不安な夜
「……まだかな、リュカ様……っと」
思わず声に出してしまい、リリーは慌てて口を噤んだ。
『いけない、誰かに聞かれたら大変! まぁ、壁も扉も厚いから大丈夫だろうけど、でも、気を付けなきゃ。……リュカ様、どうしたんだろう……』
いつもなら二人でお茶を飲んでいる時間なのだが、今日はまだ帰っていないリュカを思い、リリーは溜息をついた。
数時間前、ミッシェルの部屋でスピカやチェイスと毛づくろいをしたり追いかけっこをして遊んでいたリリーだったが、なかなかリュカが屋敷に戻らず、不安になり始めた時、
「あのねリリー、今ロイドが来てね、今日は父上、お仕事で遅くなるんだって」
事情を知っているミッシェルが、そう教えてくれた。
「どうする? もう少しここにいる? 父上のお部屋に行ってる?」
『んー、そろそろ、リュカ様のお部屋に隠れた方がいいかも』
そう思い、リリーはスピカの側に寄った。
『お姉さま、わたし、そろそろ失礼しますね』
『あら、そう。じゃあまた明日ね、リリー』
『はい、おやすみなさい。チェイスもおやすみー!』
『えっ? もう行っちゃうの? ちぇーっ、またねリリー、おやすみ!』
つまらなそうにしながらも『ワン!』と尻尾を振るチェイスにも別れを告げ、
「ニャーン」
とミッシェルの足元で鳴くと、もう一度ミッシェルが『父上のお部屋行く?』と尋ねる。
「ニャーン」
「わかった、送っていくね」
そうしてミッシェルと、扉の外にいた護衛兵にも付き添ってもらい、リリーはリュカの部屋へ行った。
それからずっと、帰りを待っているのだが、
『……帰ってこない……、リュカ様、大丈夫かなぁ』
人間の姿になってだいぶ経つのに、リュカは帰って来ない。もう深夜だ。
『リュカ様のお仕事は危険だから心配。こういう時は、奥様だったら良かったって思う。奥様だったら、いろいろ情報を教えてもらえるもんね。でも、半分猫のわたしはこうやって、ひっそり隠れて帰りを待つしかできない。……大丈夫だよね、リュカ様は強いから。うん。何かあっても、リュカ様なら大丈夫。大丈夫……。リュカ様ぁ……』
万が一、誰かが入って来ても見つからないようにと、毛布に包まって寝室の隅にうずくまるリリー。
『早く帰って来て下さい……リュカ様』
そうして、うとうとし始めた頃、扉が開く音がし、リリーはハッと目を覚ました。
『リュカ様かな、違う人かな』
動かず、息を潜め、耳を澄ませる。
足音は二人分。
「では、明日もいつも通りの時間にお出かけなのですね?」
「ああ、少し忙しくなりそうだ」
「さようでございますか……旦那様、上着を」
「大丈夫だ、後は自分でやる。さがっていい」
「はっ。では、何かお持ち致しましょうか」
「それもいい。向こうで食事はとってきたから……いや、茶をもらおう」
「かしこまりました」
ロイドが部屋を出て行ってから、リュカは小さく声をかけた。
「リリー」
「リュカ様!」
パッと被っていた毛布を取り、リリーはリュカに走り寄った。
「良かった。お帰りが遅いと、なんだか心配になっちゃって……」
「悪かったな、心配をかけて」
軽くリリーを抱きしめ、おでこに口づけをする。
「ロイドが茶を持ってくるだろうから、それまでもう少し隠れてなさい」
「はい。あ、上着だけは」
「ああ、頼む」
リリーが、何か少しでも役に立ちたいと思っているらしいと感じているリュカは背中を向け、リリーは背伸びをしながら上着を脱がせた。そして、嬉しそうにブラシをかけ始める。
「さっき、少し忙しくなりそうだって……」
「ああ、事件が起きて、我々近衛騎士団にも捜査に参加するよう命が下ったんだ」
「そうですか……」
少し心配そうにリュカの話を聞きながら、リリーはブラシをかけ終え、ゴミなどが入っていないかポケットの中を確認し、
「あれ?」
何かヒヤリとした硬いものが指に触れ、指先でつまんで出してみた。
「これって……」
それは、髪留めだった。
何かに包まれるでもなく、無造作にポケットに入っていたそれは、リリーへのプレゼントというわけではなさそうだ。
桃色の水晶が、花びらに見立てて並べられている、可愛らしい髪留め。
「あの、リュカ様、これって……?」
「ん? ああ、それは」
その時、扉がノックされ、慌ててリリーは寝室に隠れた。
それを確認してから、リュカが返事をする。
「お茶をお持ちしました」
「そっちのテーブルに頼む」
「かしこまりました」
お茶と焼き菓子を並べたロイドが部屋を出て行ってからしばらくの間、ソファーに腰かけリリーを待っていたが、一向に出てくる様子がない。
不思議に思ったリュカが寝室を覗いてみると、薄暗い部屋の隅に座り、うつむいている。
「リリー? もう大丈夫だ。こっちに来てお茶を……リリー?」
声をかけると、先ほどまでニコニコしていたリリーが、不安げな表情でリュカを見上げる。
「あのっ、リュカ様この髪留めって……」
「ああ、それはさっき言った事件に関係する物だ。リリーが心配するような物ではないから、安心していい」
リリーが、自分の周りに女性の影を疑っているのかと思い、笑いながら言ったのだが、
「あのっ! わたしこの髪留めに見覚えがあるんです!」
「えっ?」
予想外の言葉に、リュカは一瞬面食らったが、
「詳しく聞こう」
そう言って、リリーの手を引いて立たせた。
「これは、殺害された女性が持っていた物だ。女性の身元はわかっていなくて、この髪飾りや、背恰好などから調査を進めている。今日は城に戻らず帰って来たので、そのまま持ってきたんだ」
「あの……その女性って、どんな人なんでしょうか」
少しでも気持ちを落ち着かせようと、温かいお茶を口に運んではいるが、リリーの顔はこわばっている。
「髪の色とか、顔の特徴とか」
「髪は茶色だ。顔は……ひどく殴られていて、わからない」
「そうですか……」
「リリー、その髪留めに見覚えがあると言ったな。今日一日手分けして、同じような物が売ってないか街を探しまわってみたが、見つけられなかった。どういう品なんだ?」
「わたしが死ぬ少し前に、職人のおじいちゃんがやってるお店で買った髪留めにそっくりなんですが、一つ一つ手作りで、同じものは無いって言っていました。店を畳んで子供夫婦の所に行くからって、安くなっていて買いました」
「と言う事は、その店はもう無いんだな」
「はい、そうだと思います。そしてその髪留めは、孤児院で一緒だったマーガレットという子にあげたんです。貴族様のお屋敷に住み込みで働きに出るって言うから、そのお祝いとして。わたしより六歳年下で、今、十四歳です。髪も目も、茶色です。二年前はわたしより頭一つくらい背が低かったけど……」
「そうか……検分した医者は、十五歳前後だろうと言っていた」
「そうですか……あの、リュカ様、明日わたしを連れて行ってくれませんか? その女の子がマーガレットかどうか、確かめたいんです」
リリーの言葉に、リュカは首を横に振った。
「駄目だ。ちゃんと私が確認するから、リリーは屋敷にいるんだ。明日マグノリア孤児院へ行って、住み込んでいたという貴族の屋敷も聞いて、関係者に確認してもらうから」
「でも、でも、わたしは小さい頃からマーガレットの面倒を見てきました。わたしなら、顔が……顔がわからなくても……」
リリーの目から、涙が溢れた。
「お願いです、リュカ様。リュカ様の事、信頼しています。でもわたし、自分の目で確かめないと、きっと受け入れられない……」
「リリー……」
ボロボロと泣くリリーを見ながら、正直、リュカは迷っていた。
今日見た、少女らしき遺体は、リリーには見せたくない状態だった。それが、リリーが一緒に育った、妹のような存在なのであれば、尚更。しかし、
「……わかった。明日、連れて行こう」
そう言うと、リュカはリリーの肩を抱き寄せた。
「辛いだろうが、捜査に協力してくれ。犯人を、早く捕まえなければいけないんだ。もうこれ以上、犠牲者を増やしてはいけないのだから」
「はい……」
泣き続けながら、リリーは何度も頷いた。




