仮の住まい
さてさて。サンドイッチを食べてほっと我に帰るとですね。
「………あの、さっき、まる一日寝てたって……」
「うん。身動ぎもせず起きなかったから、死んでるんじゃないかって不安になった」
………色々とやばいことに気がつくんです。
1日。
…24時間。
……1440分。
………86400秒。
もう途方に暮れるしかない。
ここに残ることを前提で今まで生きてきたとしても、それは私の中での話。それを知る人はいないのである。
当然、ここにいる皆も知らないわけで、そうなると私は当然次の満月に帰りたいだろうと予想するだろう。
………1日、皆と居られる時間を無駄にしました。
それともう一つ。
白の領の方から、私を引き渡せという要求状が届くのが、なんと黒の領にお世話になって2日後……つまりは今日なのである。
果たしてよく知らないトラブルメーカーを本当に置いてくれるものか。
どれだけ皆が人として出来ていたとしても、彼らは軍人。トラブルは避けたいのではないだろうか。
それに加え、色々な場面でイレギュラーが起きている。私がここにいれる保証なんてどこにもない。
…………いや、うん。これはもう開き直るしかない。
元々私が『エマ』として生まれたのが異常。運に恵まれたということなので。
………無い袖は振れない。
ここでも運に恵まれることを祈り、土下座でも何でもして置いてもらおう。………うん。
「で、困ったことが一つ」
しれっとした目で水を喉に流し込んでいた私に、ウィルが指を立てて見せた。
その声が妙に真剣だったため、部屋にいた全員が彼に視線を向けた。
「アンタ、白の領の誰かと会ったことある?」
その言葉にギクリとして、水を吹き出しそうになったのは言うまでもない。どうにか堪えてウィルを見ると、彼はベッドに頬杖をついてじーっとこっちを見つめていた。
なんて答えたものかと悩んだのは一瞬で、やっぱり正直に話すべきかと思う。
「………ハディクさんに会う前に、二人の人と会いました……真っ白な軍服を来てたので、そうかもしれません」
「ふぅん」
『エマ』が知らないはずの情報は伏せて話す。それに対して、ウィルはため息をついた。
そして身体を起こすと、クォさんに何事かを囁いた。一つ頷いたクォさんは、そのまま部屋を出ていってしまった。
何だろう、凄く嫌な予感がする。
「アンタに、白の領から手紙が届いてる。……今すぐに白の領にこいって」
「………………冗談、ですよね」
「冗談じゃないんだなーこれが」
と、ウィルが伸びをしたとき、クォさんが戻ってきた。
その手には白い紙。それを渡されて、目で開けろと訴えられる。
嫌な予感ほど当たってしまうもので、微かに震える指で開いた書状には、流麗な文字で一言。『今すぐ国外の女を差し出せ』。
もっとなんか表現あったと思うんだけど!?
国外の女、いくら何でも対象が広すぎると思う。いや、滅多に来ないのは分かってるんだけどね。
と、複雑な気持ちになるのと同時に、シナリオ通りの会話と行動を取る彼らに、安堵にも似た違和感のようなものを感じた。
とりあえず、寝起きのままの状態でベッドの上にいる女性の周りに男が群がっているのはどうなのか、というクォさんの一言で、一旦みんなが部屋を出ていった。
そして、ルナねぇが用意してくれたというワンピースをいい笑顔で渡されたので、ありがたく借りることにした。
膝丈の藤色に、裾には所々小さく煌めくビーズの欠片のようなものが縫い込まれつつ、ぐるりと囲む様に花びらやツタが刺繍されていた。
七分丈の袖はふわりと広がり、肩口からヒラヒラとしたレースが1部縫い込まれていて、落ち着いたデザインだけれど可愛らしさがあった。
着心地も申し分なく、頬が緩むのを隠しもせずに扉を開けた。
部屋の前で待っていてくれたらしいルナねぇが、私を見て「まぁ!」と手を叩いていた。お気に召したようで何よりです。
そして、案内されつつウィルの仕事部屋………もとい執務室へ向かう。
執務室では、もう先程の全員が揃っており、一つしかない机にはウィルが腰掛け、私宛の手紙を読んでいた。
そして、ふーんと一言、手紙を机に置いて、頬杖をつく。
「女を口説くにしては横柄なラブレターだな」
「だよなぁ。もっと甘い言葉でもあればいいのに」
と、ウィルとジェドが私を見てそう言ってくれるのは構わないんだけどね。
まぁラブレターというか、脅迫文だよね。……ゲームプレイ中も思ったけど。
「アッチは何を考えてるのかしらねぇ」
はぁ、と物憂げにため息をつく「彼」は大層美しい。凄く負けた気分だ。
とにかく、「エマ」はここでは何も言わない。そして、ウィルに話を振られてからが、大切な選択肢。
『お前はどうしたい?』その言葉に、『行きたくなんてない』を選べば、白の領に捕縛ルートだし、『迷惑かけられない』を選べば、黒の領安置ルートだ。
………………言わずもがな、後者を選ぼうと思います。
ハディクが推しってこともあるけど、なんせ、私はあちらのリルさんに殺意を向けられている。死亡ルートだけは避けたい。ゲーム中そんなものは無かったけれど。
と、ここまでシナリオ通りの会話を繰り広げる目の前の彼ら。画面越しに見ていた光景が目の前で起こっていることに感動していると、不意にウィルの目が私を捉えた。
来た、と直感して、背筋を伸ばす。すると、ウィルは口を開いた。
「お前はどうしたい?」
そのままの言葉、そのままの声。ここが『エストラルの薔薇』の舞台なのだと、改めて実感するほどに、そのままの彼。
私を見ている全員の顔をしっかりと見て、(やっぱりハディクかっこいいな、なんて思いつつも)、深呼吸する。
「…………『迷惑、かけられない』………ですから」
我ながら手を叩いて笑えるほどのものである。ここに置いてもらうために出ていきますと。ははは、素晴らしい矛盾。
と、腹の下で自分を笑いつつ、顔には出さない様に気をつける。
喉をごくりと鳴らして、相手の出方を伺う。
じっと私を見つめていたウィルが、口を開く前に。
「そんなのだめよぉぉぉおおお!!」
という叫びとともに横からタックルされた。
シナリオにない攻撃に踏ん張りきれず左に倒れそうになった私を、丁度横にいたハディクが支えてくれて、思わずときめく。そして姉さんナイス!と心の中で親指を立てた。
「せっかくこんなに可愛い妹が出来たのに!やっと女子会が出来るって思ったのにぃ!」
「「お前『漢』だろ」」
と、ウィルとジェドの声が重なった。
おとこ、が『男』じゃなくて『漢』になっていた気がするのはきっと気のせいじゃないよね。
「皆はこんな可愛い子を放り出せるの!?信じられないわ!そんなヤツらだとは思わなかった!この人でなし!悪魔!変態!スカポンタン!!」
「なんの話だよ!!」
ほんとにね、とジェドの突っ込みに心の中で同意しつつ、頭上で行われている攻防に何も言えない。というか、うん。ナンモイエネェ。
「はぁ、分かった分かった。元からエマがいいならここにいろって言うつもりだったから」
「えっ」
未だに喚こうとするルナねぇを押しとどめて、ウィルが呻く。
その声に、思わず声が漏れた私に、ウィルが頷く。
「………どうする?」
「……いいの?」
このいいの?は「居ていいの?」というより「これでいいの?」の方なんだけれど、そんなこと知る由もないウィルはニヤリと笑った。
「あんたがいいなら」
彼のニヤリとした笑に、コクコクと頷く。その反応に、部屋の全員がクスリと笑った。
我ながらちょっと子どもっぽい反応だったな、と頬を赤くしつつ頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします!」
そっと頭をあげた私の目に、この領の幹部全員が映る。
「じゃあ、改めて。エマ」
ニヤリとした笑を収めたウィルは、代わりに、堂々とした笑みをその顔に浮かべていた。
「黒の領に、ようこそ」