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片翼の纏輪  作者: 物語あにま
片翼の半天使たち
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人と天使の境にいる者

 姉と弟の赤面ものの愛情の確かめ合いは過ぎ、レイは再びフブキと相対する。


「すごいご家族だったね。久しぶりに感動したよ」

「はは……ありがとうございます」


 マコトは、なんと毎日レイの声が聞きたいと、朝夕のフォンコールを約束して帰った。最後には、《暴君》に引き摺られて自動扉を越す有り様である。

 後に母が語るには、盛大に泣き散らしての帰還となったよう。


(《暴君》特別調教コースに行かないことを祈ろう、南無三) 


「それでねカタバネ君。いや、レイ君と呼ぼうか。残念なことに君は所属支部を選ぶことはできない。原則、纏輪覚醒者は本籍から一番近い支部に配属するのが規範さ」


 ありがたい規則だ。これで週に一回くらいはマコトに会えるだろうか。

 そこでレイは、クロが破顔しているのに気付く。静岡支部に属するのなら、彼のチームメイトとなるということと同義だ。


(……クロたちも静岡在住? でも、静岡にフォールが現れたのは昨日が初めてだ)


「腑に落ちないよね。フタバ君たちは、つまりイレギュラーだ。イレギュラーって点だけならレイ君も大差ないけど!」


 フブキはさぞ可笑しいのだろう。喉に詰まるような笑いを堪えている。

 レイが若干ムッとすると、ようやくフブキは最後の一笑をやめた。その表情は、まるで不可抗力だよとでも言いたげだ。


「レイ君も知っての通り。過去、静岡県にフォールが出現した記録はない。しかしそうすると、教えてもらったと思うけど、ウィジェルは生まれない」


 必然的に、ウィジェルの数が揃うまでは他支部から派遣される者が出る。これなら道理に敵う。

 フタバとクロは三年も前から、ホトリは一年前から静岡支部に勤めている。と、フブキはさらりと部隊紹介までした。

 県民のレイは、下げる頭が足りなくなって困ってしまう。


「詳しい話は後日、順を追って話そう。一度に聞いては頭がパンクしてしまうからね」


 などとフブキに気遣われたときには、夜の帳の降りる頃となっていた。

 明日、レイは正式に部隊配属され、メディカルチェックと纏輪講義を受けるだろう。一番の楽しみである纏輪召喚はもちろん、フタバたちとの顔合わせも改めてするとのこと。

 レイはまたクロと話せるのかと心を弾ませるのだった。



 早朝。六時ジャスト。

 へヴンズ静岡支部のゲストルームで電子音のモーニングコールが鳴り響いた。

 レイの仮部屋である。


「スイッチ……」


 慣れない音に反応して、むくりと起き上がる。


(スイッチを探さないと……)


 レイはベッドの上を這い、ストップボタンを捜索。カチ、と寝具の頭側の壁のボタンを押した頃、既に起床から三分は経っていた。

 モニタリングされた電子時計だと、やっぱり味気ない。自宅から郵送で目覚まし時計を届けてもらいたい。


「ふわっ、あ~。朝食は七時からって、言ってたかな」


 しかし、この妙に胃を絞めつける空腹感はどうしたことだろう。頭で考えるより先に腹が返事をするというのは、レイにしては珍しい。

 扉に備え付けられたポストに、ラッピングされた制服がすっぽりと納まっている。レイの就寝中に届いたようだ。

 包装に着こなしの説明書きまで入っていた。何故か、採寸ピッタリのへヴンズ仕官制服に腕を通す。


「気を失ったときに測られた……?」


 考えられるのはそれくらい。まあ、テンポが良いのなら文句のつけようはない。感謝して着させてもらう。

 姿見には、軍人となった青年の姿。


(わあ……カッコイイ)


 中学、高校の制服なんて目じゃなかった。感極まって、鏡に向かって敬礼。


「ふふ」

「おーい、起きてっかよー!」


 クロだ。馴染みの声で自動ドアをノックする。

 レイを迎えに来たのだ。


「み、見られなくて良かった……クロ、おはよう! 今開けるから」


 急いで扉を開けに走る。クロは今日も眩しく笑っていた。


「まだ朝食には早いよ?」


 まだ三十分以上の時間がある。ご飯の抜け駆けでもしようと誘いに来たのかもしれない。


「バァーカ、へヴンズの食堂は券売機なんだぜ。おちおち待ってたら、先越されちまう」

「あー、現地あるあるだね」 


 どうやら所見殺しというか。初参加者に不利なシステムらしい。

 それでも、クロはレイを放って自分だけ行くこともできただろうに。きっと、おまけに付く汚い一言は照れ隠しとして添えている気なのだろう。


「やっぱり、クロは優しいね」

「よせやい! ほら、イクゾ」


 微笑みにたじろぐクロ。

 レイの方も、あまりに自然に笑う自分がおかしくてしょうがない。高校生くらいになると、友達に向ける笑顔の種類も増えるものだが、今は素朴に微笑みを浮かべられた。


(本当に、生まれ変わった気分だ)


 背中の纏輪は案の定答えない。暖かな熱量を宿すだけだ。

 やがて、人の賑わいが濃くなる。


「そろそろ食堂だ。多分フタバとホトリちゃんもいるから、話してこいよ」

「げぇ……」


 フタバには昨日、ありがたいお話を貰ったばかり。レイの口元が波打つように歪んだ。それをクロがニヤリと煽る。


「なんだよぅ、怖いのかカタバネ」

「う、ちょっと」

「正直な奴だなー、わからんでもないけど!」


 けらけら笑うクロが精神の癒しとは。レイは、ははと力なく肩を落とす。


「噂をすれば、二人とも並んでるじゃん。おっはよー、フッタバー、ホトリちゃ~ん」

「おはよう、ございます」


 隣でさわやかに挨拶できるクロのなんと羨ましいこと。対照的にレイの声調はぎこちない。


「クロ君……とカタバネ君、おはようございます」


 とても明るい鳶色の瞳がじっとりとレイを定める。


「クロ先輩おはデス。カタバネさんおはようです」

「ホトリちゃん……新しいお仲間がいるんだから、抑えてくれよ」


 ホトリはクロにだけ意味ありげな口調で返した。深い蒼海色の網膜は淡々と相手を捉える。


「珍しい。クロ君は、人見知りが激しい方だと思っていたんですけど。まあそういこともありますか、ではお先に」


 早く行動した甲斐あって、フタバはそう並ばずに券売機の前へとありついた。列はホトリ、クロと順に引き継がれ、消化される。

 番が回ってお札を入れるたレイは、重大なミスに気付く。


(メニュー決めてない……)


 何が不味いって、レイの後ろにも何人も並んでいる。早く券を買わなければ背後から視線で刺され、針の筵に……。


(ひい、は、早く決めないと!?)


「あ……あえ?」


 よく分からないボタンを押してしまった。出口からヒラと落ちる紙切符。


『若鶏のから揚げ(定食)』


「朝から、揚げ物」

「ガッツリ行くな! 流石、生身でフォールに突っ込むだけあるぜ! アイテッ!?」


 ざわ、と周囲が一気に沸きたった。「こいつが静岡初の」とか「今時、気違いかよ」とか。レイは好奇の視線に晒される。

 背中を叩くクロに、フタバが拳骨を振り下した。


「このおバカクロは。いらっしゃい、カタバネ君」

「う……ん」


 手を引かれる。フタバが先導して、レイを牽く。


(なんだろう、嫌な感じ)


 マイノリティとかそういったものを通り越して、壁を隔てられた疎外感。フタバ隊を囲む人の壁は、レイに得体の知れない閉塞感を与えた。


「気にしない方がいいですよ……ここでは特に」


 フタバは親しんだ言葉となったソレを吐く。その呟きは、一匙の悲壮をレイの飢える胃袋へと運んだ。


「そう……なんだ」


 納得は出来ない。でも、きっとそういうこと。


「早く受け取って、食べちゃいましょう」


 二人の視線は、テーブルに陣取った仲間の方へ。

 向かいの席で腕を振るクロ。ボウッとアジの開きを見つめるホトリ。彼らは、何も見なかったようにレイたちを待っている。


「お待たせしました」

「おう、良いってことよ」

「……いただくです」

「いただきます」


 三人とも手を合わせたので、レイも一緒に済ませた。

 油の滲む唐揚げの衣を箸でつまむ。まあるい衣揚げを口に持っていく代わりに、拙い疑問をぶつける。


「なんで、さっきあんな風になったんだろ」

「それは……」


 クロが言葉に詰まる。彼の食べる力蕎麦のせいではないだろう。どうしようもなく黙り、何かを言おうとして止めた。


「人間じゃ、ないからですよ」


 背筋が凍る一言だった。レイとクロとホトリの三人にしか届かないくらい小さい声。


「フタバ……さん?」

「私たちは、人間じゃないらしいですから」


 フタバは自嘲気味に鮭の切り身をつつきながら、二回目を言う。


「人間じゃ、ない?」


 レイの手元から箸が落ちた。

 聞いてはいけないことだと、頭では理解していた。後悔するんだろうなと分かっていた。

 レイの元に返る答えは、呵々と笑い飛ばせそうな世迷言にしか聞こえない。


「人間じゃない? でもご飯食べて、寝て……こんなの人間じゃないか」


 苦し紛れの理屈だった。フタバたちの人間離れした身体能力、何より纏輪の力を見て、レイも使ったのに。

 フォールを淘汰して見せた金色翼は、人類の希望ではないのか。


「カタバネ、昨日からトイレに行ったか?」

「は……そんなの」


 クロは、何を当たり前なと思うことを訊く。加えて、食事の場に相応しくない質問だ。

 女性陣から冷たい眼差しが飛ぶが、クロは怯まない。


「行ってない、けど」

「だろ。俺たち、排泄が必要ないんだよ」


 そんな不合理があってはならない。だが、確かに昨日からレイは、大もしなければ小すらしていなかった。

 生涯で一番、記憶違いを疑いたくなった瞬間だ。

 代謝をしない生物は、生物にあらず。生物でないなら、人間にあらず。動物とさえ、認められるか怪しい。


「姿も、変わらない、です」


 ホトリも吹っ切れたのか、消え入りそうな声で話に加わり始めた。レイの憶測に過ぎないが、彼女もほんの一年前同じ経験をしたのだ。


「変わらないって……不老ってこと?」


 愕然としながらも話に喰らいつく。指先が震える。なんとか事実をかみ砕こうと食いしばった。

 怖いもの見たさという奴だろう。自分が何者であるかを知ることに、レイは恐怖している。

 惜しいことに、レイはその先は聞けなかった。


「皆さん、」


 隊長のフタバが全員を制したから。凛としたソプラノは気持ち硬い。


「早く食べてください。カタバネ君はこの後、講義で嫌でも聞きますよ」


 そうでした、とフタバは思い出したように言う。レイではなく自分のトレイを見ながら。


「レイ君……と今日から隊の中では名前で呼びます。私たちのことも名前で呼ぶように。早いうちに慣れてください」


 嬉しい告白。けれど正直、今日このタイミングだけは勘弁してほしかった。

 彼女のシメの談を皮切りに、一団は暗い食事を再開する。

 レイは黙って盆に転がる箸を掴む。箸は取り落とされず、若鳥は大人しく口に納められる。


「僕たちは、人間だ……」


 その声は掠れていた。だから、同卓する三人は聞かない振りをした。

 朝食は無理にでも飲み込んだ。こんなの無駄な行為じゃないか。レイはそのことを必死に考えないようにした。

 席を立ってからも足取りに軽やかさが無い。昨日は、舞うようにスキップしていたのに。


「レイ、ずっと黙ってんな」

「……です」


 フタバの後をレイが追い、残り二人もその背中に付いて行く。

 メディカルチェックの開始まで自由にしていいとの事だが、レイは忘れている。難しい顔をして歩いているだけだ。


「わからんでも、ないんだけどねえ」


 フタバは、水で清めた言葉の刀で、人間としてのレイの首を落としたのだ。彼女は部隊長として、後で知るよりマシという判決をしたのだった。


「…………です」


 こればっかりは本人の気力がものを言う。ホトリは当然ながら、クロも掛ける言葉がない。二人は隊長に全て任せることにした。


「そういえば、レイ君あの書店に居ましたよね」

「えっ、あ、ああ。でも、フタバがへヴンズなのはわからなかったよ」


 レイは空返事で答えた。お互い顔は合わせていない。


「えっ?」

「ん?」


 フタバは素っ頓狂な声を上げて、レイに振り返る。

 レイの灰色の瞳もフタバを見ていた。

 よくよく考えると、フタバはへヴンズのバッジで勘づかれたと思ったのだろう。だが、レイは無知ゆえに彼女の身分に気づくことは無かった。


「私、早とちりをしていたんですね。念には念をいれて、行動しなければならない立場ですから、仕方ないんですけど」


 念には……というと不審者然とした、かの一部始終のこと。レイは書店でフタバに出会い、更には不躾に凝視した。

 うかつなことに二人は勘違いをしたままだった。


「だから、ニット帽にサングラスなんて怪しい格好してたんだね」

「あ、怪しかった? そうですか……」


 フタバだって、本気で自分たちが人間じゃないなんて思っていないだろう声音からは温かさを感じる。彼女が真面目で優しいのは、数日の付き合いしかないレイにも分かる。

 真面目故に、誠実に事実を言う。優しい故に、レイの様子を案じずにはいられない。人間の心には、温かみがあるのだ。


「うん。不審にキョロキョロしてたげど、可愛かった」


 レイはフタバに救われた時、場違いにも惚れていた。本人の素直な性格も相まって、つい口説き文句がポロリと出てしまう。


「……あ、ありがとうございます。照れますね」


 ド直球に恥ずかしがるので、レイまで赤面しそうになる。ちょっと冗談が伝わらないのは、多分魅力の一つだ。

 そんな初々しい二人の様子を、外野は意外そうに見ていた。


「元気になったぞ」

「です」

「しかも、いちゃいちゃしだしたな」

「良く言うです。クロ先輩とヒヨリさんのらぶっぷり、たいして変わらない、です」

「むぅ」


 クロはホトリの指摘にぐぬぬと唸るのだった。

 気が軽くなったレイは、自室待機を受け入れ、大人しくしていた。

 ゲストルームと言うには、変わらず無機質で愛想の無い部屋。それでもいい。シーツを好き放題に荒し、レイは枕元に転がる携帯端末を手に取る。


「そうだ、お姉ちゃんに電話しよ」


 ……プル。


『もしもしっ!?』


「うわっ!」


 待ち構えていたとしか思えない。実際、携帯端末を握りしめて待っていたのだろう。声の主、マコトはレイのフォンコールを動力源に今日を生きる。


「昨日あんなにくっついてたのに。もう寂しくなっちゃったの、お姉ちゃん」


『当たり前だよっ!? お姉ちゃん、レイのことしか考えてないからっ!』


(それは……色々と、支障があるよお姉ちゃん)


 しかし、姉らしい。呼び出しのワンコールの暇すら与えない。その有言実行ぶりは、漢の約束クラスの領域に近づいている。

 レイの苦笑が通話として聞こえるのだろう。マコトの拗ねた様子が目に浮かぶ。


「やったあ、レイ笑った! 今日も無事に生きられるよー!」


(読み間違えたなあ、苦笑いではしゃぐなんて)


 レイはブラコンを嘗めていた。これだからマコトの存在はズルい。


「うん、良かった。……あ、お姉ちゃん」

「なぁに?」

「僕は、母さんと父さんの子で、お姉ちゃんの弟、だよね」


 少し弱気になっている。心が脆くなっている。体に心が引っ張られるとはこのことを言うのだろう。人の道を外れたという不安が、レイにこんな言葉を吐かせた。

 マコトが弟離れできないように、レイも姉離れできていない。それが片翅嶺を繋ぎ止める、最後のつむぎでもあるから。


「当たり前だよっ!」

「……!」

「じゃあ、今日はもう学校行くね! 災害があったのにすぐに再開って、学校ってところは逞しいよね! よーし、また夜話そ!」


 プツと接続が切れた。

 シーツには大量のシミができてしまっていた。全部レイのものだ。

 濡れた目元を袖で拭う。メディカルチェックのためにフタバたちが迎えに来ると言うのに、これはイケナイ。

 姉の溺愛にはまってしまわぬように、顔を洗っておく。


「だから、お姉ちゃんはズルい」


 洗面台の水を止め、マシになった自分の面を確かめる。

 レイの欲しいものを的確にくれる。幼少からいつもそう。マコトは、それを無自覚にやってのけてしまうから、今でも自慢の姉だ。


「レーイ、もうそろそろ行こうぜー」

「……来ちゃった。待っててクロ、今行くから!」


 どうやらレイの案内役としてポジションなのか、朝食の時同様クロは一人だ。


「おう、すっきりした顔しやがって。生意気だぜ、このダチ公め!」

「ダチ公……?」


 レイがハテナを浮かべている。聞きなれない言葉だ。


「あれ、最近使わない? 死語だったっけ。友達だよ、ダチ」

「ああ、え。僕、とっくに友達かと思ってたんだけど……」


 きょとんとするクロ。からの大笑い。

 二人きりの廊下だから、声がよく通る。


「はーはっはっは、やっぱお前図太いわ! さあ行こう、アッハハ!」

「え、え?」


 レイはいきなり肩を組まれたことに困惑しながら、一日前に寝かされたメディカルルームを目指した。

お読みいただきありがとうございます。

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