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後日、隣町のカフェにて、望月は相手の女性と待ち合わせていた。現れた女性の容姿が写真で見たものと相違ないことに驚く。多少盛られていた写真だったとしても関係ない、話せればいいんだ話せれば、言語が通じればいいんだ通じれば、そう言い聞かせていただけに拍子抜けした。
話自体は他愛もないものだった。彼女の過去の恋愛の話であったり、好みの男性についての話であったり、初対面のはずが会話が途切れることがほぼほぼなかった。その辺りで彼女がコミュニケーション能力に長けていることを望月は薄々感じ取っていた。きっとその巧みな話術を駆使して、すでに何人もの男性たちと出逢っているのだろうと。
彼女が元彼の話をし始めた。ああこりゃ駄目だ。完全に相手のペースだと気づいた。メンタルが弱い、という印象を望月に与えようとしているのが見て取れてしまった。しかし、確信ではない。本当にメンタルが弱く、心から憩いを求めている可能性もある。そうであったとしたら――だから彼女の誘いに乗った。
スマートフォンで付近のホテルを探した。彼女は望月の手を引っ張った。エントランスに踏み入る直前、この後のことを頭の中で想像した。明るい部屋の中から選んで、ボタンを押して、鍵を受け取って、部屋に入って――そこまでは想像できたが、その後が続かない。どうして? わからない。今までもそうだったから? それは的を射ている。過去、望月がホテルに来た際は、所謂そういう行為を行うためではなかったからだ。
だが、今日は違う。純粋に誰かと話がしたかった。誰かと触れ合いたかった。心と心が通ずる。たとえそれが形式的なものであっても、人間の体には逆らえない。本能的なものが形式的な行為によって呼び起こされる。
今思えば誰でもよかった。美人であっても不細工でなくても。おいおい、そいつぁどっちも顔が整っているじゃねーか。まあいい。望月は美人を選び、歓喜した。今思えばその時点ですでに目的は達せられ、計画的な興奮はすでに終わりを迎えていたのだろう。
人の裸は表裏一体だ。外見的に見ればありのままが美しくも見えるし、内面的に見てしまえば黒い腹が醜くも映る。本能的な欲求を満たすのに必要なのは、望月は、内面の方であった。真っ白な痣のない綺麗な身体だとしても、内面を見て穢いと思えば身体には痣が浮かび、ざらつき出し、目に映った醜い身体は受け付けなくなる。
性善だろうが性悪だろうが、どっちの世界にも悪い奴がいることには変わりない。誰かが変わるのを強いればエゴと呼ばれ、誰かを変えようと怒ればうざいと思われる。関心のない奴に熱意は届かない。何かを変えたいのなら自分が変わった方がエコだった。
エントランスの自動ドアが開いた。望月が足を踏み入れたのを見計らっていたかのように、望月は肩を掴まれた。
ほら、こうやって邪魔をする奴がいる。
望月が振り返れば、見知らぬ男性が立っていた。
その顔を見た途端、急速に感情のすべてが冷めていった。関係性の薄い他人と交際することを目的とした男性にありがちな感情だ。交際することが決まったその瞬間がピークであり、あとは徐々に下降していく。望月の場合、ピークは女性とマッチングした瞬間であり、すでに興奮の折れ線グラフは下降しつつあった。それが急下降した。自分の肩を掴んだ男性の顔。その顔から、不細工にもほどがある、と穢れた感情が見え透いていたからだった。
「おい、お前……」穢れた顔でセリフを並べる男性。言葉を並べ終える前に、望月は彼の顔を視界から外した。「汚いものは嫌いな性格なので」男性に聞こえないくらい小さな声で呟き、彼女が引っ張っていた自分の手を、優しく振りほどく。
「俺の女に何、手え出してんの?」眉間に皴を寄せ、凄んでいるだろう男性。
怖ええ、関わりたくねええ。一刻も早くその場を離れたくなった。「ごめんなさい」深々と一礼し、男性の横を速足で抜けようと試みるが、失敗に終わる。逃げようとする望月の肩を男性が掴んだのだ。
「おいおい、ただで帰れると思ってんの? 家に帰ったら家族がどんな顔して待ってるだろうなあ。明日職場に出勤したらどんな目で見られるだろうなあ。言ってる意味わかる?」男性は厭味ったらしく顔を近づけてきた。こえええー。「すみません、すみません」取り敢えず謝っていた。
「五十万出せ。そしたら忘れてやる」男性は手を差し出す。差し出されたところで現金五十万も持ち歩いている人など富豪ぐらいだろ、と心の中でつっ込んだ。富豪だって五十万も入る財布を持ち歩いていないだろう。そもそも五十万もの札束が入る財布とは? 二つ折りの財布だったら長財布になっちまう。というか、大事な彼女だか嫁だか愛人を寝取ろうとした慰謝料が五十万って……良心的過ぎるだろ。嘘でも「時間は元に戻らねえ」とか「取り返しがつかねえ」「愛ってのは金じゃ計れねえんだよ」とか、きざなセリフが言えないものだろうか。ってか、まだホテル入ってないんだけども。
関係性丸見え。
「持っていません」きっぱりと言った。
「一緒に下ろし行くぞ」
男性は望月の肩を掴んで強引に引っ張った。そのとき視界の端に女性が見えた。自分の胸の前で腕を組んでいる女性の姿が映った。彼女の顔からメンヘラという像が消えていた。あーね。だろうね。残念だなあ。メンヘラを擁護するわけではないが、本気で悩んでいる人のふりをする人が望月には受け付けなかった。
理屈はない。
ただ嫌いだった。
心はすでに冷め切っていた。
「先に車行ってろ」男性が女性に指示した。
美人に失望した。人格あっての美人のはずが、それは見せかけの顔。途端に虚しさが込み上げる。込み上げた虚しさがポコポコと熱された。沸き上がったそれは狂気に変わる――ような人間ではもうなかった。望月の中で虚しさだけが込み上げていた。
望月は男性の掴む手を振り払った。「あ?」と凄む男性を気にも留めず、駅へと歩を進めた。「逃げんじゃねえよ」と再び掴みかかった男性の手は空振りに終わる。望月が振り払ったのだ。
「勝手にしろ」
望月の背中では呼応した男性が何か喚いていた。勿論、望月にその言葉は届かなかった。「電車で来てよかったかなあ」と呟いた望月の言葉も、勿論男性には届いていなかった。車間を詰められたり、車で後を付けられるのが望月は嫌いだったからだ。