摂食障害
母ロクサーヌが数匹の蜂に刺され、息をひきとったのは、アデレードが7歳の時だった。
庭のテーブルで、ロクサーヌとアデレードがお茶をしている時の事だった。
アデレードを蜂から庇い刺される母、アデレードの目の前でロクサーヌは倒れた。
母の遺体に取りすがり、泣き続ける父をアデレードは力なく見ていた。
「お父様。」
アデレードがカーライルに声をかけたが、カーライルは応える事もなく、ロクサーヌの側に付き添っていた。
母の葬儀に、母の兄であるバーラン国王ルドルフが僅かな供を引き連れて参列していた。
「そなたが、アデレードか。ロクサーヌによく似ている。
つらかったろうな。そなただけでも、助かってよかった。
ロクサーヌは子供の頃にも、蜂に刺された事があって大変だったのだ。」
そう言って、静かにアデレードを抱き締めた。
やっと、アデレードが泣く事ができた瞬間だった。
「可哀想に、泣く事も出来ないほど、悲しかったのだな。」
国王であるルドルフは、ゆっくりする時間などない。葬儀が済むと、乗って来た馬を元気な馬に替えて駆け戻っていった。
カーライルは仕事で諸国に出かける事が多くなり、屋敷にいる時も、執務室かロクサーヌの部屋に閉じ籠るようになり、アデレードと会う事が無くなっていった。
1年後に、父から紹介されたのは、優しそうな新しい母と兄。
お母様の喪が明けたばかりなのに、と思うと新しい母を受け入れられなかった。
「食事は、自分の部屋で食べます。」
新しい母と顔を合わすのがイヤだった。
父とも新しい母とも、ほとんど会う事のない生活が始まった。
1年を過ぎる頃、アデレード付きの侍女がいなくなった。
1年半を過ぎる頃には、家庭教師も服の仕立て屋も来なくなった。
ガリッ。
アデレードは運ばれてきた食事を食べている時に、固い物を噛んだ。苦い。
あわてて、口から出すと黒い虫だった。
「きゃああ!」
食べた物を全部吐き出して、何度も口をゆすいだ。
侍女はいないから、自分で全部した。
そういう事が何回か続くと、継母のしている事と気がつく。
「絶対に、許しを請うものか。」
継母を認めるものか、というのがアデレードの意地であった。
食事を詳しく確認して、安全そうな物だけを食べた。
それでも、何度も失敗して、吐き出した。
スープカップの蓋を開けた時に、プクと浮いてきたカエルを見て、食べてない胃から胃液が逆流した。
いつの間にか、食べ物を受け付けない身体になり、急速に痩せ、体力がなくなっていった。
カタッ。
静かに閉まる扉の音。
アデレードは自室の扉に駆け寄った。
扉の内側に小さな包みが置かれている。包みの中には、ハムと野菜とパン。
義兄のショーンが差し入れてくれたものだ。
自分の食事を削って、持ってきているのだろう。
いつからか、アデレードの部屋に小さな包みが、こっそり置かれるようになった。
毎日届く中身は、クッキーだったり、果物だったり、食物が包まれていた。
すぐにショーンだとわかった。
自分の身を案じてくれる人がいる、それだけでアデレードに勇気がでた。
そっと手に取り、テーブルに置く。
「ありがとう、お義兄様。」
少しずつ咀嚼する。
野菜は食べれないが、なんとか口に入れる。
以前、葉の裏一面に、虫の卵が付いた野菜を食事に出されてから、野菜が食べれない。
それでも、ショーンの持ってきたものは安全だからと、口に入れられた。
ゲホッ、結局飲み込むことはできなかった。
栄養が足りてないのは、わかっている。
ハムとパンを食べ、再度野菜にトライする。
少しずつ、ゆっくり噛んで飲み込んだが、それ以上は無理だった。
「負けるもんか。」
食べれない事がなさけない。どんなにアデレード自身が焦っても、身体は食べ物を受け付けない。
アデレードは食事を終えると、亡き母のドレスを裁断しだした。
自分のサイズに、自分でリメイクするのだ。
継母は、アデレードの衣類を仕立てることもない。自分で作るしかないのだ。
亡き母の部屋から、裁縫道具と母のドレスを持ち出して作り直す。
食事は部屋に運ばれてくるが、何が入っているかわからないので手をつけれない。
必ず生き残って、あの女を追い出してやる。
今は、まだ力がないけど、侯爵家の正統な後継者は、自分なのだ。
アデレードは顔をあげ、泣きたくなる気持ちをふるいたたたせる。
「泣いても、どうにもならない。」
言葉が漏れでる。
針を持つ手を止めて、思い出す。
ダリルが来た時のことを。
ダリルが置いていった干し肉はまだある。
もう一度、会いたい。
バカだと思う。
自分は子供で、こんなに痩せて、お世辞にも綺麗だとはいえない。
ダリルは同情しただけなのだ。
しかも自分は、会ったこともない王太子の婚約者。
それでも・・
それでも、想うだけなら許されるだろう。
そっと唇に手をあてる。
コンコン、扉を叩く音がして、若い女性が入ってきた。
「お嬢様、こちらで働く事になりましたので、ご挨拶に参りました。」
頭を下げる使用人に、継母が雇った使用人にしては、挨拶に来るとは珍しいとアデレードは思う。
頭を上げた使用人は、貴族の令嬢の礼をした。
「ミュゼイラと申します。
これから、末永くお嬢様にお仕えいたします。」
ダリルが、アデレードの部屋に来てから6日目の事だった。