6 たとえ、地割れが起きても
「それで、君はこの少女を知っているわけだな?」
年配の警察官がいかめしい顔をして、木葉学に聞いた。警察官は盛んにそちらを指さして喋るが、学は、その方向をあまり見ないようにしていた。
静かな住宅地帯。パトカーのライトだけが辺りを照らしている。とても、人ひとりが電車に轢かれた直後だとは思えない。
青いシートが被されているが、その人物はやはり本当に死んでいるようだ。闇の中にぼんやりと浮かび上がる白い腕と白い足が、全く位置関係を無視してはみ出している。
「可哀想にな。同級生だろう? で、名前は?」
警察官は無遠慮に聞いてくる。学は詰まりながら何とか答えた。
「須理戸……須理戸琉歌さんです。部活も一緒でした……」
「では、その時の状況を話してもらおうか?」
学は、二三度目を瞬いて、何とか思い出そうとした。
× × ×
時刻は午後五時三五分。四人は駅まで一緒に歩いて、ホームで反対側に分かれた。学、琉歌、幡田太平の三人が電車を待っていると、先に菊の電車が来て帰って行った。
「でもね、木葉君が最近頑張ってるのはほんとだよ。何かあったの?」
「いや、別に……みんなに迷惑かけたら悪いなと思って、それだけ」
「本当は菊ちゃんが怖いんじゃない?」
そう言って琉歌は笑った。
「でも、みんなで頑張ろうね、コンクール。もうすぐ夏休みだし」
学はドキドキした。こんな幸せな瞬間があるなら生きている価値がある。
「さあ、冷たいジュースでも飲んでさっぱりしよう」
そう言って、幡田は琉歌にスポーツ飲料を渡すと、自分は炭酸飲料を開けて飲み始めた。学はいつか一発殴ってやろうと心に決めた。
電車はすぐにやってきて、三人はいつも乗っている普通電車に乗り込んだ。意外に空いていて、三人は座ることが出来た。琉歌が真ん中で両端が学と幡田だ。これは短いが激しい戦いの末に決まった席順だ。
「そういえば、幡田君は何の部活に入ってるの」
「テニス部だよ。小さいころから習っていてね。今度一緒にやってみる? 僕の通っているスクールは体験コースがあるんだ。紹介してあげるよ」
「ありがとう。でも、私、あんまり運動得意じゃないし」
(そうだそうだ、断ってしまえ)
学は幡田のテニスの腕も怪しいと睨んでいた。先日の柔道の経験から考えると、絶対に練習をさぼっている。要は「格好だけ」なのだ、この男は。
「私もトランペットで難しい所で悩んでいてね」
一駅目が過ぎた時、琉歌が学に話しかけてきた。学が同意して頷いた時、隣の車両との連結部にある扉が開いて、一人の男が入ってきた。何げなく視線を移した学は驚愕した。
男は破れたジーパンに狼っぽいイラストがプリントされたTシャツを着て、髪は逆立った茶色だ。眉毛がほとんどなく細いサングラスをかけている。
(あれは確か破パン!)
横にいた琉歌も気が付いたようだ。
「嫌なのがきた」
何と、琉歌が学の手を握ってきた。学は逆に緊張して少し震えた。
兄木は、ニヤつきながらゆっくり歩いてくる。やがて、兄木は三人の目の前で立ち止まった。幡田が目をそらしているのを学は見逃さなかった。
「よう、クソガキ。こないだはずいぶん世話になったな」
「あの、ひょっとして改めてお詫びに来たとか……?」
学は、琉歌の前に無意識に立って言った。
「ククク、そう思うか?」
「いえ、あんまり」
「アタリだ」
次の瞬間、学の視界の中で、吊革が一瞬アップになった後、すぐに椅子の下の温風の吹き出し口が見えた。殴られたのだろうか、頭がくらくらする。ただ、確かなことは、学は床に倒れているということだった。
「へへ、へへへへ。最後のチャンスだ。一応聞いておくが、俺達のチームに入るか?」
「う……」
学は何か答えようとした。同時にきっぱりとした声が聞こえてきた。
「やめなさいよ! あなた兄木丸雄でしょ。木葉君のことは、放っておいてあげてよ」
「あん?」
兄木は、ゆっくりと声のした方を見た。琉歌が立っていた。学も痛む頭を上げて、何とか顔だけ上げた。
「お前、真聖の仲間だな。邪魔すんなよ。マジんなるぜ」
「いいわよ。私も本気を出すから」
一般の乗客達をよそ目に、<ブラック・コヨーテ>の兄木(続けて読むと売れない芸人のようだと学はその時思った)と須理戸琉歌は、緊迫した短い言葉を交わした。兄木が何か言おうとした途端、また別の声が聞こえた。
「待つんだ二人とも。ここではやめろ!」
「幡田君?」
「彼らに暴力はふるうな! 喧嘩もいけないッ。これが俺の主張だ!」
幡田はえらそうに威張った。しかし、すでに逃げ腰で、隣の車両の近くに移動している。兄木も琉歌も、冷ややかな目線でチラリと幡田を見た。学はふいに理解した。
(なるほど。やっかい事に関わるのはごめんだが、自分の面目を保つためには何か言わなければいけない。そこで須理戸さんが先に止めてから、逃げる体制を整えて参加したな)
なかなか見上げた根性だと思いながら、学はもう少し倒れていることにした。何となく、そういう役割が振られているようだ。
「幡田君がいるとややこしくなるから、私一人で十分よ」
「何を言っているんだ! 一緒に戦おう。ええい、仕方ない。貴様、俺達が相手だ!」
「あんだよ。お前からやるのか?」
「お、俺達って言っただろう! 決してどちらかが先になるわけじゃないッ!」
学は一瞬、兄木のやる気を削ぐ為の演技かとも思ったが「お前からやるのか?」と言われたときの顔色からみて、どうやら、それは深読みしすぎのようだ。
(何だか、須理戸さんと破パンは知り合いみたいだけど、いったい何で戦うつもりなんだろう?)
学の疑問は、一瞬で氷解した。兄木が右手を伸ばしたかと思うと、琉歌が吹っ飛んだ。彼女は事態を聞いて駆けつけてきたであろう車掌に激突した。車掌は倒れて扉に頭を打ちつけて気絶した。顔を上げた琉歌は唇を少し切っている。ちなみに学はしっかりスカートの中を見てしまった。ストライプだった。これは完全な事故だ。とにかく、この騒ぎで一般乗客はほとんど別の車両に逃げた。次の駅までまだ少しありそうだ。
「やったわね……」
不意をつかれた琉歌は呟いたが、体に力が入らないようだ。学が見たのは、兄木が腕を伸ばすと小型犬くらいの大きさの灰色の塊が飛び出して、琉歌を突き飛ばした光景だ。先日、やられたのはこれだろう。
(これは超能力というものではないのか)
と、学は考えた。テレビや漫画では何度も見たが実物を見るのは初めてだ……と、他人事のような感想がよぎる。
「やめるんだ。俺の忠告を無視するなんて、俺は悲しいぞ!」
遠くから、小さな声が聞こえた。どうやら幡田が、隣りの車両から叫んでいるようだ。
(ちくしょう。もし今、突然地面が割れて幡田がそこに落ちても絶対助けてやらないぞ。ちょっとでも何とかしようとしろよ!)
「へへへ……」
兄木は、再び右手を上げた。
「ホント、死ぬよ……」
「でやっ」
学は、絶妙な倒れたフリをやめて、兄木にタックルをぶちかました。予期せぬ攻撃に、兄木は、扉の側のポールに頭を打ち付けた。学は、琉歌に駆け寄ると助け起こす。
「大丈夫?」
「もちろん……兄木め、すぐにこの借りは返してあげるわ」
確かに琉歌は思った以上に短気だ。怒りで肩が震えている。
「と、いうと須理戸さんもやっぱり何かできるの?」
「うん、まあね」
「へへ、へへへ、へへ……キレたぜ。このくそガキども!」
「まずい。木葉君まで巻き込んじゃいけない。とにかく、私の腕につかまって」
琉歌は不意に囁いた。学は力一杯頷いた。
(了解しました!)
優しい香りがした。琉歌の腕は柔らかい。琉歌はその腕を真上に上げた。