神の息吹を越えて
「……ふっ!」
ツバサが消えて暫く、フブキは血の混じった唾を吐き出す。
「さあ、降参はいかがかなフブキ」
《反天》の力でフブキをころころと動かしていたハガネが、嫌らしく問い掛ける。フブキのおかげで通信機は壊れてしまったが、今はもういい。ここで退くことなどありえないから。
「バカを言え」
この勝負、先に纏輪解放をした方が不利なことは自明。
それでハガネが負けた場合、纏輪解放が終了した直後、最悪死亡。援軍が来るまでに戦線が崩壊しかねない。
一方のフブキは、万が一の追撃に備え、解放を温存して置かなければならない。ツバサが必ず勝利して戻ってくるとは限らないからだ。
となれば、解放せず《反天》を使えるハガネが優位を確保していることになる。
「たかが能力の半分しか発揮できていないお前に、私が白旗を振ると思っているのか」
「んー……まさか殴られ過ぎて可笑しくなったのかね」
ふらりと立ち上がるウィングズの首魁。
「そもそも、何故反旗を翻した。この戦い、無謀だとは思わなかったのかね?」
「無謀? 違うな、違うんだよハガネ。私がやろうとしているのは、人類と半天使に対しての試練。そこに無謀という言葉は、はなから存在しない」
「試練、だと?」
フブキはレイピア状のソードシルエットを解く。そして右掌の金色輪をガンシルエットに固定。
「なんだねフブキ、その構えは」
フブキは半身の姿勢で、右手を前に出している。目も閉じている。
過去の手合わせにこんなパターンはなかった。ハガネは首を捻ったが、警戒を怠らずに対処すれば、ハッタリは効かぬと攻撃を再開。
「フンッ」
間髪入れず《反天》を使い、フブキを後ろ向きにした。
「……ハガネ、私がお前の動きを読めないとでも?」
「!?」
ハガネが打ち出したストレートパンチを、後ろを見ずに、身体をずらして躱す。
その太い手首を取り――
「輪開全光」
ハガネの手首から先を消し飛ばした。
「ぐぬ、《反天》!」
「単調だなハガネ、お前は。まあだからこそ強くなり続けた。お前も、私もっ」
上下に身体を振ろうと、フブキにはもう通じない。ひっくり返された体を片手で支え、後ろにいるハガネの首を脚で絡める。
「クッ、この動き……解放せずに風読みを!?」
「苦労したよ、毎日纏輪解放をしたからねッ」
「それは職権濫用というのだぼっ!」
そのまま抱えた頭を弧を描いて地面に叩き付ける。
細身だろうが長い時を過ごしたウィジェル。非尋常の膂力で、ハガネの顔面がアスファルトに突っ込んだ。
「おかげで、目を閉じれば風の声まで聞こえるようになった」
「そうかね!」
「そうさ!」
自分の身を逆転させたハガネがローキックを放つ。それも、風の動きを読むフブキには予測が付いている。体の位置が逆転するなど、流れが不自然過ぎるのだ。動きは丸裸に等しい。
だからフブキはそっと相手の腹部に纏輪を押し当てた。滑らかな風のように、ハガネの隙をすり抜けて。
それは、掌打や発勁なんて生易しい攻撃ではない。
「輪開全光」
「だと思っていたよ」
ハガネもフブキの行動を呼んでいた。きっと、止めを刺しに来るだろうと。
「ハガネ、何をする気だ!?」
「ぐふっ……貴様が私を理解しているように、私もフブキのことは理解しているつもり……だ」
ハガネは旧友に抱き着いていた。血を吐きながら、にやりと笑っていた。
「んン……相打ちにしても止めて見せると、言っただろう?」
「ハガネェ、はな」
「お返しだ、輪開全光」
フブキを抱擁したまま腹の銃態を解き放つ。正真正銘の捨て身だ。
「ガアアアア!?」
レジストが成功したのは最初の十数発だけだった。後はフブキの胴体を満遍なく貫いていく。ハガネは力の限りを込めて、輪開光を放ち続けたのだ。
「……ぐそ、ったれ」
「ん、んー、後……一歩だった、か」
根比べはフブキの勝ち。
ハガネは力尽きて、旧友に持たれかかる。
「さい、ごに……《反天》を、使わないとは、今更親友面、か」
「最後、くらい、真っ直ぐ向き合っても……良いだろう?」
支部長軍は、これで壊滅。応援が来るまでにはさらに時間が掛かるはず。自分の同期であるハガネは、放っておいても死ぬだろう。
後は――
「……ハガネ……支部長?」
忽然と姿を消したはずの五人が現れて、フブキの風流センサーに引っかかる。フブキは視界を広げて、通常の状態に戻る。
拘束され、意識を失っているツバサが目に映った。
「片翅嶺か、そうかツバサは君たちに負けたのか……ふふ、なるほど私の指導の賜物かな? ごほっ!?」
「アンタ、もう死に体じゃねえか。どうしてそこまで……」
フタヨは、大量の鮮血を垂れ流すフブキに、意味のない質問を投げる。
「どうして? ……それはツバサのような纏輪覚醒者が、差別されることのない世界に変えるため、だ」
「ツバサのような、纏輪覚醒者? 僕と同じ降臨型ということですか?」
「いや……」
レイの問いに首を横に降るフブキ。彼はツバサの意識が絶たれていることを解して、口を開く。
「ツバサは、六年前までヘヴンズ本部に監禁されていた娘だ。当然、公表されてはいない事実であり、当時この事は無能なトップと現場で保護した隊員しか知り得なかった」
「監……」
「……禁!?」
その時、派遣されていたヘヴンズ本部隊員の中に、フブキは居た。後に降臨型纏輪と名付けられる少女の目撃者となったのだ。
「私は、半天使たちの味方でありたかった。少なくともあの時、ツバサの話を聞かなくなる頃までは。七年前、世界最大の纏輪を覚醒させた彼女は、それはもう格好の研究材料として見られていた。次期が違えば、片翅嶺とてそうなっていた……」
「僕が……」
レイは手足を縄で括われ、目隠しをされて実験室に座る自分を想像してしまった。恐怖で、少し脚が震えている。
「ツバサ……昔、天辺夕と呼ばれていた彼女は、一年間降臨型のデータを録るために捕獲されたのだよ、本部にね」
「それを更に、フブキ支部長が拉致したんですか?」
「拉致? それは語弊があるな。ツバサは自力で研究施設を破壊し、そしてあろうことか私が待機していた部屋に隠れたのさ」
フブキは、やつれきった天辺夕の姿を見てピンと来たそうだ。
一年前、すぐに噂すらなくなった少女だと。
「一年の歳月如きで纏輪覚醒者の姿は変わらない。私はすぐに、彼女が天辺夕だと気付き、匿った。何度か研究員が訪ねてきたが、全て知らん振りで通してやったさ。この事実を広められて困るのは本部だ。何せ表向きは人権のある天辺夕を監禁し、人体実験紛いの凶行をしていたのだからね」
その事件を経て一年後、フブキはウィングズを興した。
組織の基部を静岡にしたのは、東京都にある本部の動きを盗み見、出し抜くために丁度良い距離だったから。
ウィングズの設立と同時に、天辺夕は新たに暮色翼と名付けられた。
「それが、ツバサの始まり……」
「そう。私が半天使の世を、君たちがフォールと呼ぶ天使たちに創って貰うことにしたワケさ」
冷徹に語るフブキの瞳は、その声音とは逆に、怒りに溢れていた。
「世界を創ってもらう? フォールにそんな力があるはず……」
「君たちはまだ見ていない。沖縄での悪夢。かの大行進に現れたのは、ただの下級天使たちだけではなかった。二対四翼の大天使、それが三者君臨したのだ。彼らには他の天使たちとは違い、知性があり、絶大な力を誇った」
フブキの口からは、講義上の歴史と異なる真実が語られていた。
その三体は、合成獣タイプとは桁違いの重圧を放つ、人型の大天使たち。
「彼らは、纏輪に目覚めた私とハガネを半天使と呼んだのだ。目の前で、ハッキリと」
「ハ、話誇張しすぎだろ……俺たち纏輪覚醒者が半分、天使ってのが本当だってのかよ」
「残念ながら、すべて本当だ。そして、私たちにこうも言った」
『いずれ、この星をもらい受ける時が来よう。天使の端くれ、我が主の機嫌を損ねてくれるなよ』
言ったのは一人の大天使らしかったが、ハガネは意識を失って聞いてはいなかったそうだ。
「私は、半身に天使を宿す者として選ばれたのだ」
「何に、選ばれったって言うんですか?」
「当然、人類を選別する者としてだ」
思い上がりも甚だしいが、レイにはフブキが嘘を言っていると感じなかった。
「目が本気だぜ……レイ。しかも大天使の奴らそこまでいかれてやがったのか……」
「フタヨ? ……クロ、纏輪が!?」
(しまった……話し過ぎた。二人とツバサの纏輪解放が……!)
「時間切れのようだな。どうだ、ハガネたち見捨て、ツバサを見逃すのなら、この場は収めよう」
「「「!?」」」
「それは……」
はたしてこれは虚か実か。フブキは腹を血だらけにしてもまだ戦えるという意思を絶やしていない。
それに、フブキにはまだ纏輪解放が残っている。対するレイたちは、フタヨとクロが戦闘不能、ホトリが足の負傷で動けない。
詰みだ。
「それ、は……」
(ここまで来て……引き下がるしかないのか。ハガネ支部長たちを見捨てて、せっかく捕らえたツバサまで逃して)
フタヨたちの安全を第一に考えるのが、今のレイの最善。
『フタバ隊の皆さん、聞こえますか』
「スミレさん? 今は話している余裕は……」
『分かっています。貴方以外闘えないこと、ハガネ支部長の件、フブキ元支部長のお話も……そのうえで言います。フブキ元支部長を……』
「討てってんだろ、スミレさん」
『オミドリ隊員、その通りです……本部からの、伝令です」
スミレは、伝えることしかできない自分を恥じているようだった。
隊員に死んで来いと言っているのと同義なのだから。指揮者として、最大の恥辱ものなのだろう。
「は、はは。なるほど、事実を知る者は全て隠蔽か! 見ろ、これが人間の浅ましさだ。片翅嶺、君はこれでも人類に組みすると言うのか」
「確かに、僕だってこんな命令嫌です。でも、それよりも……」
ここで自分が引き下がれば、人類の敗北と同じ。ウィングズはなおのこと過激さを増し、フォールに良いようにやられるだけだ。
レイにはまだ帰る場所がある。その場所を、易々と明け渡そうなど、出来るわけがない。
「僕は、僕が人間でいるために、貴方を討つ……フブキさん」
決別の意志を込めて、レイはかつての支部長をそう呼ぶ。
「……そうか、残念だよ。私は、纏輪覚醒者――半天使の諸君には優しく接してきたつもりだが」
フブキは再び膝に力を込め、構える。身のすくむ視線には、もう慈悲の二文字はない。
「どうやら君たちは殺さなければいけないようだ」
レイは、爆音で脈打つ心臓の鼓動を聞いていた。
相手が元上司だから? 否、相手がフブキだからだ。
(フブキさんがフタヨたちを人質にすることを視野にいれつつ、僕自身の対処を怠らない……なんて、言葉にするだけなら簡単だ)
敵は、万全の状態同士でレイの腕を切り落とす。それを忘れてはならない。
「ふむ、警戒するだけ無駄だ。すぐに終わる、纏輪解放」
「うっ! ホトリちゃん、フタヨたちを!」
「ハイです!」
フブキは勝負を決めに来た。纏輪の輝きが透明感を伴う水晶色になっていく。
(これは、風? でも解放の時の吸い寄せられるような感じじゃない)
全身をくまなく叩く突風が、違和感を覚えさせる。
「なに、私の《神吹》は淑やかだ。ただ、たまに暴風となるだけさ」
今みたいにね、と気付けば懐にフブキが居た。重症の身体を引き摺って。レイが下がろうとしても、背中に壁があるように動かない。
どうにもならない状態でフブキの拳が、無防備な腹に刺さる。
「ぐぁ!?」
「君が後退することは知っている」
《神吹》は風を知る。
これぞ風読み。
「そして君は今、巨大な風の牢獄に居る」
《神吹》は風を生む。
これぞ風興し。
(強い……強すぎる。動きが変幻自在すぎて、捉えられない!?)
追撃の風に煽られて、レイは空に打ち上げられる。
フブキは、確実にレイを仕留めてから、全員を処分するつもりだ。
「死になさい」
「!?」
フブキを中心に竜巻の半径が狭まっている。レイがなんとか下を向くと、敵の掌に集中する輪開光の輝きが見えた。
急ぎ巨翼を展開しようとして、ピクリとも動かないことに気付く。自慢の纏輪は風力で固定されていた。
(避けれない、防げない……僕がここで落ちれば、フタヨたちも死ぬ)
視界外の仲間たちが口々に何かを叫んでいるが、暴風の中に捕らわれたレイには届かない。強風に身体を持っていかれて青い空が見えた。
結局、夢が叶わないと思ったら、急に諦めきれなくなる。
(ああ……空を遮る、透明の板みたいに邪魔な物理法則。飛んでみたかったなあ、空)
纏輪に覚醒して、つい先月にフタバに、フタヨに約束した。
(僕は、人間でいたいから人間を守る。じゃあ、半天使は?)
纏輪覚醒者を半天使と、フブキは言った。
ならば、半分は……人間だ。
(人と天使の垣根を越えた、越えてしまった僕は……その全てを、守る……力を!)
『それが、片翅嶺の根源』
背中の傷が、刃物で切り付けられたのだと思ってしまう程熱い。焼き石のつぶてが背中の皮に張り付いたようだ。
レイは纏輪の語りを静かに聞き入っていた。いつもは命令口調のように出せと訴えていた金色翼。それが、今ははっきりと自分が話しかけているのだとわかる。
『高き壁を越え、険しき峰を越え、たった一枚の翅で全てを越える』
極限の時に、体内時計の感覚が引き伸ばされていく。巨大な金色翼の囁きが、レイの自意識に同化する。
『カラダを大地に縛り付ける重力を越えたいと願う心、我が汲み取ろう。我が名は《天越》、森羅万象、数多の法に囚われぬ者なり』
その翼を束縛することは叶わない。何物をもその羽ばたきを邪魔することは有り得ない。レイは、その傲慢なまでの翼の名を叫ぶ。
「纏輪解放」
全てを覆す、一言が口から洩れる。
「飛べ《天越》ェェェェ!」
レイの纏輪が純白に包まれる。その姿は、正しく片翼の天使。白き翼をはためかせ、一心不乱に空を舞う者。
「……纏輪解放をした? ……ハッ、ハハハ、ハハハハハハ!」
フブキは、神々しく覚醒したレイを前に笑った。神秘を前に、手出しができなかったのだ。
レイは、空中に浮かぶ自分の身体を何とか制御することに全力を注いでいる。
「はぁ、はぁ……なんだこれ……飛んでる!?」
揚力などを全く使わずに、レイは浮遊をしていた。
トントンと、爪先を動かせば宙の大気を蹴れる。
空の大気が土砂利同然の感覚で踏める。
力も漲って、虚空を蹴ってどこまでも飛んでいけそうだ。
「それに……風がやんだ?」
風は収まっていない。その証拠に、見下ろせばフタヨたちがホトリに庇われている。
レイが立つ場所が、あたかも台風の目のようになっていた。フブキは、《神吹》を柳に風と受け逸らすレイに呆然と問う。
「片翅嶺……君は私の風を、神が与えし試練すら越えるというのか!」
自分こそが大天使に選ばれたと思っていた。半天使たるウィジェルたちを導き、人類と半天使の試練の風となると。
「えっと……僕には試練なんてわからない。でも――」
姿勢を垂直に保ったまま、視界を塗り潰すホワイトがレイの後ろで瞬く。
「天使に世界を任せるのは、貴方が決めることじゃない! それだけは僕にも分かるッ!」
「言うじゃないか、若造! ならば越えて見せろ! その不屈の翼で、私の風を、神の息吹を!」
轟、と爆風を思わせて巻き起こる突風。フブキは《神吹》の力でレイに向かって飛んだ。
レイも一直線に降下した。
「オオオオッ!」
「風か伝わらぬ! 君は本当にそこに居ると言うのか、片翅嶺!」
これはフブキの意地だ。フタヨたちを人質に取ることもできた。
(私は、人類と半天使を導く者! なればどうして道に反することが出来ようか!)
万感の思いを込めて、風の力を込めた拳で殴りつける。白翼で防御したレイは、吹きつける風を越える。
試練に屈せぬ強き翼を阻むことは、誰にもできない。
「フブキィィィィ――――!」
「カタバネェェェェ――――!」
フブキはガタガタの身体で、レイと殴り合う。頬骨が軋み、拳には肉の感触。《天越》によって超加速した拳の方が深く届き、元支部長を務めた程の屈強な身体は吹っ飛んだ。
「おぐ!?」
「今だけで良い、限界を越えろ、僕の身体! 《天越》ェェ、輪開全光!」
潰れた拳を更に握りしめ、レイは巨大な纏輪を展開する。自分の最大サイズを遥かに凌駕する円環は、降臨型纏輪すら眼中にない。百を超える輪開光が制御を成されて、包囲網を構築していく。
「くっ、《神吹》ィ!」
「逃がさないッ!」
空中で起動制御するフブキを捉えどこまでも追撃する。
逃げて、撃ち落として、避けて――。どこまで空を駆けようと、百条の白光は追いかけてくる。
「私は……世界を――!」
遂に追い付かれたフブキは、チェイスを止め輪開光を防ぎに掛かった。
「フブキさん……! 貴方が間違ってたなんて言わない、だけどその是非をあなた自身で背負ってはいけなかった!」
《神吹》と《天越》の能力が激しくぶつかり合う。
徐々に、白の輪開光が押し始めていた。
「ならば問おう、片翅嶺! 君は、その力を持って天使と相対すると言うのか!」
フブキは濃厚な敗北を兆しを手に感じ、更に叫ぶ。
レイもフブキも、身体の至る所から出血している。皮が切れ、歯茎からは血が滲む。
纏輪解放による超稼働が引き起こす副作用の一つだった。
「僕は……僕は! 人と天使の垣根を越えてみせる! その先の未来だって何度でも越えてみせます、だから――!」
「!?」
「今は貴方を全力で倒します! もっとだぁぁ、《天越》!」
輪開光が次々に防御を抜く。
《天越》は防御すら越えて、フブキを貫く。
「僕の……勝ち、です。フブキさん」
離れた大地に落ち行くフブキを確認し、レイは地上に降り立つ。
動けない仲間の下へ、激痛に苛まれる体を向かわせる。
「僕、頑張ってみたよ皆」
気が抜けてにへらと笑うレイ。
「ああ、すげえよ。お前は、出来ることを以上をやって見せたんだ」
「……です。レイさんは、私たちを守ってくれたです。それで充分、です」
クロとホトリは脱力して、フォローを入れた。
フタヨは……。
「無茶……しやがって」
「泣いて、る?」
「あたりめえだ! アネキは目を覚まして内側から見てた。アネキと俺のことを守ろうとしてくれたのは嬉しい。だがな、レイ」
フタヨは抱き着きそうな距離まで来て、レイの両肩を力一杯掴む。
「命を削る境界線まで越えようなんて、自己犠牲の度が過ぎますよ、レイ君」
「……うん、ごめん。でも、これしか出来なかった」
「分かっています。分かっているから、悔しいんです」
そう絞るような鳴き声で、フタバは力の限り、レイを抱きしめる。
フタバの腕の中は温かくて、酷く安心してしまう。
「心配かけて、ごめん……なさい」
意識が遠くなる。纏輪解放が終わったからではなく、単純に能力を行使しすぎたせいだ。
(目が覚めたら、またベッドの上、なのかな……)
レイは、耳に届く三人の声を聞きながら意識を落とした。
*
ヘヴンズ静岡支部の元支部長、風吹龍一のクーデターから数日。
昏睡から覚醒したレイが聞いたのは、実質的なウィングズの解散だった。
「そっか、フブキさんはまだ捕まっていないんだね」
「ええ、そのようです。あの怪我で動けたとも思えませんし、何者かが逃亡扶助した可能性が高いです」
桃色髪の少女、鳳凰寺双羽は、果物ナイフを器用に扱う。もちろん、背中を病室のベッドに付けたレイの隣に座りながら。手元には、ウサギの形に切り分けられたリンゴが並んでいる。
紙皿の上で団欒する、紅白の小動物たち。
「いただくね」
それを、爪楊枝でぷすりと刺して口に運ぶ。
「手が早いですね、レイ君。リンゴ、好きなんですか?」
「美味しそうだったから手が……って嫌な言い方だなぁ、それ」
今回の事件では、民間人の死傷者は比較的少ないと報告されている。
ウィジェルにも重傷者はいこそすれ、死者は出なかった。左手首を吹き飛ばされたハガネなど、すっかり病院食をがっついている始末。
ウィジェルの生命力には、ほとほと呆れるばかりだ。
チヅルが、レイと同じく纏輪解放したというのも充分驚いたが。
「それにしても、また長野に来ようなんてね。あと、シブミさんが生き残ってたことに驚いたよ」
「出張していたらしいですからね、ものすごい悪運ですよ」
フタバと一緒に病室で笑い合う。
「あと、レイ君のお姉さんの説得が大変だったんですから……色々な意味で」
「はは。ウチの女性は妖怪染みた勘を持ってるからね……」
携帯端末の電源を入れるのが怖い。
画面をオープンした直後に、マコトからフォンコールが飛んできそうで。
「ツバサはどうなったの?」
「ああ、彼女は――」
一応、他のウィングズ組員同様に目隠しして拘束されているらしい。手練れのウィジェル数名と自動化された銃火器による厳重な措置がとられており、面会は出来ないそうだ。
「まだは顔を合わせることもできないんだね」
「そこは、もどかしい所ですよね。本部のお偉い様方は、何人か過去の責任を問われて辞任したらしいですが、今の私たちへの対応が変わる話では無さそうなので伏せます」
「支部再建の目処もまだたってないんだよね」
本部は本部でてんやわんやしていて当てにならず。かといって、レイたちがどうにか出来ることではない。
「今は、ゆっくりと休みしょう」
「うん……」
フブキが言った大天使の言葉は気になるが、世界がどうこうと言われたところで、レイが出来るのは精々人と天使の架け橋役くらいだろう。
多分、頭の悪いレイは、そのときにならないと理解できない。
「こら」
「痛い」
「レイ君すぐ顔に出るんですから、変なこと考えないように」
フタバにおでこを指先で弾かれた。
「そうだね。今は……」
上下式の鍵を指で下ろし、窓枠に手を掛ける。窓を開けると怒られるが、病院の換気の不十分な空気はもう嫌だ。
昔ならからからとホイールの回る音がしたんだろうか。
隙間から吹く風は、そんな感傷に浸らせてくれることはなかった。
「僕らが、守れるものを守った。それで……良いよね」
「はいっ!」
フタバが太陽のように微笑む。
「あーっ、レイ、目覚めてんじゃんよ! いてえ! 何すんのホトリちゃん」
「クロ先輩、ここは怪我人の部屋デス。静かにするデス」
「ホトリちゃんもお静かに」
元々、軽傷で済んでいたクロと足を完治させたホトリは、変わらず騒がしい。それを嗜めるフタバもいつも通りだ。フタヨはこの光景を見て、大笑いでもしているのだろうか。
フタバは失笑しながらも、言葉を紡いだ。
「恒久の平和はない。でも、こんなふうに続けていけたらいいですね、レイ君」
「……うん。僕も、そう思う」
束の間だろうが、一時だろうが平和には違いない。
レイたちはこの先、フブキが大天使と呼ぶ存在と対面するのだろう。
その時は、己が片翼に誓った通り、素直に動けばいい。
人と天使の間に生まれた半天使、片翅嶺として。
片翼の纏輪 第一部 神の息吹を越えて 完
お読みいただきありがとうございます。
二章は書き上がり次第投稿します。今しばらくお時間をください。
これからも片翼の纏輪をよろしくお願い致します。




