産女柘榴
美咲は妊娠して田舎の家に帰ってきた。
父親の名前は絶対に言わない。
それを聞き出そうと最初のうちは躍起になっていた父母も、最近ではその話題に触れようとすらしない。
すでに成人をすぎて久しい娘が妊娠して帰ってきた、そして相手の男については何も語らない……誰が考えても醜聞の匂いしかしないのだから当然か。
だから最近の美咲は気楽なものである。
この日も少し膨らみかけた腹の圧を逃すために両脚をたたみの上に投げ出して、ザクロの一果を手の内で割っている最中であった。
部屋にはいってきた母は、そんなだらしなさよりも先に彼女が手にした果実を見咎める。
「ザクロ! そんなものを食べるなんて!」
そんな怒りを「ふふん」と鼻先で笑って、美咲は乾いた固い果皮を裂いた。
中からルビー色の小粒がこぼれだす。
「こんなの、ただの果物よ。スーパーにだって普通に売ってるじゃない」
「それでも、ザクロは人の味がするって昔から言うし、気持ち悪いでしょ」
「ばかばかしい、迷信だわ」
果汁で満たされた小さな粒を口中で噛み潰せば、果物特有のすがしい甘酸っぱさが舌の上に広がった。
それを舐めるように味わいながら、美咲はつぶやく。
「最近じゃザクロジュースや、ザクロゼリーなんかも売ってるじゃない。あれが全部人間味だったら物騒だわね」
母親はそれを聞きとがめてしかる。
「そういうふざけたことばかり、だからそうやってみっともないことになるのよ」
「みっともないって、これ?」
美咲は丸くふくれたマタニティの腹をくるりとなでて微笑んだ。
「みっともないことになんかならないわよ」
「だって、そんなに大きくなっちゃあ、もう堕ろせないでしょう。子供のことをご近所さんにどう説明すればいいのか……」
「ねえ、母さん、家の庭にあったザクロの樹、覚えてる?」
唐突な話題に母親はたじろいだ。
「いきなり何を……」
「いいから、覚えてる?」
ザクロの実を人味がするからと忌み嫌うぐらいなのだ、このあたりで庭木にザクロがあること自体が珍しかった。
「あれはだって、別に植えたものじゃなくてずっと前からあったもので、切るのも忍びないからはやしてあっただけだよ」
「うん、知ってる。それでもしめ縄がしてあって、『鬼子母神さんにあげる実なんだから食べてはいけない』って、おばあちゃんによく言われてた」
「ああ、あの人は信心深かったからねえ」
「それでも私はどうしてもその実が食べたくて……食べたくて食べたくて、ある年、こっそり木にのぼって実を盗んだの」
美咲はパリッと音を立てて実を噛む。その表情はどこかぼんやりとして、ひどくつまらないことを話しているような風情であった。
「こんなスーパーで売ってる甘い実と違って酸味が強くて、少し渋かった。けっしておいしいものではなかったのよね、だから私は長い間……あれが人間の味なんだと思っていた」
母親が打ち震えていたのは得体のしれない恐怖を感じたからだ。
目の前にいるのは確かに自分の娘のはずなのに……まるで知らない人の独白を聞いているような気がした。
「でも今は子供じゃないから、ザクロが人間の味なんかしないことは知っているの」
美咲がくるりと腹をなでる。
「大丈夫よ。今回『も』誰にも迷惑はかけない……」
子をはらんで膨れた腹は丸く、みずみずしいほどにはちきれそうな形はザクロの一果を思わせる。
(もしかして割れば、ルビー色の粒が詰まっているんじゃないかしら)
無表情で腹をなでる美咲の手元を眺めながら、母親は、そんな見当違いのことを思うのであった。