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片翼の纏輪  作者: 物語あにま
片翼の半天使たち
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天使にかしずく者たち

 シブミは語る。


「二〇一五年、人類はフォールとの邂逅を果たした。沖縄の各所に現れた奴らは、たった三時間足らずで琉球の地を更地にしてみせ、応戦した当時の自衛隊をほぼ全滅させてしまった。陸海空の全ての軍事力が毛ほども役に立たない。これには米軍もお手上げだったのか、さっさと尾を巻いて撤退していったよ。この時、死者は二千以上にも上り、そのほとんどが陸自、次いで空自だった」


 フォールが地上の建築物を喰らう、というのはここから考えられている。でなければ海自の生存者の多さに納得できない。


「沖縄県民も相当数の死者を出し、およそ数千人が被害に。だが同時に新人類の誕生の日でもあったんだ。君たち纏輪覚醒者、ウィジェルが歴史上はじめて現れた」


 レイもTVでドキュメンタリーを見たことがある。沖縄という、かつて様々な悲劇が起きた島の話を。


「そして、当時陸上自衛隊に所属していた、ヘヴンズ静岡支部現支部長、風吹龍一は世界初の纏輪覚醒者……とされている」


 シブミの話す事実に、レイは目玉が落ちそうなほど開かれた。


「支部長が、初の纏輪覚醒者!?」


(どうしてそんな大物が静岡なんて場所の支部長を……?)


 レイは疑問が飛び出しそうになる。


「私も知った時は笑ってごまかそうかと思ったよ、片翅嶺。しかし、データ上そう記載されていては、反論もできなかったよ」


 シブミは風吹龍一の纏輪も調べたと恍惚顔で口にする。

 遠くない未来、レイの金色翼もあられもなく解析、分析されてしまう気がする。

 それにしてもフブキが世界的に有名な人物とは。フタバたちも訊いたときは大層驚いたに違いない。


「風吹龍一支部長は、ヘヴンズの創設にも関わっていてな。最初こそ東京支部で活動していたが、三年もせずに静岡県に支部を設け、移籍したそうだ」


 今でもフブキは東京都の本部と付き合いがあるらしい。

 たまにヘヴンズの幹部が顔を出しにやってくるというのだから恐ろしい。


「まあ、その風吹龍一も関わったヘヴンズの設立なんだが。実のところ奴はヘヴンズという名が気に入らなかったらしい。人の世が楽園であるものかってな。おかげでいい愚痴相手として酒に付き合わされている」


 そのまま話が脱線して、愚痴が入るかと思いきや、シブミの話は止まらない。


「話がそれたな。ヘヴンズとはフォールを殲滅し、綺麗に排除することが目的だった」

「だった?」

「ああ、今は新たに役目が追加されている。フォールを神が遣わした化身として活動する者達への対処さ。通称ウィングズ。こちらでも特定しきれていないウィジェルが多数所属するテロ組織だ」


 レイは不覚にもその名にときめいてしまった。


「そのウィングズなんですけど。僕、ニュースとかで報道された事しか知りません」

「ほう、ちなみにニュースの内容は?」


 シブミはからかいを含んだ眼でレイを見る。

 ウィングズ。フォールを天使と崇める酔狂なテロ組織。纏輪を使った犯罪行為も増加しており、ヘヴンズの活動の妨害すら目的の一つ。


「――これくらいです」

「思っていたより、よく社会のことを知っているじゃないか。この渋実しぶみ涼花すずか少しばかり感心したぞ」


 小学生にはなまるをあげるが如く、シブミは満足して頷く。


「では物知りな片翅嶺に、一つ私から教えよう。君と同型、つまり降臨型纏輪を所持する彼女は、正式にウィングズの幹部であると断定された。コードネームはツバサとすることに決定したよ」

「ツバサ……」


 とてもよく似合うコードネームだ。全ての障害を翼一つで越えて行く。レイのイメージに残るツバサなら必ずそうするはず。


「今日はこれまでにしよう。片翅嶺の頭がパンクしない内にやめておいた方が良さそうだ」


 そう言いながら、シブミは腕時計に視線を移す。レイ云々かんぬんは口実で、時間が押しているために切り上げるのだ。後、話題的に好みの方向でなくなったからか。


「では後はよろしく頼むよ、鳳凰寺双羽隊の諸君」


 シブミは柑橘類のようなフレッシュな笑顔を残して消えた。


「……で俺たちは」

「訓練用ルームへ向かいましょう」

「でぇす」


 眠気たっぷりのホトリも、ふらふらしながら後に続く。


「なんだかすごく危なっかしいよ、ホトリちゃん」


 レイが腕で支えようとして、ホトリはそれをえいと退ける。


「大丈夫です。今日のは(、、、、)もう済んでいるのです」


 意味深な言葉でレイから離れるホトリ。


(今日……のは?)


 急に話を逸らされた時のように、レイは首を傾げる。

 クロの呼ぶ声がした。


「はーやく来いよー」


 その元気すぎる呼び声に釣られて、レイの脚は自然と動き始めた。



 広い面積とがらんどうの空間が売りの訓練室。そこでレイは天井を見上げる。

 ヘヴンズ内部のエレベーターで三階ほど昇っても、まだ上の階があるらしい。

 ここのビルの天辺は半円球のドームにすっぽり幼っているから、もしかすると空が見える場所に来たのではないかと期待したのだ。


「ここの耐久度はぴか一だから、いくら暴れてもいいんだぜ」

「だからって壊していいわけじゃないですからね。レイ君には節度ある行動を期待してますよ」


 すかさず入ったフタバの注意。過去何度かやらかしたのだろう。クロは全く聞く耳を持っていないけれども。


「さ、レイの訓練を始めるぞー!」


 クロの笑顔はじんわりとした温もりを持っている。まあ、今は梅雨だから少し鬱陶しいのかもしれない。


「訓練って纏輪を呼ぶんだよね。シブミ先生に呼び出された後から背中が痒いっていうか」


「むずむずする?」

「そうそれ」


 背中に意識を向けた瞬間、タイミングよくフタバが答えをくれる。共感できるところがあると、どうしてもテンションの高ぶりが抑えられず反応してしまう。


「レイ君が纏輪を初めて召喚した時のことを思い出してください。それから強く願えばうまく呼び出せますよ」


 そう言うことならと、レイはあの日あの時何を思ったのか振り返る。

 ずくずくと熱く、内側で唸る纏輪に、レイは――。


(僕は生きたいと思った……でも、それよりも空を飛びたいと、そう願った)


 目を閉じて物思いに集中するレイに声が浴びせられた。


「おいレイ! 少し出てるぞ!?」

「……十センチくらいの可愛いサイズの纏輪、です」


 やいのやいのとクロとホトリが騒ぎ立てる。フタバも驚いているようで、口に手を当ててマヌケに見えぬようにしている。


「あとちょっとですよ、レイ君!」


 などと言い、フタバまで応援を送る。


「うぅ、くう……」


 レイが想像していた願うという行為よりもっと厳しい。


「ま、まだ!?」


 力一杯、いや精神力一杯込めて願っているが、レイには現状が分からない。感覚ではとっくに巨大な翼を出しても良いくらいなのだが。


「まだまだですぅ」


 ホトリも間延びしたエールで励ますが、レイの纏輪は変化を見せない。

 ここからはレイの気力が続きそうになかった。現に踏ん張りの効いた力んだ声は、既に枯れている。


「はぁう、もう駄目だぁ……!」


 ついに十数分粘った辺り。レイはギブアップを宣言し、床にへたりと座ってしまった。


「レイさん凄い、です。私は五分も続かなかった、です」


 たった一年前に経験したホトリが褒めるのだ。レイはガラにもなく得意げになってみる。


「そっか、でも一回チャレンジしただけでへとへと。今日はもう無理かも」


 レイは背筋をふにゃりと曲げ、見られるのも構わず脱力する。

 フタバたちがそれを非難することは無い。むしろ初練習としては重畳と考えていそうだ。


「でしょうね。仕方ないんです。普段使わない筋肉を激しく動かすとくたびれてしまう、これと同じで克服するには慣れるしかありません」


 なるほどなと思うレイは、どっと出てきた疲労に耐えて脚に気力を送る。

 同時にクロが「立てるか?」と言いたそうに手を貸す。


「そーだぞ、レイおじいちゃん。後は見学だ。俺がソードシルエット、ホトリちゃんがガンシルエットの実演と詳しい説明をするからよう」

「初めて先輩らしく振る舞えそう、です!」

「うわぁ……」


 ホトリが不意打ち気味にはにかむ。ずっと無表情を貫いていたことも合いまって、その笑顔は眩しかった。

 気だるげだった垂れ目の破壊力と来たら、子猫や赤子が健やかに寝ているときの姿に通ずる無垢さがある。


(ああ~、癒される……)


 さしずめホトリは微笑みの散弾銃である。レイのハートはもう穴ぼこだらけの蜂の巣状態。どうにでもしてくれという感じだ。


「早速やられていますね」

「うむ。防御不可、守備貫通。ホトリちゃんの無敵スマイルだからな、しゃーないっしょ」


 ボーっとホトリを眺めるレイに、後ろでぼそぼそと繰り広げられる会話は届かなかった。

 ソードシルエットとガンシルエットをそれぞれ使いこなすクロとホトリ。彼ら二人の演武で今日の訓練はお開きとなり、レイの怒涛の日中は過ぎていく。

 そして、その夜のこと。レイの自室をノックする者がいた。


「よお」


 声の主は予想に違わずクロだ。


「どうしたの? 今日ってまだやることあった?」

「やること? ……ん、そんなところだな」


 クロは指をくいと曲げてレイを誘った。出かけようという合図だ。しかし、今は星も綺麗ないい時間である。夕食が済んで一服しようというときに、何をしよういうのか。

 レイが不可解さを表に出してから十分ほど経たときだ。クロが一つの部屋の前で急停止した。


「ここは?」


 予感でしかないが、レイは自分がとんでもなく太い虎の尾を踏みそうになっている気がした。


「フタバとホトリちゃんのシェアルーム」

「ゑ」


 それはひょっとしなくてもまずいのでは。

 年頃のレディの部屋に男が、それも夜に二人で押しかけるなんて。レイは、どうしようもなく噴き出る嫌な汗を袖で拭う。


「今頃は風呂かな!」


 隣でハハハとクロが笑う。その朗らかな笑みの内に、なぜデリカシーを持ち合わせなかったのか。こんなことなら、神が二物を与えたところで文句は出ない。レイは勝手ながらそう思う。


「それは覗きって言うんだよ、クロ」

「バカヤロウ、分かってら。だがな、男には女の子の風呂を覗く義務があるんだよっ!」

「な、なんだって……!?」


 確かに、世の男子向け漫画主人公たちの多くは、女の子とのラッキースケベを行っている。レイが買うコミックスのシーンでも何回かあったのを覚えている。何より、気になる女の子の裸体を見たくない男などこの世に存在しない。


「僕も男だ。心を決めたよ、行こうクロ!」

「お前なら理解してくれると思ったぜ、マイフレンド……!」


 おバカな男二人が結束を高めたところで、問題はこの部屋にどう入っていくかだ。まさか紳士たろうとするレイとクロが、ノックもせず侵入しようことは論外である。


「ここは堂々と入ろう」

「お前……死ぬ気か!?」


 レイは、白く染まってしまった頭髪を抑え、決意を固める。戦友の神風にも似た特攻宣言に、クロは信じられんと抗議を申し立てた。


「考え直すんだ! エロスとは一時の隆盛を求めるに非ずだぞ、レイ!」

「ふっ……」


 肩に添えられたクロの掌をそっと払う。レイの耳には既にフタバたちの楽しげな談笑が届いている……。


「いざっ!」


 三度のノックを丁寧に、自動ドアが開き切るのもしっかりと待ち、満を持しての入室。ふわっと女の子の柔らかい匂いがする。


「……レイっ」

「フタバ、ホトリちゃん。御免ッ!」


 シャワーの音が止んだ方へ足を進め、ついに――。


「えっ……?」

「……でーす」


 そこはパラダイスだった。

 脱衣所には、湯上がりのうら若き淑女が二名、素肌にバスタオルを巻いて呆然としている。


「こ、これは……!」


 フタバは、ある程度服の上から見定めたプロポーションと合致していて、イメージとの差が少ない。慎ましやかな双丘とくびれから足先にかけてしなやかなカーブを見せる筋肉の付き方。どれを取ってもファンタスティック。


(ビューティフゥ……)


 だが、フタバに目を奪われていたレイを、更に魔境へと引きづり込む者現る。

 ホトリの脱衣籠の中には、サラシ用と思われる無地純白の布が。

 そんなバカな。レイは己の目を疑った。今まで見たホトリのフラットなアレは偽装だったのだ。

 完全にしてやられた。


(これが隠れ――!)


 レイは、人生初の光景に呼吸も忘れて見惚れる。

 動きを止めたレイに、フタバは……。


「覗き野郎はそこに直れ!」

「は、はひっ」


 ソプラノがよく通る叫びは明らかにフタバな物だった。彼女はどすの効いた声で威嚇し、不審者を見下ろす。


「フタバ……さん?」

「ああ!? 人の名前を覚えてねえたあいい度胸じゃねーか! 俺の名前は双葉ふたよだ!」

「覚えてるもなにもフタバじゃないのー!?」


 なんだ、これは僕の幻想か。

 混乱極まるレイの脳内は、そうやって自己保護に走るのだった。

 世の中には変わった体質の御仁がいる。それは困った性質の人とも言える。

 ヒステリック等の後天的なものは除外して、今回は別のお話。

 いわゆる二重人格という奴。

 ここで留意してもらいたいのは、決して多重人格ではいということ。詳しくは、幾つもの種類が存在する、解離性障害の一つ。

 『解離性同一性障害』などと分かりにくく長文で表されたソレは、自己の内でもう一人の自分を形成してしまうもの。

 そんな有名な症状を持つ人間が、二人の男を正座させていた。フタバとホトリのシェアルームでだ。二人共寝間着姿になっていて、レイの乱入が無ければもうとっくに就寝の準備をしていたはずだった。


「よおクロ助。一週間ぶりじゃねえか。テメーがコイツを焚きつけたのは分かってんだ。大人しくゲロれ」


 ドラマでやるような茶番警察芝居を披露し、クロより口の悪さが目立つ彼女の名はフタヨ。

 容姿は二重人格ということでフタバと瓜二つ。まなじりが吊り上がり、目つきが悪人のそれに近づいた以外、変わったところはない。

 しかし、壮絶なこれじゃない感と不気味な気分がレイの中で生まれていた。


「そっちの白髪……テメーは新入りだな。随分とアネキと楽しそうに話してたじゃねえか、ええ?」


 フタヨの怒りがレイに向く。小動物程度なら即死させそうな眼力である。纏輪と得る前のレイだったら、ちびりそうな迫力だ。


(……アネキ?)


「もしかして、フタヨさんってフタバの妹なの?」

「あ?」


 喉を震わせた脅しに、身体が本能的に縮こまり、ぶるりと震える。


「つーか、アネキ呼び捨てでなんで俺がさん付けなんだよ。変だろーが。えーと……レオ」

「レイなんだけど」

「う、うるせえ、お前は今度からシロ助だ!」


 男の扱いが雑だ。

 クロ助はまだいい。名前がちゃんと入っている。しかしシロ助とは、まるで犬として見られているようだった。

 レイは、クロに相談しようとするが……そうして返っていたのは意味深なアイコンタクト。


(あ、き、ら、め、ろ)

(そんな語尾に星マーク付きそうにされても……)


「そんで、シロ助はクロ助に焚きつけられたのか? どうなんだ?」


 ぐいとレイに迫るフタヨ。クロは前科があるのか、どうにも独断の犯行とは思われていないらしい。

 実際に連れてこられ、背中を押されているので、それは間違っていない。

 だから、ため息をついてクロが喋り出そうとしたとき、レイはそこに横入りした。


「……俺が」

「僕が決めたんです!」

「お?」


 レイは自白寸前だった戦友の申告を見事遮って見せる。

 その潔さにフタヨですら意外そうな表情を隠しきれていない。


「ほぉう、だそうだぞクロ助」


 我が意を得たりと勢いに乗るフタヨ。とうとう盛大に踏ん反り返ってのドヤ顔である。

 顔はフタバそっくりだというのに、どうしてこうも殴りたくなる面なのか。レイはそれが不思議でしょうがなかった。

 クロはひたすら悔しそうにしている。


「くぅ……ここで退いたら尾美鳥黒様の名折れか」

「名はもう折れていると思うのです」

「あふう!?」


 ホトリの責め句によるストレートパンチをもろに受け、クロは座りながらよろめくという器用な芸当を見せた。


「クロ助は前科二犯だからな……よしホトリ、ヒヨリに電話しておけ、クロ助への罰はそれで釣り銭が来る」

「うげ!? ヒヨリ!?」


 これまである程度余裕だったクロが焦る。

 フタヨたちの反応や現在状況を考えると、クロの知り合いの女性かつ、それなりに立場が上の人間の話のようだ。しかし、それだけで取り乱すだろうか。

 まさかと、レイは思ったことを口にしようとした。その言葉はフタヨに取られてしまったけれども。


「ヒヨリはクロ助の彼女で幼馴染、だっけか?」

「とっても可愛くて綺麗な方ですう」


 フタヨとホトリがあっけらかんと言う。

 未だに動揺するクロに、レイは凍て付いた声音で問うた。


「クロ」

「ん、なんだよ」


 レイはわなわなと拳を震わせ、そのまま床に叩きつけて絶叫した。


「彼女がいるとは姑息なあああああ!」

「えぇぇぇぇぇぇ、なんでー!? 彼女がいると姑息なんて初耳だよ!?」


 彼女がいながら覗きを手伝ったとか、この際そういうことは無視する。レイはクロのそういうところを指摘したかったのではない。

 ただこの胸を突き抜ける、果てしない敗北感を吐き出したかっただけだ。


「クロ、君は親友だと思う。でも、君は僕の共犯にはなれない!」

「え……なんで俺が振られたみたいになってんの?」


 クロは呆然とレイの発狂を受け流すことしかできない。そもそも何が原因でこうなったのかすら把握できていない。

 ノンストップとなったレイは、まだまだ熱弁を振るう。


「今度からは僕が一人で達成しぁぁぁぁ、ギブ、ギブ! フタヨ、ギブゥ!」

「さらっと再犯予告たあいい度胸だな、シロ助!」


 唐突に首元の感覚がおかしくなったと思うと、レイは尋常ではない圧迫感に捕らわれる。

 それがフタヨの仕掛けたチョークスリーパーだと気付くのに数秒を要した。

 太腿を下敷きにし、肘をついてレイの首を締め上げる。柔らかい二の腕に挟まれたとは思えない拘束だった。


(く、苦しい)


 遺憾なく発揮されるウィジェルの身体能力が、レイの意識を飛ばそうとする。この後に至っては、控えめな乳様を堪能しようだとか、そんなおバカな考えは浮かばなかった。


(あ……頭の先が冷たくなっていくような……)


 目の前が白く、ちかちかと光の粉が舞う寸前、レイはフタヨから解放された。フタヨの腕の筋肉が弛緩したのだ。


「か、かふっ……な、なんで?」


 色の付き始めた視界をふと見上げる。

 フタヨはなぜか押し黙り、顔を赤らめていた。


「あ、あ……」


 レイが疑問を浮かべる前に、彼女は叫んだ。


「いぃやぁぁぁぁ!」


(フタバだこれー!?)


 フタヨの男勝りな語りとは打って変わり、フタバはとても女の子している。


「なんで不潔なスキンシップしてるんですか!? フタヨちゃんのおバカ! いくら期限が良いからって、こういうことはやめって言ってるのに!」


 きー、とピンク色の御髪を掻き乱すフタバ。

 どうやら自分の意思で任意に人格を切り替えることは出来ないらしい。そして、入れ替わっている間の記憶も大まかに残っているようだった。

 それは……とても恥ずかしいだろう。

 ルーム内がシンと静まる。


「レイ君」


 フタバの威圧が襲い掛かる。レイはその恐ろしさに声も出ない。


「今のことを忘れてくれとは言いません。でもですねえ、もしかたら明日になったら忘れてしまうかもしれませんねえ」


 レイは、笑顔の仮面がこれほど嘘っぱちに見えたことは無い。

 指関節を鳴らしながら、フタバは終始にこやかだった。

 パキ、パキ。

 骨の音がカウントダウンのように響く。


「レイ、頑張れ」

「何を他人事のように言っているのですかクロ君。貴方は私の秘密を暴露した戦犯一号なんですから、それなりの覚悟はしておいてください」

「そうです。私も胸のことは隠し通しておこうと思っていたのです。クロ先輩は全てをぶっ壊してくれたデス」


 女性陣の笑みの温度が最低値を記録した瞬間だった。局地的なあられが降り出しても、それはフタバの《候空》のせいだろう、きっと。


「さ、反省のお時間ですねえ」

「反省、反省でえす」


 その夜、二人の男の悲鳴がヘヴンズ静岡支部居住区画に響いた。



 ヘヴンズ静岡支部の屋上。ガラス張りの部屋から通じる、最上階中の最上階。そこで男が一人、ベンチに腰掛けていた。

 ゆったりとした仕草で星空を見上げる。そこには繊細な夜空が広がっていた。月の光は、男の水晶色の髪に吸い込まれる。


「随分と、嬉しそうですね……マイロード」

「こら、その呼び方はやめなさい。この場では、|私(、)は風吹龍一だ。まあ、監視装置などの無粋な物は、ここにはないがね」

「失礼しました、フブキ様」


 若い女に注意をする男――フブキは、夜空色に煌めく髪をじっと見つめた。

 二括りにした、大人しいツーテール。ホットパンツがお気に入りなのか、それとも何着も持っているのか。この間見た物と同一だった。


「私が嬉しそう、か。だが、そっちも似たような物ではないのか、ん?」

「分かりますか」

「分かるとも」


 フブキは大きく頷いて、また空を仰いだ。


「しかし、そうだな。呼び方か。僕は今後君をどう呼べばいいのだろうな」

「いかようにでも、元々の名前など捨てました故に」


 少女は跪き、フブキの指示を待つ。忠実に、堂々と。その存在感は、まるで彼女の直上にある眩い星のようだった。


「そうだね、ではいつも通りだ」


 ――ツバサ。


「はい」


 ツバサは頭を垂れたまま、静かに応える。それから、フブキに促され、同じくベンチに座った。


「片翅嶺……君と同じ降臨型だ、興味深いだろう?」


 フブキは夜風を頬で感じながら、レイの話を切り出す。これに対するツバサは、もちろんイエスで返した。


「是非もありません。彼が私と同じなら、それは繋がりを経て、いずれ交わりましょう」

「ツバサ、君はロマンチストになったね」

「それは師がフブキ様だからです。間違いないでしょう」


 フブキは一本取られたと思いながらも、少し照れた。子供の頃から自分を見て育ったツバサだから、それも仕方がない。


「レイ君は、どちらを選ぶのだろうな」

「どちらとは?」


 ツバサはきょとんと聞き返す。


「人か、天使か……さ」


 その返答にツバサはやっと理解を示した。


「我らウィングズ、フブキ様の命とあらば人を捨てる覚悟など当にできております」


 隣でフブキの格好を真似したツバサが、空を見上げる。

 そこからは、ペルセウス座が悠々と彼らを見下ろしていた。



 一週間後、レイは見事に纏輪の召喚を成功させる。一か月後にはソードシルエットとガンシルエットすらそつなくこなして見せ、あっという間に初任務の時が近づいこうとしていた。


お読みいただきありがとうございます。

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