ギリアン王太子
トルスト国王は、医師サイモンからの報告に頭を抱えた。
バーラン王国とはなんとか協定を結びたい、だからこそ無理をしてアデレードと王太子を婚約させた。
そのアデレードが自国で虐待を受けていた、バーラン王国の反応が恐ろしい。
トルスト国王も医師も、既にバーラン国王が知っているとは知らない。
アデレードの母ロクサーヌは美貌の女性だった。王も嫁いでこの国にきたロクサーヌを初めて見た時の事を覚えている。
それほどの美しさだったのだ。
ロクサーヌが亡くなるまでは、バーラン国ともそれなりの交流があったのだ。
ロクサーヌが亡くなるのと前後して、国境の山岳地帯で発見された銅山の所有権争いの始まりだった。
バーランもトルストも大国で、軍が衝突すれば長い戦いになる。
バーラン王は唯一の妹であるロクサーヌ姫を大層可愛がっていたときいている。その姫の娘の身体に残る鞭の跡、取り返しがつかない。
「ギリアンを呼べ。」
王が侍従に指示して間もなく、ギリアン王太子が王の執務室に現れた。
「父上、お呼びと聞きました。」
「ああ、キリエ侯爵令嬢アデレードの事だ。」
また、あいつの事か、とギリアンは思う。
毎回、大事にしているかとか、見舞いに行っているかとかばかりだ。
「お前が他の令嬢と噂になっている。
アデレード嬢は気持ちよく思わんだろう。」
「陛下、僕は国の為に婚約しましたが、あんなガリガリで地味な女、嫌なんですよ。」
ガリガリとわかっていたか、病気の細さではないと気がつく事を望むのは無理な話か、と王もわかってはいるが、もっと早く気がついていればと思う。
王の視線に気がついたのだろう、ギリアンも態度を軟化した。
「わかりました、明日にでも見舞いに行ってきます。」
キリエ侯爵家のショーンが今日は学校に来てなかった。
それも気になるから丁度いい、ぐらいにしかギリアンは思っていない。
キリエ侯爵家では、カーライルがアデレードに付いていた。
「干し肉が食べれるのか?」
はい、とアデレードが首を縦に振る。
「クッキーはお兄様がお母様の目を盗んで部屋に置いてくれてたから、食べれるの。
干し肉はダリルが食べさせてくれたから、食べれるの。」
赤い顔になってアデレードが言う。
衰弱死なら病気と誤魔化せるとジェリーは思ったのだろうか。
何より、自分がジェリーを妻として扱っていない怒りを、ジェリーはアデレードに向けたのかもしれない。
自分はそれに気がつかず、ショーンやダリル王太子がアデレードの命を繋いでいた。
「お父様、お兄様を助けて欲しい。
お父様は助けてくれなかったけど、お兄様は助けてくれようとしたわ。
今までどおり、学校に通わさせて欲しい。」
お父様は助けてくれなかった、アデレードの何気ない言葉がカーライルの心を苛む。
あ、とアデレードの声がした、自分の言葉の意味を悟ったのだろう。
「お父様、ごめんなさい。」
カーライルがアデレードの髪をなでる。
「アデレードの言うとおりだよ、でもこれからは側にいるから。」
はい、と、頷くアデレードの頬はいくぶんか膨らんできている。
ダリルが来た頃の、骨ばった頬ではない。
「ショーンには私もお礼がしたいと思っていた。母親から離れることを了承するなら、後見人になろうと思う。」
カーライルは、これからアデレードとの生活が始まると思っている。
コンコン、ノックが聞こえ、家令が来客を告げた。
「ギリアン王太子が御見舞いに来られています。今、サロンでショーン様が応対されています。」
どうする、と侯爵がアデレードに尋ねる。
「こちらに案内してください、お兄様と一緒なら問題ありません。」
ショーンに対するアデレードの信頼が、カーライルには羨ましい。
ショーンに案内されて、ギリアン王太子がアデレードの部屋に姿を表した。
「ケガをしてしまい、ベッドから失礼します。」
アデレードが王太子に詫びるが、王太子はベッド近くに寄ろうとはしない。
「病気の上にケガだと。
それで僕の婚約者を続けるつもりか?」
アデレードがショーンの方を見ると、ショーンは頷いている。
「私の方からはお答えいたしかねます。」
「では、僕の方から婚約破棄と父上には伝えておこう。
田舎で治療でもしろよ。」
それを聞いて顔色を変えたのはカーライルだ。この婚約は王家からの打診で成立したもの、侯爵家が望んだものではないからだ。
是非にと言われ、アデレードが病気であろうが、政治的に必要だからと了承した。
この王太子はそれがわかっていない。
「殿下、こちらに。」
紙とペンを差し出したのは、ショーンである。
「お互いにサインをしておいたなら、後で婚約していると問題にならないでしょう。」
王を差し置いてそんなことが出来るはずもなく、王太子をそそのかしたと処罰されてしまう。
「ショーン。」
カーライルが止めるが、ショーンは王太子に文章を教えサインを書かせる。
本書と写しの2枚作成し、ギリアンとアデレードがサインを書いて完成した。
アデレードに本書を渡し、写しを王太子に渡す。
「もっと早くにすればよかったんだ。
ああ、せいせいした。
ショーン、明日は学校に来るだろう?」
もう王太子の興味はアデレードにない。
「殿下、僕はこの家を出ていくので、学校は辞めるつもりです。」
ショーンは礼をとり、驚いている王太子殿下に言う。
「お兄様は、私について来てくださるの!」
王太子が声を出す前にアデレードが言った。
「学校を辞めるな、これは命令だ。
お前の頭は、僕の時代に必要だからな。」
そう言い残してギリアンは帰って行った。
「お兄様、この後どうされるおつもりですか?」
「僕は母の元には行かない、この国を出て行くよ。侯爵、お世話になりました。
元気に過ごしてくれ、アデレード。」
ショーンはアデレードの頭を撫でた。
「では、私も参ります。
あの王太子が国王になる国に未練などありません。」
「アデレード!」
カーライルがアデレードの手を取ろうとするが、侍女に阻まれる。
アデレードもカーライルを見るが、近寄ろうとはしない。
誰もがわかっていた、家に居ない方が多いとはいえ、アデレードの事をジェリーに任せたままだったのは、関心が少ないからだ。
それは、カーライル自身が後悔していることでもあった。
「ショーン、アデレードを連れてバーランに行きなさい。
王に婚約破棄の事が知れたら、国境を越えられなくなる。
すぐにだ、急ぎなさい。」
カーライルは、アデレードに振り返る。
「ロクサーヌが亡くなった事を、仕事をすることで忘れようとした。君がいたのにね。
愛してるよ、アデレード。」