混乱
広間に入るとプレシラは、少し眉を顰めて周りを見回した。
「……客が、少ないようだけど。もう、それぞれ個室でお楽しみかしら?」
「いえ、マダム。ベルナルド卿がお見えになった事で用心し、今宵は帰られた方が複数いらっしゃいまして……」
「あら、そう。臆病ね。いたら面白い催しが見られたのに」
そう言って笑うプレシラを、リュカは見つめた。
『……こうやってよく見ても、マグノリア孤児院の院長だとはわからない。まあ、会ったのは一度だけ、マーガレットの遺体を確認してもらった時だけだし、仮面を着けているのもあるが、リリーに教えてもらわなかったら、気付かないままだっただろう。……ああリリー、大丈夫だろうか。カミーユ殿が近くにいるんだ、大丈夫だとは思うが……』
「恋人が、心配ですか?」
からかうように話しかけてきたエヴァンを、リュカは睨んだ。
「こんな事、いつまでもやっていけると思っているのか?」
「勿論やっていけますよ。だって、必要なんですから! さあ、どうぞ」
舞台のような壇上のソファーにプレシラと並んで深く腰掛け、リュカにも座るように促す。
「顧客は貴族や大商人で、金や権力がある人達だ。そういう人達が人目を気にせず遊べるこの場所は、重要な社交場にもなっていて、王が催す夜会より、こちらの方が良い繋がりを持てるくらいですよ。そのおかげで、ちょっとした問題なんて簡単にもみ消せますし、届けを出していないだけで、別に違法な事は……」
「犠牲者が出ているだろう! それに、ここで働かせている者の中には、孤児院から侯爵家の使用人として働きに来た者もいるんだろう?」
「あー、まあそれはそうですけど、別にいいじゃありませんか。少しばかり、庶民が死のうがどうしようが。我々貴族に奉仕できて、むしろ光栄でしょう。あ、来ましたよ、男爵令嬢が」
壇上に、男に連れられソフィーが上がって来た。
白いキャミソール一枚の姿で、俯いている。
「皆様! 素敵なお知らせがございます。今日から新しく入った者をご紹介致します」
プレシラの声に、客達が集まる。
「家柄の良い、きちんと教育されたお嬢さんですわ。さあ、顔を上げて、皆様に見ていただいて」
ソフィーは震えながら、俯いていた顔を上げた。
「……あの顔、どこかで見たな」
「ああ、オットー男爵の娘じゃないか」
「あいつ、ここで遊んだ金を踏み倒そうとしたらしい」
「全く、馬鹿な真似をしたもんだよ。さて、どれくらいの値がつくか……」
「貴族の娘っていうのは、しょっちゅう出るものでもないからな」
笑いながら、仮面の男達が値踏みをする。
「敬意を表して、金貨1枚出そう!」
一人の男が手を上げる。
「金貨2!」
「金貨3!」
上がってゆく値段を聞きながら、プレシラは満足げに頷き、ソフィーの肩に手を乗せ耳元で囁く。
「嬉しいわねぇ、なかなかいい値がついているわ。こうやって大金を払ってもらえるのは、最初だけよ。でも、今回大金を払ってくれた人に気に入ってもらえたら、今後も上客になってくれるだろうから、頑張らないと」
震えるソフィーの目から涙がこぼれる。
「金貨5枚!」
「金貨5と大銀貨5」
「金貨6!」
その時、
「金貨10枚!」
急に、値段が上がった。
見ると、長い耳がついた兎の仮面を着けた、赤毛の男が片手を挙げている。
一瞬場が静まり返り……、
「き、金貨11!」
「金貨20。」
また簡単に、値が上がる。
「……他、ございませんか? ……ございませんね? では、決まりました! こちらへどうぞ!」
兎仮面の男が側に来ると、プレシラは膝を折って挨拶をした。
「高い値を付けていただき、ありがとうございます」
「この娘、見覚えがある。オットー男爵の娘だろう?」
「ええ。父親の借金を返すためにここで働くという、親孝行な娘ですわ。ですから、今後も働いてもらわなければ困るので……お手柔らかにお願い致しますね?」
「ああ。まあ、死んだときはその借金、私が責任もって払ってやる」
「まあ! そう言っていただけると安心ですわ! では、特別室でお楽しみ下さい」
そんなやり取りを聞きながら、エヴァンが囁く。
「兄上、あの方がどなたかわかりますか?」
「あの赤毛は、王族の血筋特有のもの。背恰好、お声から、おそらくリッツ公爵ご本人……」
「そう! 当たりですよ! 現国王の弟君! 孤児院や教会へ多額の寄付をし人格者として名高い方ですが、実際は、とんでもなく残忍なお方ですよ。兄上が調べている殺人、ほとんどあの方の仕業ですから。見つかったのはほんの一部。ここで殺してしまった娘は、きちんと片づけていますから。あれはね、特別に一緒に外出を許した者ですよ。気に入って長くご執心だった女も、弾みで殺してしまう事があるようで」
にわかには信じられない話に、リュカは言葉を失っていたが、
「そうですわ、ご紹介したい者が、もう一人おりますの。ちょっと! 連れて来て!」
プレシラがそう言い出した。
「あー、これは、まずいかもですよ?」
ニヤニヤしながらリュカの顔を覗き込んでエヴァンがそう言ったとき、男二人に両脇を抱えられ、金髪の女性が引きずられるように運ばれてきた。
ソフィーと同じ白いキャミソール姿で、手を離されると、ドサリと床に崩れる。
「どうしたの、これ?」
「すいません、あんまり騒ぐもので、いつもの薬を使ったのですが……ぐったりしてしまって」
「量を間違えたんじゃないでしょうね」
「いえっ、そんなはずは……」
そんなやり取りをしている所に、リュカが走り寄り抱き起してみると、やはりそれはリリーだった。苦しそうに眉を寄せ、汗で顔に髪が張り付いている。
「リリー、リリー! 大丈夫か! リリー!」
「あ……リュ……」
薄く目を開け、呻くように声を出すリリー。
「大丈夫か?」
「……きもち、わる……」
「リリー!」
リリーを抱きしめるリュカを見て、リッツ公爵が『ほほう』と興味を示す。
「こんなんじゃあ、全く楽しめないと思ったが……その男、ベルナルド伯爵じゃないか?」
「ええ、そうですわ。それと、彼の恋人です」
「それなら話は別だ。おもしろそうじゃないか」
「まあ! お気に召してもらえて良かったです。でもさすがにこのままだとねぇ……ちょっと時間を置いて、大丈夫そうだったら連れていきますわ。
「ああ、期待してる。さあ、行くぞ。さっさと歩け」
肩を押され、ソフィーはヨロヨロと歩き出した。
「……危ない所でしたねぇ、兄上。マダムに感謝しないと。こんな状態で行かせたら、ただただ痛めつけられて殺されて終わりですよ」
エヴァンは笑いながら話しかけるが、リュカはそれどころじゃない。
必死に名前を呼び続けるが、リリーはぐったりしたままだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、兄上。それより、そろそろ決断していただけませんかね。彼女、大切なんでしょう? だったら、我々に協力するしかないですよね。まあ、さっきは色々言いましたが、なんといっても兄弟ですし、近衛騎士団の身分はなかなか役に立ちそうだ。貢献してくれるなら、女の身の安全を約束しますよ」
「……ふざけるな。こちらには何も非は無いのに、こんな事をしてただで済むとは思うなよ……」
「あー、こんな状況でもまだ、そんな事を言いますか。……おい! その女、公爵のところに連れて行け!」
いらついたエヴァンの指示に、男達が二人、リリーを運ぼうと近づいたが、
「触れるな!」
リュカが鋭く制す。
「下がれ。リリーに触れるな」
そっとリリーを床に置き、庇うように、男達の前に自分の身体を入れる。
「すいませんが、こちらも仕事なんでねぇ」
そう言うと、男の一人がリュカを脇に押し、横たわるリリーの両脇に手を入れて抱え上げようとしたが、
「触れるなと言っただろう!」
リュカに顔を殴られ、男は床に倒れた。
「このっ!」
もう一人の男が殴りかかってきたがそれを躱し、腹部を思い切り蹴ると、その男は大きな音を立てて壇上から下に転がり落ちた。
驚き、いつでも逃げられるように扉付近に避難する者、面白い催しだとばかりに声を上げながら近くに寄る者などで広間は騒然となる。
屈強な警備の男達が壇上に上り、リュカに殴りかっていくが、リュカはそれを避け、次々と床に沈めていったが、
「さすがは近衛騎士団! 剣が無くともこれほど強いとは! しかしここであまり騒がれると、お客様の迷惑になるんですよね」
声の方を振り返り、リュカは動きを止めた。
「……本当に、兄上はこの女の事が好きなんですねぇ。弱点となってしまう程に」
ぐったりしているリリーの首元に短剣を押し付け、エヴァンが笑う。
「とりあえず、少し傷をつけてやりましょうか? そうすれば、もう少し真剣に考え」
「ワンワンワンワン!」
突然、犬の吠える声が響いた。
「う、うわあっ!」
大きな薄茶色の犬がエヴァンに飛びかかり、剣を持っていない方の腕に噛みついている。
「はっ、離せっ!」
「キャン!」
がむしゃらに振り回した剣がどこかに当たったようで、悲鳴を上げて一度離れたが、すぐに体制を立て直し、牙を剥きだして呻りながら距離を詰めていく。
「チェイス!」
「リュカ様、お待たせ! 今団長さんも来るわ!」
「ルウ殿!」
「リュカー!! どこだー!」
足元に走り込んできたルウを見た時、遠くからデューイの声が響いた。
「団長! ここです!」
「ウオーッ!!」
混乱し、逃げ出そうと扉に殺到する人々をかき分け突進してくるデューイが見えた。横から飛びかかってくる警備の男達を切り倒し、駆けてくる。
そしてその後ろからは、
「一人も逃すな! 全員捕まえろ!」
ダイアンと、近衛騎士団員達の姿も見える。
あちこちで切り合い、殴り合いが起こり、客達の悲鳴や、混乱に乗じて逃する出そうとする者達の声が響く。
そんな中、
「ウワーッ!」
短剣を振り上げ切りかかってきたエヴァンの手をリュカが掴み、ねじ上げ、剣を振り落とす。
「エヴァン! もう終わりだ!」
「ああああっ! まだだ! まだ終わりじゃない! 殺してやるっ!」
リュカに押さえつけられながらも、もがき続けるエヴァン。
「くそぉっ、くそおぉ!! なんでだ! なんでこうなるんだ! 俺はうまくやってたのに。うまくやれてたのにぃぃ! 兄上のせいだ、全部兄上が悪いんだ!」
「……エヴァン……」
次第に力を失い、抵抗する動きが弱くなっていくエヴァンを、リュカは抑え続けていた。
「リュカ! 大丈夫か!?」
騒ぎがだんだんと納まっていく中、デューイがリュカの元に辿り着いた。
「団長! すいませんがエヴァンを頼みます。リリーが……」
「あ、ああ、わかった、まかせろ」
狼狽した表情のリュカに少し戸惑いながらも、デューイは頷き、エヴァンを押さえるのを替わった。
「リリー!」
ルウとチェイスに守られるように横たわるリリーに、慌てて駆け寄る。
「大丈夫か、リリー」
「……あ……リュカ、さま……」
「ああ……リリー……」
意識がある事に少し安堵し、リュカはリリーの頬を撫でた。
「大丈夫か?」
「地面が……グルグル回っている感じです……」
「カミーユ殿が来てくれているから、診てもらおう」
「カミーユさんが……? あ……お母さん……」
「リリー、心配したわ」
そう言うと、ルウはリリーの顔におでこを押し付けながら、小さな声で言った。
「チェイスが、怪我をしながらも頑張ったのよ。耳の所をちょっと切ったけど、大丈夫よ。ねっ、チェイス」
「ワン!」
垂れた左耳の先に血が付いているが、チェイスは元気に吠え、
「助かったぞ、チェイス。お前を連れて来て良かった」
リュカがそう言って頭を撫でると、嬉しそうにブンブンと尻尾を振った。
「さてと、リュカ、俺は一度城に戻って王に報告をする。……捕まえた中に、貴族も多くいるんでな。どうするか指示を仰がないといけない」
「……リッツ公爵は?」
「はっ? リッツ公爵までいるのか!?」
「……公爵が、殺人事件の犯人です。おそらく、個部屋の方に」
「おいおいおい~……本当か? とにかく、屋敷内全部調べなきゃいけないな。お前がダイアンに連絡するように手配していて良かったよ。ニックって言ったか、あいつに指示してたんだろう?」
「ええ。この事件は、副団長と私の担当ですから」
「そうだな。それにしても、あのカミーユという女、あれはどういう素性の者なんだ? まるで中が見えてるかのように、踏み込むタイミングとか指示してきたぞ?」
「……それはまあ、置いておいて……早く皆に指示を出した方がいいのでは?」
「ん? ああ、そうだな。よしっと、うわっ!」
一歩足を踏み出した所で、デューイがバランスを崩し、盛大に転ぶ。
「団長! 何やっているんですか。」
「いや、なんか踏んだんだよ。なんだこれ? 丸い粒が沢山落ちてて……ん? 真珠か?」
一粒拾ってまじまじと見ながらデューイがそう言い、リュカも不思議に思い辺りを見回し……、
「……プレシラ! 団長! その男を!」
リュカが見たのは、エヴァンが持っていた短剣でオットー男爵に襲われ、床に倒れたプレシラだった。




