13 二度と乗りたくない
翌朝、七時には全員起こされた。何でも上枝家までは車で一時間ほどかかるので、練習が始まる昼の一時に戻ってくるには八時には出発しないといけないということだった。
ちなみに、学、琉歌、幡田は別々の部屋が与えられたが、これまで家で寝ていた布団がただの「マット」だと思える柔らかなシロモノだった。唯一の欠点は、隣の部屋から聞こえてくる幡田のイビキで、ゴリラか地底怪獣のようで、どんなことがあっても絶対同室で寝ないと、学は心に誓った。
前日着ていた制服は、完璧に洗濯・乾燥・アイロンがけがされていた。学のシャツは、元の状態より良くなったといっても過言ではない。
「もうすぐ、津弓姉が来ると思うから。でも、覚悟しといてね」
「なにが?」
菊は答えなかった。夏服の制服姿の四人が門の外に出て待っていると、すごい車が来た。
真っ黒な巨大なセダンで、ガラスまで濃いスモークガラスだ。車高も低く、明らかに改造されている。排気量は三リッターは下るまい。
「おはよ、みんな。さあ、楽しいドライブに行くわよ! 乗って乗って」
真っ黒なサイドウインドが下りると、真聖津弓が大きな口をあけて笑っていた。胸の大きく開いたピンク色のミニ・ドレスにアップライトに結い上げた薄い栗色の派手な髪型、それは片方だけ胸のあたりまでクルクル巻いて垂れている。
助手席にはなぜか学、後部座席には幡田、菊、琉歌の順番で乗り込んだ。さすがに高級車だけあってワゴンタイプ程ではないが中は広い。薔薇のようなキツイ芳香剤の臭いが漂っている。
学は密かに恐れた。車には酔いやすいのだ。芳香剤もヤバい。
「あなたが木葉学君、後ろのデカい子が幡田太平君、そしてその可愛いのが須理戸琉歌ちゃんね。菊、あってる?」
「珍しく全部合ってる」
「あんた、一言余計なのよ」
そう言うと、セダンはフルスロットルで急発進した。
上枝秋人の家は田舎にあるらしく、高速を通ってから山道を登るルートで行くらしい。
しかし、学はその日、ジェットコースターより恐ろしい乗り物があることを思い知った。
津弓の運転は決して下手ではない。むしろ上手すぎる位だ。そのため、異常に鋭い運転を行う。超高速走行、極端に狭い車間距離、急な車線変更、急加速……その能力を存分に発揮できて車の方は満足だろうが、生きた心地がしない。特に、津弓は「追い越し」に命を懸けているようだ。
「どう、楽しいでしょ、ドライブは?」
「あの、これはドライブではなくレースなのでは?」
学は控えめに抗議してみたが、津弓は上機嫌で笑った。
「はははは、そうかもねぇ。私の前世は、セナかラッツェンバーガーかもね!」
通称「血のバイパス」と呼ばれる高速道路の連続コーナーを疾走する大型セダン。菊は慣れているのか平気そうだが、琉歌は目をつむって菊につかまっている。幡田はほぼ硬直したままだ。
そして、高速を降りてからの山道も最悪だった。速度は落ちたが、急なハンドリングで、車内は揺れまくる。心配した通り、学はひどい車酔いになった。
途中で停車してもらうと、学は車から飛び出して、道の端にしゃがみこんだ。
「だらしないな、学君。そんなことでは、うぷっ」
幡田もその横で同様の状態だ。
「まったく、最近のオトコはだらしないねぇ」
「姉さんの運転に耐えられるのは私と萌夏だけよ」
「そうかなぁ。琉歌ちゃんも怖かった?」
「は、はい、とても……」
「仕方ない。安全運転に切り替えるか」
「最初からそうしてよ」
その後の運転も安全運転とは言えなかったが、普通の危険運転くらいにはなったので、学は車酔いを繰り返すことはなかった。
そして、予定より十五分も早く上枝家に着いた。小さな田舎の村の奥まった所に建っていた。
上枝家は真聖家ほどではないが、なかなか立派な日本建築の屋敷で、大きな駐車場に高級車が一台だけ停まっていた。門をくぐると、一人の老婆が出てきた。
「いらっしゃいな、菊ちゃん、津弓ちゃん。秋人は奥の部屋だよ」
そのしわくちゃの小柄な老婆は、上枝トラと言って、秋人と二人暮らしをしているらしい。
「ありがとうおばあちゃん。元気そうで何よりよ」
「まだ、あっちの方からお誘いがないのかい?」
「わしを誰だと思っとる津弓。お前達より長生きしてやるさ」
「おーこわ」
そうして、四人は薄暗い家の中に通された。菊の話では、上枝トラも若い頃は相当「やった」らしい。今は引退したそうだが。
「さて、何から話そうか」
上枝秋人は大学の講師だと聞いていたので、てっきり学者風のひょろりとした姿を想像していたのだが、学の想像を裏切って長身の美男子だった。
自称百八十二センチの幡田太平よりもさらに少し背が高い。しかし、顔はほっそりとしていて、目じりの下がった優しい目をしている。柔らかそうな髪の毛はひどいくせ毛で、セットはしているのだろうが、ぼさぼさ一歩手前というところだ。それでも優しい雰囲気に良く似合っている。声は低く、柔らかい。
「久しぶりだね、菊ちゃん、津弓ちゃん」
「津弓ちゃんはやめてよ、秋人。でも、あんたもいい男になったじゃん」
「それはそれはありがとう」
菊はなぜか俯いて、話そうとしない。津弓が代わって、菊の友人たちを紹介した。
「じゃあ僕もまずは自己紹介かな。僕は相奈大学、考古学科の非常勤の講師をやってるんだけど、とてもそんな給料じゃ食えないので、オカルト系のライターのバイトもしてる」
「オカルト系のライターってどういう仕事ですか」
幡田が聞くと、秋人はゆったりと笑った。
「そうだな。例えば、古典的なネタだけど、ファフロッキーズという現象を知っているかい?」
「なんか、聞いたことがある気がします」
幡田は絶対知らないなと、学は思った。
「いわゆる空から魚やオタマジャクシが降ってくる怪現象なんだけどね。こういった現象の謎を解説したりしている。これに関しては、竜巻説やワームホール説なんかもあるけど、結局、鳥の仕業っぽいね。僕は無理やり脚色して地縛霊に結びつけたけど。他には色々あるけど、とにかくそれ系のテキストを書いて、雑誌やサイトに投稿する仕事だ。本業はやっぱり考古学だけどね。まあ、これについてはあまり面白い話はないので、今は省略するけど、大体奈良時代をやってるよ」
「面白そうなお仕事ですね!」
琉歌が言うと、秋人は愉快そうに笑った。
「どちらも趣味と実益を兼ねた仕事だけど、たいして儲からないね。それは確実だ。では、前置きはこれくらいにして、本題と行こうか。大体の話は祝からのメールで知ってるけど、もう一度説明してくれるかい」
「ほら、菊、あんたが言うのよ」
「わ、分かってる」
菊にいつもの切れが感じられない。
「まずは、虚士が十三人に増えた問題にどう対処するか、そして、急に虚士が最近増えた原因は何か、そして、琉歌が甦ったのはなぜか」
菊はそれだけ言うとまた俯いた。秋人は目をつむって考えていたが、ゆっくりと答えた。
「虚士が増えた原因とその須理戸琉歌さんが甦った原因は、僕にもはっきりとは分からない。虚士が十三人と言うことは、何らかのアクションが一か月以内に起こると思うけど、これに関してはある人物と話し合ってみないといけないと思っている。そして、僕の仮説が正しければ――これは祝の仮説でもあるけど――原因は多分、この世界の成り立ちにあるんじゃないかと思う」
「ある人物?」
学が聞くと、秋人は真剣な目で答えた。
「僕は宇月武と会おうと思う」
「それはけっこう危ないよぉ」
津弓が言うと、秋人は笑った。
「僕の力は知ってるだろ。まあ、大丈夫さ。それと、もう一つの課題についてはある場所に行ってみないといけない」
そして、秋人は学の顔を正面から見ると、こんなことを言った。
「君は夏のスキー場は好きかい?」
結局、それ以上の話はなく、吹奏楽部の練習との兼ね合いで、今週末の日曜日、秋人の言う「大肥田バレースキー場」に、秋人、学、菊、琉歌、幡田が行くことになった。電車で一時間半ほどの場所なので、それほど遠くはない。夏はキャンプ場やハイキング場として営業しているらしい。
「では、また日曜日に」
「バイバイ、ばあちゃん、秋人!」
津弓は元気よく言って、車を発進させた。また、恐怖的ドライブが始まるかと思うと学は正直、歩いてでも帰りたかった。
ただ、帰りは渋滞があって、それほどスピードが出なかったのが救いだ。津弓は不満そうだが。そんな津弓は渋滞で止まると、横に座っている学に耳を寄せた。
「菊、今日は、元気がないように見えたでしょ」
「は、はい」
「実は、秋人が初恋の相手なのよ。秋人は相撲が大好きで、実際、小さい頃はよく二人で相撲を取って遊んだりしてたの。だから、柄にもなく照れてたのよ、あいつ」
「津弓姉!」
菊の鋭い声。振り返ると、菊がものすごい形相で睨み付けていた。
「だって、ほんとのことじゃん」
「それを木葉君に話す必要性があるの? この、無神経!」
「ちょっとしたネタってやつだよ。そんなマジで怒るんじゃないよ」
学は、つくづく似てない姉妹だと思った。振り返ると、幡田も琉歌も同じことを考えているようだった。