商談ケース3:金はないが信頼はあるお客様との商談 2
小山もかくやと言わんばかりの巨体。その体を太く強靭な四肢で支え、こちらを見下ろす顔は爬虫類を想起させる。赤い鱗が全身を覆い、溶岩の光を反射する光沢を持つ。その背には広げれば自身の体に匹敵する大きさの翼がついているが、現在は器用に折りたたまれている。口は笑みを形作り、そこから放たれる威圧感は人間では到底真似できるものではなく、おのずと生物としての格の違いを見せつけていた。
人間など矮小な存在である。そう断ずることのできる『龍』が人間と交わす会話が、主婦とセールスマンの世間話と同じであるなどと、誰が思うだろうか。
「お子様の姿は見られませんが、今はお休み中で?」
[そうなの! やっと寝かしつけたってときに、さっきのヒト達がピーチクパーチク煩く鳴いていたから、いつもちょっとだけ力入っちゃったわ! 右腕もう使えなくなっちゃったかしら?]
「いえ、すぐにお薬をお売りさせていただき、処置もしていたので、リハビリは必要なれどいずれ動かすことはできるでしょう」
[あらそうなの! 迷惑かけてごめんなさいね]
「ご夫人のおかげで儲けさせて頂きましたので、むしろこちらが礼を述べるべきでしょう」
[そお? ならよかったわ。ところで! 貴方の後ろにいる彼は誰なのかしら!?]
赤龍夫人の矛先が、後ろの戸川に向かった。その戸川は耳を開けて塞いでをしきりに繰り返している。
「何してんだお前?」
「いや、なんか直接頭に? 声が響いたように感じてがして」
[ああ! それは私の力よぉ! 念話って言って、言葉が通じなくても会話ができるっていう、便利な能力なのよぉ! これのおかげで貴方とも話し合えるのよぉ! それで貴方のお名前は?]
「あ、はい。戸川と申します。はじめまして」
[ご丁寧にどうも。こちらこそはじめまして戸川さん。私はここ一帯を統べる赤竜王の妻です。現在旦那が龍の会合に出ているから、私が代理で管理しているのよ]
「はあ、そうなんですか。大変ですね」
[そう! そうなのよぉ! まだ子供たちが小さいっていうのに旦那は集会ばかりに行ってずっと留守にしてるのよ! 子供の世話や火山の管理だけじゃなく、さっきみたいにヒトのちょっかいにも対処しなくちゃならないですもの! もう最近ちゃんと睡眠とれてなくて鱗のツヤが落ちたような気がするのよ! もう大変よ!!]
「は、はぁ」
戸川が夫人のマシンガントークに圧倒されている。助け舟出そうかとも思ったが、夫人相手ならそう失敗することはあるまい。
実際、すぐに調子を取り戻し、世間話を続けている。
最近あいつも仕事に慣れてきているから、初見での衝撃は未だあるが、精神が達観、もしくは麻痺してきているのだろうが、生半可なことでは茫然自失することはない。今回も驚いてはいたが、すぐに夫人との会話をこなしていった。
相性も悪くなさそうだし、これなら大丈夫かな。
[貴方面白いわねぇ戸川さん! 海藤ちゃんの若いときにそっくり! そう思わない海藤ちゃん!]
おっと、話の矛先がこっちに向いてきたか。
「いやぁ、僕は先輩とはまったく似ていませんよ。全然です」
「その通りでございます。否定するようで申し訳ありませんが、戸川の言うとおり、まったく似ておりません。そしてお言葉ですが私はまだまだ若いです」
[ふふふ。そうね。そういうことにしておくわ。確かに顔の作りとかは全然違うし]
否定した手前言いにくいが、そこだけは同じといってほしかった。
ごほん、と一息ついて話の流れを切り、居住まいを正す。
「突然で申し訳ありませんがご夫人。今回以降ご夫人のお言付けは、戸川に頼まれてよろしいでしょうか?」
「えっ」
戸川が驚きを挙げる。
担当を持つということは、商社マンにとってよき経験となり、成長を促すことだろう。
幸い、夫人は穏やかで無理難題は押し付けないので、最初に受け持つお客様としては最適だろう。というより、新人の最初の担当はこのご夫人というのが暗黙の了解となっている。
[もうそんな時期になるのね。わかったわ! 正直海藤ちゃんより可愛いので、了承します!]
「一言余計でございます。ご夫人」
ご夫人の方もそれが分かっているので、快く諾ってくれた。
[それじゃあ、戸川さん。改めて挨拶させて頂くわ。今後よろしくね]
「は、はい! こちらこそお願いします! なにかと至らない点はあるかと思いますが、精一杯努力させていただきます!」
[頑張って頂戴ね! 短い間の付き合いにならない様に、ね……]
「は、はいぃっ!」
冗談のような軽い脅しでビビッてはいるが、ご夫人が相手だし、まあ大丈夫だろう。
「でもこれで、海藤ちゃんの担当も終わりになるのね。寂しいけど、一人前になったと思って喜ばなきゃね! 頑張りなさい!」
「……はい。ありがとうございます」
社長とは異なり、ご夫人からは本当に有難いお言葉を頂いた。
されど、ご夫人の担当から外れるということは、一人前を意味することになるのか。夫人の応援に恥じぬよう頑張らねば。
だがここで戸川が余計な口を開いた。
「今まで担当が先輩だったということは、ご夫人は新人のころの先輩をご存知で?」
「そう! そうなのよぉ! いや~、あのときの海藤ちゃんは今の戸川ちゃんみたいに初々しくてね」
これはいかん! このままでは戸川に俺についてのあることないことが吹き込まれてしまう! そうなればイジられること間違いなし!
再び咳を着き、流れをこちらに取り戻す。
「さて、このまま談笑し続けるのも魅力的ではございますが、夫人のお時間をこれ以上取るのは心苦しいので、そろそろ本題に入りたいと思います」
[あら。私はまだまだ大丈夫よ。気にしないでいいわ]
「自分も大丈夫っすよ先輩!」
お前は黙れ。
「そうはいっても、お子様たちが起きてしまっては商談もままならないでしょう。早く済ますに越したことはないと思います」
[それもそうね。じゃあお願いしちゃうわ!]
その一言で近くの溶岩が自ずと動きだした。
それは粘度のように形が変わっていき、ご夫人が熱を吸い取り冷やして固まると、即席の机と椅子が完成した。
「お前は今後、ご夫人の担当になるんだから、今回の商談はよく見ておけよ」
「! はい! わかりました!」
その席に着く前、戸川と一言を掛け合い、こうして、商談が始まった。
とはいってもお得意様、しかも注文している物がいつもほとんど同じなので、そう難しいというものではなかった。
「ではご依頼の品を確認させていただきます」
[いいわよぉ]
そして岩で出来ている机の上に置いたのは、牛肉三百グラム。
「少なくないっすか?」
戸川が肉の少なさに疑問を呈する。
しかし、これはただの牛肉に非ず。
日本が誇る高級ブランド松阪牛、そのなかでもA5と格付けされ、牛一頭から僅かにしかとれない希少部位の肉である、シャトーブリアン。それがこの肉の正体である。
脂肪が少ないがその肉質の高さから、間違いなく最上級である牛肉だ。
「いやそれにしても、少なすぎませんか?」
こちらの説明を聞いても、まだそんなことを抜かすかこいつは。
「どんだけ食うと思ってんだお前は」
「いや、牛一頭ぐらい持ってきた方がいいんじゃ?」
[やだもう。いくらなんでもそんなに食べないわよぉ]
「え? 違うのですか?」
嘘だろ? と顔が言ってるぞ。
「言っとくが、『龍』は一般的な食事はしないぞ」
[飛竜とか、『竜』のほうは普通に食事をしてるけど、私たち『龍』は世界の魔力を得て生きていけるのよ]
夫人の念話による説明が入る。『リュウ』としては同音同義語だが、そこが意味することはまるで違うと。
だが戸川の顔は晴れていない。
「じゃあ何故、わざわざ肉を買うのでしょうか?」
[それは子供たちのためよ。あの子たちはまだ上手く世界の魔力を取り込めないから、食事をしなきゃいけないのよ]
「三ヶ月に一回程度でいいらしいが、その都度食糧を届けさせて頂いているんだ」
[肉でも魚でも野菜でもいいんだけど、ちょっと無理言わせてもらってるのよねぇ]
「そうだったんですか。ありがとうございます。……ん? すいませんもう一ついいですか」
戸川が手を挙げて、夫人と俺へ視線を向ける。
「何でもいいんなら、どうしてシャトーブリアンを?」
俺と夫人は目を合わしてから、答える。
[だって、美味しいじゃない!]
「ご夫人は美食家なのだよ」
「ああ、なるほど。理解しました」
龍はグルメなのだ。
「次の商品に移ってもよろしいでしょうか?」
肉を与える割合を考えているご夫人に声を掛ける。
[ああ、ごめんなさい。続けて頂戴]
「畏まりました。それでは少々お時間を頂きます」
懐から携帯を取りだし、商品の輸送を依頼する。
直後、目的となる商品が目の前に現れた。
「でっけぇ……」
戸川が思わず声を漏らすほどの大きさ。それは、俺たちの身長を二倍しても軽く超えるほどに大きな、二つの瓶のようなものであった。容器は耐熱素材で作られていて、この火山地帯でも破損することはなく、熱や光での変質を防ぐために黒いフィルムのようなもので覆われている。
まず間違いなく規格外だと言える大きさで、フィルムのせいで内容物は窺えないが、外面にはそれぞれこう書かれたシールが貼られていた。
『乳液』、そして『化粧水』と。
「こちらがご所望の『化粧品』となります」
[あー! これよこれよ! もう、待ち遠しかったわ!]
そういってご夫人は前足を地面から離し、二つの瓶を手に取った。俺たちにとっては規格外の大きさでも、龍にとっては適切な大きさだということが再確認できる。
「毎度申し上げておりますが、そちらは原液となっておりますので、既定の濃度まで薄めてお使いください」
[大丈夫よ! いつも助かるわぁ! あ、空の容器持ってくるからちょっと待て頂戴]
夫人が瓶を抱えたまま、住処へと戻っていく。今度は夫人が持ってくる空の容器に化粧品を詰めて持ってくることとなるだろう。
何故龍たる夫人が化粧品などを求めるのかというと、この住んでいる場所に問題があるためだ。
夫人が住んでいるこの火山地帯という場所柄、空気中の水分は飛ばされていて、酷く乾燥している。俺たちも結界がなければ、喉が焼かれて命もなかったろう。喉はくそ乾いているけど。
そんなところに生活しているため、鱗の水分がどんどん飛んでいき、鱗のツヤや張りや光沢が失われている、らしい。
人間の目でみても全然わからないのだが、当の本人がそう言っている以上そうなのだろう。
ただ昔に旦那さんに鱗のことを言われ、大ゲンカが起きてしまったということは聞かされた。その争いは近くの国の城を大きく揺らすほどであったとも。後日人間に聞いたところ、その国を超えて隣の大陸まで津波が行くほどの揺れが起きたらしい。龍同士が争うと言うことは、大陸を沈める大災害になりかねないのだ。
そんな未曾有の災害を未然に防ぐためにも、この化粧品は必須なのだ。この世界における究極の防災アイテムと言っていいだろう。化粧品に救われる世界もいかがなものかと思うがな。
取りあえず、空き容器を持ってくる間に、次の商品を用意しておこう。
「先輩、それは何すか?」
「ヘビーメタルのCD」
俺が机の上に取り出したものを見て聞いてきたのだろう。間違っても火山や龍とは縁があるとは思えないからな。
だがやはり、これは夫人が求めているものに他ならない。
別段好きな歌手が居るというわけでも、そもそもヘビーメタルが好きというわけでもない。
では何故わざわざ買っているのか?
「子守歌になるらしい」
「は?」
この疑問の答えは、子守歌として使うため、だ。
夫人の子供は生まれたばかりでまだまだ幼い。その子供たちをあやすため音楽をかけるというのだが、そこは龍という強靭な存在。腹に響くような重い曲が最適である、とのこと。
「じゃあ、ここの子供たちは、ヘビーメタルを聞きながら成長している、ってことすか?」
「そういうことだな」
「このまま育ったら、どうなるんすか?」
「そりゃあ……」
俺の頭に浮かんだのは、ヘビメタを聞き、パンクに育った、赤い龍。
どんな悪夢だそれ。
俺と同じような想像を戸川も浮かべているのだろう。えもいえぬ表情をしているが、それは俺も同じか。
「……これ以上はやめておけ」
「そうっすね」
準備を終えて、夫人の帰りを待つ。
ただいくら振り払おうとしても、俺たちの頭にはパンクドラゴンの絵がこびりついて、消えることはなかった。
[いや~! ありがとうね! ほんと助かっちゃったわ!]
「いえいえ、こちらこそいつもご贔屓頂きありがとうございます」
いつも通り恙無く商品の引き渡しを終えた。空いた容器の回収も終わっている。
あとは代金を頂くだけ、なのだが。
「でもごめんなさい。代金の持ち合わせが今ないの]
普通なら金がないというのに、商品を注文する奴などいない。居たとしても泥棒ぐらいのものだろう。
「わかりました。それでは掛--ツケとさせていただきますので、今までの分も合わせて三ヶ月後にお支払を願います」
されど、それを平然俺は受け入れる。戸川にも動揺が見られない。ちゃんと教えておいたかいがあるな。このご夫人が、お得意様だということを。
期日まで待つということは、期日までの間に準備してくれるという確信があるためだ。これは今までの取引で作られた『信頼』そのものであり、今までこれが覆されたことがない。
もし覆され、逃げられたり踏み倒されたりしたのならその時は、今後一切こちらとの取引を行わなければいい。まあご夫人に限ってないとは思うが。
これにて取引は完全に終了した。
あとは軽い雑談をして帰るだけなのだが、それの口火を戸川が切った。
「つかぬ事をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか」
ふむ、今度からこいつが担当なんだから、ここは任せてみようか。
[かまわないわよ。何かしら?]
「ウチの社長とは古い仲だと伺ったのですが、それは本当ですか?」
そういえば、社長について聞いてみればといいと促したっけ。
[ああ、あのクソガキのことね。それがどうしたの?]
「いえ、クソガッ、ごほん。失礼しました。社長が何者なのかご存知ではないかと思いまして」
[何者か、ねぇ。うーん、難しいわね。あいつあのナリで龍の長老たちより長生きらしいし、私たちでもできない世界旅行をも熟してはいるけど、詳しい素性は分からないわね。悪魔なのか神なのか、はたまた人間なのか、誰も知らないわ。唯一分かっていることと言えば……]
「ことと言えば?」
……俺の期待もおのずと高まっていく。分かっているのは、一体……?
[……欲望の悪魔や商売の神様すら足元にすら及ばないくらい、お金大好きな守銭奴だってことくらいかしら]
……それ、知ってます。
残念だったな、戸川。
雑談も終えお暇させていただく。
「それでは鱗が生え変わったら、こちらの戸川が掛の回収に参りますので、ご連絡してやってください」
[分かったわ。それまでにピッカピカに磨いてあげるから、色付けて買い取ってね]
「了解いたしました」
そして、この世界から去る
「……龍の鱗が代金替わりとか、なんか贅沢な気もするっすね」
戸川の最後の響きだけを残して。