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無明の昇華  作者: 面映唯
第二章
19/48

 慶は、都内の博物館を出た後、カフェの三階から街中を歩く人々を眺めていた。今しがた見てきた動物たちの剥製を脳裏に思い出し、行き交う人々と比較しては物思いに耽った。


 もし、精巧な射撃技術を持ったスナイパーがいたとする。


 視線の奥に、楽しそうに喋りながら歩く女子高生が二人いた。


 その一人が突然その場に倒れる。「どうしたの?」と声を掛ける隣の女子高生は、地べたに崩れた女子高生の肩を揺する。じわじわと胸のあたりが赤黒く滲み始めた。それに気づいた女子高生は甲高い声を上げた。その声を皮切りに、反対車線を歩いていたOLが唐突に地面に崩れ落ちた。何事かと近寄った中年のサラリーマンがOLに手を掛けようとしたとき、素通りしようとしていた大学生の男が背中から倒れた。その倒れた光景にびっくりした若い主婦は、彼に手を差し伸べる暇もなく脳天を撃たれる。


 パタパタと倒れていく人々。次々に放たれる銃弾。銃声が聞こえないのを見ると、スナイパーは相当遠くから撃っているのだろう。異変を察知した人々は逃げ惑う。駅へ向かう者、とにかく走る者。敵の姿が見えないのだから当然だろう。何処から撃たれているのかわからず、どこを狙っているのかもわからず、今スナイパーのスコープにはどの人間が映っているのかもわからない。駅へ向かった金髪の若者が撃たれ、とにかく走っていたギャルが撃たれるのを見るに、スナイパーは高い位置から射撃しているのだろう。ビルが立ち並ぶ都会だ。ビルとビルの隙間から駅を望めるような場所から狙っているのかもしれない。


 もし、一般人では気づけない速さで、尚且つ血痕を残さない技術を持った暗殺者がいたとする。


 上司と部下だろうスーツを着た男性が二人いた。若い男性の方が上司に向かって頭を掻きながら腰を折っている。その横をパーカーにジーンズと、カジュアルな服装の大学生が横切る。上司にヘこへこしていた部下は前のめりになり、そのまま頭から地面に頭突きして倒れた。「おい、なにやってんだ」とでも言ったのだろう。だが上司もすぐに異変に気付いた。大丈夫かと部下の身体を揺する間、彼らの後ろにいた長髪の女性の横を、カジュアルな大学生は歩いていた。長髪の女性が倒れる。何事かと近寄った老人の横を、カジュアルな大学生は素通りする。長髪の女性を覗くようにしていた老人は、彼女の上に被さるように倒れる。


 カジュアルな大学生が歩いた軌跡に轍を作るように、人々はパタパタと倒れていった。その場にいた人々は何が起きたのか、事の重大さに気づいていなかっただろう。血痕はなく、銃声もしない。パトカーのサイレンも、救急車のサイレンも聞こえない。おまけに、彼らを殺した暗殺者、カジュアルな服装の大学生は、帽子もかぶっていないし、手ぶらだった。それどころか、見えぬ恐怖に怯え、人々と伴に逃げることはせず、「大丈夫ですか!」と自分で殺した通行人の傍に寄り、手を挙げて「おい、救急車! 誰か救急車呼んでください!」とまで叫んでいる。当然だ。自分が犯人なのだから焦って逃げる必要はない。


 犯人は現場に戻ると聞いたことがあるが、その切羽詰まったような口調は、混乱した街の中で彼が暗殺者だと疑う人を許さなかった。人がパタパタと倒れていくのを見て無音カメラで写真を撮り、動画を撮り、すぐにその場を離れてSNSに掲載する者はいても、彼のことを暗殺者だと疑う冷静な人物は一人もいなかった。


 慶のいるカフェ内で「ねえやばいんだけど」と話す女性の声がした。誰かの上げたSNSを見た男性が窓際に寄り、ガラスに手形を付けた。「おい、やばくねえか?」「ねえ、やばい! やばい!」「どうする? 逃げる?」「いや、ここに居た方が安全じゃない?」一人の緊張がカフェ内の人物らに伝播した。不安を煽った。喚く大衆。


 こうして冷静に上から眺めれば一目瞭然なのにな、と物思いに耽る慶を除けば、誰一人として事の真実にたどり着けなかった。


 慶の視界は元の視界に戻っていた。


 三階から見下ろす街中はいつも通りだった。上に下に、歩いていく通行人が見える。カフェ内ではクラシックが流れ、騒がしい声はしない。


 日本人は優しいと聞いたことがある。


 日本人は謙虚だと聞いたことがある。


 日本人に悪い人はあまりいないといった外国人。


 剥製に魅力を感じた自分は優しくないのだろうか。剥製の魅力を誰かに伝えたくてたまらない自分は謙虚ではないのだろうか。動物の皮を剥ぎ、死後も形を残す行為が美しいと思ってしまった自分は悪い人なのだろうか。


 今度外国の人に聞いてみようと思う。もしかすれば、外国の方が剥製に関して先進しているかもしれない。


 動物を殺して食うことはできても、動物が偶々死んで剥製になったとしても、優しい日本人の誰かは凄惨だ、と後ろめたさを感じるのだろう。


 慶はテーブルの上に置かれていたカップに手を伸ばす。ぬるくなったカフェラテを一気に飲み干した。


 手提げを手繰る。


 席を立つ。


 形を残す行為のどこが凄惨なのだ、と心の中で嘆いた。もし自分が死んだら自分の身体を剥製にして欲しい。それを見た来世の自分が、「これは、私だ」と感づく未来を夢見てしまう。


「はああ、なんだかなあ」


 カフェを出ると、駅の東口を出たところにある喫煙所へと入った。ポケットから煙草を取り出し火をつけた。壁に沿って置かれている植木鉢の淵に、腰かけた。深く吸い込み、吐き出した。


 昨年、叔父が死んだ。あまり記憶がないが、幼い頃はよく一緒に遊んでくれたと両親から聞いた。元々口数が少なかったせいか、近頃は挨拶程度でなかなか話すこともなかった。


 だからなのかはわからない。叔父のお見舞いにと病室に赴いた際、寝たきりで話すこともできない叔父の顔を見て、労わりの言葉は一つも浮かんでこなかった。終末期医療に入り、食事も経腸栄養と呼ばれる、腸に直接栄養を入れるものに変わっていた。鼻には管が通っており、口は半開き。息を吸って、吐く音が病室に響いていた。


 一緒に来ていた両親が何か声を掛けている。「ほら、あんたも」と言われてベッドの横に立つが、何一つ言葉が出てこなかった。


 その後も両親は叔父に声を掛けたり、片麻痺の脚を揉んだり、手を握ったりしていた。それ自体には嫌悪感など抱かなかったが、ただ、疎遠だった叔父に対して、死ぬ間際になって露骨に優しさや労わりを与えているような気がして、何とも言えない感情になったのを覚えている。


 死に対して軽薄。慶が最近気付いたことだった。今まで動いていたものが動かなくなる。生気が感じられなくなる生身の人形。ここにあったものがなくなる。そういうことを考えると頭の中では悲しくなるのだが、実際、数か月後に亡くなった叔父の遺体を見ても、感慨深いと思うだけで涙は出なかった。寧ろ、動かなくなった青白い遺体を見て美しいとさえ思ってしまった。さすがにこれはまずいと思い、思ってはいけないと蓋をした。


 慶は、その日からずっと怖いと思っていることがあった。怖いと思うのは、あれだけ世話になり、あれだけ一緒に話し、学校の友達や会社の同僚、恋人よりも、誰よりも一番長く一緒にいた両親が亡くなったときでさえ、「悲しい」とこれっぽっちも思えない未来の自分だった。


 だが、その不安をふいにできる方法があった。


 今はまだ――。


 火種がフィルター近くにまで迫っていた。もう一口と口元に近づけ吸った。網の上に火種を擦り付け、灰皿の中に吸い殻を落とした。混雑する出入口に身体を滑り込ませ、喫煙所を後にする。


 東口前の横断歩道で足を止めた。タクシーや白のバンが通り過ぎた。歩行者用信号は赤のままだった。時間表示付きの様で、点線が上から順に消えていく。慶の横に人が立ち、後ろにも人が立ち、向かい側で信号待ちしている人の後ろにも人だかりができた。駅から出てくる人々が歩道を立ち塞ぎ、人で溢れた。


 点線が一番下まで来て最後の一つになった。ぱっと青い信号に変わった。溜まった人々は、せき止められていた用水路の板を外したときのように、一斉に白線の上を跨いだ。


 慶は横断歩道の一番前の真ん中に立ち尽くしていた。邪魔だな、とは言わずに左右後方から人が自分を避けて前を歩いていく。


 慶と同じように、反対側の横断歩道の一番前の真ん中に直立している男が見えた。見覚えはある。この人は――。


 信号の青が点滅し出した。慶は駆けるように横断歩道を渡った。直立したままの男を横切る。通り過ぎるときに横目で彼の顔を見た。


 思い出す――。


 慶が博物館を訪れるたび、剥製の展示の前、ガラスのショーケースに手を突きながら眺めている男だった。


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