16 無謀あるいは学習
学と六防は人けのない山頂の広場で、向かい合って一歩も動かなかった。二人の間の距離は約八メートル。
六防はエアガンに見える鉄製の銃を構えて、口元に歪んだ笑みを浮かべている。
「どちらが君のガールフレンドだい? 胸の大きい子、小さい子? 私としては胸の小さい子の方が好みでね。好きなアイドルグループのセンターにそっくりなんだよ。どんな体をしてるかなぁ」
「このド変態!」
学は思わず罵った。
「君だって健康な高校生なんだから分かるだろ。男なら女の子の裸を見たいと思うのは当然じゃないか」
「気絶した女の子をガムテープで縛って、服を脱がせる趣味なんてない」
「趣味かぁ。まあ、そういうことなら、これは私の趣味かも知れないね。リーダーが獲物は自由にしていいといったから問題はないよ」
学の膝はガクガク震えていた。あの銃で撃たれたら一発だろう。胸か、頭か。上枝か幡田が助けに来てくれないかと思ったが、仮に来たとしても間に合わない。それに幡田は絶対に来ないという自信がある。
「おやおや、震えてるじゃないか。君も怖いのかい? ククク」
「うるさい!」
「実を言うと、僕は男には全く興味がないんだ。でもあんまり簡単で退屈だから、ちょっとゲームをしようよ。君は空を飛べるそうじゃないか。では、そこの崖から飛んで逃げてみてよ。僕の正確な射程距離はだいたい二百メートルだから、それ以上逃げられれば助かるよ。十秒待ってやる。君がやっつけた楽人君がいたら肉眼で見える範囲ならどこでも安全じゃないけどね」
学の体はブルブル震えた。握りしめた手のひらが真っ白になっている。
(殺される)
そう思うと、頭の芯が痺れる恐怖を感じた。先ほどの火の玉を飛ばしてくる男女の比ではない。
いろんな思いが学の頭の中でルーレットのように回る。そして、琉歌と菊のところでピタリと止まる。学は決断した。
「どうだい、ゲームをやるかい?」
「やる」
「そうかい、そりゃよかった。退屈しのぎになるよ」
学は崖まで、約三メートルをゆっくり歩いた。
「それじゃあ、この腕時計で計るからね。僕がスタートと言ったら始めるんだよ」
学は考えた。果たして、できるだろうか。
「スタート!」
学はいきなり振り返ると、六防を目指して猛然とダッシュした。予想していたのか、六防は必殺のエアガンを発射する。しかし、学は空中に向かって走っていたのだ。狙いは危なく逸れる。そして、ちょうど六防の手前で力が切れて、六防の目の前に着地した。
「この変態!」
学は六防の顔を殴ったつもりだったが、喧嘩慣れしていないこともあり、六防の眼鏡が吹っ飛んだだけだった。逆に学が突き飛ばされる。
「この小僧!」
六防は陰湿な眼で、学を見た。
「馬鹿な奴だな。僕は老眼でね。この状態で逃げても確実に打ち抜いてやる」
「そのつもりはない!」
学は素早く起き上がると、六防に突進した。老眼ならむしろ近距離の方が武器を無効化できる。
「なめるな小僧」
六防の鋭いパンチが学の顔面に炸裂した。
「こう見えても、私は昔ボクサーでね」
それでも大した力が入っておらず、かなり「昔」ボクサーだったようだ。それでも学は、唇が切れて頭がクラクラした。
「うぉぉぉ!」
学は夢中だった。六防に組み付くと、崖の方に押し出していく。六防は銃で学を撃とうとするが、思った以上に狙いが定まらない。パスパス音がするが痛みがやってこない。やはり相当の老眼のようだ。
「くそっ!」
六防は諦めて、鉄の銃のグリップを学に振り下ろした。狙いはそれて背中に当たった。
「いてぇっくしょう!」
「そうか、君の体に押し当てればいいんだ!」
六防はそれに気が付いて、銃口を学の脇腹に押し付けた。
「さあ、死ね!」
六防はわざわざそう言ったが、学も最後の機会を伺っていたのだ。学は体を沈めると、六防の右足に自分の右足を掛け、セーターの腕を掴んで崖に突進した。必殺の捨て身小内だ。
二人は同時に崖の下に落ちた。学は六防を放して、必死に浮こうとした、一歩、二歩、それでもあと少し足りない。その時、学は手を掴まれて引き上げられた。六防はうめきながら落ちていく。
学はしばらく息を切らせてうずくまっていたが、何とか顔を上げてお礼を言おうとした。
「ありがとうございます」
「いやいや、感謝する必要はないよ。彼は僕の部下だからね」
宇月武が、笑いながら立っていた。学は一瞬意味が飲み込めなかった。
「ついでに言うと、さっきの爆破魔の二人も、香沙禰や兄木も全部、僕の部下なんだ。だから、なりそこないの君がここまでやるとは思わなかった。ゲームでいえば、低レベル縛りでクリアした様なものだ。たいしたものだよ」
宇月は実際に小さく拍手した。学はジワジワと怒りがこみ上げてくるのを感じた。同時に圧倒的な威圧感も感じる。
「僕とも、やるのか」
「おやおや、意外に攻撃的だね。やるというか始末されるだけど。まあ、それも考えたけど、今日はやめておくよ。僕は平和主義でね」
(これだけやって何が平和主義だ)学は口に出せなかった。
「君が宇月武か。なかなかやってくれたな」
宇月と学が見ると、草まみれの上枝秋人が立っていた。
「君が上枝だね。いやあ、想像と全然違うよ。こんな美丈夫だなんて」
「学君、本当にすまない。僕がいながらこんなことになって」
秋人は宇月を睨み付ける。
「それで、どうするつもりなんだ、お前たちは」
「数は減らさないといけない。残念ながら、今は減ってないからね。ただ、僕は平和的にこの問題を解決したい」
「これが平和的か?」
「まあまあ。確かめるのに時間がかかったんだよ。実はもう僕たちは管理官を恐れる必要がない。つまりルールは無効になった」
「……」
「そんなわけで、改めて和平交渉がしたい。君とこの木葉学、真聖菊、幡田太平、須理戸琉歌だけでいい。そうだなぁ、場所はあの地下室でどうだい。他の干渉がないよ。君は場所は分かるし、方法も分かるよね」
「……信用すると思うか?」
「僕は約束は守るよ、信じてくれるならね。そうだ学君、君は吹奏楽部だったね。コンクールはいつだい?」
いきなり聞かれたので学はうろたえた。確か全体コンクールがお盆前の八月十日、小編成コンクールがその二日後だったはずだ。
「八月十日と十二日」
「ありがとう。僕は君たちの『青春』を邪魔したくないから、集まるのはその三日後の十五日の正午にしよう。ちょうど終戦記念日だよ」
「……」
「正直言うと、君がやっつけた三人も『回収』しないといけないしね。こちらにも時間が必要なんだよ。それでいいかい、秋人君」
「……分かった。十五日の正午だな」
「では、そういうことで。ところで、君の方の収穫はあったかい」
「それを話してどうする?」
「まあ、いいよ。じゃあ、待ってるからね、よろしく」
そう言って宇月は器用に崖を降りて行った。二人はその姿が消えるまで油断なく見送った。
「学君、大丈夫かい?」
「背中を少し痛めましたが、大丈夫です。それより、あの二人を」
学と秋人は、菊と琉歌の戒めを問いてやった。菊は途中で気が付いていたようだが、琉歌もすぐに目を覚ました。服の乱れは秋人がさりげなく直した。
「……リフトから降りたら突然気絶させられた。下の二人にも気が付いたけど、知らせる隙もなかった。木葉君はよくやったと思う。それに、迷惑かけてごめん」
菊はそう言って、学に頭を下げた。
「運が良かっただけだよ。本来なら、僕がやっつけられる相手じゃない」
「運も含めて実力と言うのよ」
菊は無表情に学を褒めた。琉歌は事情を聞かされると、しっかりと学の両手を握ってくれた。
「私たちのせいで危ない目にあわせて……ごめんね。助けてくれてありがとう」
もう少しで抱き合う雰囲気だったが、それはなかった。でも、今回の報酬としては充分だ。
「でも、あいつは何を考えているんでしょう」
「さあ、僕にも分からないね。でも、十五日までは安全そうだ。君たちはコンクールに集中するといいよ」
「そうします」
「いやあ、本当にひどい目に遭った。俺のスマホ、高かったのに……」
そう言って幡田がゆっくりとゲレンデを登ってきた。
「みんなを見捨ててあっさり逃げたな」
「落ちたんだよ! いや、本当に助けに行くつもりだったんだ」
学、菊、琉歌の幡田を見る目はこれ以上ないくらい冷たかった。
「じゃあ、リフトも動きそうにないし、ゆっくりゲレンデを下りようか。それに僕は僕なりに分かったことがある。また、祝に会いに行って相談してちゃんと話すよ」
秋人はそう言って遠くを見た。どこからか救急車のサイレンの音が聞こえた気がした。
評価をして頂いた方、どうもありがとうございました。23話まで書きあがっていますので、続きも読んで頂ければ幸いです。