中国戦線 南寧で安寧の日々?
中国戦線 第2話投稿します。何とか、2話で収めて南方作戦に行かねばと思い頑張りました。
陸軍士官学校 その3も大幅加筆修正いたしましたので、そちらも見て頂ければ幸いです。
今後も生暖かい目で見て頂ければと存じます。
中国戦線
南寧で安寧の日々?
1941年10月
遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。
今宵、皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし、日本陸軍少尉乾辰巳です。
「隊長、何ぶつぶつ言ってんですか?」
「そうですよ。もうすぐ、目的地ですよ。緊張感持ってくださいよう」
この上官へ対する尊敬の念など、からっきしこれっぽっちも無いのは、僚機の大多賀軍曹と松井軍曹だ。
二人ともに、所沢陸軍飛行学校の同期だ。自分は、主に満州に、二人は中国戦線に居たため、自分が陸軍航空士官学校を卒業し、少尉に昇進し小隊長として広東に赴任した際に再会していた。そして、自分の小隊の僚機となった。
相撲取りの様な巨漢の大多賀軍曹、右目に向こう傷があるまっつこと松井軍曹、そして常識人の乾少尉と乾小隊のメンツであった。自分は、誰から見ても常識人だよな……
そして、我々は何寧の飛行場を飛び立ち、貴陽郊外の物資集積所を空襲するために夜空を飛んでいた。3機の小隊編成で、護衛には4機の鍾馗が付いていた。日本陸軍は、海軍とは違い夜間飛行可能な技量甲の者が多かった。夜間飛行出来て一人前の風潮が陸軍には流れていた。
1941年9月の重慶爆撃から、日本陸軍は戦略を変えていた。それまでの蒋介石を直接狙った都市部への爆撃から、交通インフラの破壊に重点を置いた爆撃へと。
主に鉄道操車場、河川航路の桟橋、橋、道路などを狙った攻撃を繰り返した。
昼に編隊を組んでのものから、夜間の少数機での通り魔的な爆撃も行われた。
援蔣ルートからの補給を邪魔し、干上がらせようとの策であったが、援蔣ルートの出発点を占領しない限り補給は続くものと考えられており、嫌がらせ的なもので十分と考えられていた。
ただ、嫌がらせではあったが手を抜くことは無く、蒋介石を苦しめていくことになる。
やがて、援蔣ルートの根本的な破壊のために日本陸軍は、南方作戦を立案し、北部仏印に続き南部仏印に進駐していくのであった。
我々第6戦隊27機は2中隊18機を南寧に派遣していた。戦闘機隊の第11戦隊も同様に2中隊24機を派遣している。
2中隊が前進基地の南寧で実戦配備し、他の2中隊は広東で保養と訓練するローテーションが組まれていた。
当初、第6戦隊と第11戦隊は、漢口を基地としていたが、整備班の喧嘩が原因で広東から仏印へ移動した第64戦隊の後釜として広東に移動してきていた。
それは、些細な出来事であった。が、人類の歴史において些細な出来事が、しばしば戦争に発展することを我々は良く知っている。
1941年9月、漢口。
河川運航多目的船による補給は、順調に行われていた。
また、輜重、補給の拠点である漢口には冷蔵(冷凍)輸送函が設置され、日本軍に新鮮な食糧と冷えたビールを提供していた。当然、敵軍のみならず友軍の銀蠅の警戒としてベルクマン短機関銃(鹵獲品)で武装した憲兵が、警戒に当たっていた。
実は、陸軍では銀蠅の文化は無かった。陸軍では、士官も兵も同じ内容の食事を取っていた。
士官と兵の食事が全く別物の海軍とは大違いであった。英国の貴族的な海軍制を導入したためである。
ベルクマン短機関銃(鹵獲品)で武装した憲兵が、警戒に当たっている冷蔵(冷凍)輸送函から銀蠅することは不可能に近かった。しかし、そこで諦めるような日本海軍将兵では無かった。
何か別な方向に力を入れるのは、海軍の悪弊かも知れない。
その日、河川運航多目的船が漢口の桟橋に着き、搭載されたトラックを補給所に移動させるために第6戦隊と第11戦隊の整備兵が派遣されていた。
整備兵は機械の運用に長けていて、トラックの運転もほとんどの整備兵が出来たため、良く駆り出されていた。
また、整備班の榊班長が誠に品行方正、曲がったことは大嫌いという性分とで、隊員達の不正行為を厳しく管理していたためでもある。要は、海軍より信頼されているということである。
そして、いつも通りに芝副班長が配下、いや部下を16名連れて桟橋にやってきた。
桟橋には先客が居て、何やら河川運航多目的船の船舶工兵達と揉めていた。
「おー!シゲさん、いい所に来てくれた。海軍さん達に言ってくれよ。荷物を寄越せって聞かないんだ。全く、埒が明かないんだよ」
「海軍さん、このトラックの荷物は我々陸軍が移動を請け負って居る。それを寄越せってのは黙って見ちゃいられねえな」
「黙れ! 整備兵如きが何を言うか! 士官のオレが寄越せと言っているのだから黙って荷物を寄越せ!」
「おい、おい、海軍さんは士官自ら銀蠅なんてみっともない真似するのかい? いや、元々は私掠船、海賊を祖先とする英国海軍から、そういうことも学んでるんですかい?」
「貴様は、言わしておけば!」
激高した海軍士官は、腰のホルスターから拳銃を抜き出した。そして、長江に銃声が2発轟いた。
海軍士官の股の間に2発の弾痕が……
「次は、わざと外したりしませんよ。きっちり、金〇を吹き飛ばして見せますよ」と、マウザーC96を手に冷たい声で語りかける芝副班長。そして、配下の16名も手に手にC96を持ち海軍将兵に狙いをつけていた。
「俺達は、満州の最前線に居たんだ。基地が敵に襲われることもあった。皆、実戦経験豊富だ。今なら、黙っておいてやる。素直に帰れ!」
海軍将兵は、各々を狙うC96の銃口に固唾を飲み、
「覚えておけよ!」の捨て台詞を吐いて帰っていった。
後に、整備班に海軍士官に銃を向けるとは何たることかと、抗議にやってきた海軍の士官に向かい榊班長は
「ガタガタ抜かしてやがると、長江に放り込むぞ!」と追い返した。
散々、コケにされた海軍は、航空隊隊長が戦隊長に抗議に押しかけて謝罪を求めた。
それに対して、岡部中佐は、
「そちらが先に拳銃を抜いたそうじゃないか? 威嚇射撃で怪我人も無かった訳だしな」
「威嚇射撃で2発も撃つのかね? 明らかな殺意を感じるが!」
「2発撃つのは確実に仕留めるためだ。陸軍では、当たり前だ。殺意があるなら、はなっから頭に撃ってるよ。うちの連中は、搭乗員も整備班も射撃の訓練は欠かさないからな」
「ああ、一ついいことを教えてあげよう。戦場では、弾は前からばかりじゃなく、後ろからも飛んでくる。人を撃てるのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ。気を付けることだな」
と、冷たい視線を送って来る岡部宣隊長。陸軍では、指揮官先頭は当たり前。岡部自体も何度も死線をくぐってきた。その眼差しを向けられた海軍航空隊隊長は、すごすごと帰って行った。
この件は不問とされたが、共同運営には支障が出かねないと第6戦隊と第11戦隊は、仏印へ移動した第64戦隊の後釜として漢口から広東への移動を命じられた。もちろん、整備班も一緒だ。
なお、河川運航多目的船の荷揚げする桟橋には、冷蔵(冷凍)輸送函同様に、ベルクマン短機関銃(鹵獲品)で武装した憲兵が、警戒に当たることになり、中国で一番警戒が厳しい場所と言われるようになる。
第11戦隊の移動に伴い、篠原が敵機を独占することが無くなり、喜んだ第59戦隊の樫出であったが、獲物は狩りつくした後であり、その後敵機は中々姿を見せることは無かった。
桟橋で、長江に向かって吠える樫出少尉が良く目撃されたと言う。
「俺の獲物はどこだあ! どうしてこうなったああ!」
広東に移動した篠原達も、フライングタイガースが加藤少佐率いる第64戦隊に一当てして被害甚大となり、ビルマに引っ込んでしまい、獲物に飢える事になっていた。
その鬱憤を晴らすかの様に篠原達は訓練に励んでいた。
青いいなずまが僕を責める 炎からだ焼き尽くす! って! 機銃弾が操縦席の横を通り過ぎる?
その後に尾翼に青い稲妻マーク*1の篠原機が飛び去って行く。
「何、機銃ぶっ放してるんですかあ!」「篠原さん! 殺す気かあっ!」
「いやいや、実戦に即した模擬空戦だろ? 下に居るひよっこ共にも臨場感あふれる戦闘シーンを見せねばな。ははは」
「それに、99式襲撃機なら1連射くらい当たっても大丈夫だろ?」
「機体が大丈夫でも、自分は大丈夫じゃありませんからあ!」
「そんなこと言ってるより、何とかした方がいいんじゃないかな?ホレホレ」
今度は機体の前方に機銃弾が流れていく……
下に居る連中にはいい見世物だが、やってる本人はこの熱帯の広東で冷や汗たらたらであった。
「乾、考えるな。感じろ!don't think feel」
「好き勝手に、言いやがって!」
篠原機に背後につかれた乾機は急上昇した。
「どうした? 上昇力で鍾馗に優る日本軍機は無いぞ!」
乾機は急上昇の後、意図的に失速状態を起こした。
失速した自機を篠原機が追い越したところで、慣性による姿勢制御で失速状態から回復。相手の目をくらましつつ背後に回りこんだ。さながらヒラヒラと舞い落ちる木の葉の様に見えた。
失速状態からの姿勢制御は、軽量で操作性に優れた99式襲撃機なればこその機動と言えよう。
「あれ? 乾機が居ない……」
前に居るはずの乾機が忽然と消え、スロットルを戻し水平飛行に戻す篠原。そこに……
「はははあ! 後ろをとったぞ! 喰らえっ!」と叫ぶと同時に機銃を1連射する乾機。
「撃ったな? オヤジにも撃たれたことないのに!」
「フハハハハハ、ただでは殺さんよ! ただではな! 今こそ積年の恨みを晴らす時!」
篠原機は、進行方向と高度を変えずに、機体姿勢を急激にピッチアップした。まるで、コブラが鎌首を上げるが如きに。迎角を90度近く取り、そのまま水平姿勢に戻り、そして追い越して行った乾機の背後に付く。
「乾、何だって? ただでは殺さんだっけ?」
「いや、何言ってんすか! 冗談ですよ。冗談! 自分と篠原さんの仲じゃないですかあ?」
「ノモンハン以来の仲だったが、これまでだな…… 惜しいヤツを亡くした」
「いや、本当やめて、殺さないで! どうしてこうなったああああああああ!」
因みに、この模擬空戦は、敵機撃墜数111機の日本一のエースパイロットと、戦車・装甲車100両以上かつ敵機撃墜数5機の日本一の爆撃機乗りの戦いであり、戦場未経験者への教育の一環として無線を下で見ている者たちへスピーカー繋いで流していた。
「何やってんすか? あの人たちは?」
「内輪もめか兄弟げんかにしか見えねえなあ」
とは、日本一の爆撃機乗りの僚機である大多賀と松井である。
「まあ、機銃ぶっ放すのはどうかと思うが臨場感溢れるいい訓練じゃないか? 篠原中尉もフライングタイガースの連中がビルマに引っ込んで、しばらく空戦が無いから鬱憤が溜まってるんだろう」
とは、篠原の陰に隠れては居るが、敵機撃墜数36機の飛行第11戦隊の2枚看板のもう一人、提督こと加藤少尉である。
「さあ、次は俺達だ。2対1の模擬空戦だ。うまいこと逃げろよ」
「えっ? 加藤少尉が相手ですか! 無理無理」
「大丈夫だ。俺のは訓練用に機首機銃を7,7mmに変えてるやつだから。7,7mmなら当たっても大丈夫だろ?」
「「誰が、そんなこと言ったんすかあ!」」
「えっ! 篠原中尉が言ってたぞ。あいつら、固いから1連射位大丈夫だって。さあ、行くぞ」と、いい笑顔を見せる飛行第11戦隊の2枚看板のもう一人、提督こと加藤少尉であった。
「「聞いてないよう! どうしてこうなったああああああ!」」
加藤少尉は、加藤少佐よりドイツ空軍のギュンター・ラルの射撃方法を聞き、そのたぐいまれなる動体視力により偏差射撃を会得していた。何も無い空間に射撃すると、そこに敵機が吸い込まれた様に向かい被弾する。それを見た者たちは、魔法を見るようだと口々に言った。
ノモンハンで数多の経験豊富な歴戦の戦闘機搭乗員を失った陸軍は、漢口と広東において実戦教育を行っていた。
加藤少佐からもたらされたドイツ空軍で確立されたロッテ戦法。2機1組のロッテを「分隊」、4機1組のシュヴァルムを「小隊」としたロッテ戦法。内地からの戦場未経験の戦闘機搭乗員は、ベテランのロッテの僚機として宜昌と南寧での実戦経験を積まされていた。
秋以降は、中華民国戦闘機も戦闘を避け、なかなか戦闘の機会は無かったが、篠原達エースパイロットが
「実戦に勝る経験は無い! 戦場の空気を毎日吸っているだけでも、経験値は上がっていく」
と言ったお陰で夏から秋にかけての半年間で、約300名もの戦闘機搭乗員が戦場デビューしていた。
篠原達エースパイロットが指導したことにより、漢口航空学校、広東航空学校と言われ、その卒業生たちは後の欧米との戦いで活躍していくことになる。
南寧での安寧の日々は長く続かず、我々も第64戦隊の後を追うように11月中旬には南方への移動を言い渡された。
*1 飛行第11戦隊では、尾翼に稲妻マークがあることから稲妻部隊と言われている。第1中隊が、白。第2中隊が、赤。第3中隊が、黄色。篠原が中隊長の第4中隊は、青である。
木の葉落としとプガチョフ・コブラですW 木の葉落としは、まだしも、プロペラ機でプガチョフ・コブラ出来るのか?と言われると、どうなんでしょう……
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