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10/26

閑話:気分はもう戦争?

マレー作戦の前に少しだけ楽園で羽を伸ばしてもらいました。

調べたら、史実で本当にここに進駐しているんです。


1941年12月1日、南印フコク島。


11月中旬に、南寧から移動を命令され、いよいよ英米との戦争かと気を引き締めていた……

のは、数日であった。


青い太陽白い砂浜。そして、冷たいビール。

白いビーチチェアーに横たわる体に、吹き付ける海風も心地よい今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

どうも、日本陸軍中尉の乾辰巳です。あっ! 12月に中尉に昇進しました。英米との戦争の機運が高まったせいか、移動と共に大盤振る舞いの昇進がありました。

篠原さんは、大尉に。加藤さんは、中尉に。樫出も、中尉に。大多賀、松井は、曹長に。

これからの戦いを考え、殉職の特進の前払いされたんじゃないかと、皆で苦笑していた。


フコク島は、海だけではなく山も見応えある美しい場所がある。俗に99の山と丘があるといわれ、北東部の水源からのダーバン川とズォンドン川、中部水源からのチャン川が流れ、ともに島の西部から海に注ぐ。また、乾季は水が全くなくなって見れなくなる滝も、雨季が終わってすぐのこの時期は、荘厳な姿を見せていた。

そんな風光明媚な島に第3飛行団の飛行第6戦隊、第11戦隊、第59戦隊、第64戦隊は進駐していた。

主に、戦闘機と軽爆撃機の部隊が、英領マレー半島に一番近いここフコク島に進駐していた。

俗にいう戦場に一番近い島であった。


島の西側には、20kmも続くロングビーチ、白砂の鳴き砂のビーチで、海に沈む夕陽が見られるビーチでがある。

そんな、欧米で言うところのリゾートアイランドでの日々は、戦争と言うものを既にほんのり遥か彼方に感じる程度になっていた。人は、それを堕落と呼ぶ。


海では、操縦員や整備兵達が泳いでいた。中でも、榊整備班長は華麗な泳ぎを見せていた。


「榊さん、泳ぎ上手いっすねえ。浅草出身って聞いてたけど」


「オヤッさんは、若い時は水泳でオリンピック目指してたくらいでさあ」


「へえ! 種目は何で?」


「背泳ぎです。 良く、墨田川を背泳ぎで泳いで、勝鬨橋が上がったって自慢してました」


「おい! よさねえか。シゲ」


「えっ! オヤッさん、良く言ってたじゃないですか。墨田川からそのまま東京湾まで泳いでいったら、潜水艦と間違われたって」


「おい! シゲよさねえか! これ以上、ガタガタ言ったら海に叩っこむぞ!」


本当に平和な時間が、海風と共に流れていた……


「いやあ、こうしてるとこれから戦争だと思えませんねえ」


「戦争だって? そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのはいかにけりをつけるか。それだけだ」


「まあ、確かに事変や事件と言い張ってますが、ずうっと戦争は続いていますね」

「でも、こんな風光明媚な所にいたら、戦争に現実感無くなりますね」


「戦争はいつだって非現実的なもんさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしないよ」


「何か今日の篠原さんは哲学的ですね?」


「ふっ、私ほどの都会派のモダンボーイは、自然と哲学的な物言いになってしまうものだ」


「何言ってんすか! 都会派? 栃木の田舎出身の癖に!」


「茨城の田舎者には、言われたくないなあ……」


そこに、第64戦隊隊長の加藤少佐が参戦してくる。


「五十歩百歩だな。栃木も茨城の田舎じゃないか? かんぴょうか納豆かの違いだろ」


「「果てしない大空と広い大地しか無い、北海道は黙っててください!」」


と、北関東戦爆連合は共闘を開始する。


そこに、更に愛知県出身の加藤中尉が参戦し、更に混戦へと突入。


「もう、いい加減にしてくださいよ! うちらからしたら北海道も栃木も茨城もド田舎ですよ! ド田舎。3人共、モダンボーイとはかけ離れてますよ」


「うるせえ! みゃあ、みゃあ、猫みたいに言ってんじゃねえよ! オホーツク海で流氷になりてえのか? この野郎」

「てめえは、黙ってきし麺でも食っとけ! 華厳の滝に流されてえのか? この野郎」

「京都と東京の間だから中京と言うのかも知れませんが、誰もあんたん所をみやことは思ってませんから! 残念!」

と、北日本戦爆連合からの盛大な攻撃に被弾する加藤中尉であった。

人を撃てるのは、撃たれる覚悟の人間だけだ。この言葉を思い知る加藤中尉であった。


「オレは、都会の絵の具に染まらずに帰って来い。と北海道の母親に言われてるだけだ!」


「まあ、陸軍なんて田舎者の集まりですからねえ……」


「そうですよねえ。ここに居る中で都会人と言えばクアトロ大尉くらいでしょうね」


クアトロ大尉、本名:四条隆親。四条侯爵家の次男である。兄、隆徳が家督を継ぎ侯爵を襲爵して貴族院侯爵議員に就任。隆徳が、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業し、同大学農学部講師を務めるため、次男の隆親が、祖父から続く陸軍への奉公を継いだ形となる。黒江大尉とは同期にあたる。

飛行第8戦隊から分遣されてきた百式司令部偵察機の操縦員である。


始めて会った時に、四条大尉と声を掛けたら「その名前で呼ぶな!」と怒られた……

四条家は古くは藤原魚名の三男末茂の子孫、隆季を始祖としており、お公家である。本人は実力主義の陸軍では、家名など関係ないと、四条の名を半ば捨てていた。

幼少期よりバイオリンを習っていた事から、イタリア語の四から響きもいいとクアトロを名乗る様になっていた。

まあ、それが許されるのも四条家の名前のお陰と本音では分かってはいるが、皆それを言わないだけの分別を備えていた。いや、平民のDNAがそうさせていたのかも知れない……


「ところで、もう一人の田舎者はどうした? 樫出は」


「ああ、樫出なら、あっちでシゲさん達とひよっこ達相手に射撃訓練してますよ」


その樫出は、いかだに組み上げ沖合50mほどの距離に浮かべた標的に向かって、ひよっこ達に射撃を指導していた。

「いいか! 射撃は瞬発力と集中力の勝負だ。根性入れて撃てば必ず当たる!」


「あいつ、どんどん脳筋になってないか……」



陸軍において、自衛のために射撃は航空兵においても必須であった。ましてや、便衣兵や馬賊の襲撃を受けることもあった、中国や満州で戦っていた我々にとっては、射撃訓練は日常風景であった。それは整備班でも然りであり、本来は装備されるはずも無い銃器も鹵獲品で充実されていた。


将校用の小型護身用拳銃として計画・採用された九四式拳銃であったが、航空部隊の空中勤務者(操縦者など)、空挺部隊(挺進連隊)の挺進兵など、小型拳銃を欲する特殊な兵種にも供給され盛んに使用された。が、我々は鹵獲品のマウザーC96を使用していた。


九四式拳銃の装弾数が6発であるのに対し、C96は10発であり中国戦線での実戦経験により「戦争は数だぜ! 兄者」*1の第3飛行団に取っては、総弾数と弾丸威力からC96が主力拳銃となっていた。C96の7,63mm弾は有効射程100mであり、50mほどの九四式拳銃とは比べるまでも無かった。7,63mm弾は、中国戦線で広く使われており、供給に支障も無かった。

これまた鹵獲品のベルクマン短機関銃も7,63mm弾であり、弾丸の融通が付くこともあり第3飛行団では主力兵器となっていた。

我々の装備を見た他の将兵達が口々に「まるで、ドイツ兵では無いか」と言うのはあながち間違いでは無い。


まるで緊張感が無い様に見えるが、射撃訓練の他に模擬空戦も定期的に行われており、ビーチで昼からビールを飲むのはあくまでも休暇の将兵のみであった。

また、最新の電探が運びこまれ、警戒を厳にしていた。


電子装備全般に言えたが、電探についても陸軍の方が上層部の理解が篤く、戦前から開発を積極的に行っていた反面、海軍は「闇夜の提灯」として、こうした電子装備を全く軽視しており、殆ど開発が進んでいなかった。

一方、陸軍の対空電探である超短波警戒機乙(出力50kw、最大300km)は、既に中国戦線や満州方面でも設置されていた。特に重慶政府との最前線である漢口や広東は、前進基地の宜昌と南寧と共に設置され一元管理された警戒システムとして、中華民国空軍との空戦において航空優勢維持の要因の一つともなっていた。


陸軍の超短波警戒機乙はシステムが大掛かりではあるが、1941年秋には車両輸送可能なタイプの生産が行われ、南方作戦のために10数台が用意され、その1台を冷蔵(冷凍)輸送函と共にフコク島に持ち込んでいた。トレーラーにけん引された冷蔵(冷凍)輸送函と超短波警戒機乙は、海岸に到着し即時展開でき、将兵に安全と冷たいビールを提供していた。


搬入には、河川運航多目的船改め海洋運航多目的船が使われた。船体を外洋での使用に耐えれるように強化した海洋運航多目的船は、名前が長いと特大発よりデカいから「超大発」でいいんじゃね? となり、将兵には超大発が浸透していった。

超大発は、この後の英領マレー侵攻にも使用され活躍することになる。が、それは、また別の物語である。


戦場に一番近い天国? での日々は、12月4日マレー攻略船団の出撃の報を受け、終わりを告げた。


そして迎えた12月8日、「ヒノデハヤマガタ」の暗号電文が発信された……



*1 「戦争は数だぜ! 兄者」は、別製爆弾架台を作った別府造船の、九州に覇を唱える別府造船グループ総帥、来島義男社長が言ったとされる。近代戦争においては、「いかにむだ弾をばらまくか」という本質を突いた言葉である。

その後、別製爆弾架台の効果と共に「いかにむだ弾をばらまくか」という概念と共に「戦争は数だぜ! 兄者」は陸軍内で盛んに使われるようになったという。

40年後に、宇宙を舞台としたアニメにおいて使用され、名言として後世に残されることになる。

申し訳ありません。ただただ、好きに書いてみましたwww

クアトロ大尉は、何としても登場して欲しくて色々調べて考えました。

超大発って、余りにもアレな名前ですが…… 活躍していきそうですwww

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[一言] >クアトロ大尉 ・・・・・別に社大佐衛門でも良いのでは? 略して社大佐(やしろたいさ/しゃあたいさ)w 沖縄出身の射覇(しゃは)とかでも良いかもw 真久部大佐も出るよね? そしてニュー…
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