商談ケース1:極普通なお客様との商談
太陽の光が燦々と輝く、暑い夏のある日。
空調が利いているとはいえクールビズを謳っている昨今、ふと緩めそうになるネクタイを、きつく締め直す。
「ヤバいですよ先輩。緊張しすぎてて僕なんか変な汗出てきたんですけど」
そう話しかけてきたのは、今年入社したばかりの後輩である戸川だ。
その発言通り、新入社員一と言われている整った顔のそこら中から汗が噴き出しており、スーツの隙間から見えるシャツは汗でやや透けている。
「そこまで緊張する必要はない。お前は俺の後ろで見学していればいいんだよ。ただ顔の汗だけは拭いとけ」
「そうは言っても、この契約落としたら洒落にもなりませんって」
一向に落ち着く様子を見せないが、確かにこいつの言うことも一理ある。
今回のコンペは、日本に支社を構えるR国の外資系企業を相手に行うものだ。R国では現在、宇宙開発が盛んであり、国が予算を掛けて宇宙開発部門を作り、頻繁にロケットや人工衛星を打ち上げている。宇宙開発は大気圏の突破の衝撃や真空、様々な宇宙線などに耐えつつ、重力を振り切るため極限の軽量化を果たした優秀な素材を必要とする。そのため、自国だけには留まらず、時には外国で作られている無名であるが優れた素材を手に入れる必要がある。
この外資系企業は、R国の宇宙開発部から、その宇宙開発用の部品ーー今回は耐熱パネルの入手を委託されている。しかし本来の業種とは関わりの無い者がこれを見つけるのは容易ではない。
そこでその企業は部品を手に入れるため、ある二つの商社に部品の入手を依頼したのだ。
一月の間でその部品を探し出し、さらにコンペを行ってどちらか一方を選ぶ、というものだ。
その一つを決めるため、それぞれの商社が、これぞと見込んだ商品をプレゼンする場が、このコンペなのである。
我が『飛垣根総合商事』は下町のとあるメーカーからの委託を受け、このコンペでのプレゼンに挑むのである。
「けど先輩。今回競合する相手って」
「ああ。そこそこには大手だな」
「いやいやいや。超・大手ですよ! 正直なんで此処が競合相手なんすか」
競合他社は、旧財閥の流れを汲む、日本有数の大企業。MSM商事。
恐らく、掘り出し物がくればラッキーという感覚でウチに依頼をしたのだろう。失礼ではあるし意識してなかったろうが、この外資系企業は良い判断をしたな。
「ま、気にするな。今回縁を結べるのは、ウチの方だよ」
「何でそんな自信満々なんすか......?」
「いやいや、挨拶が遅くなってしまいました。こういうものです」
俺達の話が聞こえたのだろうか。そのMSM商事の人間が立ち上がり近づいて話しかけてきた。
その懐から出すは、社会人にとっての挨拶であり、投げつける手袋でもある、名刺。
社会人としてのマナーとして、こちらも立って交換しあう。
これはこれはご丁寧に。いえいえこちらこそ。社会人ゆえ無難な会話をし、互いに愛想笑いを交わしているが、隠しきれず、そこから僅かに垣間見せた、真実の表情。
大手ゆえの自負か元からの人間性か、こちらを下と見た侮りの感情が窺える。
俺に読まれるということは、つまるところ、その程度の相手。
隠すべきものを隠しきれず、見透かされ、己の内側を読ませてしまう、脇の甘い人間だ。
「では本日はお手柔らかに」
「いえいえこちらこそ」
終ぞ隠すことなく、その人物は元の席に戻っていった。
「さっき何故そこまで自信があるのか、と訊いたよな」
「えっ、ええ。そうですけど……」
「勝負は蓋を開けてみるまで分からない、とは言うが、そうとは限らないということだ」
「……いや、どういうことすか?」
「見てればわかるさ。さ、始まるぞ」
R国側の担当者が入室してきた。
コンペが始まる。
それぞれが選んだ商品のプレゼンをしていく。
耐熱限界や衝撃に対する強度、重量や可塑性(形状の変化しやすさ)、生産に掛かるコスト、生産スピード、原料についてまで、商品についてのデータをこと細かく紹介していく。
どれをとっても問題のない、最高級のパネルであることは疑いようがない。
しかし事前に調べ上げたとおりに、相手が用意してきたものも同様に最高級。コスト面を考えると向こう。性能面を取るならこちらであるが、しかし決定的な要素になるとは言い難い。
「わかりました。ありがとうございます。最後に何か言うべきこと、言い忘れたことなどはございませんか?」
「こちらにはありません」
「我々も同様です」
容易に決めることができない状況。ならば何をもって契約の決め手となる?
「ではこのコンペを踏まえまして我が社が契約を結ばせていただくのは--」
この場合なら--
「--MSM商事とさせていただきます」
--会社のネームバリューとなるだろう。
後輩の戸川は笑顔ではあるが、現実を直視してない顔だ。MSM商事の奴は今度は勝ち誇った傲慢な感情を隠そうともしていない。これで決まったと思っている。
俺は表情を変えず、MSM商事に称賛の声を届ける。
「おめでとうございます」
「いえいえ、私たちの力ではございません。メーカーの方が作ってくれたパネルが優れていたおかげです」
勝ったと思って、油断している。
ゆえにここが、潮目を変える、絶好の時であろう。
「そうですねぇ。確かにそちらのパネルも大変優秀ですからねぇ。……A国でも高く評価され、ロケットに使われるそうですし」
会議室に静寂が訪れる。
「……なに?」
外資系の担当者の声が低く、されどよく伝わってくる。
競合していた商社の人間の顔が青褪めていく。
何故このような反応を取るのかというと、このR国とA国の仲がよろしくないためだ。戦時中でもない以上、表向きには何もないように振舞ってはいるし、個人レベルでは何もないという人も勿論居るが、国家レベルのその裏では、国の威信がなんだかんだとかで、大変ドロドロとしているらしい。
「その話は本当なのか?」
「い、いえ。それは……ぁ……」
「確か一月ほど前、この依頼がお話しいただいたほんの少し前です。A国の大使館で商談が纏まったと聞きましたよ。いやぁ素晴らしい手腕です。いや流石はMSM商事です」
「い、いや、それは……」
「そうですか。確認させてもらうので、少々時間を頂きたいのですが、よろしいですか?」
「それはもう。どうぞどうぞ」
さて、先ほども述べたように、この外資系企業はロケットや人工衛星の部品を収集を委託されている。
R国が予算を出している、宇宙開発部門から。
そしてロケットというのは、やはりその国の威信を掛けて飛ぶということに変わりない。
すなわちその部門に所属している人間、少なくともトップに近い人間は国家レベルに属している人間だと言っていいだろう。
はて? そのようなお偉いさんが、先にA国が使っているという部品を、使用することを許可するだろうか?
「申し訳ないな。先ほどの発言は撤回させていただこう」
答えは言うまでもない。そして使えないと分かっている商品を仕入れる馬鹿は、いない。帰ってきて早々にMSM商事に断りの言葉を入れた。この間に弁明の言葉を考えていたであろうが、取りつく島もない様子を見て諦めた様だ。
MSM商事の人間は先ほどまで意気軒昂としていた様子だったのに、目も当てられない状態となっている。
「より詳細な話し合いがしたいと思っているのだが、一応聞いておく。そちらは大丈夫なのかね?」
担当者がこちらに近づき聞いてくる。
返答は勿論決まっている。
「勿論でございます。今まで下町でのみ使われておりましたので、これでやっと日の目が見られると安心しきりでございます」
「了解した。それにしてもまったく、恐ろしい奴だな君は」
担当者は皮肉気な笑顔を浮かべていた。
こちらの満面な笑みと対照的に。
※※※※※
「いやー上手くいってよかったっすねぇ!」
祝勝会と題して戸川と一杯引っかけている。
商談終了後からテンション上がりっぱなしだったが、酒が入ってメーターが振り切れたようだ。始まって間もないというのに、既にビールを三杯空けている。恐らく終始この調子で行くのだろう。
「って! ゆーか! 先輩もあんな切り札あるなら言ってくれててもいいんじゃないすか!?」
「いや、今回は効果的に働いたが、あれは切り札とかじゃなかった」
「へ?」
随分気の抜けた表情をしているな。昼とは大違いだ。まあ大仕事がを恙無く終わらせたわけだし。
「俺の言ったことが理解できてないようだから説明するが、お前が切り札と言ったあれは、ただ押さえておくべき、数多ある敵側の情報の一つに過ぎない。どちらかというと今回のは向こうさんの自爆に近いな」
「? どういうことすか?」
これも指導の一環か。だが直接言うのではなく、自ら導くように差し向ける。
「商売で大事なものはなんだ?」
「金と信頼、っていつも口酸っぱくして言ってますよね」
「覚えててくれて何よりだ。では何故大事なんだ?」
腕を組んで考え込んでいく戸川。唸り声を上げるのはいつもわざとらしい、と思っているのはおれだけだろうか。
「金は言わずもがな、ないと何もできないですし、商売の基本というか骨子というかって感じすねぇ。目に見える価値基準ですね」
「ほうほう、では信頼は?」
「信頼は目に見えないんですけど、だからこそ大事なもんというか。それがなきゃそもそも商談の場に立てないという、すげぇ大事なもんですかね」
ふむ、及第点はあるかな。
「ま、ちょいと抜けがあったりするが、大雑把に言えばそういうもんだ。共通項としては、“絶対になくしてはならないもの”ってやつだ。それを踏まえて先のコンペで向こうがやってしまったことは何だ?」
「えー、っと。先輩がさっき自爆って言ってたから、A国のことについて話さなかったこと、すか?」
「そうだな。ではなぜそれがいけなかったと思う?」
「え? そりゃ、R国が嫌いなA国に先に売ってたから」
「本当にそれだけか? 今回の担当者側の視点になって考えろ」
今度は手で口を押えて思案していく戸川。ふむ、たしかに整った顔をしているな。写真を取れば、その筋の方になら売れそうだな。需要が少ないかもしれないが、どうにかそれを増やせば……。
「もしかして、話さなかった、つまり『隠した』ってことが問題だったんすか?」
需要の拡大から販路の確保まで思案したところで、戸川が正解を導いた。
「その通りだ。つまりMSM商事の人間は、R国にとって不都合な事実を意図的に隠してしまった。それを知った担当者はこう思うだろう。『一つだけなのか? もっと都合の悪い事を隠しているのではないか?』っとな」
「なるほど。そうなるともうR国側からすると向こうの商社の言うことを信じれなくなる。つまり向こう側は『信頼』というものを失ってしまったってことっすね」
「よくわかってるじゃないか。一杯奢ってやるよ」
「あざーっす!」
そう。隠したことによって、信頼という商売必須の道具を失ってしまったのだ。
「でも、それじゃあ向こう側はどうすりゃよかったんすか?」
「隠さずに言えばよかったんだよ」
「え? でもそれじゃあ……」
「今回の契約は成らなかっただろうな。けどそれにより誠意を見せることはできた。それは必ず次の商談に繋がるはずだ」
たとえ先にA国に売っていても、提供できる中で最高の商品を、包み隠さず、自信を持って紹介しさえすれば、R国側も『騙すことなく最高の商品を紹介してくれる信頼性の高い会社』だと認識してくれただろう。それが後々、別の商談の種となるのだ。
メーカーの方もA国と契約を結んだ以上、生産ラインもギリギリで、余裕なんてあったものではないはず。
そう説明されて感心しきりの戸川だったが、あっと声を上げた。
「それってつまり、言おうが言わまいが、どっちみちウチの会社が契約取れたってことですか!?」
ほう、気づいたか。酒が入ってても頭が回るやつだな。
「その通り。今回の勝負はコンペ前から、いやコンペの競合相手が決まった段階で既に、勝敗が決まってたんだよ」
「で、でも向こうが更にいいモノを見つけ出して今回プレゼンしてくる可能性も、あったんじゃ?」
「そういうことがないように、汗水垂らして向こうの商品を調べ上げ、商品探し回ったんだろが。まあけどその場合次の商談をしていたろうがな」
「R国の別企業すか?」
「いいや。A国とだよ」
驚きの表情を見せているが、冷静に考えればさほど難しくはない。
高い金払った僅か一ヶ月後、より良い商品をR国に売り払ったと知ればどう思うか、なんてのは。
「R国とA国のどちらと縁を繋げても、クライアントの、自らの技術を世界に知らしめるという要望に応えれるから出来る手だがな」
俺の説明を聞き終えると、深い溜め息を吐いた。
「先輩の言った通り、蓋を開けるまえに勝負が決まってたのか。いや、もう、僕の心配って何だったんすかねぇ」
戸川はその整った顔には皮肉気な顔を浮かんでいた。
いつも思うが、人の満面な笑みを見て、皆がその顔を浮かべるのは、如何なものか。