13 救いの手
必死に歩き続け、どれくらい時間をかけたのかわからないが、ようやく屋敷が見えてきた。
残念ながら途中で人に会うことはできなかったが、屋敷の周りには伯爵家の騎士達の姿があった。
「おい、ミッシェル様はまだ見つからないのか?」
「ああ。……なあ、もう一度湖まで行ってみた方がいいんじゃないか?」
「そうだな。探しに行ってからだいぶ時間が経ったしな。坊ちゃんは湖にしか行った事が無いからって、湖付近しか探さなかったが、もっと大人数で、ずっと奥まで探した方がいいかもしれない」
「屋敷の中という可能性は……」
「これだけ探して見つからないって事は、外だろう。ただ、誰もミッシェル様が外に出る所を見ていないっていうのがなぁ……まさか、誘拐?」
嫌な空気が流れる。
「いやいや、まさか」
「しかしほら、奥様の時の事もあるし……」
「…………」
更に嫌な空気だ。
『ミッシェル君は大丈夫よ! 早く探しに行って!』
勿論その声は届く事なく、リリーはヨロヨロしながらその脇を通り、開きっぱなしにされた扉から屋敷の中に入った。
屋敷の中は、大騒ぎだった。
使用人たちが慌ただしく走り回っている。
踏まれないように用心しながら、様子を伺う。
(キャシーとニックはどこ? あの二人なら……あ、いた!)
自分を見て、ミッシェルと関連付けて考えてくれるだろうと近づいてみたが、
「どっ、どうしよおっ、わたっ、わたしのせいでっ」
激しく動揺し、泣きじゃくるキャシー。
「わたしっ、ミッシェル様にっ、なにかあったらっ、しっ、死んでお詫びっ」
「なに言ってんだ! 俺が絶対探してやる! それに、お前だけのせいじゃないからな! 俺も一緒だ! とにかく今は、ミッシェル様を探すんだ!」
そう言われても、キャシーは泣きじゃくるばかりだ。
リリーは頑張って二人のすぐそばで鳴いてみたが、気付いてもらえない。
(駄目か……じゃあ、ロイドさん! ロイドさんは……ああ、みんなに指示するのでてんてこ舞いだ! でもあっちの二人よりはいいかも)
指示を出したり報告を受けたり……そんなロイドの足元で必死に鳴いたが、やはり気づいてもらえない。
(どうしよう。そもそも屋敷全体がうるさいのよ。わたしの声なんて、誰も気づいてくれない。早く、早く戻らなきゃいけないのに。あっ! そうだ、スピカさんなら!)
人に伝えるのは諦め、スピカを探すことにする。
(スピカさん、どこにいるんだろう。ミッシェル君の部屋だったりするのかな。結局部屋には連れていってもらってないからわからないのよね。とりあえず勉強部屋から行ってみよう』
痛む足を引きずるようにしながら、うろ覚えの勉強部屋を探して歩いていると、
『チェイス!!』
前方から、チェイスがやって来た。
『チェイス! 良かった! 早く戻らなきゃいけないのに、誰もわたしに気づいてくれなくて!』
『みんなワーワー騒いでるもんね。ぼくも今ようやく、お肉もらえたよ』
『お肉って、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?』
『なんだよー、そんな言い方するんなら、場所教えてやらないぞ。せっかく、どこでもらえるか教えてやろうとしたのに』
『いらないわよ! それより早く行かなきゃ! あなたが屋敷に戻ってから、あまり時間経っていない?』
『うん? えー、どうだろう。さっきまで寝てたし』
『えっ?』
一瞬、頭の中が白くなる。
『……さっきまで、寝てた?』
『うん。うるさくてイヤだったけど』
『ちょっとちょっと……何言ってんの? あんた、何しにここに戻ってきたわけ?』
『え? おなかすいたからだよ。帰ってきた時からみんなバタバタしてて、ちょっとしかもらえなかったんだよ。しかたないから眠って、でもお腹すいて目がさめちゃったから、もう一回もらいに行って……わーっ! なんだよっ!』
カッと体が熱くなり、次の瞬間、リリーはチェイスに飛びかかっていた。
『ウワー、やめろー!』
叫び、頭を振るチェイス。
その頭に爪を立て、耳に手加減無しで噛みつくリリー。
『いたいー! 離せよーっ!』
『うるさいっ! チェイスあんた、なんの為に帰って来たのよ! 助けを呼んで来るためでしょ!? ミッシェル君が森で迷子になったの、忘れたのっ? 人を呼んで来てって、わたし言ったよね!?』
『え……だって……どうしていいか、わかんないし……』
『わかんないからって、食べ物もらって、寝て、また食べ物もらってたわけ? このバカ犬がっ!』
怒りにまかせ、今度は鼻にかみつくリリー。
「キャンキャンキャンキャン!」
たまらずチェイスは悲鳴を上げた。
『ごめんなさい! ごめんなさい!』
『ごめんで済むかっ! どうしていいかわからなかったら、スピカさんに相談すれば良かったでしょう?』
『スピカ……』
『茶色いフワフワの、このお屋敷の先輩犬よ!』
『……あのおばちゃん、怖いから……』
「フシャーッ!!」
『うわーん、ごめんなさいー!』
泣き、怯え、尻尾を股の間に挟んでブルブル震えるチェイス。
しかしリリーの怒りは収まらない。
『このバカチェイスがっ!』
怒りのままに、再びチェイスの鼻に噛みついた時、
『リリー!』
ハッとして、リリーはチェイスの鼻を離した。
『スピカさん!』
そう、こんな事をしている場合ではないのだ。
今チェイスを怒ったところで、何にもならない。それよりも早くスピカに助けを求め、早くミッシェルの所に戻らなければ。
走り寄ってきたスピカは、ボロボロのリリーを見て一瞬息を飲んだ。
『リリー……あなた、大丈夫なの? 足、怪我しているんじゃなくって? ミッシェル様は?』
『スピカさん、助けて下さい。わたしじゃ誰も、誰も気づいてくれない……』
ホッとしたのと、悔しいのとで、涙が出てきてしまう。
『ミッシェル様は、外です。湖よりも奥で……迎えに、迎えに行かないと……でも、わたしじゃ誰も……』
『大丈夫よ、もう大丈夫。そう……やっぱり外に出ていたのね。どうりで屋敷の中を探し回っても見つからないはずだわ。チェイスに聞いても、すぐはぐれて一緒じゃなかったって言うし』
その言葉に、反射的にリリーはキッとチェイスを睨み、睨まれたチェイスはというと、すっかり怯えてさらに激しく震えはじめた。
その姿があまりにも自分への恐怖に満ちていて、さすがに強く当たりすぎたと少し反省する。
『いきなり飛びかかるなんて、人の時はしなかったのに。猫になって、短気になっちゃったかも。よく考えてみればチェイスはまだ子供で、人の言葉が解かるわけでもないし、本当にどうすればいいのかわからなかったんだわ……』
これ以上正論を言って責めてもしょうがないと、チェイスの事は放っておき、リリーはスピカと一緒にロイドの元へ向かった。
「キャンキャンキャン!」
騎士と話をしているロイドを見つけ、スピカは激しく吠えた。
だがこの緊急時、ロイドはその甲高い声も気にならないようだ。
しかしスピカは諦めず、ロイドの足に前足を掛け、キャンキャンと吠え続けた。
「どうした、スピカ。すまない、誰かスピカに餌をやってくれないか!」
「あ、はい、ロイドさん」
慌ててメイドの一人がスピカを抱き上げようとしたが、サッとそれをかわし、
『リリー、ここに来なさい!』
『は、はいっ!』
スピカに呼ばれて横に並ぶと、それを見たロイドは表情を変え『ちょっと待ちなさい』と、スピカを連れて行こうとしているメイドを止めた。
「……この子猫、もしかしてミッシェル様と一緒にいたのか? キャシー! ちょとこちらへ!」
ニックに支えられ、キャシーがやって来た。
「君が部屋に戻った時、この子猫はいたか?」
「いっ、いえっ、この子も、チェイスも、誰もっ」
「チェイスは夕方にはいましたけど、猫の方はずっと見ませんでしたが……もしかしてロイドさん、この猫、ミッシェル様と一緒にいたとか?」
ニックの言葉に、ロイドは頷いた。
「その可能性はある。スピカの鳴き方もいつもと違うし、この子猫はずっと私を見ているし、何か気になる」
チャンスだ、そう確信し、リリーはスピカに『行きましょう!』と声をかけた。
『ロイドさんが、わたし達が案内できるかもって思っています!』
『わかったわ!』
そう言うと、スピカは扉の前に行き、キャンキャンと吠えた。
「ニック、何人か連れてスピカの後を追ってみてくれ」
「わかりました、すぐ人を集めます」
「わ、わたしも行きます!」
泣きはらした顔のキャシーの言葉に、少し渋い顔をしたロイドだったが、フーッとため息をついた。
「残れと言っても聞かないだろう。行ってきなさい。その子猫、怪我をしているらしい。歩き方がおかしいから、抱いて行ってやりなさい」
「はい!」
ひょいと抱きかかえられ、リリーは『これじゃ案内できない!』と焦ったが、『わたしが誘導するから大丈夫よ』とスピカに言われ、素直に頷いた。
そうして松明を手にした騎士達が集まり、いよいよ出発する時になって、チェイスがやって来た。
『ぼ、ぼくも一緒に……』
ビクビクしながらも、キャシーに抱かれたリリーを見上げて言う。
『ぼく、今度はちゃんと……』
『あなたは残りなさい』
なんと答えたらいいか困ってしまったリリーに代わり、スピカがピシャリと言う。
『今のあなたにできる事は皆無。邪魔になるだけです』
『ご、ごめんなさい……』
うなだれるチェイス。
しかし、すれ違う時に『帰ったらわたしがしっかり指導しますから、覚悟なさい』と声を掛けられ、少し元気が出たらしい。
『リリー! 本当にごめん! 気を付けて!』
そう見送ってくれた。
スピカを先頭に、ニック、キャシーと彼女に抱かれたリリー、騎士5人、という集団で森に入っていく。
自分一人だったとき比べ、なんと早い事か。
あっという間に湖に着き、そこでスピカは足を止めた。
キャシーに抱かれているリリーを見上げ、キャンキャンと吠える。
『リリー、ミッシェル様はどこ?』
『はい! 案内します』
スピカが吠えた事と、それまでおとなしくしていたリリーがジタバタ動いた事で、降ろせ、と言っている事が伝わったらしい。
キャシーはそっとリリーを地面に置き、祈るように両手を胸の前で組んで様子を伺った。
足は痛いが、休んだおかげもあって、歩けない程ではない。
『こっちです!』
ミッシェルが待っているはずの方向の道を選び、リリーは歩き出した。
「……この道か? 屋敷の方と全然方向が違うじゃないか」
「そもそも、こんな子猫が道案内なんてするもんか?」
「とにかく、今は行ってみよう。念の為、誰かここに残って湖の周りを探してみてくれないか?」
ニックの言葉に騎士2人が残り、他はリリーの後に続く。
『……わたしは、ミッシェル様の母君であるオリヴィア様の犬だったの』
右後ろ足をかばい歩くリリーに心配げに寄り添いながら、スピカが呟くように言った。
『結婚前からずっとオリヴィア様にお仕えしていて、ベルナルド家に嫁ぐ時、お供してきたの。そのオリヴィア様が亡くなられ、わたしはもう、本当に辛く、悲しく、生きていく意味を失ったような気持ちになってしまって。新しく来たチェイスに対しても指導する気にはなれず、関わる事を避けて……そのせいで、今回このような事になってしまった』
『スピカさんのせいじゃないですよ!』
『いいえ、全部ではないにしろ、わたしのせいもあるわ。わたしは自分の悲しさにばかり気を取られ、大切な使命を忘れていたのだから』
『大切な、使命?』
『ええ。わたしの敬愛したオリヴィア様の大切なご子息、ミッシェル様をお守りするという使命よ。リリー、どうかわたしに、もう一度その使命を果たすチャンスをちょうだい』
『わかりました。必ず、ミッシェル様の所にお連れします!』
痛みを堪えて歩き続け、ついにリリーの目に、クロモモの木が見えた。
皆、ミッシェルの名前を呼びながら歩いているが、反応はない。
(きっと眠ってるんだよね? いるよね? 無事だよね?)
不安になりながらも、リリーが『あの木の下です』と伝えるとスピカは頷き、キャンキャンと吠えながら木に向かって走り出した。
「そこにいるのか?」
皆も続いて走った。
「ミッシェル様! いらっしゃいますか? ミッシェル……あ……いた! いらっしゃったぞ!」
「ほ、ほんとに?」
ニックの声に、キャシーが震える声で尋ねる。
「ミッシェル様……ああ、ミッシェル様ぁ」
クロモモに木に寄り掛かり、ミッシェルは眠っていた。
「良かった。本当に良かった」
地面の膝をついてキャシーが抱きしめると、ミッシェルは「う~ん」と伸びをしながら目を開けた。
「あ、キャシー……ごめんね、上着、あったんだよ。ずっと探してた?」
「うっ……いいんですよ、ミッシェル様がご無事なら……」
泣きながらギュウギュウ抱きしめられ、苦しくなったミッシェルは、もぞもぞとキャシーの頭の横から顔を出し、
「あ、リリーちゃん! スピカ!」
足元にいたリリー達に気が付いた。
「ほんとにみんなを連れてきてくれたんだね! ありがとうリリーちゃん!」
「リリーちゃんが、みんなを連れて来るって言ったんですか?」
「そうだよー」
キャシーに尋ねられ、ミッシェルは自慢げに言う。
「ぼくねー、足がいたくて歩けないって言ったら、リリーちゃんがみんなをよんでくるから、ここでおるすばんしていてって。だからぼく、ここでちゃーんと、まっていたんだよ」
「…………?」
皆、顔を見合わせる。
「これもね、リリーちゃんが食べてって。すごくおいしかったよ。キャシーも食べたい?」
「これって……クロモモ?」
「あー、子供の頃よく食ったな。この猫……リリーが、食べてって言ったんですか?」
「そうだよ、ニック。リリーちゃんがもってきてくれて、おいしいよって」
「…………」
皆が、リリーを見つめる。
『……さっきから、リリーリリーと言って皆があなたを見ているけど、あなた、何をしたの?』
『い、いえ、その、大したことは……。クロモモの木に案内して、実が食べられることを教えて、あと、おとなしくここで待ってるように、こう、なんとなく身振りと鳴き声で伝えた事を、ミッシェル君がおおげさな感じで話していて……』
もじもじと言うリリーを見て、スピカは大きくため息をついた。
『全く、やりすぎです。でも、おかげで助かったわ。ありがとうリリー』
『スピカさん……』
スピカに顔を舐められ、リリーは急に、全身から力が抜けていくのを感じた。
(……限界だ……お腹もすいたし……駄目だ、もう目が……)
まぶたが重くなり、意識が遠のいて行く。
『あなたはこれから、ほどほどに、ということ学ばなければ。あとミッシェル君ではなく、ミッシェル様とお呼びするように。チェイスと同様、わたしが教育しますからね』
『は、い……よろ、しく、お願い、しますぅ』
そして完全に、リリーは意識を失った。
リリー、お疲れ様。
☆今更分割するのもなんだし、と思いそのままにしますが……この一話、長い! 今はなんとなく、一話2000字目安で書いているのですが……。