11 公務員ふたり
男が二人、蛍光灯の明かりの下で、お互いを値踏みしていた。
そこはガランとしただだっ広い空間だった。一辺百メートルほどの正方形の広さで、天井は高く十メートルはあるだろう。部屋の材質は打ちっぱなしのコンクリートで十六本の太い柱以外は何もない。天井には蛍光灯が均等に並んでいて明るさは充分だが、気温の低さもあって、陰気な地下駐車場を思わせた。事実、ここは地下室だった。
「で、俺をここに呼びだしたってことは、やるつもりなんだな?」
一人は五十年配の男で、長身ですらりとしている。地味なスーツを着ているが、その下の発達した筋肉が見て取れる。白髪が混じりかけた頭髪はきっちりとオールバックにセットされていた。そして、険しい眼。それは人を疑うことに慣れた眼だ。
「とんでもないですよ、船村警部。ここに呼んだのは、余計な邪魔が入らないからです。むしろ、和平的な交渉に来たんですよ、僕は」
もう一人は若い男で、ストレートヘアーを綺麗に切りそろえている。アーモンド形のパッチリした釣り目をしているが、着こなしも態度も清潔感があり、爽やかな好青年に見える。左手に白い手袋をしていることだけが奇妙だ。
「俺は警部補だ。知ってて間違えたな」
「あははは、僕がお世辞を言ったと?」
「俺は疑うのが商売だからな」
船村は、じろりと目の前の男を睨んだ。
「和平か、全く信用できないが、それなら名前ぐらい名乗ったらどうだ」
「僕ですが? 僕は宇月武と言います。去年、市役所の年金課に配属された新人公務員です」
船村は鼻を鳴らす。
「フン、ただの新人公務員がどうして俺を知ってる。そしてなぜここに呼んだ」
「それは簡単です」
宇月は明るく続けた。
「あなたは有能で有名だからです。僕たちの仲間に入ってくれませんか? あなのその力が欲しいんです」
船村は黙って、宇月を睨み付ける。
「数々の難事件を解決した名刑事。部下からの信頼も厚い人格者。そして、その必殺の能力で、あの立てこもり事件も解決されました」
「理由なく人を褒めるやつは、たいてい嘘つきだ」
船村は吐き捨てた。
「俺もお前の噂は聞いてる。最近、何人か同類を集めて組織を作ってるんだってな。その集め方も強引だという話だ」
「いえいえ、とんでもない。いつも交渉しているだけですよ、交渉」
「交渉? 脅迫の間違いだろう」
「ははは、信用されてないなぁ」
宇月は、困ったように上を向いたが、不意に派手に手を合わせた。
「そうでした。僕としたことが、大事な報酬の話を忘れてました。船村さんはもちろん幹部待遇ですから、月に二百万円ほどの手当てを出します。それにいつも僕たちと一緒にいる必要もありませんので、普段通り生活していただければ結構です。時々、僕が呼んだ時に来ていただければ充分です」
「ただの公務員が毎月二百万円か。嘘くさい話だな」
「信じてもらえないかもしれないですが、これでもちょっと親の資産がありましてね」
「親の資産がちょっと? ますます気に入らねぇな」
船村は用心深く、一歩下がった。
「ほんと、刑事さんって疑り深いですね。そんなに僕が信用できませんか」
「それは違うな」
船村は厳しい口調で続けた。
「俺はお前が嫌いだ。お前の仲間にはなりたくない。例え、いくら金を積まれてもな」
「はっきり言うなぁ船村さん。でも、お金の話に食いつかない人は珍しいですよ。さすが刑事さんだ」
宇月は困った様子もない。
「そういうことだ、坊や。で、どうする?」
「さっきも言ったでしょ。もちろん、和平です。仲間になれないのなら、せめて不戦協定くらいは結んでいただけないかと。僕のやることに首を突っ込まないで頂けるだけでいいです。もちろん、何らかの理由で敵対した時は、協定を破棄して頂いて結構ですよ」
「……」
「まだ疑ってますね。では、これを見てください」
宇月が右手を前に突き出すと、突然腕の付け根から先が五つの長い鞭のように分かれた。色は茶色く、小さくうねって動いている。気味の悪い触手のようだ。
「これが僕の能力の<五糸>です。片手だけの変化ですが、一本一本自由に動かせます。力はそうですね、それぞれ巻きつけば百キロ以上の荷重をかけられます。どうです、文字通り僕の手の内は見せましたよ」
「不気味な野郎だ」
船村は油断なく、警棒を取り出した。そして、それに軽く口づけした。ほのかに警棒が光る。
「それがあなたの<貫通>ですか。意識して口で触れたものに、一時的に何でも貫通させる力を与えるらしいですね。銃に使えばどんな楯も効かないでしょう。では、試してみてもらっていいですか」
「やけに詳しいな。本当に気味が悪いやつだ。で、俺に何を試せというんだ」
「その<貫通>する警棒で、この腕を切ってみてください。大丈夫、十分ほどで再生するのでご心配なく。僕に痛みもありません」
船村はしばらく黙っていたが、いきなり警棒を振るうと、宇月の<五糸>を根元から切り落とした。落ちた触手はしばらく動いていたが、すぐに動かなくなった。
「本当に変わった野郎だな。お前のような奴は初めてだ」
「じゃあ、僕たちは不戦協定を結ぶということでいいですね、では握手と行きましょう」
宇月は口を使って手袋を外すと、残った左手を差し出した。船村も渋々、薄い光の消えた警棒を納め左手を差し出した。
「お前が何か不審な行動を取ったら、即刻、協定は破るからな。同類としても刑事としても」
「どうぞどうぞ。僕は約束は破ったりしませんよ」
船村は一瞥すると、背を向けた。
「用はそれだけだな」
「そうです。お時間取らせて悪かったです。僕はこの腕が再生したら帰りますので」
船村は入り口のドアを目指して歩き出した。その先には長い階段がある。昔は古い商業ビルの一室につながっていたが、今は開発されてショッピングモールの搬入倉庫につながっている。
「そうそう、船村さん」
ドアノブに手を掛けた船村に、宇月は何げなく声を掛けた。
「左手の握手の意味って知ってます?」
「なんの話だ?」
次の瞬間、左手に口を付けた宇月は、猛スピードで加速して左手を突き出し、船村に体当たりをした。宇月の左手は、船村の心臓を貫通した。
「左手の握手はね、相手を嫌っている、二度と会いたくないという意味があるんですよ」
血を吐きながら、船村はゆっくりと崩れ落ちていく。
「そん、な…その力は俺の……」
「ありがたく頂きます」
船村はその言葉を最後に絶命した。
宇月は腕を引き抜くと、しばらくして薄く光っていた左腕が消えるのを確かめるてから、シャツを脱ぎ捨て体を拭った。
いつの間にか、ドアノブを開けて一人の男が入ってきた。眼鏡をかけた暗い目をした男で、船村の死体と宇月を見ている。
「どうもどうも管理官さん。ちゃんと『決闘場で戦う』というルールは守りましたから、後片付けはよろしくお願いしまーす」
眼鏡をかけた男は黙って宇月を見ている。
「どうしたんです、管理官さん。それとも尾田さんと呼んだ方がいいですか。何か不備がありました?」
「この件に関してはない」
管理官は静かに答えた。
「じゃあ、オッケーと言うことで」
「ただ、お前が仲間にさせている行為は、規範に抵触する可能性がある。これは審議対象であり<注意>に値する」
「厳しいなぁ。彼らは自発的にやってるんですよ。それに数が減った方が、あなたの仕事も楽になっていいじゃないですか」
「……」
尾田は何も答えず、黙って宇月を見ている。見ているうちに宇月の腕は再生し五本の触手に戻った。そしてさらに、それを普通の腕に戻す。宇月は着替えも終え、左手に手袋も着けると、さっさとドアの方に向かった。
「じゃあ、後はよろしくです」
猫のような笑顔で、宇月は尾田に笑いかけて、地下室を出ていった。