21 夜中の茶会
ベルナルド伯爵家の次期当主として、厳しく育てられた。
武術や教養は勿論だが、常に人の上に立つ者として威厳を持ち、厳格であれと言われ続けてきた。
リュカはそれに従い、自らも次期当主であるという自覚を持ち、不平、不満を持つことなく励んできたのだが、
『それで良かったのだろうか……』
最近、そう思ってしまう事が多々ある。
疑問を持たずに歩んできたこれまでの人生。それが今、揺らいでいた。
リリーが人の姿になってから約ひと月。
昼間は猫でいつも通りに過ごし、夜中は人の姿になって、その日の事をリュカに報告する。
特に問題なく、二人はこの生活に慣れてきて、そしてリュカは、リリーと話す事を楽しく思うようになっていた。
リリーは、これまでリュカが接してきた人達とは違った。
(気取らず、見下さず、裏がない。くだらない見栄を張らず、思ったことを正直に話す。なんと素直な事か)
『使用人と気軽に言葉を交わしてはならない。感情を表に出すのはみっともない。常に、家に有益になる行動をせよ』
(両親からそう教わり、そのように努めてきたが……思い起こしてみると、そう言っていたあの人達は、そうではなかった。父上は女性関係にだらしがなく、若い使用人と関係を持つ事もよくあった。母上は毎回怒り狂い、使用人を折檻して追い出し大騒ぎしていた。とはいえ、自分が貞淑な妻だったかといえばそうでもない。父上が病で亡くなったら、すぐさま以前から交際していた愛人の男爵の元へ行ってしまった。まあ、その男爵の奥方はとうに亡くなっているから、問題はないのだが)
その他にも『貴族としてこうあれ』と様々な事を言われたが、言っている本人達は実行していなかった。
そして、ここひと月ほどの間、リュカはその教えとは違う事をしてしまう事があったのだが。
(以前よりも、うまくいっている気がする……)
リリーの後を追いかけて屋敷中をうろつきまわって以降、猫の心配をする優しい主人に親しみを覚えたらしい使用人達は、リュカの前でもにこやかに仕事をするようになった。
(使用人に甘く見られるなと言われたが、そもそもうちの使用人達はロイドの教育が行き届いているから、そんな心配はない。むしろ、私がいる時は皆ビクビクしていたから、今の方がいい。それに料理長も)
クッキーを貰ったのをきっかけに、その後、夜に少しのお菓子とお茶を用意してもらうようにしたところ、料理長は張り切って、いろいろなものを作ってくれている。そしてそれはお菓子だけではなく食事の方もで、今まで以上に手の込んだ物や見たことがない料理が増えた。
(料理長が、自分の作った菓子を気に入ってもらえたと喜んでいた、とロイドが言っていた。美味しい、不味いと言うのははしたないと母上に教わり言わぬようにしてきたが……たまには感想を伝える事も必要なのだろう。まあ、母上は、あれが不味い、これが不味いとしょっちゅう不満を言っていた。エヴァンもよく言っていたが叱られていなかった)
「リュカ様? 考え事ですか?」
「……別に」
ふいに人間の姿のリリーが顔を覗きこんできて、その近さに正直驚いたリュカだったが、表情を変えずに対応する。
「そんな所に立っていないで、座ったらどうだ?」
「はーい。あっ! 今日のお菓子はフルーツケーキですね!」
乾燥させた果物を混ぜ込んだ焼き菓子を見て、嬉しそうにリュカの向かいに座ると、早速手を伸ばす。
「いただたきまーす。……ん~、おいしい~。バターと卵たっぷり。お酒の風味も……でも、ミッシェル様も食べてたはずだから……」
ブツブツ呟きながら味わうリリーをリュカは見つめていたが、
「これ、リュカ様用にお酒が振られているみたいです。食べてみて下さい」
そう言われ、一切れ取って食べてみた。
「……なるほど、美味い」
「すごいですね、料理長さんは。食べる人の事を考えていろいろ工夫していて。ミッシェル様のおやつと同じだけど、リュカ様の為にひと手間加えたんですね」
「そうだな。これなら酒にも合う」
「おいしいですね~」
リュカと目を合わせて話し、ニコニコしながらケーキを食べるリリー。
雇われた後にきちんと教育を受けた使用人達は、平民の出でも、主人に対してこのような接し方は絶対にしない。
(その点リリーは、畏まらず接してくるので面白い。悪気なく気安く接してくる様子はまさしく、よく懐いている猫そのものだ)
「あの~、最後の一個、半分こでもいいでしょうか?」
(……こういうところが面白い)
そう思い、リュカは微笑みながら「すべて食べていい」と答えた。
話してはいないが、この焼き菓子はリリーの為の物だ。
初めてクッキーを食べたとき、リリーがあまりにも感激しておいしそうに食べていたので、その姿がまた見たくて用意させている。だからリュカは食べなくていいのだが、
「リュカ様の為に料理長さんが考えて用意してくれたお菓子なんですから、わたしの方が沢山頂くわけにはいきません。はい、どうぞ」
手で半分にされ、差し出される焼き菓子。
あまりにも無礼な事だし、そもそも、貴族に対してそんな事をしたら罰せられても文句言えない事なのだが、
「では、そうしよう」
リュカはためらわずに受け取り、口に運んだ。
貴婦人である母親が見たら、金切り声で騒ぎ立てそうな行動をしている事を、リュカはむしろ楽しく思っていた。
二人でにこやかに菓子を食べ終え、リュカは酒を飲みながら『本日の報告』を聞く事にした。
これは、リリーが人間になってから、毎夜行われている事だ。
最初のうちは、変わった事は無かったか、体調に変化は無いか、等がメインだったが、最近はミッシェルの様子や、ニックの恋の行方など色々話すようになっていた。
「リュカ様、明日はミッシェル様と湖にお出かけの日ですよね」
「ああ、そうだな」
明日は休み。
リリーが「たまには親子で出かけてみたらいかがですか? ミッシェル様が、奥様がいらっしゃった時は湖に行っておやつを食べたりしたって仰ってましたよ。今度の休みに行ってみませんか?」と言うので、行ってみる事にしたのだが、
「あー楽しみ~。昼食は湖で食べるんですよね?」
「ああ」
「どんなお料理でしょうね。楽しみだなぁ」
「……おい、待て。リリー、もしかして一緒に食べようとしているのか? 猫の姿の時、私達と同じ物を食べていいものなのか?」
「え? ああ、食べませんよ、猫の時は」
そう言ってリリーは笑った。
「猫の時は、人の食べ物はあまり食べたいと思わないんです。それに、猫が食べると調子が悪くなる物もあるので気を付けなきゃいけないし。料理長さんが作ってくれるわたし達の食事は、そういうのが入ってなくて安心です。でも、自分は食べなくても見るだけで楽しいんですよ」
「見るだけで?」
「はい! すごいですよ、リュカ様達が食べるお料理は。さすが貴族ですよね! とにかく綺麗だし、いろいろな物が組み合わされているし、見たことない食材もたくさんあってワクワクします。わたし達が食べる物って、単純な物が多いんですよ。孤児院にいた頃なんて、イモを茹でて塩を振るとか、魚を焼いて塩を振るとか、硬い肉をいろんな野菜と煮込むとか、そういうのばっかりでした。まあ、それもけっこうおいしいんですけど」
懐かしそうリリーは話す。
「孤児院では、とにかくお腹いっぱい食べるっていう事が大切で。川に魚を捕りに行ったり、山に木の実や果物を採りに行ったり、農場の手伝いをして野菜をもらったり。今晩はこれを食べるんだ~って思いながら掘ったイモは、塩だけでもすっごくおいしかったですよ。まあ、バターがあればもっと最高だったでしょうけどね」
「そう聞くと、食べてみたくなるな」
「フフッ、リュカ様が茹でイモ注文したら、料理長さん、驚いちゃいますよ。あ、そうだ! 今年は涼しいから、まだクロモモあるんじゃないかなぁ? 持っていったら、料理とかお菓子に使ってくれるかもしれませんね。あと、湖で魚釣りをしてみるのはどうですか?」
「釣りか……子供の頃はやったが」
「ミッシェル様に教えてあげたら喜びますよ、きっと」
「なるほどな」
言われるまで思いつかなかった事に、リュカは『いい考えだ』と思う。
(リリーはこういう、自分では思いつかない事を提案してくれる。特にミッシェルの事に関してはよく見ていて、いろいろ教えてくれる。湖に行く事もそう。すぐそばだし、行って昼食を取るくらいのささやかな事なのに、ミッシェルは驚くほど喜んだからな)
湖に行く事を話してからは「もし雨が降ったら行かないですか? ちょっとだけなら行きますか? 犬と猫も連れて行きますか? 湖では泳ぎますか?」等、毎日毎日嬉しそうに聞いてきた。
こんな事で喜んでくれるのなら、もっと前から一緒に出掛けてやれば良かったと思う。そして、
「リリーのおかげだな」
「えっ?」
「リリーのような考え方は、私にはできないから」
心の底からそう思う。
何の不自由もない生活をしてきた。
空腹など、感じたこともない。
両親もいた。
使用人もいた。
充分な教育を受け、親が満足し、周りが賞賛する成果を出した。
そしてその事に、なんの不満も無かった。
しかしリリーと話していると、自分には足りないものが沢山あると感じずにはいられなかった。
特に、心が……。
「私は、他人の事をあまり考えられない人間だ。ミッシェルをこんなに喜ばせてやれたのは、リリーのおかげだ。ありがとう」
「え……」
礼を言われたリリーは、照れたようにもじもじしながら「そんな事ありません」と言った。
「それに、本番は明日ですよ。明日はミッシェル様といっぱい遊んであげてくださいね。そのためにも、そろそろ眠りませんか?」
「そうだな、そうしよう」
もうひと月以上になるので、照れる事なく二人は一緒にベッドに潜り込んだ。
「……そういえばチェイスが、湖で泳ぐところをリュカ様に見せるって張り切ってて……やめときなさいってスピカお姉さまは言ってるんですけど、リュカ様、見たいですか? あれ? どうかしましたか?」
笑っているリュカを見て、リリーは不思議そうな顔をしたが、
「ミッシェルも、湖で泳ぐのか聞いていたから、似てると思ってな」
「あー、男の子って、そういうものなんですかねぇ。……楽しみですね……」
そう言って目を閉じたリリーを、リュカはしばらくの間見つめていた。
長いまつげ、口角の上がった唇、細く長い金色の髪。
頭を撫でたい、という衝動にかられるが、気持ちを抑える。
(……オリヴィアも、リリーくらい明るく、正直に接してくれたなら、もう少し違った結婚生活が送れたんじゃないだろうか)
ふいに、若くして亡くなった妻、オリヴィアの事を思う。
二歳年下のオリヴィアとは、幼い頃から結婚が決まっていた。
子供の頃は「お兄様、お兄様」とちょこちょこ後ろを付いてきて、リュカは『この子は僕が一生守るんだ』と大切に思っていた。しかし、
(……思い出すのは、暗い表情ばかりだ。いつも伏し目がちで、ドレスや宝石を贈っても、視線を合わせず礼を言われるだけだった)
そしてつい『もしリリーだったら』と考えてしまう。
(使い古しの夜着でさえ、あんなに喜んでくれるんだ。良い生地で、一流の職人に最高のドレスを作らせたら、どんな反応をするだろう。満面の笑みで、体にあててみたり、手触りを楽しんだりするんじゃないだろうか。すぐに身に着けて、鏡の前でクルクル回りそうだな。ああしかし、もったいないと言ってなかなか着ない可能性もある)
想像で笑ってしまいながら『オリヴィアが少しでもそうだったなら』と思い……ハッとする。
(いや、そうじゃない。私が、もっとうまく接してやれていたらよかったんだ。もっと、オリヴィアの気持ちを考えてやれていたなら……)
あっという間に眠りについたリリーが寝返りをうち、距離が近くなる。
(……リリーは猫なのだから、いいだろう)
そう自分に言い訳をし、リュカはそっとリリーの頭を撫でた。
猫ではない、人のリリーも、リュカの癒しとなっているようで。




