8 ベルナルド伯爵家
ベルナルド伯爵家。
近衛騎士団に所属するリュカ・ベルナルドを当主とする、エルドナ国の古い名家の一つだ。
この屋敷の人物に子猫を譲る約束をし、礼金を受け取ったという。それが、3ケ月ほど前の話。
その時ルウはまだ出産前だったため、子猫が生まれて乳離れしたら届ける約束をしたそうだ。
しかし、子猫が生まれてひと月たった頃、約束をした相手が亡くなってしまった……。
「……とはいえお金は受け取っているし、そのまま約束を反故にするわけにはいかないと、子猫をそっと届けようとして、あの事故が起きてしまったわけさ」
「で、悪い事に、3日前に子犬が屋敷に迷い込んできて、飼う事になったらしいのよ」
偵察から戻ったルウが、悔しそうに言う。
「元々ここには犬が一匹いるだけで、小型で年配だからいいと思っていたんだけど……ちらっとしか見てないけれど、あれは大きくなるタイプね。子犬の段階でわたしくらいある、猟犬にするような犬よ。どうする? カミーユ」
「最悪のタイミングだな。さて、どうするか……」
『あの……お屋敷の人に、約束していたって言ってみるのは?』
「できれば、わたしが係わっているという事は伏せたいんだよ」
『そうですか……』
猫が欲しいと言った人は亡くなった。でもお金はもらってしまっている。屋敷には予定外の子犬。……この難しい状況に、カミーユとルウは難しい顔で話し合いを始めた。
「故人の希望を尊重してここまで来ただけで充分。あんな犬がいるなんて想定外。一緒に暮らすなんて無理!」と言うルウに「確かにそうだが、一度無理かどうか行ってみるべきだと思う」と言うカミーユ。
話し合いは平行線で続いていたが「リリーが心配!」と繰り返すルウの方が、優勢になりつつあるようだ。
このまま黙っていれば、あの居心地の良い家に戻り、ルウの事をお母さんと呼び、カミーユに可愛がられ、間違いなく幸せな日々を過ごせるだろう。しかし、
『……わたし、行ってみます。お屋敷の中に』
リリーが、意を決して宣言する。
「えっ?」
「どうして!?」
驚くカミーユとルウ。
特にルウの方は、興奮で尻尾をブワッと膨らまし、半ば怒るように言った。
「ダメよリリー、危ないわ。確かに貴族の屋敷は立派だし、食事もいい物が出るかもしれないけど、でも」
『ううん、カミーユさんの所の方が絶対いいよ。お母さんとカミーユさんと一緒にいたいよ。でも……わたしの役割は、ここに行く事だと思うの。だって、この体をくれたこの子だって、お母さんと離れたくなかっただろうけど、行く事にしたんでしょ? わたしだって、やってみなきゃ。……無理そうだったら戻るから。ねっ』
「リリー……。」
シューっと、ルウの尻尾が細くなる。
「……無理は、しないのよ。」
『うん、ありがとう、お母さん。……と、いうことで、行ってきます、カミーユさん』
「無理しなくていいからね。気をつけて」
そう言うとカミーユは、リリーの首に赤いリボンを結んだ。
「蚤よけ効果があるリボンだよ。名前も刺繍しておいたからね」
『わ! ありがとうございます!』
そういえば良い猫になるための勉強中、カミーユは傍らで口を挟みながら刺繍をしていたが、自分の為に作っていてくれたなんて、と感動する。
名前入りのリボンを巻いてもらい、ますますやる気が出てきた。
「いいかい? この屋敷には五歳になる坊ちゃんがいる。その子に気に入られたらこっちのもんだ。だが、子犬がいるって話だからね。子犬に夢中な場合帰っておいで。明日の昼、またここに来るからね」
『わかりました。では行ってきます!』
リリーは裏門に向かって走り出した。
いざ! 伯爵家の中へ!