33 リリーとエリナとキャシー
「エリナと申します」
「リリーで、す……」
名乗ってから、リリーって名乗って良かった? と不安になったが、
「あらまあ、ここで飼っている猫と同じ名前なのね。綺麗な花の名前だわ。ピッタリね」
朗らかにそう言われ、ホッとする。
(それにしても、一年以上ここにいるけど、この人知らないわ)
そう思いながら、小柄な彼女を見る。
「私は、旦那様の子守りメイドだったの。さっき一緒にいた執事は夫でね」
「えっ? そうなんですか!! あ、すみません」
(すごい人すぎてびっくりしちゃった)
思わず大きな声を出してしまったリリーを見て「いいのよ」と優しく笑うエリナ。
「膝を悪くしてね、今はもう、たま~にお手伝いするくらい。旦那様のご厚意で敷地内の離れで生活しているのよ。今日はミッシェル様が誘拐されたと聞いて、胸がつぶれるような思いをしたけれど……」
そこで一度言葉を切り、リリーを見て笑う。
「無事に救出されたし、しかも旦那様が『最愛の女性』をお連れしたと聞いてね、フフ、無理言ってこのお役目をもらっちゃったわ。私達夫婦には子供がいないから、恐れ多くもリュカ様の事を、なんだか子供のように思ってしまって……だからとっても嬉しいの」
「でも……その……わたしなんかでいいのかって……」
優しそうで話しやすい雰囲気に、リリーは思わず弱音を吐いてしまい、
「いいに決まってるじゃないの!」
と驚かれる。
「若くて綺麗で、まだあまりお話はしていないけれど、とても感じがいいって事はすぐわかったわ」
「あ……ありがとうございます」
身分が違いすぎる事を言おうかと思ったが、なんとなく口を噤んだ。
そんなリリーの気持ちを察してか、エリナは優しく微笑む。
「自信を持って! リュカ様が『最愛の女性』と言ったのだから、もう、それでいいのよ。……リュカ様は小さい頃から、我慢ばかりするお子様でしてね。恐らく、ご自身が我慢しているという自覚がないくらい、息をするのと同じように我慢をしてらっしゃって。ご当主になられてからもそう。勿論、当主として、近衛騎士として、指示をしたり判断を下したり、そういう事はおできになるでしょう。でも、それがご自身の事となると、てんで駄目。ご希望を言わない、というか、思いつかないのかもしれないわ」
「……なんとなく、わかるような気がします」
真面目できちんとしているリュカの姿を思い出し、リリーは頷いた。
(お部屋で一人の時も、背筋を伸ばして机に向かって仕事ばっかり。猫のわたしに対しても、撫でたり、お腹に顔を埋めて深呼吸するまでに、だいぶ時間がかかったもんね)
「ホントにもう、食べたい物さえ思いつかないようで、随分心配したの。でもね、そんなリュカ様があなたの事を愛して、最愛の女性と呼んだのですもの。これ以上の事がある? 大丈夫、リュカ様は賢いお方よ。あなたが心配しているような事は全てお考えになったうえで、あなたを愛しているわ。だからあなたは安心してリュカ様にお任せしていればいいのよ」
「……はい……ありがとうございます」
浴室に着き、一人で大丈夫だと伝えたが「使い方がわからないかもしれないでしょう」と言われ「ミッシェル君が入る時にお邪魔してるのでわかります」と言う訳にもいかず、付き添ってもらって入浴した。
膝が悪いというエリナは、椅子に座ってリュカの小さい頃の事を教えてくれた。
走るのが早かったとか、剣術の稽古に打ち込んでいたとか、学園始まって以来の秀才だと言われたとか……、
「もっと楽しい話ができればいいのだけれど、どれもお堅い話ばかりねぇ。そういえば、小さい頃は魚釣りがお好きで、よく湖に行っていたのよ」
「そうなんですか」
「お屋敷の近くの湖で、釣りをしたり泳いだりしてたわ。お父上様は狩りがお好きだったけど、リュカ様はあまり好きじゃなかったようね。まあ、連れて行かれると、弓も上手だから毎回獲物を獲っていたけれど」
今まで知らなかったリュカの子供時代の話を聞きながら汚れを落とし、身支度を整えた頃、
「コンコンコン」
浴室の扉がノックされた。
「追加のお湯を持って参りました」
「あらあら、もうお湯はいらないわ」
扉越しにエリナが答えると、
「あの、わたし、ミッシェル様の子守りメイドをしておりますキャシーと申します。少しお時間を頂けませんでしょうか」
「あらキャシー? リリーさん、入れてもいいかしら?」
リリーが頷くと、扉が開かれおずおずとキャシーが入ってきたが、
「エリナさん!? エリナさんが来ているとは聞いてませんでした」
良く知った仲のようで、キャシーが驚いた顔をする。
「フフッ、夫に頼みこんでね。あなた、ミッシェル様のところはもういいの?」
「今、旦那様がお話をされているので。それにわたし、どうしてもお礼を言いたくて」
リリーの前に進み出て、深く頭を下げる。
「護衛のニックから、あなた様がミッシェル様を助けて下さったと聞きました。本当にありがとうございました」
「あ、いえ、とんでもない」
いつまでも頭を下げているキャシーに、こちらこそいつもお世話になってるわ! ありがとうキャシー! と心の中でお礼を言う。
(いつも会っている人と人間の姿で会うのって、なんだか不思議な気分だわ)
そんな事を考えていると、エリナがキャシーに「リリーさんとおっしゃるそうよ」と伝える。
「まあ! このお屋敷の黒猫も、リリーっていうんですよ! すごく可愛い子で……でも今日、侯爵様のお屋敷に連れていかれてから戻ってこなくて……」
「あ、ああ、黒猫! いましたよ、一緒に帰って来ました、はい」
「そうでしたか! 良かった……」
ホッとしたように微笑むキャシー。
「リリーさんは、キャシーと同い年くらいかしらね?」
「えーと、わたしは19歳です」
「そうなんですか? わたしは21歳です。少しだけわたしの方が上ですね」
にっこりと笑うキャシー。
「ところで、リリー様がお召しの物ですが……」
エプロンはしていないものの、毎日見ている黒のワンピースに違和感を憶え、キャシーはエリナに尋ねる。
「わたし達と同じ、メイド服では?」
「そうなのよ。だっていきなりだったから、これしかなくて」
「あ、すみません、新しい服を……わたし、古い物で全然」
「いえいえ、とんでもない! そうではなく、もっと良い服でないと、と思ったものですから」
「そんな! 充分です! 全て新品の物を用意していただいちゃって」
そう言って恐縮しているリリーに、キャシーは思わず笑ってしまう。
「リリー様は、これからこのお屋敷の女主人となられる方なのですから、そんな」
「えっ、そんなことありえません! というか、様なんて呼ばないで下さい。わたしの方が年下なんだし」
「でも……じゃあ、リリーさん。旦那様から結婚の事とか言われてないんですか?」
「言われてないです! だって今日初めて」
「初めて?」
「あ、その……あ、愛してるって……」
もじもじするリリーに、『あら?』『思っていたのと違う?』と顔を見合わせるキャシーとエリナ。
「でもその……なんというか、これまで何もなかったというわけではないのよね?」
「え? あ、はい、まあ……」
リリーの言葉に、『なーんだ』『やっぱりね』と微笑みあった二人だったが、
「今日、キスを……」
そう言い、『キャーッ』と真っ赤になっているリリーに、二人からスッと笑みが消える。
「今日、初めでキスしたの?」
「はい」
「それ以外の事はまだ?」
「もちろん」
当たり前の事、と答えるリリーに、二人は慌てだした。
「エリナさん! 下着、下着ってもしかして支給品のですか?」
「そうよ、だって突然なんですもの、用意なんてないわ!」
「うわー、そうですよね! あー、あれかー、あれはないわー」
「もうっ! リュカ様も事前に言ってくだされば、ちゃんと用意しておいたのに」
「……あの……何か、不都合でも?」
おずおずと尋ねると、エリナがすまなそうに言う。
「大切な日に、レースやリボンの一つもついていない、ただの白い下着しか用意できなくてごめんなさい」
「え? いえ別に、新品の下着で何も不満は……大切な日?」
「ええ。今日は大切な日になる可能性があるわ。そう、二人が、初めて結ばれる可能性が」
「結ばれ……いえいえ! そんな事ないです! まさか!」
リリーは真っ赤になってブンブン首を振ったが、
「まさか、と思っても、こういう事はいつどういう事になるかわからないものなのよ。わたしだって……いえ、何十年も前のわたしの事はどうでも良いわ」
「あの……本当にリュカ様とは全然そういう感じじゃないので大丈夫です。わたし、そろそろ部屋に戻りますね」
「ちょっと待って!」
考え込むようにしていたキャシーが、リリーを引き止めた。
「すぐ戻るから、まだここにいてね!」
そう言うと部屋を飛び出して行き、しばらくすると、息を切らして戻ってきた。
「こ、これ、趣味が、違うかもしれないけど、どうぞ!」
ゼイゼイと息をしながら、薄い紙に包まれた物を差し出した。
「えっと、なんでしょうか……あっ!」
包みを開いてみると、それは、レースがふんだんに使われた下着だった。
細い肩紐、大きく開いた胸元にはレース、胴体部分は絹で手触りが良いキャミソールと、ほぼレース、の小さな小さなパンツ。
「ミッシェル様を助けてもらったお礼だから、今日、これ着て! ねっ!」
「もらえません! これ絶対高いやつ! それにわたし、こういうの着た事無いし、それにこれはキャシーさんが自分の為に買った物で」
「大丈夫! わたし、今日は絶対無いから!」
「リリーさん、ここはキャシーの好意に甘えた方がいいわ。ねっ!」
「え、えぇ……?」
二人の剣幕に押され、
「はい……」
リリーは頷くしかなかった。
下着について考えるの、好きなんですよね……。




