ジフリー・コッティ
彼は、名誉ある近衛騎士団の一員だった。
コッティ侯爵家の三男で二十九歳。
あまり優秀とはいえなかったが、家柄が良く近衛騎士団になれた。
少し高慢なところはあったが、特に問題なくこれまでやってきた。
しかし今彼は、自分の上司と同僚の子供を誘拐した罪で投獄されていた。
「ジフリーの父親には、私が近衛騎士団に入った時世話になってな。三男だから、自分で身を立てていけるようになって欲しいと仰っていたが……残念な事だ」
「確か、既に廃嫡の手続きが為されていますね」
「由緒ある侯爵家を守る為の正しい判断だ。ジフリーがまだ未婚だった事も、結果的には良かった。子供でもいたら、その子にとっても辛い人生となっただろうからな」
「そうですね。……なぜあんな事をしたのか、ずっと謎だったんです。子供を誘拐し、団長と私を失脚させるなんて、本当にできると思ったのか」
「さて、どうか……ジフリーは、あまり思慮深くないからな。しかし、あまりにも短絡的な考えだ。それよりも、欲しいものを手に入れる為にやったという方が、説得力はあるな」
「そうですね……たとえば、愛した女性とか……」
『その女性も蝶の焼印を押されているから、彼女が殺されたかもしれないって心配しているのかもしれない』
リュカの腕の中でリリーは、ダイアンとリュカの話しを聞きながら、そんな事を考えていた。
今、彼らが向かっているのは、城の地下にある牢獄。
一般の罪人が入れられる監獄とは違い、主に兵士や貴族を投獄する特別な場所だ。
「ジフリーと会うのはどれくらいぶりだ?」
「そうですね……半年ほど経っているでしょうか」
「そうか。私はひと月ほど前に来てみたが……だいぶ変わっているぞ。人の形は残っているが、魂はもうそこに無い。亡霊のように感じられた」
看守に案内され、地下へと階段を下りてゆく。
「今ここに収監されているのは、一名のみです。」
階段は長く、どんどん気温が低くなっていく。
『……随分下までいくのね。……寒い、ジメジメ、カビ臭い。こんな所にずっと入れられているなんて……嫌な奴だったけど、ちょっと可哀想かも……』
長い長い階段を下り、ようやくたどり着いた、煉瓦造りでいくつかの牢が並んでいる場所。
その中の一つを示し、案内の看守は下がって行った。
「……ジフリー、久しぶりだな」
鉄格子の間から見える牢の中には、ベットと小さな机が見える。ジフリーは背を丸め椅子に腰かけていて、顔は見えなかった。ダイアンの呼びかけにも反応はない。
「今日はリュカも一緒だ」
「…………」
「相変わらず、だんまりか」
ダイアンはわざと大きく溜息をついた。
「お前が、私達が捜査している事件について興味があるようだったので、わざわざ来てみたんだがな」
その言葉に、ジフリーはガバリと顔を上げた。
乱れてボサボサの黒い髪と、長く伸びた髭、痩せてげっそりとした顔に、ギョロリとした目がギラギラ光って見える。
『元の顔は知らないけど、きっとこんなじゃなかったはず。なんだか怖い』
リリーは思わず、リュカの腕に顔を押し付けた。
「副団長! 教えて下さい! 殺された、蝶の焼印を押された女性の特徴は? 髪の色は? 瞳の色は? 背恰好は……」
ズッ、ズッと床を擦るようにしながらフラフラと近づいて来て、鉄格子を握り締めて話すジフリーに、ダイアンは冷静に尋ねる。
「なぜ、そんな事を知りたがる?」
その言葉に、ジフリーは言葉に詰まり……視線をずらした。
「蝶の焼印を押された女性に、心当たりがあるのか?」
「…………」
「黙っているなら、こちらも情報を与える気は無い」
「…………」
無言のジフリーに、ダイアンは溜息をつく。
「時間の無駄だったな。戻るぞ、リュカ」
「……私は、もう少しいても良いでしょうか」
「無駄だと思うが……好きにしろ。私は先に戻っているからな」
そう言って、ダイアンは来た通路を戻っていった。
しばらくの間、沈黙が続き……、
「……遺体は、顔がひどく殴られていて、どんな顔かわからなかった」
リュカの独り言のような言葉に、ジフリーは顔を上げる。
「これまでに見つかった遺体と同様、娼婦だと思われるが、焼印を押すなんてむごい事をする娼館は見つかっていない。一般的ではない、特殊な所に捕らわれ、そういう事をさせられているのではないかと」
「なあリュカ、悪かったよ。お前の子供を誘拐するなんて、あの時の私はどうかしていたんだ」
リュカの言葉を遮り、ジフリーが話し始める。
「年齢は近いのに、お前は優秀で人望もある。年下に負けるのは嫌だが、能力ではどうしても勝てないと焦って、あんな事をしてしまった。だが、本気ではなかったんだ。ちょっと驚かしてやろう、くらいの気持ちで、傷つけたり、ましてや殺すつもりなんてなかったんだ、本当に。謝る、この通りだ」
『なによ、今更。あの時は、殺すかもしれないって言ってたよ!』
その時の恐怖を思い出しながらリリーは顔を上げ、媚びるような言い方をするジフリーを睨んだ。
「なあ。謝るから、殺された女性について教えてくれ。顔はわからなかったと言っても、髪の色だとか、背恰好はわかるだろう? なあリュカ、頼むよ。なあ……なあっ! 教えろよぉっ!!」
そう叫ぶと、ジフリーはいきなり鉄格子の間から手を伸ばし、掴みかかろうとしてきた。
しかしその指はギリギリ届かず、リュカは驚いた様子なく、ただ、抱いているリリーを腕で覆いながら、『よく考えろ』と言った。
「さっき副団長が言った通り、そちらが何も言わないなら、こちらも何も教えるつもりはない。おおかた、その焼印を押された、安否が気になる女性がいるのだろうが……今回の犠牲者がその女性じゃなかったとしても、これまでに何人も殺されているそんな場所にこのまま居続けたらどうなるか……正直に話し、保護してもらう方がいいのでは?」
「……そんな事、できるわけがない……できるわけ……」
そう呻るように言うと、ジフリーはズルズルと、冷たい床に座り込んでしまった。
「……話す気になったら、呼べ」
リュカはそう言い残し、コツコツと足音を立て、その場を離れて行った。
その足音が完全に消え、
「…………リズ……君は無事なのか……」
ジフリーすすり泣きだけが、静けさの中、いつまでも響いていた。
「どうだった?」
先に近衛騎士団室へ戻っていたダイアンが、待ちかねたように声をかける。
「何か、聞けたか?」
「あまり……」
リュカは首を振りながら、ダイアンの正面に座った。
「今回の遺体が違っていたとしても危険な場所なのだから、正直に話して保護してもらう方がいいのではともちかけてみましたが、『そんな事できるわけない』と言われました。何も話さないので、こちらの情報は伝えていません」
「そうか……」
ジフリーが何も話そうとしなかった場合、ダイアンは早々に立ち去りリュカが話してみると、事前に打ち合わせていたのだ。
「そんな事できるわけがない、という事は、我々でも手出しするのが難しいという事だろう」
「という事は、大きな裏組織や凶悪な犯罪集団や」
「大貴族、も考えられるな……。いずれにせよ、慎重に調査しなければ」
「はい。ああ、それから、ジフリーが心配しているのは、リズ、という名の女性のようです」
「ほぉ、それを聞き出したのか」
「いえ。私が立ち去ったと思ったらしく、呟いたのを聞きました」
実は、こっそりリリーが残って聞いた事だ。
『相手が油断した時の言葉を拾えるというのは、ものすごくありがたい。すぐその場で打ち合わせしたり、言葉で報告を受ける事ができない不便はあるが、リリーは機転がきくし、字も書けるからな』
今回、牢にこっそり残ったのは、リリーがリュカの腕をポンポン叩いて降ろすようにジェスチャーし、合流した後、地面に前足で『リズ』と書いて知らせた。
「ではこれからは、『リズ』という名の女性についても調べていこう。何か、わかるといいんだが」
「そうですね……」
しかしそこからまた、捜査は暗礁に乗り上げたのだった。




