12 定員オーバー
それは長い階段だった。学は途中まで数えていたがすぐに諦めた。それよりも、後ろにいる琉歌が学の腕を無意識に握ってくるのが気になる。
下を見ると、幡田がこわごわ階段を降りている。その先には、菊がスタスタ降りていくのが見える。
長い階段を下りきると短い廊下があって、その先に大きな洋風のドアがあった。
「この中よ」
菊は古めかしい鍵束を取り出すと、ドアを開けた。低い音を立てて不気味にきしむ。
「さあ、中へ」
まるでお化け屋敷だ。幡田がビビりまくっているのが、学にはおかしかった。
(この意気地なしめ)
部屋に一歩入ると、空気の質が変わったような気がした。確かにかび臭くて、真夏なのにひんやりとしている。しかし、そう言った具体的な感覚ではない部分で、確かに異様な感じがした。
「死んだ祖父の所持品を保管している蔵よ」
裸電球がいくつか灯っているが、菊は持ってきた懐中電灯を付けた。
「一応注意しておくけど、その辺のものに触らない方がいいわ。何かの呪具が入っているとまずいから」
「ゆ、幽霊は出たりしないよな」
幡田が聞くと、菊は鼻で笑った。
「見える人には見えるかもよ」
幡田は戦々恐々として辺りを見回す。ほとんどが桐の木箱か古箪笥で、大きいものから小さいものまで様々だ。部屋は広くて、一応通路は確保されているが、うずたかく積まれた箱のせいで迷路のようだ。いわれの分からない甲冑や兜、刀も無造作に置かれている。確かに何か「出そう」だ。
「学君も幽霊が怖い?」
学は琉歌に聞かれた。
「幽霊? うーん、見たことないけど、見たら怖いかもね」
「わたしもないけど、やっぱり怖いよ。死んだ人の恨みで出てくるんでしょう」
「まあ、基本的には『うらめしや~』だからね。今なら『マジムカつく』とか言って出てきたりして」
「何それ?」
「くだらない話してないで、さっさと来る」
幽霊よりも菊の方が確実に怖いと学は思った。
そうして、迷路のような地下倉庫を案内されて辿り着いた先は、またしても古いドアだった。今度は鉄の扉で、菊はまた鍵の束を取り出した。
「この鍵は特別で、私たちしか開けられないようになってるらしいわ」
そんな鍵に指紋認証? と、学は不思議に思ったが、賢明にも黙っていた。
「さっさと、中へ」
菊、学、琉歌、幡田の順で、部屋に入った。直径十メートルほどの円形の部屋で、ガランとしていて調度は何もない。壁や床は石づくりで、さらにひんやりしている。そして、一番奥に細長い「何か」があって、その上に裸電球が一つぶら下がっている。
菊はゆっくりその前に進んでいく。他の三人もそれに並ぶ。幡田は怖さからなのか、いつもの無駄口がない。
そこにあるものは横幅三十センチメートル、高さ二メートル程度の細長い木枠の置物のようだった。真ん中にはガラスがはめ込まれていて、その中に目盛りが等間隔で二十五まで刻まれている。一見すると、巨大な温度計だ。だが、二十五度で終わっているのはおかしい。
「これはね、真聖家に伝わる虚士計よ」
菊は言ったが、全く意味不明だ。目盛りはちょうど十二のところで止まっている。
「簡単に言うと、正式な虚士の数をカウントするものよ。つまり、今は十二人の虚士が存在しているってこと」
「それは本当なの菊ちゃん?」
「うん。祖父が亡くなった時、見に行ったら確かに一つ減ってた」
「ははは、は、なかなか便利な機械じゃないか。使い道は分からないが」
幡田が言うと、菊は厳しい声で答えた。
「最後の規則。それは虚士の数には<定員>があるってことよ。それが十二人」
そう言われると、目盛りの十二までは白い文字で彫られているが、それ以上は赤い文字になっている。
「最近までは、八人前後で安定していた。滅多に増えることもないしね。それが急に増えだした」
菊は琉歌の方を振り返る。
「あなたは確実にカウントされている。太平は<なりそこない>みたいなものだからはっきり分からないけどね」
「なんだ、お前も僕と同類じゃないか」
「学君、『お前』は友人に呼びかける言葉じゃないと、何度言ったら分かるんだ。学習能力がないのか」
「あるから言ってる」
「お気楽ね。二人とも」
菊の目は真剣だ。
「その規則には続きがあってね。この十二を超えると、強制的に減らされるのよ」
琉歌が口元を抑えて、目を見開く。
「増えてから三十日間の猶予があるけど、それを過ぎると、管理官がランダムで犠牲者を選んで消しに来る。その間に公式に<決闘>するか<自決>するかを虚士同士で相談することになるのよ。ちゃんと決闘場の場所も決まってるわ」
「それは本当のこと?」
「祖父からはそう聞いた。祖父は絶対に冗談は言わない性格だった」
その時「虚士計」から歯車が回るような鈍い音がして、目盛りが一つ増えるのが見えた。これで定員オーバーだ。
琉歌が小さく悲鳴を上げる。幡田の顔は真っ青だ。
「俺はなりそこないだよな、菊」
「さあね。でも、たぶん、あなたは成ってるわ。無能だけど。さて……」
菊は深い深いため息をついた。
「困ったことになったわね。そもそもペースが速すぎる」
四人の間に沈黙が下りた。<決闘>だの<自決>だの、そんな物騒な話になるとは思っていなかったのだ。
「とにかく戻りましょう。こんな所にいたら風邪を引くわ」
「そ、そうだな。早く出よう」
「とにかく、このことを祝姉様に相談してくる。三人はさっきの部屋で待ってて」
歩き始めた学の腕を、琉歌がまたそっと握ってきた。素晴らしい階段だ、学校にもほしいと、彼は思った。
菊は中々帰ってこなかった。時刻は夜十時を回っている。三人は一応、気持ちが落ち着いてきたので、琉歌はカバンから楽譜を取り出して、楽器なしでトランペットの運指の練習をしている。学は何もすることがないので、スマホをいじったりしていたが、実はさっきの腕の感触を記憶に刻み込もうと必死だった。幡田は壊れたスマホを恨めしそうに眺めながら、腕を組んでいたが、いつの間にか眠っているようだ。
十時半を回ったころ、突然、菊が戻ってきた。
「ごめん、遅くなったわ。実は、祝姉さんが直接話をしたいってことになって」
「こんな遅くまでお待たせして申し訳ありません」
そう言って菊に続いて入ってきたのは、真っ白な洋服に身を包んだ、痩せた女性だった。目の色素が薄いのと青白い顔色で、本当に具合が悪そうに見えた。髪は耳元できれいに切りそろえられているが、特徴的なのは白いつばの付いた丸帽子をかぶっていることだ。何か違和感がある。これが真聖家の長女の真聖祝だった。両親はここには定住しておらず、それぞれの会社の都合で全国を飛び回っているということなので、実質の家督長ということになるだろう。
菊と祝も席に着くと、祝は静かに話し始めた。
「先ほどの件、琉歌さんの不思議な話も含め菊より詳しくお聞きしました。十三人に増えたそうですね」
その声はとても細くて聞きづらい。
「何か、異常なことが起こっているのは間違いありません。少しの例外を除けば、最近は虚士同士が争うことは、ほとんどありませんでしたので」
祝は少し咳き込んでから話を続ける。
「私には一つの考えがあるのですが、この体調ではそれを確かめるすべがありません。そこで明日、上枝秋人という人物を訪ねてください。彼にはメールや書面で大体の考えは伝えてありますので、私の代わりに案内役になってもらいます」
祝はまたひとしきり咳き込む。
「姉さん大丈夫? やっぱり寝てなきゃ」
「大丈夫よこれくらい。菊、吹奏楽の練習は午後からだったわね。上枝君には話は通してあるから、明日の朝、津弓に運転してもらって、みんなと一緒に訪ねて詳しく話してきなさい。ただし、萌夏は省いていいわ」
学はそこで地獄の練習を思い出した。それはやはり確実に続いているのだ。
「上枝秋人は、真聖家の遠縁ですが、古くからの虚士で、この手の話には最適な人物です。小さい頃はよく一緒に遊びに行きましたね、菊」
「うん……」
菊はそこでなぜか、下を向いた。また、祝は激しく咳き込み始めた。思わず、菊と琉歌はその背中をさすった。
「ありがとう。いつものことだから心配しないで」
そして、祝は深く息を吸って、静かに言った。
「心枷さんが言っていました。変なのが混じってしまった、と」
学はその声をはっきり聞いたが、やはり意味は分からなかった。