小物なりの矜持
翔が渡米してから四日後。
異能犯罪都市ギフテッド。
人口は二百万人、全長三十キロメートル程度の小さな都市。しかし、地下にも上空にも伸びた、まるで植物のような構造の都市である。
人口の約七割が異能者、約三割が改造人間、一分の人間が生身という特色を持っており、都市の名前通り、日夜犯罪が横行している。
加えて、自治権を主張しており、アメリカとは幾度も衝突し、その度に犯罪都市の異能者によって軍隊は退けられている。
異能者の特区として作られ、異能者達により開拓、発展、異能者狩りから身を守るため異能を行使し実質的な軍事力を保有していることを知り、異能によって作られた多額の資金を持って企業を呼び込み、その果てに大都市になったこの都市は日本の首都、蔑みを込めて呼ばれる【塔京】と肩を並べる最先端。
故に、今もなお多くの人々が移住する。
移住の第一条件、自らの身を守る術を持つ者。
そして今日も一人、その都市へ足を踏み入れる。
「アニキー」
「おぉ兄弟!元気にしていたか?」
二十代前半の男が無精髭の男に手を振りながら駆け寄る。
「久しぶりっすねぇ!元気でしたか?」
「元気も元気さ、ほれ見てみろ」
無精髭の男は自身の後ろに置いていた車両を見せる。
「【戦闘用車両】オルテンシア!機関銃六丁に小型ミサイル七十!こいつを手に入れてから仕事は上々さ!」
機能と速度を追求した結果、スーパーカーのような車高と重心が低くなった戦闘用車両。前方に取り付けられた機関銃、屋根には格納可能な小型ミサイル。これ一台で戦車と撃ち合える犯罪都市だからこそ手に入る違法車両。
無精髭の男は自慢気に車を紹介し、改造した手足から金属音が響かせながらボンネットを軽く小突く。
「お前の方はどうさ!ここに来れたってことは何かデケェ事やり遂げたんだろ」
「もちッすよォ。異能者のヒーロー、一人ぶっ殺したんすよ」
「マジかよオイッ!そりゃすげぇなぁ!」
若い男は自らの殺人を誇らしげに語る。
「仕事でつるんでた連中は皆逃げて一人で戦ったんすからね!」
「なおさらすげぇじゃねぇか!俺より大物なんじゃねぇか?」
「アニキには負けるッすよぉ。えへへぇ」
まるで犬のように懐く若い男は、奥歯を噛み締め心の奥に仕舞い込んだ嫉妬心が僅かに溢れた無精髭の男の表情に気付くことはなかった。
「あんな奴らヒーローだなんだって持ち上げられてるっすけど、俺っちにはアニキがヒーローっすからね」
「……そうか。そうかそうか!なら、祝わねぇとなぁ!上手い酒が飲める店知ってんだ!」
「奢りっすか!?」
「勿論だ!」
それでも無精髭の男は気丈に振る舞う。目の前の男に一度は見栄を張った身、今さら他人面は出来ないし、したくない。
無精髭の男は若い男を自身のビークルに乗せ近くのバーに連れていく。
「そうだ!明日仕事なんだが一緒に来ねぇか?」
「良いんすか!?」
「あったりめぇよ!俺の紹介なら飛び入りでも入れてくれるはずさ!」
「アザッス!アニキ!」
「おう!まずはここでの仕事に慣れろ。外と違って、ドキツいのもエグいのも、ヤベェのも一杯ある。頭のネジが何本も飛んだような仕事と野郎のオンパレードだ。特に、今度の仕事はな!」
「何やるんすか!」
「聞いて驚け。アメリカ最高ヒーロー、【幻影】の殺害だ。しかも【王】直々の仕事と来た。金と名誉を獲得する最大のチャンスさ!これから向かうバーじゃあ絶賛決起会の真っ只中!おめぇを紹介してやるから今のうちに自己紹介でも考えとけ」
「ヒーロー殺しの仕事……なおさら俺っち向けじゃないっすか!」
男達は車内でゲラゲラ笑いながら明日へ向かう。
彼らの夢が、願いが、一番星の輝きに掻き消されるとも知らずに。
翌日、サンフランシスコ。
無精髭の男と若い男は決起会をしていた連中と一緒に【幻影】が居るとされる場所に向かう途中、青い光を放つ鋼の翼を携えた少年一人に苦戦していた。
戦闘用車両七台、異能者十五名、改造人間八名、これだけの戦力を持ち込んでおいて、だ。
全員が絶望に満ちた目をしていた。
「なん……なんだよあれ!」
「まさか、日本からの助っ人っすか!?あれが!?」
変幻自在の翼はビークルのエンジンのみを破壊し、弾丸は躱してミサイルは防ぎ、接近戦に持ち込まれると強力な拳が放たれ、距離を取れば鞭のような挙動をする刃物が先端に付いたワイヤーが飛び、さらに距離を取ると高速飛行で距離を詰められる。
警察もここに来るまでに居た異能者もヒーローも轢き倒してきた。彼らにとって有象無象の存在、視線を向けるまでもない道端の石ころ。なのに、目の前に居る少年だけは無視できない存在だった。
「警察の皆さん、足止めありがとうございます。お陰で間に合いました」
「いやぁ、足が早いヒーローってのは心強いね。いつもならもっと頑張るし、命だって張るんだがね」
「娘さんがいらっしゃるんでしょう?生きてください。ここからは雨宮が引き継ぎます」
道を塞ぐように並べられたパトカー、その後ろに隠れていた警官達が退いていく。
「それと、僕はヒーローじゃないです」
「なら、なんなんだい?」
「それは……分かんないです」
「はは、お堅いね。日本のヒーローって奴は」
警官の軽口に頬を緩める翔は次の瞬間には真剣な面持ちへ変わり敵を見据える。
瞬間、ワイヤーを周囲に張り巡らせ、炉心を稼働させ膨大なエネルギー、噴流を生む。
張り巡らされるワイヤーと背面機構から吹かす噴流を使った高速機動による制圧、その速度は人間のそれを超えている。
「ふざッ……ふざけんな……ガキ一人に……負けて……」
無精髭の男は取り乱しながらも銃を抜き頭上を飛び回る存在に銃口を向ける。だが照準が合わない。
「負けてたまるかぁ!」
目の前で一瞬停まったように見えた翔に弾丸を放つ。しかし、引き金を引き終わっていた時点で射線上に翔は居らず、気付いた時には懐に潜り込まれていた。
鳩尾にめり込む掌底、衝撃が内臓を圧迫し、パイルバンカーに似た二発目の衝撃が意識を飛ばした。
「アニキ!」
冷静に、冷酷に、悪事を働いた者に一切の躊躇無く無力化していく。例え同情できる事情があったとしても、それが誰かを傷付けて良い理由には成り得ないが故に。
「よくもアニキを!」
「……もしかして……」
翔は若い男を見て記憶を辿る。
「先月、ワイオミング州のヒーローを殺した……」
「だったら……なんだっていうんすか!」
男の異能は【衝撃吸収】あらゆる衝撃を吸収し、一つに纏めて放つ。起死回生、一発逆転の異能。
翔が攻撃すればするほど男の一撃の威力は上昇する。
しかし、翔には異能者の異能と弱点を瞬時に看破できるだけの知識と思考を持っている。【超人】が異能として再現するほどの脅威を遺憾無く発揮する。
「死ね!ヒーロー!」
男はここに来るまでに溜め込んだ衝撃を拳に乗せて放つ。
同時、翔もその拳に合わせて攻撃する。
衝撃吸収の弱点、それは、溜め込んだ衝撃を放つ瞬間だけ吸収出来ない。
「僕はヒーローじゃない」
放たれた衝撃は空を切り、翔の拳は相手の顎に直撃、揺れた脳みそは男の意識を一瞬で沈めた。
「……ぁ……ニキ」
その場で倒れた男は最後に尊敬する男の方を見ていた。何故なら、無精髭の男は意識を取り戻し背を向けて居た翔に銃口を向けていたから。
無精髭の男はハッキリ言ってしまえば小物だ。今回の仕事も棚から牡丹餅、人数合わせで入り、むしろアニキと慕ってくれる兄弟の方が入ってくれと周りから懇願された程だ。
それでもその男は見栄を張り続けた。ただの小悪党で、何も持たず、祝福も贈り物もなかった。詰まる所平凡な人間。
憧れた、非凡な存在に。妬ましかった、特別な人間が。
たったそれだけの理由でここまで走り続けた。金品を奪い、企業に喧嘩を売り、人を殺した。
悪名でも良い、無名で死にたくない。誰でも良い、誰か一人でも覚えていてほしい。
だから見栄を張り続ける。華々しく自らの人生を彩るために。
「死ね……」
引き金に指をかけて力を込めた次の瞬間、翔が振り向いた。
瞬間、夢が、願いが砕け散った。
ありとあらゆる感情よりも恐怖が勝った。奪う側から奪われる側になった。
あんなに軽かった引き金が重くなる。平凡な人間に成り下がる。
「ああぁぁ……」
初めて、見栄を張れなくなった。
死んでも良い。華々しく散れるなら。一番星の輝きがその願いを焼いていく。
「来るな……」
一歩、また一歩と近付く。星が近付いてくる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!」
重い引き金に力を込めて弾丸を放つ。しかし、翼の盾に弾かれ明後日の方向へ飛んで行った。
「ハァ……ハァ……」
翔は素早く銃を奪うとマガジンを抜き弾倉の弾を抜いてバラバラにした銃をそこら辺に捨てる。
「まだやる?」
静かにそう言った。そう言われて初めて、既に戦闘が終わっていることに無精髭の男は気が付いた。
逆転はない。まだ、は無い。
「ハッ……ハハハ……ハハハハハ」
乾いた笑いが無精髭の男から漏れた。
もう二度と夢を見れない。
夢を見る度、翔が常に立ちはだかる。願う度、一番星が遥か遠くで輝き続ける。
追いかけても追いかけても追い付けない、天幕を巡る星。
その天幕の星もまた夢を見て、願って、追いかけている。その事を知ったがゆえに走ることを止めたのだ。
残酷にも、ね。
そして、少し離れた場所からボクはその一部始終を見続けていた。
「まぁ、承認欲求が原動力の犯罪者にとって翔は特効だよね~」
あれ程までに悪党の心を踏みにじるのが上手い奴は居ないだろう。満足するのは超人ぐらいだ。
「……思ったよりも大活躍したな。キモい」
二十三人の敵を到着後一分もかからず制圧、被害も最小、ヒーローとしては一級品の能力を保有している。
「……」
わずかな静寂の後、それは現れた。
心霊写真や映像に記録されている死神のような黒いモヤ。
ルークを無力化した例の何かだった。
「来たな」
この四日間、この存在が姿を現すことはなかった。なのに今日は姿を現し、顔も体もないはずなのに翔の目の前で確かに何かを見ていた。
恐らくは翔の危険性を計っている。
「……動くなよぉ、翔」
何を基準に、どう動くのか、それすらも分からない。
だから、その黒いモヤは三十秒もせずに霧散し消えた事すらなぜなのか分からなかった。
「あら?」
「……え?」
こうして翔と仮称名称【死神】の邂逅は何も起きずに終わってしまった。




