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フェイクソウル ~Relight Ver.  作者: 木浦 耕助
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3 相撲、警告、ウザい奴

 学は、こわごわ図書室に入っていった。受験生の為に、六時半までは解放されている。その為、受験勉強をしている数人を除けば静かなものだった。見回すと他の生徒から離れた一番奥の席で熱心に新聞を読んでる真聖菊の姿が見えた。

「えーと……真聖(まじり)さん」

「足の下……」

 真聖菊は読んでいる記事から顔も上げずに呟いた。学にはさっぱりわからない。

「少しすり減ってます」

「足の下!」

 慌てて視線を落とすと、自分のシャープペンシルが落ちていた。そういえば今日の授業で図書館に来てから、無くなったと思っていたのだ。

「あ、ありがとう。じゃあ、これで」

「まだよ。そこに座る」

「落としたシャーペンの話じゃ」

 菊は新聞から目を上げると、学を睨み付けた。

「そんな下らないことで、わざわざ呼ぶわけないでしょ」

 学は素直に菊の対面に座った。菊は新聞を読んだままだ。非常に気まずい沈黙が二人の間に重く下りてきた。

 学はそれに耐えきれなくなって、何か話しかけようとした。この場合、相手が相手なので、なるべく共感できる話題を選ばなければならない。あごに手を当て、彼は真剣に考えた。

(これだ)

「いやあ、この前の長距離走は大変だったね。何が嬉しくてあんなに走るんだろうね。僕はマラソン選手の気持ちが分からないなぁ」

「達成感、名声、お金、ランナーズ・ハイ。他にある?」

 再び沈黙。学は一刻も早く逃げ出したかったが、菊が読んでいる記事にちらりと目を走らせてみた。「横綱に土。北稲妻関(きたいなづまぜき)に大金星」という見出しが踊っている。大相撲の記事だ。女子高生が読むにはちょっと似合わない。いや、菊ならむしろ似合っていると言えるかもしれない。

 菊はため息をついて、顔を上げた。

「人生って辛いものね。こんなに努力しても、ぽっと出のぼっちゃん横綱を倒したくらいで騒がれるなんてね。不公平過ぎるわ。当然の結果なのに」

「その、北稲妻関のファンなんですか」学は相撲の知識がないので、北稲妻関が誰か知らない。

「そうよ。得意技は、突き押しで右四つで組んでも巧みに相撲を取るわ。土俵際の粘り腰も魅力的。もし、この学校に相撲部があれば、私は必ずそのマネージャーでもやってたはずよ。でも、私はあなたと相撲の話をする為にここに呼んだんじゃない」

「と、いうとまさか僕に興味が……」

 菊はうんざりしたように目を閉じた。

「図書室に入ってきた途端、目が泳ぐ男子になんて興味はないわ」

「はあ」そういう意味では相撲の記事を読む女子に学も興味はない。

 菊は、本当のアホを見る目つきで木葉学を見た。

「あなた……思った以上に何も考えてないのね」

「なんだよ、いきなり。これでもちゃんと真剣に考えることもあるよ」

「今晩の夕食のこととか?」

「はははは」

(サトリだ。絶対にサトリの妖怪に違いない)

「あなたにとって、非常に大事なことを言いに来たのよ」

 菊は急に声を落とした。真剣な表情で、学の目を見つめる。

「あなたのその『発見』を絶対に他人に見せてはいけない」

「はい?」

 学はドキリとした。発見とは、昨日の空中浮遊(正確には空中階段を歩いた)のことを言っているのだろうか。しかし、誰にも見られていなかったはずだ。

「今はなりそこない(・・・・・・)だから、まだ大丈夫なはずだけど成って(・・・)しまうと、最終的にはまずいことになるわ、多分。あなたは認められない」

「まずいことって……」

 突然のことで、意味がさっぱり分からない。ただ、菊の目は真剣だった。

「警告はしたからね。じゃあ」

 菊はそう言うと新聞を畳んで席を立った。それ以上、質問を受け付けないことが態度に出ている。だが、非常に分かりにくいが、どうやら学のことを心配してくれているようだ。

 歩き去ろうとする菊に、学は何げなく声を掛けた。

「明日も北稲妻関が勝つといいですね」

 菊は足を止めると、振り返って無表情に「ありがとう」と言って図書室を出た。


 翌日も朝から暑い一日だった。北倉高校の最寄り駅までは、電車で三駅だ。学は友達の田辺明(たなべあきら)と一緒に登校していた。明は中学時代からの友達で、陸上部で活躍していた。気さくな話好きで、どちらかというと聞き手の学と気が合った。しかし寝坊癖があり、今日も朝練をすっぽかしたようだ。混んだ車内でぼそぼそ話し合う。

「十億の宝くじが当たったら、家の前に電車の木葉駅を作ろう」

「十億あっても自宅に駅が作れるわけないだろ。そんなに面倒ならその金でタクシーでも使えよ」

「いちいち呼ぶのも面倒だ。じゃあ、いっそのことタクシー会社を作ってだな」

「自分で乗ると。お前は本当に馬鹿だとつくづく思うよ」

 そんな話をしていると、ようやく最寄りの北倉西駅に着いた。北倉高校はそこから歩いて十分程度の丘の上にあり、三棟の校舎がヨの字型につながっていた。校舎の横に体育館と柔道場があり、その横のグラウンドは広い。

 学と明は同じクラスなので、二人が一緒に教室に入ると、だらけた雰囲気が漂っていた。もっとも、期末テストも終わってこの暑さでしゃっきりする方が難しい。もうすぐやってくる夏休みだけが救いだ。

 学は今日も淡々と授業を受けた。ほとんどは右から左に通り抜けている気がする。

(しかし、昨日の真聖菊の話は何だったんだろうなぁ)

 実は、あの後、部屋の中で何度か空中に浮けないか飛び上がって実験してみたが、一階にいた母親にカレーの上に埃が落ちてくると、怒られただけだった。

(考えても仕方ないか)

 今日の最後の授業は、選択科目の柔道だった。実は中学時代、学は柔道部だったのだが、さっぱり強くならない上に、嫌な先輩と揉めて途中で辞めていた。そういう理由があるので、本当は柔道などやりたくなかったが、家庭科をやるよりはマシだと思ったのだ。

 しかし、夏の柔道も最悪だ。暑い、痛い、臭い。よく見ると柔道着にカビも生えている。こんな状況で男ばかりで取っ組み合いをするのだから、どうかしていると学は思った。

 基礎練習が終わると、藤枝という老齢の教師は、厳めしく宣言した。

「では、一学期の授業も今回で終わりなので、今日は試合形式の乱取り稽古を行う」

 要するに模擬試合だ。

(面倒だなぁ。相手は誰だ)

 試合形式を模して、一度に三組ずつ乱取り稽古が行われた。学は四番目に呼ばれたが、対戦相手を見てさらにウンザリした。

 隣のクラスの幡田太平(はんだたいへい)だ。百八十二センチの長身の体、面長で角ばった顔で、人を小ばかにしたような目つきをしている。髪の毛はストレートで鼻も高く、カッコいいと言えないこともないが、性格が最悪だった。中小企業の息子だか何だか知らないが、やたらと上から目線で話しかけてくる無神経な男だ。

「木葉君、お互い最善を尽くして全力で戦おうじゃないか」

(何が最善を尽くしてだ)明らかに学を馬鹿にした顔だ。学は腹が立ったが、やるしかない。

「始め!」

 二人はお互い礼をして、組み合った。身長差が十センチ近くあるが、思った以上に幡田の力は弱い。結果、もみ合っているだけだ。

「何をしている。二人とも技を掛けんか」

「遠慮はいらないよ、木葉君!」

 明らかにバテている幡田が言った。大外刈りをかけてこようとするが、モーションが遅くて交わしやすい。こいつは口ばかりだと思ったが、学も相当疲れていた。しかし、彼には中学時代に会得した必殺技があった。

(食らえ!)

 学は幡田の懐に潜り込むと、小内刈りのように内側から相手の右足に自分の右足を掛け、柔道着の膝の部分を右手で掴んで思い切り体当たりをした。小内巻込(こうちまきこみ)という技で、学が唯一まともに使える技だ。別名、捨て身小内。

 油断していた幡田は、その技に成す術もなく派手に転んだ。

「一本! それまで」

 学は息を切らせて、幡田から離れた。幡田は無理に笑顔を作っている。小内巻込は最近の国際試合では反則技だが、年寄りの先生は一本と見なしてくれた。身長差を考慮してくれたのかも知れない。

「中々やるじゃないか。見直したよ木葉君。でも、次はこうはいかないからな。しっかり、鍛えておけよ」

(それはお前の方だろ!)

 学は声に出さずに罵った。全く、ウザい奴だ。まあ、それでも負けるよりは勝つ方がいい。


 すべての授業が終わると、吹奏楽の練習が待っていた。コンクールが近いので、頑張って練習しないといけない。目指せ金賞といきたいが、昨年は最下位の銅賞止まりだ。学は密かに罪悪感を覚えていた。低音部が下手だと、全体に大きな影響があるのだ。

 灼熱の音楽室に入ると既に何名かが練習していたが、パート練習が先なので、学は重いチューバを抱えて、一階の端にある教室に向かった。

 低音パートは学と大木聡志のチューバ二名、ユーフォニアムの吉田と峰藤という二年生の女子二名、コントラバスの菊一名の計五名の小規模構成だ。部屋に入ると、既に他の四人は揃っていた。もちろん、真聖菊もいるが、特に声を掛けてくる感じもない。ユーフォニアムの女子二人はちょっと太目で、見た目がよく似た地味な二年生達だ。

「おい、遅いぞ。俺たちは個別コンクールにも出るんだからな。他のパートより頑張らないと」

 チューバの大木が生真面目に言った。個別コンクールと言うのは、全体のコンクール後に行われる小編成でのコンクールで、あろうことか今年はパートリーダー菊の有無を言わせぬ提案で、これにも参加するハメになっていた。

「じゃあ、全体合奏曲の練習はこれまでにして、一度合わせるよ」

 菊が選んだ曲は「ミスター・ベースマン」という曲のバントアレンジ版だった。スコットランド人のシンガーソングライター、ジョニー・シンバルの名曲らしい。中々軽快でいい曲だが、学には難しい。

「木葉君、そこズレた!」

 菊の厳しい指摘。学は昨日の事も忘れ、必死に練習した。最後には、ようやく曲に聴こえるか、聴こえないか程度には音は揃った。パート練習が終わると、再び暑すぎる合奏練習。学は柔道の事もあり、クタクタだった。女子部員からは汗臭いと言われるし、全体合奏では何度もとちるし、学は本当に疲れる一日だと思った。

「では、今日はこれまでです。みんな、もっと音を合わせることを意識するように。それにチューバは音程が不安定過ぎます。特に木葉君」

 顧問の谷戸先生は白髪の初老の先生で普段は優しいが、やはり練習になると厳しい。名指しで反省を促された学はチューバをデカいケースに収め、しょんぼりと音楽室を出ようとした。

「木葉君」

 呼ばれて振り返ると、真聖菊が妹の萌夏と一緒に立っていた。

「今日は充分に気を付けるのよ」

「えっ」

「それだけ。帰るわよ、萌夏」

「待ってよ、お姉ちゃん。じゃあ、木葉先輩、元気出してください! また月曜日に。失礼します!」

 学はそんな二人をぼんやりと眺めていた。

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