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愛の鳥  作者: 天海 悠
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フライングダッチマン







「弟がまた増えるらしいんだ」


 彼は考え深げに友人に言った。

 オデオン座近く、表には黒板に無造作に白字を入れただけの看板があるカジュアルなカフェで、集まった数名は皆、日本人の在留者仲間だった。各々、仕事をはじめとしたそれぞれの理由により滞在を続けている。

 今日はここ一ヵ月ではありえないほど、ここまでというほどの人で賑わっていた。だが観光客の姿はまばらで、道行く人々の表情は険しくて固く、通り過ぎる銃を構えた特殊部隊の兵士の姿が物々しい。

 彼を含めた在留者たち三人は、カフェ内のテラス席に座っていた。冬場は、テラス席もすっぽりと半透明のビニールシートに覆われ、軒先に備え付けられている暖房機の熱気があるから、寒さはまるで感じない。その代わり、景色は曖昧模糊としている。シートが開いては人が入り、また閉じていく。彼はそのたびにちらりと外へ目を走らせた。

 のっぽで顔の長い友人が笑って答えた。


「また生まれるの?それとも見つかったの?」

「見つかった」


 彼は、手つかずだったグラスを手にとって中身を含んだ。もう氷も溶けている。すうっと何気なく空けてから言う。


「十四歳で中学生って言ってるな」

「次から次に出てくるなあ」

「母親が死んだんだ。親戚は面倒見れないって言うが、放り出すにしたってこんな所にまでやるとはね。振り回されるのはいつだって子供だよ」


 彼とのっぽはスーツ姿だったが、話を聞いているもう片方の男はラフな革ジャン姿、ヒーターのお陰でそこそこ暑いのにマフラーを目深に巻いていた。覗く瞳がぎょろりとしてずいぶん老けている。所見では年齢はわかるまい。靴もズボンも随分古ぼけていたが、それでさえ風情に変えるのがこの街だ。

 のっぽはネクタイを締め、格好はぱりっとしているが広がった額にはぼんやりとした灯りが光っている。


「また親の尻ぬぐいかよ。子供の世話なんてお前、仕事もテロの影響で大変になってるだろ、大丈夫?」

「暇になってるから、学校の手続きをやってやるくらいの余裕はある」

「こんな時期にだぜ。ありえないね」

「その子は日本で一人暮らししたいんだとさ。金の無心だろ。ま、義務だから」

「十四じゃねえ。日本でひとりも微妙だな。今時、パリに憧れる子供なんていないか」


 ビニールシートが開き、外の冷気がまた流れ込んで来た。ぎょろ目が身をすくめるマフラーは褪せて灰色に近い。


「オヤジに会って話をしたいってよ。直談判だな」

「思春期か、やだなあ。自分の記憶が身につまされる」

「本物の中二と、永遠の中二」


 独身の三人組は笑った。上から降りてくる、霧のように包むこの異国の空気、吸って飲んでいれば、いつしか手には鱗が生え、目がぎょろりとしてここでしか住めない魚となる。

 もうどこにも行けない。

 外にまた背中に銃が揺れる人影が通り過ぎるのが見えて、彼らは沈黙した。三人の中でも特に彼はそちらを見もしなかった。ぎょろ目がそんな彼をちらとうかがう。何に対しても動じない所が彼の最大の特徴で、人によってはよそよそしく、取っ付きにくく見えないこともない。


「親父さんはともかく、お前はどうなん?」


 彼は簡潔に答えた。


「相手がいない」


 のっぽがぎょろ目に目配せをする。


「日本でお前を待ってる子とか、いるんじゃないの?」

「結婚はない」

「相手は何て言ったの?」

「そういうのもありだって」

「お前、本気にしてるわけじゃないだろ」


 かすかな妬みを隠してのっぽが呆れたように言う。

 容姿がずば抜けてよくなくても、女たちの『可能性』に入れてもらえるか、もらえないか、の境界線があった。人それぞれと一概に切って捨てられない不思議な線で、髪型、服装、こだわりやクセや、細かなチェックシートにかけられ、空気、という言葉で採点され、取捨選択されていく。


「オヤジとは違う。ちゃんと誠実にしてる」

「結婚する気ないのに?こっちの価値観に染まりかけてない?」

「付き合いの延長に、すぐ結婚て言葉が出てくる意味がよくわからない。フランス流とかもわからない。こっちを拠点にしたのもせいぜい二年だしね」


 ぎょろりとした目をむき出して身を乗り出した彼は、手を平たくテーブルに付くしぐさはカエルにそっくりになる。


「親父さんに内心、反抗してるんじゃない?次々に結婚して子供、してなくても子供、種を撒き散らしまくってて、心の底では嫌悪感を抱いてるんだろう?まずは、親と自分は別人格だって自覚しなよ」


 彼は至極真面目に聞いていた。

 背もたれに体をゆだね、深く椅子にかけたので、タートルネックのセーターに顎が埋まった。用心深く、答えを返す。


「オヤジは最低の人間だ。それでも、おれなりに擁護する点はあるんだよ。あんな風になりたくないし、なる気もないが責任はしっかり取ってる。誰にも文句言われる筋合いはないよ」


 黒目がきらりと光ってカエルは黙った。のっぽは簡単に答えただけだった。


「単純に女が好きなんだろ」


 分析に興味のないのっぽは、それから給仕係を捕まえて声高に料理の催促をした。料理が出てこなければ、はっきり言わなければ伝わらない。


「あの男は、これは、って相手が欲しいんだと思う」


 外は暗い。見通せない暗さの中に、電飾の光がシートに遮られ、入って来れずに拡散している。彼の拳が握られて広がるのを見て、カエルはのっぽが全く気付かない彼のいつにない真剣さを知った。こんな風に話すのは珍しい。


「不倫だの浮気なんて言葉、最初から辞書にない男だってな、いざとなればどうしてもこの子じゃなきゃダメだ、この子のためなら命も投げ出す、浮気だって絶対しない、ってなる時はあるみたいだ。いつまでも探してる」


 熱心に耳を傾けているカエルの紅潮した表情に、彼はひどく冷たくほほえんだ。


「そんな相手、現実にはいないのに」

「理想が高すぎる?」

「あらゆる国籍とタイプを試してるから、理想の問題じゃないよ」

「頭の中にある幻を探してるんだな?」

「違うって。わかるかな。完璧な理想が最初からあるわけじゃなくて、付き合ってみて暮らしてみて、それからある日突然気付く、ていうようなのだよ。おやじはどうしてもあきらめないんだ。何を言っても無駄なんでね。それでこうして失敗の結果がやってくる」

「お前は女嫌いか?」

「いや別に。そりゃ一人でいるより、誰かいるのがいいに決まってる。だが現実に相手がいないだろ?」

「ねえ、また集まって悪巧みしてる?」


 のっぽが指を唇にあてている手に気付く間もなく、もう一人、この街に残る『邦人女性』が到着した。ゆっくりと、ファーコートを脱いで髪を両手で首筋の後ろに回して振り、席に座るまで皆が行儀よく黙っていた。

 今夜が夏でここがテラス席ならば、ここでシガレットケースを取り出し、優雅な仕草で煙草に火をつけていた。ゆっくりブーツの脚を組んで後ろにもたれて首をかしげた。

 どうぞお話を続けて?と言わんばかりの仕草を半分、無視して彼は言う。


「確信してる。“その相手”はいない」


 外からバックライトがまたたき、シートを通してグラスに煌めいた。

 のっぽと新顔女性が顔を近付けて小声で話して、彼女は心得顔で頷いた。


「なれる可能性をかけらでも持った存在すらいない」

「愛は育てるものよ」

「育てたいと思わせるきっかけすらない。もともと芽どころか種さえないものを、ねだっても仕方ない」


 のっぽとブーツの女は、その女とは彼の父親にとってのものと受け取ったようで、カエルは友人の彼自身の事を話していると心得て同情的に言った。


「オヤジさんよりお前の方が根深いね」

「そうかもね」


 カエルはブーツの端をちらっと眺めて顔を赤らめ、自嘲的に呟いた。


「こっちは取捨選択される側だから、誰にだって選んでさえもらえれば喜んでって気持ちはあるよ」


 そこからはブーツの彼女を囲んで、話にも花が咲いた。

 ああ、もう楽しくない、と彼は思った。

 最近、何も楽しくない。自立してますって顔が、ファッションもセンスもばっちりです、街角情報くまなくチェックしてますポーズが。指先の動き一つにこだわった仕草が。

 視界は煙り、議論好き、話し好きの国民性とあって、どこの席からも話し声が絶え間なく轟いている。

 この国の空気にも、垂れ込めた重苦しい悲哀にも、エスタブリッシュメント、自立に自己主張にも、少々、食傷気味だ。

 あとは何も言わずに国外での狭い日本社会を眺めていた。こうなると、議論をやたらふっかけて長話をしてくる『外国人』のほうがかえっていい。

 うす空に石畳がぼんやりと浮かび上がり、空気は冷たかった。

 パリ市内に入ったのは久しぶりのことで、普段からほとんど寄り付かない。歴史的建造物にたいして興味もなく、ありがたみがわからない。

 カエルがブーツ女に意地悪く、皮肉に、突っ込まれているのを見た。またこっぴどくやられてるな。ブーツ女はカエルを好きじゃないが、カエルはブーツ女ばかりを食い入るように見ている。飛び出しそうな目に彼女はここまでというほど残酷になる。たじたじになってのっぽにからかわれる。いつもの景色、代わり映えのしないいつもの会話だ。

 衝動にかられ、唇が動きかける。


 あんたら、いつまで、ここにしがみついているつもりなんだ?


 ぎょろりとした目の分析屋は古物商で、常に食うや食わず、このご時世に暇なので観光客相手に案内人のバイトをしていた。収入はガクンと落ちているはずだ。春節の中国人が来なければ危ういだろう。彼らの強固で独自のネットワークからおこぼれを拾う。そうそう、うまくいくとは思えない。

 額が広いと言えば聞こえのいい、のっぽでバツイチの同僚は最近、養育費の支払いをやめた。

 会わせてももらえなければ、話もしたことのない、血が繋がっているというだけの少年に金を払い続けるのがばかばかしくなったのだ。それは幻で現実ではない。それよりも、ネット越しに知り合いになった女子大生の方がずっと重要なのだ。今度会いに来るはずだったのに、今回の騒ぎで中止になったと残念そうに言う。

 ここは穴だ。

 きっと、日本へ戻って忙しく立ち働くビジネスマンたちと新橋で飲んでいても、そう感じるだろう。

 穴は、彼の胸にあいている。

 だからって、吹きすさぶ胸を抜ける風が虚しく居心地が悪いだけとも思えない。最初からなかったら、そういうものだと思っているだけだ。

 彼の父と同じで皆が幻を追い、おのおの闇の中で手探りしている。彼が言う『その女』が、彼や彼の父親に限らず、どこのどんな誰にとってもなのに、と彼が思っていることを、わざわざ声高に知らせる必要はない。


 目を閉じればここは大海のただ中で、ふとぼろぼろの船が視界をよぎって消えていく。

 さまよえるオランダ人だ。

 しのつく雨をものともせずに前を見据え、幽霊船の船首に立ち微動だにしない。

 雷が轟いて、閃光がオランダ人船長の顔を照らし出した。真っ白な顔の中に真っ黒な眼窩がんかがぽっかりと開いている。

 彼はもう既に死んでいるのに、自分だけは気付いていない。そして、探して、探して探し続けている。うっすらと開いた目の火がぼやけてにじみ、消えていく。

 話し続けている友人というよりは知人と言いたい仲間たちの眼窩も、穴があき、剥き出しの歯が微笑んでいた。

 セーヌのたもとに、遊覧船の光がちらちら、ゆれている。もし、その女が存在するものならば、彼女に最も近いのは父親である気がしている。そしてさまよい続けた果てが例え海の底にすぎなくとも、魚たちに囲まれたそれなりの安寧を、彼なりに祈っていた。







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