12 夜の森
誰かが名前を呼んでいる。
孤児院の子達だろうか。
マグノリア孤児院の子供達は、みんなかわいい。そりゃあ中には、チェイスのようにやんちゃで生意気な男の子もいるけれど、それでも、お店のパンを持っていったりすると、みんなすごく喜んで……、
(チェイス!?)
ハッとして目を開けるとそこには、涙目のミッシェルの顔があった。
「リリーちゃん、どうしよう、くらいよぉ」
どれくらい眠ってしまったのか。
まん丸に近い月のおかげで真っ暗ではないが、かなり暗くなっている。
(今、何時だろう。チェイス、まだかな……)
少しでも元気が出ればと、ミッシェルの手を舐める。
「いやー、リリーちゃんいたいよぉ」
……失敗。猫の舌はザラザラしているのだった。
(じゃあ、別の方法ね。明るいうちに目星はつけておいたのよ)
「ニャーウ、ニャウ」
「なあに? あっ、にげちゃダメだよ!」
身をよじって腕から逃げ出したリリーを、ミッシェルは慌てて追いかけた。
「ダメ! おいてかないで!」
「ニャーン」
少し進んで、振り返って鳴く。『置いていくわけじゃないのよ。ついてきて!』という気持ちで見つめる。
「そっち行くの?」
「ニャーン」
少し進んでは鳴き、進んでは振り返って、少しだが湖の方へ近づく事ができた。
しかし、リリーの目的は別にあり……、
(これこれ~。ちょうど食べ頃のが落ちてたのよ。クロモモ、孤児院ではみんな大好きだったけど、貴族の人達は食べないのかな?)
リリーがミッシェルを誘導してきたのは、クロモモの木の下だった。
果汁の多い赤い果物だが、熟すにつれ黒っぽくなり、甘さも増してゆく。赤く酸味が強いうちはジャムや酒に漬け込んだりし、黒く熟してからはそのまま食べることが多い。
(なっている実は取れない高さにあるけど、結構落ちてるものね。落ちたばっかりで虫がついたり腐ったりしていないやつを探してっと……)
傷んでいない実を3つ、4つと選び、前足でコロコロとミッシェルの前に転がした。
「リリーちゃん、これ好きなの?」
『ええ、好きですよ。まあ、猫になった今ではあまり食べたいとは思わない、というか、果物はほぼほぼ猫の体に合わないから食べないようにと教えられたし。でも、ミッシェル君にはおいしいはずだから食べてみて下さい。元気がでますよ』
お手本として、実を食べるふりをしてニャーンと鳴く。
「ぼくも、食べられるもの?」
「ニャーン」
恐る恐る、というような感じでクロモモを拾ったミッシェルは、上着のポケットからハンカチを出し、拭いてから、そっと実をかじった。
「あまい! おいしい!」
あっという間に種だけになり、2つ、3つと、ミッシェルはクロモモを食べた。
「はー、おいしかった」
喉の渇きと空腹がまぎれ、少し元気が出てきたようである。しかし、
(この暗い森の中、屋敷までは歩けないわよね。チェイスはどの辺まで来てるかな……。少しでも、湖に近づきたいな……)
少し離れ、ニャーンと鳴く。
「リリーちゃん、また歩くの?」
『そうですよ。頑張れますか?』
「ぼく、足がいたくて歩けないよぉ」
『そうですか……うーん、じゃあわたしだけで様子を見てきてもいいですか?』
「だれかよんで来てくれるの?」
『ええ、きっとチェイスが……って、なんか会話が成立してるんだけど!? ミッシェル様、わたしの言っていること、わかるんですか?』
「でも、ぼくひとりになるの、こわいなぁ」
『あ、なんだ、たまたまか……。でもこれって、チャンスなんじゃない?』
突然一人にされたらパニックになるかもしれないが、なんとなく、リリーが誰か呼んできてくれると思っているのなら、おとなしく待っていてくれそうだ。
ニャニャニャニャと喋るように鳴くと、ミッシェルが適当に解釈して何か言う。
「やっぱりぼくもいっしょに行った方がいい?」
「ウニャァ~」
「ちがうの? ぼくはここにおるすばん?」
「ニャ!」
「リリーちゃん、ひとりで大丈夫なの?」
「ニャ!」
「あれ? そういえばチェイスは? かえったのかな?」
「ンニャ~」
「ま、いっか。チェイスなら大丈夫だよね」
「ニャ!」
話は(たぶん)ついた。
(よし、行こう。でもその前に……)
ミッシェルの膝によじ登り、自分の鼻をミッシェルの鼻にくっつけた。
『絶対に人を呼んで来ますから、ミッシェル様、安心して待っていて下さい。ここを絶対動かないで下さいね』
「リリーちゃん……気をつけてね」
ピョンと地面に飛び降り、リリーは屋敷に向かって走り出した。
暗い。
月が出ているとはいえ、木に遮られ光は少ししか届かない。
(でも見える! 猫凄いな!)
休む事無く走り続けて、湖までやって来た。
屋敷の人達が探しているのでは、と期待していたのだが、そこに人影は無かった。
(あー、いないかぁ。もうチェイス、どうなってるのよ~。というより、案外時間経っていないのかな? それならいいけれど……)
湖で水を飲むと、かなり喉が渇いていたんだと気付く。
(あーおいしい! よしっ! 頑張ろう! 早く人を連れて来なくちゃ!)
リリーは再び暗い道を走り始めた。
しかし、小さな子猫の姿では、いくら走ってもなかなか屋敷は見えてこない。
最初のうちは元気だったリリーだが、そのうち息が切れ、足が痛くなり、走れなくなってしまった。
(ミッシェル君に抱いてきてもらったから気が付かなかったけど、随分遠い。わたし、辿り着けるの? どうしよう、ミッシェル君を残して来たのに。ミッシェル君、ちゃんとあそこにいる? 歩き回って湖に落ちたりしない? この森、なにか危険な動物はいない? ミッシェル君のお母さんは悪い奴に殺されたって言ってたけど、それって誰? 盗賊とか? 捕まったの? ああ、どうしよう、ミッシェル君に何かあったらどうしよう! なんで足がこんなに痛いのよ!)
右の後ろ足が、爪でも剥がれたんじゃないかと思うほど痛いが、怖くて見られない。もし本当に剥がれていたとしたら、心が折れてしまい、動けなくなるだろうと思う。
(きっと、もう少しでお屋敷が見える。きっとチェイスが迎えを連れてきてくれる)
気力で、必死に足を動かす。
(ミシェル君は、きっと眠ってる。このあたりにいるのはウサギとかリスとかよ。そうよ、大丈夫よ、大丈夫なんだから!)
泣きそうになりながら、リリーはひたすら、前に進んだ。
リリー、頑張って!