第六話 流転する時
それから一時間半後、尚人は機体を変えながら数戦した後、筐体が並んでいる中央に設置されたターミナルで柿崎と一緒にカードの更新をしながら今日の反省点を言い合っていた。
「やっぱり両手ガトリングに変えるかね? 速射砲は趣味で試してみたけど、弾幕形成力はほとんどないわ」
「別にあのままでいいだろ? 火力支援としては一線級のレベルは維持してんぞ?」
「つ~か、尚人。ポイント頑張って貯めているみたいだけど、何か欲しい武器でもあるの?」
「レーザーブレイドでも使おうかなって……考えてるんだけど?」
「はぁ? あんな攻撃速度だけの産廃武器をか? やめとけ、それにポイント使うぐらいなら最近アップデートされて評判が良くなったシュナーデル・サーベルでも買っとけよ」
「けど、強化した際の潜在能力はピカイチだから長い目で見ても―」
「そこまで辿り着くのに何千戦やらなきゃなんねぇんだよ? ま、人のカスタマイズだから俺は気にしねぇけどよ」
柿崎のいうレーザーブレイドは近接武器の中で一番速い攻撃速度を誇っているが、展開時に常にエネルギーを消費する事と攻撃力はサーベルを下回る事、何より値段がべらぼうに高いというデメリットから殆ど使われない武器であり、プレイヤーからは産廃武器という位置づけをされている。その攻撃速度で圧倒しようとするプレイヤーもいる事はいるのだが、総合的な火力を見るとどうしても平均的な性能を持つサーベルの方が優秀である。
それでも強化し、熟練度が上がると総合火力でもサーベルを大きく引き離すほど攻撃力と攻撃速度が上がり、全近接武器の中でもトップを走る化け物武器へと変貌する。尚人はそれを狙っているのだが……いかんせん道のりが長すぎる。
「はぁ……しばらくはアサルトライフルとサーベルで頑張っていくか」
「そうしておけって。その機体での勝率もいいんだしよ。更新終わったから、帰るか?」
「そうだな。時間的にもマナーが悪い奴らが来るから、帰るか」
カードの更新を終えた二人は、ゲーセンを出てそのまま帰路につく。一時間半前まであった苛つきはとっくの昔に消えて気分爽快。付き合ってくれた柿崎に感謝しながら、尚人は自分の家に入る。鞄を置いて、そのままの足で紗夜の家に行こうと考えるが、甘えてばかりは行けないと自分を戒めて冷蔵庫から適当な野菜やおかずになりそうなものを取り出して切り始める。切った野菜と豚肉とキノコ類を熱したフライパンに入れて、常備されているごま油と醤油も入れてサッと炒める。皿に盛りつけたら、今度は冷凍庫にあるご飯を二つほど取り出し、茶碗に入れて解凍する。その間、宮島が言った最後の言葉の意味を考える。
噂で聞いた限りじゃ、宮島も不良達と連んでいるっていう話をよく聞くんだよなぁ……北条達と結託されたら、やっかいな事になるな。
あれこれ考え始めるが、レンジの音で中断させられる。解凍して湯気が立つご飯をテーブルの上に置いて食べ始めると、二階からなにやら物音が聞こえ、すぐにドタドタと階段を下りる音が響く。音の原因はもちろん……
「あ~、自炊してる! 今日こそは作りに行こうと思ったのに!」
「何だ、今更気づいたのか? 何だったら、ちょっと食べるか?」
「食べる!」
そう言って、紗夜は荒々しく椅子に座り、尚人は再び冷凍庫からご飯を一つ取り出してレンジに入れる。解凍されたご飯を紗夜に出すと、すでに夕飯を食べているはずなのにがっつくように尚人の作ったおかずを口に放り込んでいく。
「おいしい!」
「……怒ってるのか?」
「柿崎から聞いたよ。告白されたんだってね? 何で言ってくれなかったの?」
「おいおい、いちいちそんなことまで報告しなきゃいけねぇのか? 俺って、信用ないなぁ……」
「信用してるよ……だけど、どうしたって不安になるもん」
食べ進めながら喋る紗夜の声はあくまでも明るいが、その表情は暗い。やはり好きな人が他の人から告白されるのはいい気分ではない。付き合っていると明白にしていないからこそ、普通のカップル以上にそういう事に対しては不安になるのだ。
それをよく知っている尚人は、紗夜の表情を見て安心させるかのように尚人は今日のことを話し始める。
「安心しろ。確かに告白されたが、木っ端微塵に振ってやった。あれだけ酷い振られ方をすれば、もう近寄ってくる事すら無くなるだろう」
「でも……逆恨みとかされない? 今は北条達からも目を付けられているのに結託でもされたら……」
「……大丈夫だ。そんな付き合いがない女の子だと思うし、北条達も人の手を借りるぐらいなら自分達で落とし前を付けるだろうからまずそれはないよ」
いつもはこういう事に鈍い紗夜が、いきなり自分が考えてきたことを鋭く突いてきたので冷静さを装うとするが、完全にはできずにこめかみをヒクヒクとさせながら返答する。
絶対という保障はどこにもない。四日前、自分が紗夜に言った何気ない一言が今ここで返ってくるとは思いもせず、背中は冷や汗でびっしょりだ。
幸い柿崎は紗夜に相手のことを言っていないみたいで、紗夜はそれっきりこの事を聞かず、今日何があったかを話し始め、いつもの安らぎの時間が始まった。
時を同じく、車のライトとネオンで彩られる長屋駅を見慣れた男女が練り歩く。いかにもヤンキーな格好とギャルな格好をしているのは、北条と宮島だ。尚人の考え通り、やはりこの二人は裏で連んでいた。
「マジでありえねぇっての。あのクソ男、私のことを振るのよ? 考えられる?」
「普通なら考えられねぇ……俺だったら、その場で襲ってる」
「でしょ~? 今まであの手で何人ものカップル壊してきたけど、あいつらは別格ね。どうする?」
「クソ野郎には借りがあるし、それに川上はそそる物がある。できれば……喰らいたいね」
「キャハハ、下衆いわね~。まぁ私はあのクソ男に振った事を死ぬほど後悔させればそれでいいけど」
醜く笑いながら、二人は寂れたクラブハウスに入っていく。ここは近辺でも不良達が集まる有名なクラブハウスで、不良ならば誰もが一度は訪れる聖地でもある。中では普通のクラブハウスみたいに中央が開けたダンスホールに音楽が鳴り響いているが、誰一人として踊っている者はいない。カウンターに座って、未成年にもかかわらずタバコを吹かしたり、酒を煽ったりしている連中もいれば、男女のグループが座り込んで何かを吸い合ったりしていたりする。また時々ダンスホールを使って、大がかりな喧嘩をしていたりするのだ。
宮島と北条の二人はここの常連で、ここに集まる大半のグループに顔が利くほどここの店では権力を誇っている。二人はいくつかのグループから、そこそこ喧嘩が強い不良グループの輪に入り、いつの日か決行する尚人と紗夜への復習の計画を細かく話していく。それを聞いた不良グループはなにやら面白い物を見つけたかのように笑い、承諾した。
とりあえず準備が完了した二人は、店のマスターに酒を注文して、そのグループを交えて未成年にもかかわらずに酒盛りを始めるのであった。
長屋の長い夜は今日も騒がしく過ぎ去っていく。
一週間の学校生活が終わり、本日は土曜日……誰も文句は言わない学生の休日だ。
尚人は前日にアニメをこれでもかと言うぐらい見続け、ベッドに横たわったのは午前三時頃……そして、今ようやく目が覚める。時計を見てみると長針と短針がちょうど十二時のところで重なろうとしていた。とりあえずこのまま寝ているのも何なので、もぞもぞとベッドから起き上がり、大きく伸びをする。
いつもの青いジャージに着替えて下に降りてみると、テーブルの上にメモが置いてあった。そこには……
「昼ご飯は長屋駅の近くで食べるからよろしくってか……それじゃ、紗夜が来るまで腹が減ったままじゃねぇか」
どうせあと三十分もすればこちらに来るだろうから、マグカップに注いだ牛乳をレンジに入れて、再び二階に戻る。机の上に置いてあるポータブル端末と財布、そして何着かの服を持って下に降りると同時に、レンジから終了音が鳴った。取り出したマグカップにシュガーを一本入れて一口飲むと、何とも温かい感触が身体を満たしていく。
ポータブル端末で紗夜から連絡がないか確認するが、あったのは柿崎からのメールと広告メールだけであった。インターネットの発展が最盛期を迎えているこのご時世で、紗夜はメモ書きを多用する。本人曰くメールで送るより、意図が伝わるからということからメモ書きを使っているらしい。
そんな事を軽く思い出しながら、柿崎のメールを返信していると……
「おっまたせ~♪ 用意ができたから行こうよ!」
「意外に早かったな。さて、何着てこうかな……」
「ナオくん、先に決めておいてよ! え~と、これとこれ着て!」
渡されたのは模様が入った青色のロングTシャツと黒色のダメージジーンズだった。すぐさま着替えて、外に出るとまだ春だというのにちょっと熱かったので腕まくりする。
「しわになるから腕まくりやめなよ~」
「気にすんな。熱いんだからしょうがないだろ?」
「も~……まぁいいや。それじゃ、今日は楽しもうね!」
今にもスキップしそうなほど浮かれている紗夜に手を引かれて、二人は最寄りの駅まで歩き出す。ここまでウキウキしている紗夜を見るのは久しぶりであり、特に今週はあれほど酷いことをされた後で、二人で出かけるのだから尚更なのだろう。尚人もいつもより楽しい気分になっているのが自覚できる。
最寄りの駅から長屋に向かう電車の中で雑談をしていると、ふとなにやら目線を感じて尚人は周りを見渡す。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない。それよりどこで飯食うよ?」
「う~ん……中島屋に入っているオムライス屋でどう? あそこのオムライス、絶品なのよね~」
「じゃあ、そこだな。紗夜が言うんだから、間違いねぇ」
ジュルリと今にもよだれを垂らしそうな紗夜を尻目に、尚人は先ほど視線を感じた方向を見る。しかし、そこには見知った顔はおらず、まばらに人がいる程度だ。視線から感じた感情はうっすらとこちらを監視する感じと……嫉妬だった。嫌な予感がするも、それを紗夜に伝えてこの空気をぶち壊すわけにはいかず、グッと堪えて忘れることにした。
電車が長屋駅に着き、降りてみるとそこは人、人、人……人の洪水が目の前に広がる。首都の新東京には負けるものの、世界と渡り合う大企業が多数存在する長屋も毎日人で溢れかえっている。洪水をかき分けながら、中島屋に通じる連絡通路を歩いていく。
「あっ、あそこだよ。いいお店でしょ?」
「紗夜にしてはいいところを見つけたな。さっそく並ぼうぜ」
人気店なのか、昼時と重なって結構な数の人が並んでいる。その客層も大学生やOLと言った女性中心の客で、それだけでこのオムライス屋はリーズナブルでおいしいものを作っているのかが尚人には何となく読み取れた。
並んで待っている間、今後の予定はどうするかを話し合っていく。
「服見るんだったら、どこに行く? あたし的にはビッグチルダがいいと思うんだ」
「そこは前にも行ったろ? 今度はハンズに足を伸ばしてみようぜ。もしくは電車に乗ってモズに行くか……」
「それだったら、最初からモズに行ってるよ~」
そんなこんな話していると、ようやく二人の名前が呼ばれて店の中に入る。ふわっと漂ってくるデミグラスソースの匂いに尚人の腹が盛大に鳴る。それを聞いた紗夜は大爆笑し、尚人は顔を赤らめながら爆笑する紗夜の頭を小突く。その爆笑を境に二人の間には殆ど笑いが絶えなかった。注文したオムライスがおいしかったこともあるが、二人の中で何かが堰を切って溢れたのだろう。食事中ずっと様々な話題を話し合って笑い続けた。
店を出た後、中島屋から出て、駅周辺の個人店をウィンドショッピングを始めた。何軒か服屋に入っては何も買わずに出て行き、次に尚人の要望でゲームセンターに入る。クレーンゲームやレースゲームで遊んでいると、目に入った三人の不良がこちらを指差してポータブル端末で何かを調べ始める。それを見た尚人は嫌な予感がして、今しているゲームを無理矢理終わらせた。
「あぁ~……ナオくん、もう終わり?」
「それどころじゃない。たぶん尾けられている」
「えっ!?」
「念のため、店員に言って裏口から出るぞ。その後一気に駅まで走って電車に乗ろう」
真剣な声で話す尚人からいかに緊迫しているかを感じた紗夜は、おとなしく尚人の言うことに頷く。店員にはタチの悪い連中に絡まれたと嘘をついて裏口から出さしてもらうが、そこにはすでに先ほどとは別のグループが回り込んでいた。
「ケケケッ、早川尚人って言うのはあんたのことか?」
「……そうですが、何か?」
「ある人からお前を連れてこいって言われてんだ。おとなしくついてきてもらうぜ?」
「断ると言ったら?」
「そこの彼女がどうなるか知らないぜ?」
いつの間にか紗夜の後ろに一人の不良が回り込み、ポケットの中でなにやらもぞもぞと探す仕草をしていた。おそらくナイフの類なのだろうが、こちらが断ればすぐにでも取り出して、紗夜に襲いかかることは明白だ。
尚人は数秒考えた後、降参するかのごとく両手を上に上げた。
「わかった。ついていこう」
「へっ、どうにかしようと考えんなよ? 彼女を怪我させたくなかったらな?」
不良達のリーダー格から釘を刺されるが、今の状況で尚人は一人でどうにかしようとは考えもしなかった。三対一でしかもこちらには紗夜がいる。この状況下で無傷で紗夜を逃がし、なおかつ自分が無事に帰ってこれるような作戦があれば、返答するときに実行している。尚人はポケットに入れてあるポータブル端末を隠しながら操作して、もしもの時のためにメールに登録してある定型文を柿崎に送る。
囲まれながら連れてこられた場所は、定番の路地裏ではなくその道で有名なクラブハウスだ。ドアにはクローズと書かれた札が吊り下げられているが、不良は構わず中に入っていく。
「連れてきましたぜ、北条さん」
「クククッ……久しぶりだな?」
「やっぱり北条か。どうせ、お礼参りでこんな回りくどいことをしたんだろ?」
「ご名答~、早川君。やっぱり貴方って、かっこいいわね」
カウンターの上に片膝を立てて座り、身体を揺らして小さく笑う北条の隣に際どい格好をした宮島もいた。これでこの二人が裏で連んでいることがわかり、尚人は今更ながらこっぴどく振った事を後悔する。
それでも尚人はいかに無事にここを脱出するかを考えるために、中の状況を把握することにした。脱出できるところは何カ所あるか、脱出に使えるものや武器になりそうな物はないか、何人いるかを把握していく。その結果、今のところ脱出できる確率はほぼゼロである。入り口はご丁寧に二人で固められており、もう一つの脱出に使えそうなカウンター奥の勝手口は前に北条が座っている。武器になりそうなのは今のところ椅子と店の片隅に転がっている箒ぐらいであり、箒一本で店の中にいる十五人を倒すのは到底不可能である。
何かいい手はないかと思考を巡らせていると、座っていた北条がカウンターから降り、指を鳴らしながらこちらに近づいてきた。
「俺からは一つ……この前の借りを返したくてよ。あの負けた時からお前は絶対にボコるって決めてたんだ」
「……嫌だと言ったら?」
「拒否権はねぇ。そこの川上をマワされたくなかったら、俺と殺り合う事だな?」
「……クソッ」
衝突が避けられないと判断した尚人は拳を握って構える。それと同時に周りにいた不良達が北条と尚人の周りを、円を描くように囲む。その間、紗夜は不良の一人に腕を引っ張られ、宮島の所に移動させられる。
「ナオくん!?」
「心配するな。全て片付けて……二人で帰るぞ!」
その一言と同時に尚人は踏み込みと同時に鋭い突きを北条の顔面目がけて放つ。しかし、バカ正直に狙ってきた突きを嘲笑うかように北条は片手で受け止めた。
しかし、尚人は諦めずに踏み込んだ足を軸に鋭くローキックを繰り出す。これはクリーンヒットして、北条の身体がグラリと傾く。
「っ!?」
「しっ!」
受け止めた手が緩んでいたので振りほどき、そのままの勢いで北条の顔を手の甲で打つ。反応する暇もなく、顔面にビンタを食らった北条は顔を背けてしまい、次の攻撃が見えなくなった。それを見逃さず、尚人は胸と腹に素早くパンチを繰り出した。
これで流れは尚人に行ったのか、リズムよく攻撃していく尚人に対して北条は喧嘩慣れしているにもかかわらず、防戦一方になる。素人の喧嘩で重要になってくるのはその場の勢いであり、尚人は偶然にもその勢いに乗れたせいか、あまり喧嘩が得意ではないのにここまで善戦できている。
キレのある蹴りが太ももに入り、北条が片膝を付いてしまう。そのまま利き手である右を振り下ろそうとするが、そこでとんでもない邪魔が入ってしまった。
「やめな、この子がどうなってもいいの?」
「ッ……」
「紗夜!? 北条……最初からそう言うつもりだったのか!?」
「本当なら自分の拳で決着付けたかったんだけどな……俺も手段を選んじゃいられねぇのさ」
宮島が紗夜の首元にいつでも刺せるようナイフを突き立てる。それを見た尚人は瞬間的に振り下ろそうとした拳を必死に止めて、一度北条から距離を取った。
自分の注意力散漫さと視野狭窄に情けなく思いながらも、必死に紗夜を助ける計算を始める。
「あっ、早川君。ちょっとでも変な動きをすれば、大事な彼女の綺麗な肌に傷が付くよ?」
「チッ……卑怯者が」
「卑怯者結構。あんたは私をあれだけこっぴどく振ったんだから、これぐらいの仕打ちは当たり前でしょ? 北条、好きなようにやっちゃっていいよ」
「ありがと、よ!」
紗夜を人質に取られて攻撃ができなくなった尚人をこれ幸いと北条は滅多打ちにする。顔面にパンチを入れたり、ボディに蹴りやアッパー……終いには両手を組み、思いっきり振りかぶって頭を殴り、尚人を地面に倒れさせる。しこたま喰らった尚人は立ち上がろうとするが、足に来ているのかつま先が地面を掻くだけであった。何もできない悔しさと紗夜を人質に取られている怒りからはらわたが煮えくりかえるが、今の尚人には何もできない。
「おいおい……もう終わり、か!?」
「がっ!?」
倒れている所に蹴りを入れられて、さらに悶絶する尚人。腹を蹴られたせいか息も絶え絶えにもがくが、それでも紗夜を助けつつ北条から勝利をもぎ取ろうと何か使える物はないかと視線を彷徨わせる。だが、そんな都合がいいものは何一つ無く、無情にも紗夜の悲痛な叫び声が耳に飛び込んでくるだけであった。
「やめて!! これ以上ナオくんに酷い事しないで!?」
「あんたは黙ってな。ちょっとでも何かしようとしたら、綺麗な肌に傷が付くよ?」
「ッ……あんた達、絶対に許さないんだから!」
「この状況から凄まれても何も怖くないよ。さ、北条……さっさと潰しちゃいなよ?」
「わかってる」
頭を踏もうと足を上げたとき、不意に外から叫び声が聞こえてきた。外には北条の仲間が厳重に入り口に固めているはずだったのだが、次の瞬間ドアが思いっきり吹き飛んできた。
ドアを吹っ飛ばして現れたのは、柿崎だった。すぐに入り口の近くにいた二人が柿崎に襲いかかるが片方をグーで顔面を思いっきり殴り、返す刀でもう片方に裏拳を叩き込む。猛烈な痛さに反撃することも忘れて打たれたところを押さえて悶える二人を尻目に、柿崎は中央で倒れている尚人を介抱するかのように立ち上がらせる。
「随分と俺の親友を撫でてくれたな、北条?」
「ふん、借りがあったから丁寧に返してやっただけよ。お前にも仲間をボコボコにされた借りがあるから、たっぷり返してやるよ」
「てか、何であんたがここに来れるのよ!? どうやってこの場所を知ったの?」
「尚人からテンプレで連絡があってね。そこからもう一人の親友に場所を割り出してもらって、やってきた訳よ」
壊れたドアの外から見つからないようにこっそりと中の様子を伺っている天川はまたも騒動に巻き込まれてしまったようだ。ちょうど柿崎に新しいパソコンを見繕っている際、尚人から連絡が来て、そこから何かあったときのために天川のポータブル端末に自分達の端末を追跡できるようGPSを登録してあるのでそれを使い、ここにやってきたという訳である。
首や手を鳴らしながら戦う準備を始める柿崎を見て、北条も一度仕切り直しのつもりか、床に唾を吐いて構える。吐かれた唾は口を切っているのか赤く濁り、長年踏み慣らされてきた
床に赤い点を作る。
「どうでもいい……来いよ?」
「ふ~ん……あれだけやられといて、まだやろうってか? いいぜ」
そう言って柿崎は、スッと腰を落としていつでも蹴りを出せる構えを取る。前の喧嘩も今の二人を一撃でノシたのも、柿崎は空手とテコンドーを習得しているからであり、その強さは普通の不良では手に余るほど……喧嘩慣れしている北条でさえ柿崎とは正面切ってやりたくないほどであり、テーブルの後ろにあるステンレスの灰皿をいつでも掴めるよう体勢を帰る。
柿崎も乱入して、いよいよ混戦になろうとしたとき、外から聞こえてくると言うのにうるさいほどの警報音がクラブハウスに響き渡る。そして続く放送でその場にいた全員が目を丸くして驚く。
『パラセトラ出現。パラセトラ出現。市民は速やかに最寄りのシェルターに待避してください。繰り返します―』
「……マジかよ?」
「パラセトラって、日本じゃ出現しないんじゃなかったのかよ?」
「と、とにかく……逃げろぉ!!」
不良の一人がパラセトラが来ることに恐怖し、一目散に外に逃げると他の不良も蜘蛛の子が散るかのごとくクラブハウスの入り口からシェルターに向かって走り出した。
宮島は警報を聞いた瞬間に勝手口から逃げ出しており、北条もこのまま続けるか多少迷ったが、命が惜しかったのか尚人を押しのけて最寄りのシェルターに走っていった。
残ったのは柿崎といつの間にか中に入ってきた天川、満身創痍の尚人と紗夜である。
「こんな時に来なくても……尚人、立てるか?」
「三十秒ほど休憩させてくれ。まだ足が言うこと聞かねぇんだ」
「ナオくん……大丈夫?」
「大丈夫だ、とりあえずは……」
急いで息を整えようとするが、踏ん張りに踏ん張り抜いた身体はそうはさせまいと心臓を強く鼓動させる。殴られた箇所は痛みと共に熱を持ち、蹴られた腹からは酷い吐き気がする。それでも三十秒きっかりで立ち上がり、一向に整わない息を必死に整えようと深く大きく息をし続ける。
「ハァ……ハァ……とりあえず一番近いシェルターまで行くぞ。天川、場所はわかるか?」
「は、はい! ここからだと長屋駅の西口にある一番シェルターとビッグチルダ一階にある五十八番シェルターがもっとも近いです!」
「駅の方のシェルターはごった返しているだろうな……ビッグチルダに向かいながら空いているシェルターに行くぞ!」
ポータブル端末で緊急避難シェルターを探してくれた天川に感謝しながら、尚人は自らを奮い立たせる意味も兼ねて先頭切って歩き出す。正直一歩踏み出すたびに体中悲鳴を上げるような痛みが走るが、この有事にそんなことは言ってられない。クラブハウスから出て、ビッグチルダが立っているであろう方向に目をやると、そこには今までこの日本では見られず、信じられない光景が飛び込んできた。それは……
「なんてこった……あれがパラセトラ」
「あれはクイーン級……まずいですよ、あれが出現してるって事はこの周辺はすぐにでもポーン級で埋め尽くされてもおかしくありません! 急ぎましょう!」
高層ビルの合間を縫ってクイーン級パラセトラがそびえ立ち、遠くから人々の悲鳴と怒号が響いてくる。四人は急いでビックチルダに向かっていると、前から都市迷彩のバトルジャケットを着た自衛官が数人走ってきた。おそらくこれから来るであろう大量のポーン級パラセトラの対処と逃げ遅れた人の誘導をするために出動してきたのだろう。
「君達、どこに行くんだ!?」
「ビックチルダのシェルターに行くつもりですけど―」
「あそこはもう収容できない。その先からはすでに封鎖されたから、小須の方に向かっていった方が安全だ。私が先導するからついてきてくれ」
一人の自衛官が尚人達に気づき、他の仲間に先に行くよう促した後、尚人達をまだ収容できるシェルターへと誘導する。が、行けども行けどもどのシェルターもすでに収容人数の定員を満たしており、簡単に尚人達を収容する事はできない。
「くそっ、どこもかしこも駄目か……あれほど現場がシェルターが足りないと声高に言っていたのに……」
「私達……どうなるの?」
「心配するな。無事に生き残れるさ。とにかく気を強く持て」
青ざめた顔で紗夜が不安を口にし、それを何とか尚人が少しでも不安が無くなるよう肩を抱いて囁く。実際、いつポーン級がこちらに殺到してくるかわからない。もし遭遇したのなら、死を覚悟しなければならない。
不安がる四人を尻目にポータブル端末を操作していた自衛官が一つため息をついて、ある決心をした。
「仕方がない。ここは一般表示されていないシェルターに向かうとしよう。本来は政府関係者などが優先されるけど、この有事にそんな事は言っていられないからな」
「やっぱりそういう物ってあるんですね。で、そのシェルターはどこにあるんですか?」
「あそこのシャッターが閉まっている潰れた店がそうだ」
自衛官が指さしたのは、とうの昔に潰れたと思われる店のシャッターだった。すでに看板は長年放置され続けていたせいでボロボロであり、辛うじて元々は果物屋である事が読み取れた。だが、遠くからだとよくわからないが、シャッターの一部がオートで開く扉になっており、その近くにはカバーが付いている電気のスイッチと思われる物がある。おそらくカバーの中は何かしらの認証システムが入っているのだろう。
「とにかく早くシェルターに入るんだ。私のIDカードを通せば―」
自衛官がカードを取り出そうとした時、一際大きな揺れが一行に襲いかかる。揺れが収まった次の瞬間、地面を割ってパラセトラが何体も飛び出してきた。
「キャアァァァ!?」
「まずい!? 早くシェルターに急げ! このカードをかざせば、シェルターへのドアが開く!」
パラセトラを追い払うために背中に背負っていた八十九式五.五六ミリ小銃を構えながら、尚人に自身のIDカードを渡す。四人はすぐに指差されたシャッターへ走るが、如何せん距離が遠い。また尚人は喧嘩と痛めた身体を無理に動かしてきたせいか、体力が限界に近い……遅れ始めた尚人に気づいた柿崎は肩を貸して尚人を助けるが、後ろから悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ぎゃああああああっ!?」
「……やばいぞ、自衛官がやられた! 紗夜、天川、さっさとシェルターの方まで走れ!」
「わかってるよ!」
「ひいぃぃぃぃぃ!?」
天川は恐怖で泣きながらシェルターに向かって全力で走り、紗夜もそれに続く。二人もその後に続くが、柿崎が尚人を支えている以上どうしても遅れが出てくる。尚人は後ろを見てみたい衝動に駆られるが、見たところで待っているのはスプラッタ映画顔負けのグロい瞬間だ。この状況でそんな物を見れば、間違いなくパニックになる。前を行く二人も本能的にそれを悟って、見ないようにしているのだろう。
シェルターまで残り五百メートルを切った辺りで、前を行く紗夜達の横から一匹のポーン級が現れた。おそらく人間の行動を読んで迂回してきたのだろうがこのままでは二人が危ない。尚人はそれに気づくが、痛みが邪魔をして身体がうまく動かない。万事休すと思われたその時、前を走っていた天川が偶然にもポーン級に気づき、危険を承知で紗夜を押した。
「キャッ!? あ、天川君!?」
「川上さん、逃げて!!」
あの臆病で自分の身を最優先で守る天川が紗夜を守った事を驚くが、声をかける間もなく押した拍子に倒れた天川にポーン級が食らい付く。
「ぎゃあああああっ!?」
「あ、天川!?」
足から齧り付かれ、飲み込んでいくように上に上がってくるポーン級から助けようと柿崎が駆け出そうと、尚人が肩を掴んで制止する。ポーン級から助けようとして自分も喰われるケースもある事をネットから知っていたからこその制止だ。ここで誰かが助けようとして巻き込まれでもしたら、天川の決死の行動が無駄になってしまう。
「アアアアァァァァァ……」
断末魔を上げながら天川はポーン級に飲み込まれていき、咀嚼されていく。そのグロテクスさに柿崎はその場で嘔吐し、紗夜は目を背けてその現実は必死に見ないようにする。ただ尚人だけはこれ以上大切な人を無くすわけにはいかないと本能的に感じたのか、近くにあった箒を思いっきり先ほど天川を飲み込んだ口を突き刺した。ポーン級は内臓器官をやられたのか何秒かもがいた後動かなくなる。パラセトラが死んだ事を確認した尚人は、天川を失った悲しみに暮れる暇も無く二人を入り口が見えているシェルターまで誘導して、後何人入れるかをモニターを操作して調べる。
「ちっ、後二人か……柿崎、紗夜と一緒に入れ」
「ゲホッ……オェ……何言ってんだ!? お前はどうするつもりだ!?」
「いいから入れ! 紗夜の事、頼んだぞ」
「ナオくん!!」
二人を無理矢理押し込んでシェルターを閉じる。モニターには満員になった事で警報が解除されるまで完全に閉じられた事が表示されていた。
それを確認して、尚人はとにかく別のシェルターを探すために小須の方向へ歩いていく。身体は熱いのに、頭は普段より冷えていて視野が広くなっている。自分でもわからないがこの現実離れした状況すら、どこか別の所で起こっていると思えるぐらい冷静に見ている。
だが、天川が死んでしまった現実は重くのしかかってくる。その現実を受け止めたくない自分とそれすらも他人事と思おうとする冷静な自分がいてせめぎ合い、精神の均衡を崩そうとする。頭を振って今はその事を考えないようにして歩いていく……その途中で先ほど天川が襲われた場所に振り返り、先ほどの行動を思い返した。
あいつはいつも臆病だったけど、この土壇場で誰もできないような事をしてのけたんだ。あいつは……誰よりも勇気がある男だ。
心の中で別れを告げて、再び歩き出す。泣いている暇はない。とにかく少しでも早く空いているシェルターを見つけないと天川の死が無駄になってしまう。
シェルターを探しながら歩いていると、空から何かが風を切る音が聞こえてきた。その音に気づいて空を見上げてみると、二機の戦闘機が急降下してきた。
「ありゃ……ストライクラプターじゃねぇか!? 日本じゃ配備されていないはずだぞ!?」
急降下したストライクラプターがクイーン級に空対地ミサイルを放ち、今度は急旋回しながら上昇していく。ミサイルを喰らったクイーン級は少々たじろぐ程度で全く堪えた様子は無い。続いて別方向からこれは日本でも着々と配備が進んでいるライトニングⅡがミサイルを撃ち込むが、それでも全く倒れる気配はない。
空で繰り広げられる爆撃戦を見ていると、足下の方でなにやら紙ヤスリを擦るような音が聞こえて視線を地面に戻すと、大量のポーン級が目前まで迫っていた。自分が今死と隣り合わせの場所にいる事を思いだし、慌ててシェルターを探すために走り出すと、さきほどの風切り音が急に大きくなった。振り向くと先ほどのラプターが地面にいるポーン級目がけて二十ミリ機関砲を撃ち始め、慌てて横っ飛びで機関砲の嵐をやり過ごす。一発一発が人を木っ端微塵にできる威力を持つ弾はポーン級をあっという間にミンチにし、青臭い体液を周囲に撒き散らした。
横っ飛びで道路の隅に避けた尚人は埃を払いながら起き上がって視線を前に向けると、先ほどと同じような潰れた店のシャッターが開いており、その中を覗いてみると地下へ続く階段があった。とにかく今はストライクラプターの銃撃とポーン級の行列に巻き込まれないためにも中に入るしかない。
ポーン級が入ってこないようシャッターを下ろし、ポータブル端末のライトを付けながら下へ降りていく。ほこり臭くないので、つい最近まで使われていたかも知れないと思いつつ一番下まで降りると、長い廊下が朱い非常灯で煌々と照らされていた。その先を進んでいくと重厚な作りのドアがいくつも建ち並び、その内の一つを開けようとするがウンともスンとも言わない。他にも調べてみるが、最初の物と一緒で開こうとはしない。
開かない扉を無視して奥に進んでいくと急に開けた場所に出た。そこには……
「これは……人型ロボット?」
広い空間の真ん中に設置されたケージに鎮座する巨大なロボットはアニメや漫画でよく見る人型戦闘兵器にそっくりだ。非常灯が反射してよくわからないが、その全長は大体十メートルほどありそうだ。
ライトでロボットの足跡を照らしてみると、様々な機器が立ち並び、ロボットの状態を示している。幸い日本語で表示されているため、読み取っていく内にこのロボットはいつでも動かせる状態にある事がわかる。
ここで漫画ならば勇んで乗り込んでいくのであろうが、これはあくまで現実……何も知らない自分が乗った所でパラセトラに喰われてよしだ。
だが、パラセトラに喰われて死んだ天川の断末魔が今も耳に残っている。シェルターに入り込む時に見せた不安と恐怖で彩られた紗夜の顔が目に焼き付いている。ここで何もしなかったら、尚人は自分で自分の事を責め続けて後悔し続けるであろう。
そう考え、意を決してロボットに乗り込んだ。乗り込んでまず驚いたのは、どこかで見た事あるようなレバー配置とこれまたどこかで見た事あるようなスイッチの配置……何かは思い出せないが、操作方法が何となく感覚でわかる。とりあえず英語でイグニションと書かれた赤いボタンを押し込むと……突然モニターが明るくなった。
『起動サインを確認。APU並びにCPUの起動後、シグマセルドライブの駆動を開始します』
「う、うわ!? 一体なんだってんだ!?」
『声紋及び網膜スキャン……登録されているパイロットのデータと照合した結果、該当しない事が判明。緊急臨時パイロットと判断し、簡易登録を実施。これより三十分間、貴方が当機の正パイロットです』
モニターには外の景色が映し出され、同時に機体のコンディションが次々と表示されていく。下に目線を移すと、まさにアニメのようなレーダーが表示されており、赤い点がパラセトラで時々高速で横切る青い点が友軍機なのだろう。
とにかく地上に出ないと考え、足下にあるペダルを強く踏む。すると警告音が鳴り響く。
『警告、この地形で立ち上がると肩部まで地上に突き出ます。突き出た衝撃で間接部に過負荷が掛かる恐れがあるため、緊急出動シーケンスを行う事を推奨します』
「ならそれをやってくれ」
『了解です。緊急出動シーケンスを開始。非常時のため、こちらからの信号でハッチを開けます』
すると、突然上の方からパラパラと埃が舞い落ち、徐々に非常灯に混じって地上の光がロボットのいる部屋に入り込んでくる。どうやら先ほどの潰れた店はダミーで出動するときはこのように開いて出る寸法と密かに感心する。
「なるほどね。ギミックとしては折りたためるようになっているだけか。ワンダーン3とかゴッドマジンガーみたいにプールがガバッて開いたりはしないのが残念だけど」
『パラセトラを補足。ポーン級多数、ナイト級五、クイーン級一……当機だけで殲滅可能と判断しますが、いかがしますか?』
「動かし方はなぜかわかるから……装備されている火器を教えてくれ」
『了解しました』
ロボットに搭載されている火器が評細なデータと共にモニターに表示される。それらを尚人はゲームの武器選択場面の気持ちで見ていくと……
「何じゃこりゃ?」
表示された火器を見て、尚人は非常時にもかかわらず口をあんぐりと開けて呆れた。