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ノモンハンの戦い 缶切りと豆まき

連載化してみることにしました。ノモンハン事件から555様の赤船 「土佐」の復活のポートモレスビー占領までを書きたいと思います。

駄文ですが、読んでいただければ幸いです。

今後も生温かい目で見守って頂ければと存じます。


1937年(昭和12年)、陸軍は三菱重工業に対し軍偵察機としてキ51の開発を内示し、1938年(昭和13年)1月末に試作を命じた。


ところが7月、試作研究の途中で「陸軍航空本部兵器研究方針」の改正があり、軍偵察機と襲撃機を同一機種とすることが明示された。


しかし、大木喬之助技師を設計主務者とする開発陣は、これに反発。


既にモックアップまで出来ていたことを理由にしていたが、敵地上部隊からの反撃を受ける可能性が高いことから、防弾装備が指示書にあった。これが、軽快な低空運動性を重視する三菱開発陣に嫌われた。


1938年(昭和13年)10月に九八式直接協同偵察機が制式採用されたことも、三菱としては早期に早期採用させてライバルのシェアを押さえることが重要であり、開発の遅延に繋がる計画変更は受け入れられなかった。


陸軍としても、新型軍偵察機の早期の採用を目指していたため、襲撃機は別会社へと委ねられた。


大陸がきな臭くなり、国際情勢も軍備増強へと動いており、国内のメーカーは陸海軍の多数の開発機のおかげで過労で倒れるものも出る始末であった。


陸軍の付き合いのある会社はダメだ。海軍関連も水上機制作の会社を除けば、ほぼ陸軍と被っている。一番、開発陣の多い三菱に断われたのだ。


陸軍は、ある事に気づいた! 水上機ってフロートを固定脚に変えれば陸上機だよな?

なら、水上機メーカーに開発をさせてみてはどうだ?

 

そこで、何がどうなったのか、九州の渡邊鉄工所に話が回ってきた。


「どうして、こうなった?」

渡邊鉄工所の社長は、頭を抱えた。

「うちは、水上機しか作ったことが無いんですよっ!」


「フロートを固定脚に変えればいいだけだから簡単ですよ」

「何も、初めから作れなんて言ってませんよ。私も鬼じゃないんですから。これを参考にしてください」


そして、三菱の設計した軍偵の設計図を出した。

それは、エンジンに三菱製ハ26-IIを採用した単発複座単葉低翼固定脚の機体であった。


そうして、「それでは、来年の春には試作機飛ばして頂けるとありがたいですね」と応接室の出口に向かって行った。


「そうそう、指示書にある通り、防弾装備はしっかりお願いしますね。地上からの対空射撃で落とされない奴をお願いいたします」


「……」

渡邊鉄工所の面々は、誰も声が出せなかった。

社長が低い声で「塩、撒いとけ!」が唯一出てきた言葉だった……


そもそも、襲撃機って何だ?


情報通の設計者曰く、

「ソ連空軍で生まれた、高度100m程度を超低空飛行し森などの陰に隠れた敵地上部隊を急襲する戦法を取る軽爆撃もどきみたいです。日本陸軍が、いつも通りに『いいな、それ。僕も欲しいな』となったみたいです」


「何じゃ、そりゃあ!」

「いずれにせよ、お上からの仕事はやらざるをえん!設計図もあることだし、そんなに難しくないだろう」

「でも、社長。防弾装備をどうするんですか?」

「その辺のことはどこか知り合いにでも聞け!」


そうして設計陣の一人が、同じ九州で飛ぶ鳥落とす勢いの別府造船所、そこに居た工業高等専門学校時代の友人に相談したことから、怪しい方向へと向かって行った。


「おい、どうした?何を唸っている?」と宮部技師長は、若い技師に声を掛けた。


「いや、福岡に居る友人から、ちょっと相談されまして、なんでも装甲を積んだ飛行機を作れと陸軍から言われたそうなんです。対空射撃で落とされない位の装甲付けろと」


「何だ、それは? 空飛ぶ戦車でも作ろうってのか?」


「自分もそう思うんですが……」


「何でも、襲撃機というもんなんだそうですが」


「何いー! 襲撃機だあ! シュトゥルモヴィークかあっ?」

と、何故か大きい声で話に割り込んで来たのは、来島義男社長であった。


「社長が食いつくなんて珍しいですね?」と、こいつはまた余計なことしなきゃいいなと思う宮部技師長だが、その予想は思いっきり当たることに……


「襲撃機。シュトゥルモヴィーク。いいじゃないか!」

「何々、防弾装備で悩んでいる?」「よし! 俺がいっちょ助太刀してやろうじゃないか!」と、若い技師を引っ張って、福岡まで飛んで行ってしまった。


「社長、今日は日商の高畑さんがいらっしゃるんですよ!」の秘書の言葉を背中に受けながら。

どうやら、いつも通り逃げたらしい……


「どうして、こうなった?」

渡邊鉄工所の社長は、また頭を抱えた。

陸軍に続いて、今度は九州に覇を唱える別府造船グループ総帥、来島義男社長の来訪である。胃がしくしくするのは、気のせいでは無い……


「これで、スパッと、ズバッと、丸っと、スッキリ問題解決だあ!」

と、来島義男社長は、渡邊鉄工所経営陣の前に自信満々でスケッチ(という名前の落書き)を披露した。


「バスタブ? 風呂ですか?」とは、渡邊社長。


「バカヤロー! だれが軍用機で飛びながら風呂入るんだよ!」


「機体に装甲板を後から付けてたら、それこそ重量超過になる。そもそも、適度に装甲付けたくらいじゃ、どのみち落とされるぞ。こいつは、装甲を機体と一体化させるんだ。装甲でエンジン下部から操縦席まで機体外板を装甲で作っちまうんだ! 装甲でバスタブ作って、そこにエンジンや搭乗員や燃料タンクやらを押し込むんだ!」


「6mmの装甲板ですか?しかし、成型するには……」


「そいつは、うちの関連会社の神戸製鋼所でプレスしたものを用意する」


防弾装備に関しては解決したが、来島社長は武装についても提案という名の脅迫をしてきた。

7.7mmだと弱い! と、ブローニングのM2搭載を強行に押してきた

「12,7mmだと、そんなに弾数積めませんよ! 翼内ですとせいぜい200発がいいところです」と常識ある渡邊鉄工所の技師は言うが、


「戦争は数だぜ! 兄者!」と訳の分からない事をいい出し、「俺にいいアイデアがある!」と、操縦席下に弾倉を付けて翼内通して機銃へ給弾する。これなら、500発は積めるだろう!」


これを見た大分から引っ張ってこられた別府造船の若い技師は、「これが魔改造ってやつかあ?」と先輩技師達が言っていたことが初めて理解できた。


それからも、大分から追いかけて来た日商の高畑に捕縛されて連行されるまで、すったもんだがあったが12,7mm装備を乙型7,7mm装備を甲として制作しようと決まった。


後に、渡邊社長は、来島義男の毒気に当たって皆おかしくなってしまったと述懐している。


陸軍の関係が深い別府造船、その社長が絡んだ機体と言うことでスムーズに開発を許可され、晴れて1939年(昭和14年)3月には初飛行した。


そうして、1939年(昭和14年)5月に起きたノモンハン事件、これにより6月には制式採用され99式襲撃機となった。そして、6月中に先行試作機を中心とした1個中隊9機が満州に派遣されることが決定した。


6月27日から始まった俗に言う第2次ノモンハン事件。7月から現地に派遣された99式襲撃機の活躍は、目覚ましいものであった。

戦車戦力が不足する陸軍は、襲撃機を空飛ぶ戦車として活用させられた?


ノモンハン飛行場、飛行場とは名ばかりの平坦なだけの草原であり、建物は本部以外はテントだけという急造そのもの、そこが我々戦隊の基地だ。


そして、そいつは何の前触れも無く現れた。

「あれ? 97式司偵じゃないか?」


「あんなのチチハルの軍司令部あたりじゃないとつかわねえだろ」


「なんで、こんな最前線に?」


97式司偵から降りて来た男は、大声で叫んだ。

「関東軍参謀、辻である! 司令は、どこだ?」


「なんで、関東軍参謀がこんな最前線に?」


「あの人は、特別だよ。先月27日のタムスク爆撃も陣頭指揮したらしいぞ!」


「おい! 声が大きいぞ! 俺たち兵隊なんて、参謀の一声でどうにでもなるんだからな!」


駐屯地は、関東軍参謀様の登場で上を下への大騒ぎとなった。


やがて、戦隊司令部テントから、司令と辻参謀が出てくる。

「おーい! 乾軍曹!」


「はっ! 何でありましょうか?」


「お前たちの小隊は、辻参謀の指示に従いハルハ川河岸の敵軍砲兵陣地を強行偵察してきてくれ」


「えっ! 強行偵察ですか? 偵察であれば、そちらの司偵の方が打って付けではありませんか」


「まあ、普通の偵察ならな……」

「今回は、強行偵察である程度の反撃が予想される。防弾装備の無い司偵や軍偵じゃ無理だし、俺も反対はしたんだが……」

と苦虫を噛んだ様な顔になる司令を見て、凄く嫌な予感がするのは気のせいじゃない。


「それでは、関東軍参謀の辻が以降お前たちを指揮する!」

「まあ、悪いようにせんから、任しておけ!」


いやいや、悪いようにしないって、悪いようにする時の前振りじゃねえかよ!


夕方、ハイラルから到着したモノを翌日装備して飛ぶらしい。

そいつは、蚕棚を大きくしたような、障子の桟の様な格子状の箱であった。

「こいつは、別製試作爆弾架台と言って、九七式曲射歩兵砲の81mm砲弾を50個組み込める」

九七式曲射歩兵砲の81mm砲弾が1発3kgだから150kgか? 架台自体は木製なのでそれほどの重量は無いだろう。最大搭載量200kgの99式襲撃機でも運用に余裕はありそうだ。



「貴様が、小隊長のカン軍曹か?」


「いえ! いぬいであります!」


「そうか。 実家は、乾物屋か?」


「いえ、金物屋です。乾金物店です」


「そうかあ、乾乾物店か。なかなか、ごろがいいな。カンカンブツヤか」


「……」どうせ、一時の指揮下だ。心を無にして過ごそう……


そして翌日早朝、我が小隊3機はハルハ川の蒙古川にあるソ連重砲陣地の強行偵察に飛び立った。

我が小隊の編成は、自分の機体が99式襲撃機乙型。僚機が甲型の2機だ。


「もっと、低く飛ばんかあ! 軍曹っ!  敵に見つかったら奇襲の意味が無くなるぞ!」


「お言葉ですが、辻参謀! これ以上低く飛んだら、いくら平坦な平原でも丘とか有りますので、地上と接触してしまいます!」


「お言葉返すな! 金返せ!」


「いやっ、自分は貯金も有りませんが、借金も有りません!」


「まもなくハルハ川が見えてくる。ハルハ川の上を飛べば、河岸段丘が隠れ蓑になる。それ行くぞ!」と軍曹の渾身の返しを華麗にスルーしながら辻参謀は、指示を出していく。


川の上を固定脚のタイヤが、たまに水面に擦るほどの低空で99式襲撃機は飛んでいく。僚機の2機もついて来ている!


「見えた! 仮設橋だ!」「左旋回! 河岸段丘を上がれば敵陣地だ!」


「了解!」操縦桿を左に倒し、翼端で水面を叩きながら川岸を駆け上がり、河岸段丘の上に出た。

ソ連軍の重砲陣地だ!


「軍曹! 重砲陣地に別製試作爆弾架台を投下しろ!」


「言われなくても分かってますよ!」


スロットル全開で陣地中央に突っ込んでいく。対空射撃は無い。敵は混乱している。

「別製試作爆弾架台、投下!」


別製試作爆弾架台が風でばらけ、リボンを付けた九七式曲射歩兵砲の81mm砲弾が、横30m、縦100mの散布界で広がっていく。そして、その範囲に居たものを全て爆風でなぎ倒していった。


「ようっし! 大成功だ! 軍曹、よく、やった!」


「僚機も投弾成功したようです!」


「よし、軍曹! 取りこぼした敵を銃撃しろ!」


機体を旋回し、またソ連軍の重砲陣地を目指す、機銃による対空射撃が行われているが、まだ遠い。

スロットル全開で飛行し、500m先から銃撃を開始する。ブローニングM2は低伸するし、相手は軟目標だ。この距離でも十分被害は出る。それに、この距離からなら奴らは長時間銃撃にさらされることになる。


「軍曹! 残ってる重砲や車両を狙え! 敵兵は、後ろの甲型に任せろ!」


「了解!」

たまに、敵弾が機体を叩くが6mmの装甲が弾いてくれる。装甲車両が12,7mmによって穴だらけになっていく


「軍曹! 敵装甲車はまるでブリキの缶詰だな! 缶切りみたいに穴があくぞ!」


この後も、99式襲撃機は活躍し、ハルハ川周辺を巡る7月の戦いで、ソ連・モンゴル軍は合計452両の戦車・装甲車を投入したのに対し、日本軍が投入した戦車・装甲車は92両と5分の1と劣勢だったのものをソ連・モンゴル軍300両以上を破壊した。


辻参謀は、「99式襲撃機が1,000機あれば、ソ連を蹂躙してみせましょう!」と豪語した。


太平洋戦争が始まっても99式襲撃機は活躍し、陸軍の空母「あきつ丸」に搭載され、船団護衛にも別製試作爆弾架台改め別製対潜爆弾架台で、対潜作戦に活躍することになる。


別製試作爆弾架台は、「戦争は数だぜ! 兄者!」と毎度のこと、訳の分からないことを口走る別府造船、来島義男社長の鶴の一声で、八十九式重擲弾筒の八十九式榴弾を100個組んだ物も作られ。もはや、収束爆弾や散布爆弾などとは言われず「豆まき」でいいんじゃないかと言われるようになった。


戦争中盤以降は、他の日本機同様に発展性の無さから、一線からやがて退いていったが、その操縦性の良さと頑丈さに連絡機や沿岸部での対潜作戦で戦争後半も活躍したという。

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定年までいた会社の創業者の社長が学徒動員で九九式襲撃機と同じ機体の九九式軍偵のパイロットでした
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