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フェイクソウル ~Relight Ver.  作者: 木浦 耕助
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17 世界はプリンでできている

 コンクールを控えた合宿は国立郷田(ごうだ)青少年自然の家で行われた。これも山の上にある施設で、学は「山」はもうこりごりだったが仕方ない。大型バスで約二時間半。自然の家というより、完全に自然の中に埋もれた家だ。この隔離施設で三日間、みっちり練習をさせられる。

 重い楽器をトラックから下ろすのは男子部員の仕事だ。それだけで汗が噴き出てきた。蝉も煩い。しかし、部員たちはさすがに「合宿」に浮かれていて、主にパートごとでそれぞれ楽しく盛り上がっている。

「自然の家」と言っても実際は巨大な宿泊施設で、大きなメインホールやレストラン、男女別の大浴場に五つの棟に分かれた多くの寝室がある。他の学校も利用しているようで、見慣れない制服の生徒ともすれ違う。

 とりあえず、楽器をメインホールに運んで解散となった。練習は午後からだ。


「学君、怪我はもういいの?」

 琉歌と菊が近寄ってきて、琉歌がそう心配してくれた。

「ひどい打ち身だったけど、大丈夫だよ。擦り傷は治ったし。演奏には支障ないと思う」

「良かったわ。ただでさえ下手なのに、これ以上マイナス要因を増やしたくない」

 さすがに菊は厳しい。ただ、その目は前ほど冷たくない。

「とりあえず、今はコンクールに集中よ。金賞とは言わないけど、銀賞は絶対獲る」

「わかった、頑張るよ」

 そうして始まった合宿は、朝練、朝食、練習、昼食、練習、小休憩、練習、食事・入浴、就寝という完璧に隙の無いスケジュールだった。風呂は案外狭いし、飯はまずい。おまけに部屋は三段ベッドが二つ置かれた部屋で、男性部員は全員そこに詰め込まれた。ここに幡田がいないのだけが救いだった。

 それでも初日はそれぞれ楽しんでいたが、二日目の夜になると、さすがに早く帰りたいと思う部員がほとんどだった。菊だけは、相変わらず終始はりきっている。

 その夜、疲れ切った学は、就寝後しばらく経ってからトイレに向かった。暑さに負けて、夕食に茶を飲み過ぎたのだ。彼は用を済ませて出てくると、ちょっと外の空気を吸いたくなった。確か、宿泊棟の隣に小さなテラスがあったはずだった。

(これで吹奏楽部の合宿も最後か……)

 柄にもなくそんなことを考えて、学はテラスに出た。満天の星空。そして、大量のやぶ蚊が出た。

「蚊、蚊がいる。虫よけスプレーなんて持ってないぞ」

 現実はこんなものだ。

「さっさと寝よう」

 その時、クスクス笑う声が聞こえた。

「木葉君っていっつも何か抜けてるね」

 えんじ色のジャージ姿の須理戸琉歌が現れた。

「どうだ!」

 琉歌はそう言って、虫よけスプレーと電池式の虫よけ機を両手で差し出した。

「ちょっとお話しない?」

 ちょっとじゃなくても全然かまわないと学は思った。

「こないだはごめんね。危ない目にあわせて。電車の時だってそう」

 不意に琉歌が真剣な声で言った。学は軽く笑う。

「別に須理戸さんのせいじゃないよ。それにみんな何ともないし、結果オーライ」

「木葉君は楽天家ね。うらやましいな」

 琉歌は少し俯いた。

「ねえ、コンクール大丈夫かな?」

「たぶん、大丈夫とは言えないけど、やるだけのことはやったよ。少なくとも、去年の二倍は練習したね」

「フフフ、菊ちゃん怖いから。でもやっぱり私は不安なの」

「ソロパートがあるし?」

「それもあるけど……みんなでまとまれるかな?」

「まとまるように努力はしてるよ。後は時の運かな」

「そう、そうね……それに……」

 琉歌は却って落ち込んだようだ。

「私たちの力ってなんだろうね」

「えっ」

「明らかに普通じゃないよ。ひょっとして私たち、マトモじゃないのかも」

 琉歌は暗がりの中で学をじっと見つめていた。

「私たちって本当はなんだろうね」

 学は真剣に考えてみた。確かにここ数週間は色々おかしいことが多い。まるで、アニメかゲームの世界に迷い込んだようだ。では、自分たちは何者か。そんなことは考えたこともなかった。「人間は考える(あし)」と最近先生に聞いた気がする。確か、人間は自然の中で最も弱い存在だが、考えることができるのは素晴らしいだという意味だったはずだ。学は考えた。そして、簡単に答えた。

「プリン」

「えっ」

「少なくとも僕はプリンで出来ている」

 それは学の大好物だった。

「つまり、僕たちは『好きなこと』で出来ているんだ。大好物や音楽や旅行や家族や友達、そんなもので出来てる。僕はそう思うよ。そして、少なくとも僕の世界はプリンでできている!」

 本当はそれに琉歌の名前を付け足したかったが、そこまでの勇気はなかった。

 琉歌ははじめ不思議そうに学を見つめていたが、不意に小さく笑った。

「じゃあ、私もプリンでできてるかも。大好きだから」

 そう言うと、琉歌は明るく笑った。なぜか少し泣いているようにも見えた。

「学君、コンクール、頑張ろうね!」

 そう言って、琉歌はテラスを出て行った。学はしばらくその余韻を噛み締めていたが、首筋を蚊に刺されたので、さっさと部屋に戻った。

 翌日の合宿最終日も、無事終わった。


 全体コンクールは、県立ホールで行われた。当日はあいにくの雨だったが、県内の高校から、多数の生徒が集結してくる一大イベントだ。学の両親も聴きに来た。慌ただしい楽器の搬入から、短い予行練習、チューニング、そして本番。全員が緊張しきっていた。

 北倉高校の出番は四番目だった。出番は直ぐにやってきた。

 課題曲の「吹奏楽のための春のマーチ」はまずまずの出来だった。音程は安定していないところもあったが、テンポも狂ってないし、ソロ部分もうまくいった。

 だが、自由選択曲の「ブランデンブルク協奏曲・第三番」が最悪だった。驚いたことに、学は失敗しなかった。聡志の方が下手だったくらいだ。これは菊の特訓のおかげと言えよう。ところが、トロンボーンが曲の途中の入りの一小節を間違え、それがきっかけになって、全体のテンポが滅茶苦茶になった。一度広がった混乱は容易には回復しない。一度パニックになった状態を回復させる力はこの部活にはない。結局、最後まで、ちぐはぐな演奏が続いた。

 会場からはまばらな拍手。トロンボーンのパートリーダーの吉住という女子が泣いている。

 結果は「銅賞」。つまり去年と同じ最下位ということだ。

 雨の中、重い気分で学は楽器をトラックに積み込んでいた。

「あなたはちゃんとやった。それは認める。それに私たちにはまだチャンスがある」

 菊が雨に濡れながら大きなコントラバスを持ってきた。

「分かってるよ。ぜったいやる」

「あなた、琉歌に何か言った?」

「えっ」

「あの子、ずいぶん明るくなったわ」

 しかし、帰りのバスの中は、葬儀場へ向かうような雰囲気だった。


 二日後、同じホールで、小編成のコンクールが行われた。前ほどではないが、結構、多くの生徒が集まってきている。琉歌も含め、吹奏楽部のメンバーも応援に来てくれている。

 案内された練習室で、菊は言った。

「勝負は一回限り。失敗は許されない。準備はOK?」

 学も含め、五人はしっかりと頷いた。努力は報われる、そう信じたい。

「あくまで目標は金賞。私たちにはその実力が、今は、ある」

 皆で「オーッ!」といえば盛り上がるが、菊の気迫に押されて全員黙り込んだ。しかし、学は本当によく練習したと思った。

「行くわよ!」

 そうして、学たちの出番が来て「ミスター・ベースマン」の演奏が始まった。

 出だしの菊のソロは完璧に決まった。軽快に回り始めるリズム。全員の息も揃っている。音程も外さない。途中に挟まる学のソロ、完璧とは言えないが難しい所を乗り越えた。少し曲のテンポが上がって、ユーフォニアムパートが微妙にずれる。しかし、二人は執念で正しいテンポを取り戻す。軽快な音楽が響く。

 彼らには見えなかったが、観客席の子供達が楽しそうにリズムに合わせて首を振っている。

 曲の最後、全員で音を合わせた。きちんと揃う。そして、拍手。学は心底ホッとした。珍しく菊も安堵の表情を浮かべている。

「終わったね」

 学がそう言うと、菊は珍しくニコリと笑った。

「終わった」


 準備室に戻ると、吹奏楽部員が何名か花束を持ってきてくれていた。学は琉歌から小さな花束をもらった。

「すごく良かったよ! 学君もみんなも最高!」

「それは真聖さんのおかげだよ」

 隣の聡志が真面目に答える。

「いいえ、これは全員の力よ。私たちはちゃんとやった」 

 ユーフォニアムの二人は思わず泣いている。

 そして結果は「銀賞」。つまり、それでも何かが足りなかったということだ。

 バスは大きいので帰りはみんな一緒に帰ることになった。学を真ん中に菊と琉歌が一番後ろの席に座った。その隣は聡志で、さっそく居眠りしている。相当、疲れたのだろう。

「感想は?」

 学は菊に聞いてみた。

「悔しい。でも、今回はやるだけやったから、次につなげられる。私は練習を続ける」

「私が聞いても、惜しい所までいったと思うよ。はい、学君」

 琉歌はそう言うと、手に持った保冷ボックスから、手製のプリンを取り出した。

「特別のご褒美です」

「あ、ありがとう」

 学は照れ臭かったが、この時ほど、生きていて良かったと思ったことはなかった。少しずつ近づくこの距離感。万里の長城もローマに通じるというではないか。いや、何か違う気がする。

 菊はそんな二人のやり取りを、ほんの少しだけ、羨ましそうに見ていた。

 とにかくこうして「北倉高校吹奏楽部」の夏は終わった。

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