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片翼の纏輪  作者: 物語あにま
片翼の半天使たち
6/153

半天使の帰る場所

「う……ん。うーん……ん?」


 片翅かたばねれいはもぞもぞと身体をよじる。ついでに寝返りを打った。


(柔らかい。そうか、家のベッドか)


 滑らかな心地のシーツの上で丸くなる。薄地の掛け布団を引っ張り、中に籠ってしまった。


(保健室のベッドってこんな感じだったな……あれ、保健室? あれ!?)


「家のベッドじゃない!?」

「当たり前だ、寝坊助」


 布団にくるまったまま、レイははっと覚醒した。外界から聞こえる声には聞き覚えがある。どこかお調子節が効いた青年の声だ。


 レイは恐る恐る布の端から顔だけ出した。


「クロ!」


 そこには確かに見知った人物がいた。ヘブンズの士官制服で着飾っているが、紛れもなくクロだ。彼は膝に頬杖をついて、ベッドの横に座っている。


「ハハ、名前を知られてるとはこの尾美鳥黒も有名人の仲間入りだな」

「あ、それはフタバさんが呼んでいたのを聞いたからで……ってそうじゃないよ! ここはどこ!?」

「そう焦んなよ、片翅嶺」


 わざとフルネームを言ったのだろう。クロの一言でレイはピタリと制止した。


「お前のことについて、うちの諜報科に少々調べてもらった。失礼なこととは承知している」


 クロがコホンと咳払いをする。会話の間に区切り良く。


「ああ、後な。俺らが今いるここは、医療施設だから」

「そうなんだ、ありが」

「へヴンズの占有する、な」

「……今、なんて?」


 可笑しい。とんでもなく突飛な一言が余計な気がした。レイは話について行くことすらできなかった。すると、クロはやっぱりかと言いたげに頷く。


「お前は六月二十日の昼からたっぷり半日、昏睡してたんだ。それで、お前を静岡支部まで運んだのが俺たちへヴンズさ」

「は、半日!?」


 そうである。レイはクロの手助けをしたくて、フォールに喧嘩を売ったのだ。それからどうなったのか。頭に余計なごちゃごちゃがつまっているようで思い出すのには時間がかかりそうだ。


「あ……ほいこれやるよ」

「鏡?」

「そうだ、うちわにでも見えたか?」


 レイが渡されたのは手鏡だった。初夏とは言えうちわは必要ないだろうと、持ち手をくるくると回し……。


「なんだ……この髪、それに目の色も……」


 手鏡に映る白髪(、、)を指で挟み上げる。摘まめたということは、自分の髪なのだ。続いて、あっかんべーの形でまなじりを吊り下げる。石灰色の虹彩が意思に応じて動くので、自分の眼球だろう。鏡の向こうの住人に思わず挨拶しかける。だが、左右をきっちり真逆にした彼は別人でもなんでもない。鏡越しのレイ本人だった。


「驚いたか? こいつはドッキリじゃない。そして、お前は半天使……ウィジェルになった。昨日のことだ、思い出せ」


 クロは耳に小指を突っ込みながら、丸椅子の上で胡坐をかいた。面倒臭がりな性格らしい。そして親父っぽさが滲んでいる。


「フォールを拳銃で撃って」

「ふんふん」


 クロがテキトーに相槌を打っている。どうやら、レイの話を聞き流している……つもりではないようだ。

 再び、記憶を掘り出しに戻る。脳みそを信じるなら、昨日……。


「それから、クロが凄いことして」

「……んん、続けてくれ」


 語彙に乏しい感想を貰ってクロが照れる。今更顔をキリリとさせてもと、レイは苦笑いしかできなかった。嬉しげに椅子をかたかたさせているから、イマイチ始末に困る。


「そこで突然身体の力が抜けて……背中が熱くなったと思ったら……はっ!?」


 レイは真っ青になって腕を後ろに回す。ぺたぺたと触ってはフォールに付けられた傷を確かめているようだった。


(ある。それにこれは)


「ほんのり温かい」


 例えがたい熱が患者服の下で蠢いていた。


「温かい、か。そう感じるのなら、間違いなくカタバネは纏輪に目覚めたんだな」


 まるで最終確認とでも言いたげなクロ。対してレイは、纏輪という単語に目を輝かせた。


「おお!?」


 纏輪を呼び出してみようと、うんやらすんやら唸る。もしもフォールを潰した巨翼を使えるなら、空を飛べるかもと思ってのことだ。


 しかし、レイの背に金色輪は出現しない。頭痛を起こしそうなほどお願いしても、面白いくらいに無反応だった。


「出てこないよ?」

「出るわけないだろ。俺だって自力で出すのには、って話が逸れたな。……うん、とまあカタバネが纏輪の存在を認めたから、次に進もうか」


 クロが個室病棟のドアに向けてパチンッと指を鳴らす。


「「……」」


 だが、なにも起こらなかった。


「あ、あれえ? フタバさ~ん、ホトリちゃ~ん? 呼んだんだけどぉ……」

「……実はいないんじゃ」

「ぐぬっ、そんなはずは」


 解せない思いで扉に手をかけたクロだが、それを邪魔する者がいた。レイではなく、外部の人間。


「まったく。始めからそうやって声をかけてくださいクロ君。何をすれば良いかわからないじゃないですか」


 桃色の御髪と瞳の鳳凰寺ほうおうじ双羽ふたばは、少しばかり困惑を宿す声音をしていた。


「ホントですよ。クロ先輩がカッコつけて指パッチンなんかするから、ウチの隊は変、なんて言われるんです」


 こちらはブルーハワイ色の鮮やかな髪と目。レイの知らぬ、嶋崎しまざきほとりという少女は、呆れて首を振りながら姿を見せる。正当な文句から意味不明な罵倒まで盛り合わせたお言葉を、クロは尻餅をついて聞くことになった。


「フタバはともかく、ホトリちゃんひっでー」

「ほら、お客人の前ですから早く立って」


 フタバに促され、体勢を整えるクロ。しかし、彼は椅子に座らず、隊長の後ろに急く急く付いた。


「何ですか、クロ君」

「ふふ、俺の役目は終わったからな。ここからはフタバ隊長様に任せるぜ」

「はあ」


 攻勢に出にくいと判断するや否や、クロは瞬く間に一歩引く姿勢をとったのだった。昨日の勇姿はどこへやら。フタバの溜息で話は続く。


「まずはカタバネ君にクロ君を助けてもらったことを感謝します。ありがとうございました」

「俺からも、ありがとう」

「……うん」


 フタバのお辞儀に合わせて、長座をしていたレイもぺこりと頭を下げる。ほぼほぼ自分の意思で動いていたので、身体中がむずむずするようだった。クロは相変わらずマイペースを貫いている。最低限手を挙げるだけで済ませるのが、気楽そうな彼に似合う。


「では、私情のお話はここまでにして」


 本題に入りますとフタバは場の空気を引き締めた。


「カタバネ君は昨日、纏輪に目覚めました。このことは先ほどクロ君から事情は聴いていると思うので省きます」

「はい」

「しかし、纏輪の制御には今しばらくの時間を要します。……クロ君、お願いします」


 丁寧な口調の要請が飛び、クロの顔付きが変わった。そして、右回りに展開される輪っか。 摩訶不思議な金色輪は今日も好調らしく、眩しく輝きを放っている。


「おお……」

「驚いているところ恐縮ですが、貴方もこれを使ったのですよ。このように自由に扱うには相応の訓練をしてもらう必要はありますが」


 フタバも纏輪を両くるぶしから展開して見せる。直径十センチサイズの小ぶりの輪。それぞれちょこんと芽生えた板状の羽が可愛らしく羽ばたいた。加えて、最奥で暇そうにしている女の子、ホトリも右手甲の纏輪を出していた。


「ふあっ……」


(神聖そうなのにあくびの口を押さえてるし……いいのかな)


「今は当たり前のように纏輪を扱っていますが、元を辿れば私たちへヴンズの戦闘員も殆どは普通の人間だったのです。――貴方と同じように一般人です」

「へ?」


 唐突に語られる論に、レイは昨日ぶりに間抜けな声を上げる。


「フォールとは、纏輪とは何なのか。その答えを聞けると胸に期待を寄せていた片翅嶺。しかし! 彼が聞かされたのは、一般人がウィジェルになるという驚愕の事実だった!」

「えっと、クロは何を……」

「いつものおバカが発症しただけなので、お気になさらず」


 フタバはクロに一瞥もくれなかった。むしろあえて触れないことが正しい対処だと思っているようだ。

 レイとしては楽しそうで何よりと言いたいところ。二人の女性がいる手前、大見得切って口に出来ないのが辛い。


 だがまあ、纏輪の真実にも興味津々であるから、レイはあえて無関心を装う。クロは誰にも触れられず、荒んで体育座りを決め込んでしまった。


「あ、続きをお願いします」

「そうでしたね。ええ、ウィジェルには一般人出が多い。これがなぜだか分かりますか、カタバネ君」


 わからないと発しようとして、レイは口をつぐむ。何を隠そう、自分自身が全てを物語っているのである。背中に宿っているはずの金色輪がその証明。


「フォールに襲われる……からです」

「ご自身の実体験を良くお覚えのようで何よりです。一つ訂正すると、二十歳未満(、、、、、)の人間がフォールに襲われると纏輪を発現する、もしくはしやすい、でしょうね」


 随分と裏のある言い方に、レイは顔をしかめた。フタバの語りではまるで。


「まるで、二十歳以上は死んでしまう……みたいな言い方ですね」

「理解が早いですね。その通りですよ」


 レイの驚きはもはや限界を越えていた。いつの間にか復活したクロが、ホトリにパイプ椅子で殴られているのも気にならないほどだ。


「つまり、現役のヘヴンズ正規戦闘員で三十路に達している者は一人としていません。皆が少男少女であり、青少年らということです。見た目はともかく……」


 フタバが捕捉説明するに、二十歳前とその後では心的な要因が大きく関係しているという。十に達していない人間も纏輪に目覚めた記録はないそうだ。それについて、深く話すことは禁じられているとのこと。


「政府がこれを広言しないのは、むやみやたらに貴方のような(、、、、、、)自殺志願者やウィジェルを生み出さないことを重要視しているからです」


 含みのある視線と刺のある言葉がレイをいじめる。


「あ、あの」

「何ですか?」

「もしかして……怒ってます?」

「ええ、良くお分かりですね。そうですよ。私の警告を聞かず、警官さんにも迷惑をかけて、果てにはウィジェルになった、元一般人のカタバネ君」


 レイはその後長時間に及ぶ説教を受けることになった。フタバの責め句から解放されたのは、時計の長針が一周をしたころだった。「では行きましょうか、カタバネ君」の一言で、個室病棟から連れ出されたわけだが、どこへ案内されるとも告げられていない。


 レイの怪我はウィジェルになった際の回復力で、とっくに解決していると言う。その通りとして身体に痛みも変調も無いので、これには頷くしかなかった。


家族にも話を通しているらしく、それをダシにする会話の逃げ口は完全に塞がれていた。クロとホトリは理解の上で付いて来ているようだし、混乱しているのはレイくらいのものだ。


「ねえクロ、僕はどこに向かってるのさ」

「秘密」


 とクロは守秘義務でもあるのか、答えない。


「……」


 交流の全くないホトリなど、部屋から出た後も終始無言。おかげでレイは、無駄に長く続く廊下の寂しく感じられること。


「着きました」


 気持ち大きな扉の前。レイはフタバの号令で顔を上げる。


「ここは?」

「司令室です。支部長から詳しい話を聞いてもらいます」


 フタバが扉の開ボタンに手を掛ける。


「フブキ支部長、部隊長の鳳凰寺双羽です。隊員二名及び、保護観察対象の片翅嶺を案内しました」

「うん、ご苦労様」


 声の主は若い男だった。


(支部長、若いな)


 高く見積もっても二十代後半だろう。下手すれば二十代前半か。綺麗に剃毛された口元が若々しく映る。


「……」


『現役のへヴンズ正規戦闘員で三十路に達している者は一人としていません』


 レイはもしやと思う。

 フブキは立派なワークデスクからレイを視線で射貫く。柔和な表情はきっと飾り。


「彼がカタバネ君か。なるほど君は白、なんだね」


 そう言ったフブキは、澄み切った水晶のように透けた前髪を指先で退ける。部屋の照明もさぞや仕事のし甲斐がある色合いだろう。レイは思い切って先手を取ることにした。


「あの、こんにちは。僕は片翅嶺です」

「はい、こんにちは。僕は風吹ふぶき龍一りゅういちだ」


 言葉はやんわりと、表情は互いに固い。観察眼のないレイでも薄々感じる、フブキの底知れない危険な雰囲気がそうさせるのだろう。間を置かず、フブキは硬い表情を崩した。


「そんなに息を詰めることは無い。ここでは君はゲストなんだよ」

「ゲスト?」


 腕を広げ、歓迎の意を主張するフブキ。レイは改めてフタバたちを見渡す。ゲストと言い張るには、フタバたちの対応があっさりしすぎな気がした。


「彼女たちには少し伝言を頼んだだけでね。本当に大事なことは僕の口から伝えたかったのさ、よっと」


 フブキはすっと立つ。身長はレイよりも十は高い。いや、もっとだ。ドアをくぐると頭がぶつかりそうなほどだ。

 桃色髪の部隊長が気にしていないということは、支部長の行動は普段からマイペースということなんだろうか。


「うん、君たちも来るんだ。ここから先の話は指揮者室オペレータールームでしたいからね」


 にこやかに微笑んだフブキに促され、レイはまた移動かと肩を竦める。取って食いはしないからと、フブキは言う。


 指揮者室は司令室からそれほど離れてはいなかった。うろ覚えで数十歩進んだくらい。


「入ってくれ」

「はい」


 指揮者室。レイは心して敵地に踏み込み……。


「レェェェイィィィィィィ!」

「おぶっ……!?」


 何者かにタックルで押し倒された。頭を打ってもおかしくない勢いと盛大な涙声も一緒に。


「ぶじでよがっだあぁぁぁぁ!」

「お姉ちゃん!?」


 胸元にぐりぐりと顔を押し付けて泣きじゃくるのはレイの姉。黒髪をポニーテールに仕上げた、元気印の女の子。弟を溺愛する片翅家の誇るブラコン。片翅かたばねまこと。しかし彼女はレイを見るなり、赤く腫らした目をくわっと見開いた。


「ぐすっ、あれ? レイがお爺ちゃんになって、る?」

「僕はそれよりもなんでお姉ちゃんと父さんたちが居るのかを聞きたいよ……」


 もうわけが分からなくなってフブキを見る。彼はにこにこと始終を眺めているだけだ。マコトにこれまでの経過を説明するのには少しの時間を必要とした。


「そっかあ、纏輪を使えるようになると髪の色とか変わるんだねえ。それを聞いて安心したよお、レイ~」

「お姉ちゃん、人前で抱きつかれるのは恥ずかしい……」


 マコトの背は長身のフブキにも劣らない。流石バスケットボールプレイヤーというべきだ。レイを抱き枕のように後ろから絡めとり、二度と放さんとばかりに意気込んでいる。柔らかなバストと、ぴすぴすと荒い鼻息が当たっていた。


 指揮者室の面々もこれにはほっこりとした微笑みを禁じえない様子。


 唯一割って入れる《暴君》母は、フブキの説明を待っているようでマコトを止めず。父は父でまあいいかと納得している。いくら待ったところでマコトの腕が緩まないわけである。


「ご家族に来ていただいたのは、レイ君の今後を知ってもらう為です。更に加えると、フォールとへヴンズの関係を含んだ話も少々したいと思っています」


 フォールのところでマコトの力が強まった気がした。すぐに元に戻ったけれども。


「前置きは結構よ。私たちはレイが今どうなっているのかを聞きにここまで来たのです」


 暴君が容赦なくフブキに突っかかる。不思議なことに悪意は篭っていない。我が母ながら面妖な人だと思う。


「母君の意見は最もです。では……まずレイ君のことですが、彼は静岡支部預かりになる予定です。要するにヘヴンズ正規戦闘員への配属です」


 つまるところフタバやクロ、ホトリと同じくフォールとの命のやりとりを承知するということ。


「つまり、レイは軍属の扱いになるんですか」

「政府の認可組織ですので……そういうことになります」


 レイには、母の考えていることはよく分からない。いつも命令される側で、深く話し合うこともなかった。


 ただ、レイは今まで自分の意見を真っ直ぐ伝えてきたつもりではある。その度、説き伏せられ、夢を諦めさせられてきた。


「レイ……」


 振り替えってレイを見る母。いつものように表情は乏しい。けれど、寂しさが見えると思うのは息子としての傲慢なのだろうか。


「お母さん! 私、」

「マコトは黙っていなさい」


 恐らく、レイのへヴンズ入りに一番後ろ向きなのはマコトだ。だから、暴君は親の厳しさで牙を剥く。レイが他人に左右されぬように。レイの望みを真っ向から受けてきた暴君だからこそ、強制的に人外となった息子に問い掛けるのだろう。


 それは、レイに甘く優しいマコトにはできないこと。


「レイは……どうしたいの? へヴンズに……入りたい?」


(母さんのこんな声、初めて聞いた)


 本当はもっと聞きたいこともあるだろうに。母はあえて声を絞り出すように問うのだった。


「僕は、」


 マコトがレイを力強く抱きしめていた。彼女は愛する弟が行ってしまうことを無意識の内に察している。しかし、態度で示しても人の、レイの意思を止めることはできない。


「僕は、ヘヴンズで戦うよ」

「……っ」

「ごめん、お姉ちゃん。僕はクロやフタバさんに助けられたから、今度は僕がへヴンズで誰かを助けるよ。それに……」


 レイは胸に満ちる充足感を打ち明けた。


「僕は纏輪を、欲しかった翼を貰った。だから、危険でもやりたい」


 人外になったことへの恐れはある。それを言葉にすることは出来ない。言ったら、絶対に家族総出で止められるだろう。


(あの天使との約束を果たしたい。それに僕と同じツバサの少女も気になる……)


「母さん、これでいいかな」


 母の瞳を見返す。心中で暴君と呼ばれ続けた彼女は、いつの間にやら鉄仮面を綻ばせていた。レイの答えを悟っていたように、淡く吐息を漏らす。


「……もう、決まっていたのね」


 母に分からないはずがなかった。レイが本当に望んでいた思いを。小さい頃から空が好きだったレイを思い出す。当然、もっと言いたいことはある。事件を聞いた当初こそ、暴君は鉄仮面の下で怒り狂っていた。

 しかし、そのあがきはここまでだ。息子の一人立ちは、たった今来てしまったのだ。


「レイ」

「父さん……」


 レイは半ば驚きを込めて、父を見る。母に断りなく口を出すのは珍しい。父は、母に対して平身低頭。むしろ崇めているかもしれない。なのに口出しをした。それは天地が割れるくらいにありえないことだと思っていたのに。


「死にたくないと思ったら、家に帰ってきなさい。それは恥ずかしいことじゃない。レイは人の子で、私と母さんの子で、家族だ。お前の原点は消えないんだ」


 ああとレイは妙な納得をしてしまう。僕はこの人の息子だと。一番大事なところで一歩を踏み出す、障害を乗り越える勇気をくれる人。


「父さん、ありがとう……それと」


 頭の天辺で滴りが続いている。見ているしか、見送るしかできないマコトの涙だ。レイは姉を仰ぎながら囁く。


「ね、父さんも言ってる。僕は帰って来られるから。お姉ちゃんは笑って待ってて?」


 自分でも卑怯だなと思わずにいられない。マコトレイを拒まないと分かっているから。

 マコトは泣きじゃくりながらレイを自分に向けさせ、頭を撫でた。

 姉は、レイの代わり様に全く動じない。髪が白くても、瞳が石灰色になっても、弟だと言って聞かない。


 だから、大好きだ。


「……ぐす、レイ」

「なに、お姉ちゃん」

「レイはお姉ちゃんのこと好き?」


 変な沈黙が流れる。部屋の空気が気まずい。だが、毅然として言わなければ。


「好きだよ」


 レイは逡巡の仕草もなく真顔で言い切る。この一言は杜撰だけれど、精一杯の想いを詰めた。


「わだじも、だいずぎぃぃぃぃ」


 マコトは顔を涙と鼻水でクチャクチャにして、腕一杯にレイを抱き寄せる。やっぱり、姉の溺愛っぷりは本物だ。


「きっと帰ってくるよ。だって、僕がお姉ちゃんのとこに帰りたいって思うだろうから」


 レイは抱擁を受けながら、周囲の目も気にせずマコトを抱きしめ返す。

 本当にマコトはブラコンだ、が……。


(参った。僕も相当なシスコンだ)


 だがしかし、溺愛しているのはレイも同じだったらしい。

お読みいただきありがとうございます。

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