予期せぬ始まり
そして数年が経ち、ついに私は20歳を迎えた。この世界、『エストラルの薔薇』の物語が始まる年齢だ。すくすくと成長した私は、それなりに可愛らしいと言われるくらいにはなった。まぁそこはほら、もう決まってたことだし。私というか『エマ』だし。
ここはもう乗り越えたけれど、美しさに敏感になるお年頃のときは複雑だった。周りの子達が色々と努力している中、私は何をしたって結局『こう』なってしまうんでしょ?という殺伐とした感情が拭えなくて、結局それなりで終わってしまったとか。
その辺からか、なんだかモヤモヤとしたものが胸中を覆っていた気がするけれど、丁度両親のパン屋が繁盛し始めた頃と重なって、日々の忙しさの中に紛れてしまった。
今日も私は朝早くに起きて、階段を降り、一階の店裏に向かう。
すると、もうバッチリと準備を終えた父が、降りてきた私に気がついた。
「おうエマ。おはよう」
「おはよう、お父さん」
日に焼けた肌は、コック服に身を包んでいてもほどよく筋肉の付いているのが分かる程で、同年代の男性達よりは断然若々しく見えた。
父は快活そうに笑うと、朝のストレッチをしていた。
それが終わって、前日に作って寝かせておいた生地を取り出す父の傍らで、母がケーキを作りやすいように材料を出しておく。
パン屋ながら、その一角に母が作るケーキも売っていて、何気に好評なのだ。
私も母にスイーツ作りを教えてもらったりもしたけれど、売り物になるほどではない。
材料を出してから、父に焼き立てのフランスパンと食パンを何斤か預かって、店に並べに行く。
山になるように並べてから、店の扉に掛かっている『closed』のプレートをひっくり返して『open』にする。
店に戻ると、丁度2階から母が下りてきた。
朝に弱い母は、まだ寝ぼけ眼で髪を結びながら階段を降りていた。
「お母さんったら、右の方の髪跳ねてるよ?」
「え?どこどこ?」
手ぐしで直そうと奮闘している母だけれど、一向に直っていない。
「あら?あらあら?」
少し天然な母に、仕方ないなぁと近寄って、髪を結ってあげると、母は嬉しそうにはにかんだ。
緩いウェーブを描く母の茶髪は、腰元まで伸ばされていて、癖があるのにサラサラと絡まることなく流れていた。
ゲームのエマは肩上で揃えられたボブヘアーだったけれど、私は母の真似をして、腰元まで髪を伸ばしている。ただ、髪質は母のでなく父に似て、扱いづらいほどのくせっ毛な金に近い茶髪。
それをどうにか押さえつけて、サラサラにするところから朝が始まるのだから大変だ。
「やっぱりエマちゃんは頼りになるわねぇ」
「もう。ちゃんとしてよ?私が居なくなったら困るでしょ?」
私の言葉に、母は近所で美しいと評判の顔を惚けさせて、首をかしげた。
「あらどうして?エマちゃんはずっとここにいるでしょ?」
「………………そう、ね」
にこりと微笑まれて、もうすぐ居なくなるとは言えなかった。
仕事しなくちゃ、と裏へ向かう母の背中が、この時とても愛しく感じた。
それから、店頭に何種類かパンが並ぶと、店は一気に忙しくなった。
途絶えることなく客が入り、父も母もパンとケーキを焼くのに精一杯。必然的に、店頭には私が出ずっぱりになった。
休憩もなく働き通しで、前世ならば過剰労働だと訴えられるほどの店は、早々にバイトを雇うべきだと思う。
そんなことを考えている間にも、会計には人が並んでいく。
大変だけれど、これすらももう少ししかないのかと思うと寂しくなってしまう。
やっと人が減ったのは、日が沈んでしまった後だった。
まだ薄赤い空も、あと数分で真っ暗になるだろう時間にやっと休憩がもらえた。
「なんで今日はこんなに混んでるの?」
裏のテーブルに突っ伏しながら呟いた私の前に、好物のいちごタルトが置かれた。
「なんでも、近くでお祭りがやっているらしいから、都市中の人達が来ているみたいね」
「えっ…!?」
フォークをイチゴに刺して、口に運んでいた私は、イチゴを取りこぼしそうになってしまった。
お祭り、こんなに早かった!?
エマが20歳の年に開催されたお祭りで、エマはエストラルに迷い込んでしまうのだ。
でも、お祭りって……確か秋だったはずじゃ…?
今はまだジメジメとした暑さが覆う夏なのに、もしかして夏にもお祭りがやっていたのだろうか。
そう考えたけれど、そんなにしょっちゅうお祭りが開けるほど、この国の経済には余裕がないはず。
なんで…?
「どうせだから、エマちゃんも行ってらっしゃい?」
母にそう提案されて、一瞬迷う。
けれど、たぶんまだストーリーは始まってないだろうと思い、頷いてタルトにフォークを突き刺した。
「うわぁ………」
近くというので、すぐ分かるかなと思ったら、分かるも何も、パン屋の目と鼻の先だった。
店をでて右に進み、突き当りの角を曲がれば、そこにはハロウィンかと見まごうほどにオレンジ色のランタンが飾られていた。幻想的なその光景に息を飲んだ私は、直ぐに人波に飲まれた。
人の波に流されつつ、屋台を見て回る。
そのうちの一つ、髪留めが沢山並べられた屋台を見ていると、肩がぶつかった。
「わっ、」
意外と思いっきりぶつかったらしく、バランスを崩してしまった。倒れそうになった時、腰に手が回って、ぶつかった相手が支えてくれた。
「すみませ………」
「いえいえ、こちらこそ。お怪我は?」
慌てて謝って顔を上げて、息が止まった。
言葉の通り、息を忘れた。
ーーそっくりだった。
ゲームの画面でみていた、攻略対象の一人に、瓜二つだった。
固まって反応できずにいた私を不安に思ったのか、彼は腰に回った手とは反対の手で、私の額に触れた。
「ぁ、え、あ。だ、大丈夫、です……」
その手の冷たさに、一気に現実に引き戻された私がそう言うと、彼は首を傾げつつも、手を離してくれた。
「人が多いですからね。気をつけて」
そう言って、彼は被っていたシルクハットを軽く持ち上げて挨拶すると、歩き去ってしまった。
すれ違う瞬間、耳元で、微かな笑い声を残して。
ハッとして振り返るものの、その背中は人の群れに消えてしまった。
まさか、と思って、姿の見えない彼を追いかける。彼が歩き去った方向へ、人に何度もぶつかり、その度に謝りながらながら進む。
やがて人波から離れ、狭い路地にたどり着いた。
自分の歩く足音だけが響く中、私は妙な胸騒ぎを感じていた。
このまま行けば、きっとたどり着いてしまう。ずっと願ってた。でも、私はまだ両親に何も言っていないのに。
それに、時期が違うという不安もあり、本当にこの先にエストラルがあるのかすら分からない。
でも、足は止まらなかった。それどころか、段々と速くなり、いつの間にか走っていた。
息を切らして走る私の目に、路地を曲がる影が見えた。その姿が、さっきぶつかった男性だと気がついて、あとを追って角を曲がる。
すると。
「っ、え?」
不意に、足に感触がなくなった。
行き場を失った足に視線を落とすと、その先は真っ暗な闇………穴が空いていた。
慌てて伸ばした手が、何かに触れる。それは、分厚い扉。何度もスクリーンで見た、あの扉だった。
うそ、だってゲームでは、自分で扉を開けてたのに…!?
違和感のありすぎるイレギュラーに、私はなす術もなく、闇が待ち受ける穴へと落ちていった。