6 良い猫とは
温かくて、柔らかくて、フワフワしていて、干し草のようないい匂いがする。
「ウ~ニャ~ァ」
大きく伸びをして、リリーは幸せな気持ちで目を開けた。
(あー、お母さんだぁ、お母さんお母さん)
目の前にルウがいるのを確認し、嬉しくなって前足動かし、ルウの胸のあたりをモミモミして……ハッと我に返る。
(おおっ、今わたし、すっかり子猫になってた。そういえば魂が馴染んでいく過程で、一度ほぼ猫になるって言ってたような……)
そんなことを思い出していると、ルウも目を覚ましたようで、手足を伸ばせるだけ伸ばし、大きく欠伸をした。
「起きたの? リリー」
『はい、おはようございます』
かしこまってそう言ったリリーの頭をペロペロ舐めながら、
「お母さんって呼ぶんでしょ? だったら普通に話しなさい」
と優しく言うルウ。
『はい、じゃなくて、うん! お母さん!』
丁寧に毛づくろいをしてもらってから、二匹は連れだってキッチンへ向かった。
キッチンではカミーユが料理中で、いい香りが漂っている。
「おや、起きたのかい。もう少し眠ていてもいいんだよ? まだ準備中だ」
『あ! わたし手伝い、あ、猫だった……すみません』
「フフッ、猫なら堂々としていればいいのさ」
「そうよ。猫ならここで、人の都合など気にせず『早くおいしい物をよこせ!』と催促するべきよ。ニャーニャーニャーニャー」
わざとらしく鳴きはじめたルウのまねをしてリリーも一緒に騒ぎ出し、カミーユは「あー、うるさいうるさいー」と嬉しそうに食事を続けた。
「さーて、お腹もいっぱいになったし、猫らしく昼寝でもするかい?」
食後のお茶を飲みながらそう言ったカミーユを「時間が無いんでしょ!?」と叱りつけてから、ルウの『良い猫とは講座』が始まった。
「昨日カミーユが、『猫は可愛ければいい』と言ったわね。確かに猫好きの人に対してはそうなんだけど、世の中には猫が嫌いな人もいるわけだから、そういう人たちにも嫌われないようにする必要があるの。それに、いくら猫好きの人にだって、悪いことばかりしていたら個として嫌われてしまうわ」
なるほど、自分はどちらかというと猫派だが、犬派や鳥派、魚派、虫派などいろいろな人がいるし、中には生き物全般が苦手な人もいる。それに、
『孤児院に、噛み癖がある猫が住みついた事があって。いつもならそのまま飼うんだけど、その猫は誰も世話をしなかったから、いつの間にかいなくなっちゃった。可愛かったけど、わたしも噛みつかれて怖くなって、かかわらないようにしちゃったし』
「そうそう、そういうこと。可愛くても人を傷つける猫は人とは一緒に暮らせないのよ。良い猫とは、人を傷つけない。はい、リリーも」
『良い猫とは、人を傷つけない!』
「よろしい。では次。良い猫は、お日様と藁のいい匂い」
『良い猫は、お日様と藁のいい匂い!』
「毛づくろいは常にこまめに丁寧に。後でやり方を教えるわね。あと、たまにお風呂に入れられることもあると思うけど、嫌がって暴れないようにね」
『大丈夫、お風呂は大好き!』
「でも猫は濡れるのが嫌いだからねぇ。猫の本能に引きずられるかもしれないよ? 猫を洗おうとしたら噛みつかれたり引っかかれて怪我をしたって人がよく薬を買いに来るよ」
カミーユの言葉に若干の不安を覚え、リリーは『良い猫はお風呂を嫌がらない。本能に引きずられない』と自主的に呟いた。
「さあ、次。良い猫は、物を壊さない」
『良い猫は、物を壊さない!』
「棚やテーブルの上に乗りたくなると思うけれど、上にある物を落とさないように気をつけなければいけないわ。あなたが行く屋敷には高価な物が多いから、壊したら大変よ。さて次。毛玉を吐く時は場所を選んで」
『毛玉を吐く時は場所を選んで!』
「毛づくろいをするとお腹の中に毛が溜まって、たまに吐き出さなきゃならないんだけど、その時は出来るだけ外で。室中では掃除しやすい床で吐くのよ。高級な絨毯の上はダメ。隠れたところに吐いておくのも絶対ダメよ」
「そうそう、ルウがベットの上で吐いて、しかも上に毛布を掛けて隠しておいたときは怒った怒った」
「猫はそういうものは隠したくなるものなのよ。良かれ、と思ってやってしまうわけ。はぁ……何も知らなかった小さい頃の過ちを、何十年たっても言われ続けるから気をつけなさい」
渋い顔をしてそう言うルウに、リリーは真剣に頷いた。リリーにも覚えがある。小さい頃の失敗を大人になってからも言われ続ける苦痛。
(人も猫も同じなんだ。猫も大変ね)
「まあ、出来る範囲でやればいいさ。失敗したら可愛い声で鳴いて、『ごめんなさーい』という顔をすれば大丈夫」
「ちょっとカミーユ、適当なこと言わないで。さっ、続き。良い猫は、たまには人と遊んであげる」
『良い猫は、たまには人と遊んであげる!』
「そういうルウは全然遊んでくれないじゃないか。猫じゃらしも、紐も、毛糸玉も、ぜーんぶ無視。小さい頃は遊んで欲しくて、自分で猫じゃらしを咥えてきたりしてね。とっても可愛かったのに」
「あーもうカミーユ、少し静かにしていて。やることがあるんでしょう?」
「はいはい、わかりましたよ。じゃあわたしは刺繍していますよ。小さい頃は糸にじゃれついて、刺繍もおちおちできなかったのにねぇ」
ぶつぶつ言いながらカミーユは裁縫箱を開け、ルウの『良い猫とは講座』は続いた。
噛み猫と暮らした事あるけど、血が出るほど噛んで、爪を出してがっちり抑え込み回転する子だったなぁ。恐怖のデスロール。でも可愛かった♡