見て僕はこの地域にコウモリが居ないとは言えないから。
「カンナギ、ヤバイかもしれない」
「何が……」
カンナギも外を見る。外を見て、明らかに焦り始めた。
「なん……翔!追いかけろ!」
「分かった!」
カンナギが空を見た後、ルークさんも身を乗り出して病院の上を見る。
「……は、はぁ!?」
暗く染まっていく夕暮れをさらに暗くしていく。それは無尽蔵に近い黒いモヤ、ナノマシンの集合体だった。
「量が多すぎる!何する気だあれ!」
僕は病室を飛び出そうとして、その前に一瞬振り返る。
「ルークさんは……」
刹那、そこに居なかった筈の誰か現れた。
音はなかった。亡霊のように現れた。
「……ゴーストランナー」
「………………見つけた」
「え?」
手に持ったナイフを流れるようにルークさんの首に当てる。
僕が戻るよりも早くそいつは首を切り落とした。
「ルー……」
認識が遅れる。今、一人の命が奪われたことを理解できなかった。僕もカンナギもこの強行を止められ……
「やっぱりお前が来たか」
カンナギがゆっくりとその人物を直視した。
「ヘルマ……」
「カンナギ」
血が付着したナイフを今度はカンナギに向ける。その瞬間だった。
ノイズが走ったように景色が歪み、僕と誰かを除いて病室の左右が反対になる。
「やっぱり狙われたなルーク」
「……ヘルマ」
一瞬の出来事、分かるのは僕も含めてこの二人は騙していたこと。そしてそれは、今はどうでも良い事実だと言うこと。
僕は走り出し出来うる限りの加速をしてその誰かを蹴り飛ばし窓を割って外に出す。
「ルークさん生きてる!?」
「生きてる!けど、予想より早い。ナノマシンの除去が……ギリギリ終わってない」
「翔が来る前に話した緊急措置をやるぞ。除去用ナノマシンを活性化させて残りの時間を短縮、死ぬ程キツいし終わっても死にかけるだろうけど頑張れよ」
「……はい!」
躊躇った。今一瞬だけ躊躇った。
「ルークはボクが死守する。子供達の所に行け。ナノマシンがあれだけ出てるってことはかなりの人数が同じ感情を宿して、なおかつ拾ってる」
「つまり、暴走寸前」
「あぁ、何もかもめちゃくちゃになる前に事態を静めてこい」
「うん、分かった!」
僕は病室を飛び出し走り出す。病院の中は恐ろしい程に静まり返っていた。嵐の前の静けさのように。




