15 黒猫リリーの日常
第二章スタートです。
わたしの名前はリリー。
エルドナ国の貴族、ベルナルド伯爵家に飼われている1歳の黒猫。
実はわたし、普通の猫じゃない。元人間、なのだ。
猫になって約1年。すっかり猫での生活に慣れ、人間だった事が夢のような気さえしてくる今日この頃。たまに、自分の事を客観的に見て、人間だった時の自分と猫になってからの自分のバランスを取るようにしている。
こうやって、自分の1日の行動を改めて確認するのも、その方法の一つ。
朝。
わたしの朝は、早くもなく遅くもなく。起きたいときに起きればいい。猫サイコ~!
基本的に、ベルナルド家のご子息、ミッシェル君の部屋で寝ているけれど、わたしが起きる時には誰もいない事がほとんど。どうやら猫は、いっぱい眠らなきゃ調子が出ないらしい。
起きたらサッと毛づくろいをし、食事をもらいに厨房に向かう。
とは言っても直行するわけではなく、その前にする事があって……、
『スピカお姉さま、おはようございます』
ずっと前からこの屋敷で飼われている、茶色い毛玉みたいな小型犬のスピカお姉さまを探し、挨拶をする。
彼女は生まれた時から貴族の家育ちなので、とても気品がある。
根っから庶民のわたしはいろいろ教えてもらっていて、注意されたり叱られる事もあるけれど、小さい頃よくやった『お嬢様ごっご』みたいで、なかなか楽しくやっている。
『おはよう、リリー。今日も遅いわね』
『あは、すみません。でもそれが猫ってものですから~』
『まったく……ご主人様より遅く起きるなんて! と、言いたいところだけど、猫とはそういうものよね』
一緒に寝ているスピカお姉さまは、いつも早起きで、ミッシェル君を起こしてあげている。
呆れたように言いながらも笑ってくれるお姉さまと、鼻をくっつけてご挨拶。
『では、食事に行ってきます。済んだら、毛づくろいのお手伝いをしますね』
『よろしくね』
その場を後にし歩いていると、今度は大きな犬が突進してきた。
名前はチェイス。彼も一緒に寝起きしている仲間だけど、やっぱりわたしより早起きだ。まあ、その理由は『お腹がすいて目が覚める!』って事らしいけれど。
『おはようリリー! 追いかけっこする?』
『しないわよ』
『えー、しようよーぉ』
顔の大きさだけでわたしくらいある(ちょっとオーバーだけど)すごく大きい犬だけど、まだ1歳で子供っぽいところがある。
出会った時は落ち着きがなく、乱暴者で、自信家で……正直嫌いだったけど、がっつり叱った後は心を入れ替えたらしく、スピカお姉さまの教育もあり、素直ないい子になった。
『追いかけっこがイヤなら、狩りごっこでもいいよ?』
『わたし、これから朝食なの』
『じゃあ、食べ終わってからでいいよ。僕も一緒に行こうか?』
『来なくていいわよ。それにわたし、食事が終わったらスピカお姉さまの毛づくろいのお手伝いするの。その後でいいなら、ちょっと遊んであげるけど?』
『えーっ? そう言ってリリー、いっつも寝ちゃうじゃない』
『あー、まあ……猫だからねぇ。猫は寝るものなのよ』
『ちぇーっ、つまんないなー。今日はミッシェル、湖に行くかなー』
『んーどうだろうね。ところでチェイス、ちゃんとミッシェル様って呼ばなきゃ、スピカお姉さまに叱られるわよ』
『あっ、間違えた! ミッシェル様ね、ミッシェル様!』
『そうそう。ちゃんと普段から様を付けていないと、はずみで呼び捨てしちゃうんだからね』
『だよねー。リリーもいっつも、ミッシェル君って呼んで、スピカおばちゃんに怒られてるもんね』
『うっ、確かに……』
思わず、顔を見合わせて笑ってしまう。
チェイスの序列付けでは、上から、ベルナルド家当主のリュカ様、スピカお姉さま、躾役のニック、そしてわたしとチェイスは同位、ミッシェル君、子守りメイドさんのキャシー、という順だそうだ。
ミッシェル君を大切にしているスピカお姉さまの手前、ミッシェル様と呼ぶようにしているけど、チェイスにとって彼は弟の感覚らしい。実はわたしもそうなんだけどね。
『じゃあ、とりあえずわたしは食事してくるわ』
『うん。今朝は魚だよ。おいしかったよー』
『ホント? やったー、わたし魚大好き! 行ってくる!』
チェイスと別れて、わたしは急ぎ足で食事に向かった。
スピカお姉さまと話す時は上品にしているけど、チェイスとでは地の自分が出てしまう。まあ、それもたまにはいいことにしよう。
食事は、自分から厨房にもらいに行く。
中には入らず入り口で鳴くと、食事が出てくるシステムだ。
「おっ、ようやくリリーお嬢様がいらっしゃったぞ」
「今日はまた、遅かったわね~。はいどうぞ~」
チェイスの言った通り、おいしい魚をいただく。
「いいわよね、猫は。好きな時に起きて、何もしなくても食事がもらえて」
「だよなぁ、俺も猫になりたいぜ」
そう言いながら、食べているわたしの頭を撫でてくるのは料理長さん。
食べるのに邪魔だけど、そこは我慢。いつもおいしい物をもらっているんだから、これくらいのサービスはしなきゃね。
「料理長ー、そろそろ戻って下さいよー。昼食の準備の指示出してもらわないとー」
「お? おうおう、了解。じゃあな、お嬢。また来いよ。おやつやるからな」
「ニャーン!」
猫好きの料理長にお礼を言って、スピカお姉さまの所に行くことにする。
その途中で、護衛のニックと子守りメイドのキャシーに出会った。
挨拶として、キャシーの足に体を擦り付ける。
「おはよう、リリー。今日も美人さんねー」
猫好きのキャシーは、いつもわたしを褒めてくれる。
「ミッシェル様の所に行く? だっこして行ってあげようか」
楽できるのは大歓迎。見上げてニャーンと鳴き、抱き上げてもらった。
「リリーは毛がツヤツヤで綺麗よね。爪は伸びていないかな? ああ、大丈夫ね」
肉球を押され爪のチェックをされる。
「お顔は綺麗かな? うん、かわいい。耳は……うん、綺麗」
キャシーはわたしの世話役でもあり、いろいろ気にかけてくれる。
「リリー、お前自分で歩かないと太るぞ」
横からニックがそんなこと言ってくるけど、気にしない。
実はニック、キャシーの事が好きなのよね。だから、かわいがられているわたしに、やきもちを焼くのよ。
ニックは無視し、というか、見せつけるように、キャシーの柔らかい胸に頭を押し付けてゴロゴロ言う。
「はあ~、可愛い~。リリーはいい子ねぇ」
「ニャーン」
ふふん、いいでしょう。キャシーはわたしにメロメロよ~。
そんな事を思いながらニックを見て、ハッとする。
そう、猫になってからのわたし、人間だった頃とは結構性格や考え方が違ってきている。
気ままで甘えっこで、自分が一番! という感覚があるのよね。これはちょっと気を付けないといけないわ。
キャシーに首を撫でてもらいながらそんな反省をしているうちに、ミッシェル君の勉強部屋に着く。
そこには思った通りスピカお姉さまも居たので、すぐに行こうとしたけれど、
「あら? どうかしたんですか?」
金髪のクルクル巻き毛の可愛い少年が、掃除担当メイドさんの前でもじもじしている。
彼が、このベルナルド伯爵家のご子息様のミッシェル君。
六歳の可愛いご主人様なんだけど、ホント、どうしたんだろう?
「あ、キャシーさん……あの……実は……」
メイドさんが、困ったように言う。
「あの、わたし、ここの掃除をしてて……それでその……お人形さんが……」
見ると、可愛らしい女の子の人形の腕が取れている。
「その……掃除の時にはもう……」
「僕も! 見た時にはもう取れていたよ!」
慌ててそう言うけれど、もじもじ、そわそわ。明らかに様子がおかしいミッシェル君。
「えっと……もしかして、リリーが遊んでて壊しちゃったのかな?」
「そうですかねぇ。リリー? あなたがやったの?」
「えっ?」
キャシーがわたしを抱いている事に気づいていなかったミッシェル君は、ビクッと顔を上げ、わたしとバッチリ目が合った。
「ニャァァァ」
「リ、リリーいたの?」
「ニャッ」
「あの……チェイス、かな……?」
まだ言うか!
「ンニャ~ァァ」
低い声ですごむように鳴くと、
「……僕がギュってしたら、取れちゃったの……」
ようやく正直に告白したミッシェル君に、キャシーはにっこり笑った。
「そうでしたか。大丈夫ですよ? このお人形さんは布製ですから、すぐ直せます。でも、最初嘘ついたのはいけない事ですね」
「はい。ごめんなさい。リリーもごめんなさい」
お掃除のメイドさんとわたしに素直に謝るミッシェル君。うん、えらい。でも、今ここにわたしがいなかったから、シラを切り通していたんじゃない?
床に降ろされて、スピカお姉さまの所に行く。
『どうしたの? あれ』
『ミッシェル君がお人形を壊しちゃって、それをわたしのせいにしようとしたんですよ。で、わたしがいるのに気づいたら、次はチェイスのせいにしようとして。でも最後はちゃんと謝りました』
『そう。まだまだ子供ね。そしてあなたも。ちゃんとミッシェル様とお呼びするように、何度言ったらわかるの?』
『ああああ、申し訳ございません、お姉さま……』
ほんと、普段からちゃんと呼んでいないとボロが出ちゃうわね。
謝ってから、それでもこれは譲れないと、決意したことを言う。
『そんなわけで、今日はわたしミッシェル様とは一緒に寝ませんので』
『リリーに罪を着せようとした罰ね。そうなさい』
『はーい』
ミッシェルく、いやいや、ミッシェル様の教育に関しては、スピカお姉さまはなかなか厳しい。
スピカお姉さまは、ミッシェル様の亡くなられたお母様に飼われていた。だから、お母様亡き後、ミッシェル様の母のような気持ちでお守りし、教育されている。
『まあ、あの人形は、オリヴィア様が大切にされていた人形だから、とんでもない事をしてしまったと思って嘘を言ってしまったのかもしれないわ』
『そうだったんですか……あ、でもすぐ直せるってキャシーが言ってましたよ』
『そう。良かった』
互いに毛づくろいしながらあれこれ話し、ミッシェル君の勉強を見守り、キャシーにブラッシングしてもらい、お昼寝をして、目が覚めたら昼食に向かう。
『あっ! スピカおばちゃん、リリー! 僕もう、食べたよ』
先に昼食を終えたチェイスは、わたし達が食事を終えるのをそのまま待って、三匹で一緒に外に行く事になった。
『追いかけっこしよう! 虫捕りでもいいよ!』
ものすごく元気なチェイス。
彼は、狩りのお供に適した犬種らしい。『昔とは比べものにならないくらい賢くなったから、今度旦那様の狩りに連れて行こう』ってニックが言っていた。
外に出ると、ミッシェル君がニックと剣の稽古をしていた。
それを見ながら、三匹で追いかけっこをしたり、虫を捕まえてみたり。チェイスは木に止まっている鳥まで狙っていたけれど、全然無理だった。
まあ、実はわたしも、鳥を見たら体がうずうずしてたんだけどね。こういうのも猫の本能なのかもしれない。
それから……。
こうして外に出た時は、ついつい探してしまうものがある。
それは、わたしの恩人であるカミーユさんと、黒猫のルウお母さんの姿。
一年前、馬に蹴られて死んだわたしを、猫として生き返らせてくれたカミーユさん。
猫として生活するうえで、大切な事を教えてくれたルウお母さん。
この屋敷に来たあの日以来、会っていない。
本当は『翌日また来るから、無理だったら戻って来なさい』と言ってもらっていたから、『大丈夫です。安心して下さい』と伝えに行きたかったんだけど、前日のゴタゴタの後、二、三日、記憶が曖昧になってしまって会えなかったんだよね。
できるなら、立派な猫として成長した姿を見てほしい。
そして、できれば褒めてほしい。
まあ、あちらの方はわかってくれていると思うけど。
少し前、チェイスに大量のノミが発生するという事件が起きたとき、すぐに『ノミを殺す石鹸』と『ノミ避けリボン』を、偶然近くに来ていた薬屋さんから購入できた、という事があった。
あれは、カミーユさんが来てくれたのだと思う。わたしの事を気にかけ、見てくれているんだと。
事前にカミーユさんからノミ避けリボンをもらってたわたしは、スピカお姉さまにノミが来ないようにピッタリくっついて耐えていていたんだけど、あの時の助けはありがたかった。
……ノミは怖い。物凄く。
あれからチェイスはお風呂を嫌がらなくなったもんね。
さて、走り疲れたらお昼寝して、厨房におやつをもらいに行って、屋敷内にネズミが入り込んでいないか見回って、お昼寝して。夕食を食べて、三匹でじゃれ合っているうちに夜。
あっという間に一日が終わる。
『それじゃあわたし、今日はリュカ様のお部屋で眠りますね』
『えーっ、リリー一緒に寝ないの? ミッシェル、さま、が寂しがるよ?』
様を付け忘れかけたチェイスが、どうにかごまかしながら言う。
『いいの! ではスピカお姉さま、また明日。チェイスもおやすみなさい』
『ええ、おやすみなさい』
『おやすみー。ねえスピカおばちゃん、狩りごっこする?』
『しません。さっさと寝なさい』
そんな会話をしている二匹と別れたわたしは、このベルナルド家の当主、リュカ様の部屋の前に行った。
扉の前でニャーニャー鳴いていると、
「どうした? 今日は私の部屋で寝るのか?」
扉が開き、リュカ様が顔を出した。
時々こうやって来ているので、すんなり中に入れてくれる。
いつもは一つに束ねている金色の長い髪を下して、夜着姿のリュカ様。
綺麗で冷静なリュカ様は、メイドさん達から『素敵だけど近寄りがたい』『素敵だけど怖い』と言われているけど、わたしにとっては、いつも可愛がってくれる優しいご主人様だ。
「私はもう少しやる事があるから、先に眠っていなさい」
抱き上げて、大きなベッドに乗せてくれる。
じゃあ、お言葉に甘えてお先しまーす。
こうしてわたしの一日は終わるのだ。
……苦しい。
首を絞められている。
息ができない。
ハッとして、目を開けた。
なに?
今なんか、すごく苦しかったような気がする。
辺りを見回してみたけれど、何も変わった事はないみたい。
部屋は薄暗く、蝋燭の小さな明かりだけ。
何だったのかな、と思いつつ体の向きを変えたら、大きく目を見開き、上半身を起こしてわたしを見下ろしているリュカ様と目があった。
やだ、リュカ様が起きちゃうくらいうるさくしちゃったのかな。大人しく眠ろーっと。
そうして再び目を閉じたけれど……視線を感じる。
目を開けると、まだリュカ様が見ている。
ん~、起こしてごめんなさい。もう静かにします。
いつものように、リュカ様にくっついて眠ろうとすり寄ったんだけど、
「っ!」
後ずさるように、避けられてしまった。
え? なに?
何かおかしい、そう思った時、
「誰だ……?」
鋭いリュカ様の声に、空気が凍りつく。
え? 誰かいるの? やだ、やっぱりわたし、首を絞められてたの?
ブワッと鳥肌が立つのを感じながら後ろを振り返った。
薄暗くても、わたしの目ならしっかり見えるはずなのに……誰の姿も見えない。
やだ、怖いっ! リュカ様っ!
泣きそうになりながらリュカ様にくっつこうとすると、
「寄るな!」
鋭い声と共に、鼻先に剣を突き付けられた。そう、わたしの鼻先に!
「どこから入った。何者だ」
え? なに?
「正直に言え。人を呼ぶぞ。……もしかして、エヴァンのところから来たメイドか?」
「え? 誰それ……って、えっ?」
わたし、今言葉を話した?
思わず両手を口に持っていって、ギョッとした。
毛が、フワフワの毛が無い。
「う、うそ、わたし……」
恐る恐る見ると、手! 指が長い! 腕が、足が、髪が、猫じゃない! 人間! そして真っ裸!!
「ひゃーっ!」
思わず悲鳴を上げて、ベッドから転がり落ちてしまった。
た、大変です、カミーユさん、お母さん。
わたし、人間になってます!!
なんて事!