第三話 触れたい温もり
あの後、紗夜は保健室へ運ばれ、残った北条グループと相川、そして柿崎と尚人は職員室で喧嘩の経緯を説明する事になった。
先に北条達と相川が事情を説明し、その後に柿崎と尚人は先生と共に紗夜がいる保健室で事実の照らし合わせをすることになり、現在は保健室で軽い傷の手当てを受けながら説明している。
「―というわけで、俺達の行動は正当防衛に当たるはずです」
「ふ~む……だけど、やり過ぎじゃないのか? 北条達はもちろん、相川に至っては鼻と頬骨が折れている」
尚人達の担任である神山は頭を抱えながら相川達の怪我の具合を言う。普段温厚な生徒達が問題を起こしたとあって、その顔にはありありと苦悶の表情が浮かんでいる。
相川は事情を聞こうにも顔が血だらけだったため、すぐに担任が病院に連れて行った。しかし、それでも紗夜に乱暴しようとした事実は変わらない。
「川上がこんな酷い事されかかったんだぜ、先生? ちょっとは情状酌量の余地はあるんじゃないですか?」
「黙っていなさい、柿崎。別に先生はお前達の行動を咎めようとは思っていない。ただその行動の程度が問題なんだ」
「そ、それはそうだけどよ~……」
正論を言われて柿崎は押し黙ってしまう。確かに今回の喧嘩で柿崎は北条と二人の不良に結構な負傷を追わせている。いくら正当防衛だからと言っても見方を変えれば、過剰な暴力だと捉えられても仕方がない。
尚人だってそうだ。いくら乱暴をしようとした相手を懲らしめるだけなら、パンチの一発でもぶち込めばいい。だが、鼻を潰し、頬を叩き割り、あまつさえ顔を潰しにかかったのだから、逆に悪人扱いされてもおかしくはない。
最悪の状況を想定して、尚人は停学ぐらいの罰を受けるだろうと覚悟するが……
「……まぁ今回はお前達の言い分を信じるとしよう。川上を守ったことは事実だしな……内申にもこの事は書かないでおく」
「やっ、やったぁっ!」
「ただし、お前達だけ罰はないのは示しがつかない。よって、柿崎は一日自宅謹慎、早川は三日間だ。以上」
「そ、そんな!?」
「仕方がないさ、柿崎。内申には書かれないし、降って湧いた休日だと思って受け入れようぜ」
「じゃあ、先生はこれで行くからな。川上、明日は無理に来なくてもいいぞ? こんな酷いことをされかかったんだからな」
意外なほどに軽い罰で言われて安堵する三人に、終わりを告げて神山は保健室を出て行き、残された三人に沈黙が走る。
色々なことがあって話し合うことも多いのだが、柿崎と尚人は喧嘩で疲れているし、紗夜も先ほどの事を思い返すとまだ身体に震えが走る。
その沈黙を破るかのように尚人が立ち上がり、無理に明るく二人に声をかける。
「さって……帰るか?」
「そうだな。ここにいてもしょうがないしな」
「紗夜、荷物取ってきてやるからもうちょっとここにいな」
「大丈夫よ。一人でいるより……ナオと一緒にいたい」
「……わかった」
「お~お~、お熱いことで……それじゃ、行くか?」
柿崎に促されて、尚人と紗夜は立ち上がり、柿崎の後についていって保健室を出る。もうすでに校舎には誰もいないだろうから、二人は手を繋いで廊下を歩く。
鞄に教科書などの荷物を詰めて、そのまま三人は学校を後にする。帰り道もやはり三人に会話はない。
「それじゃ……俺はここで」
「ああ。巻き込んでごめんな、柿崎」
「気にするな。中学からの親友だろ? それより天川の姿が見えなかったな?」
「たぶんあいつは先生呼んでそのまま帰ったんだろ? 元々喧嘩に向いていないし、臆病だからな」
「まぁ明後日学校行った時に言っといてやるよ。俺もお前も全然気にしていないってよ」
「あいつ変な所で気にするからな。そこを含めていい奴なのに……じゃあ、明後日は頼むわ」
「おう、じゃあな。川上も無理するなよ?」
「心配してくれてありがとう。柿崎」
柿崎とはそこで別れて、尚人と紗夜は再び帰路につく。その間、紗夜は暗示を解き、朝のように天真爛漫な本来の紗夜に戻る。
暗示を解いた途端にその瞳にはうるうると涙が溜まっていく。よほど我慢していたことが垣間見れる。
「こ、怖かったよ~……ナオくん」
「よしよし、よく耐えたな。この事はちゃんとおばさんに言えよ? 言いたくないのはわかるけど、俺以上に心配してくれるのは両親だけなんだからな」
「わかってるよ~……ナオくん、守ってくれて本当にありがとうね」
涙を浮かべながら笑顔をこちらに向けてくる紗夜を見ているだけで、今まで体中から主張し続けていた痛みが嘘のように消えていく。この笑顔が見られるのなら、自分がどんなに傷ついてもいいと思っている尚人にとって、最高の報酬である。
「当然のことをしたまでよ。それより制服は大丈夫なのか?」
「うん。ボタン引きちぎられただけだし、代わりを縫い付ければまた使えるよ」
「そうか……それより、学校に行くのは抵抗ないのか?」
「う~ん……行きたくないっていう気持ちがあるけど、ナオくんがいれば大丈夫でしょ?」
あんな事があったのにまだ学校に行くという選択肢があるのかと思いながら、尚人は紗夜の強い心に素直に感心する。
自分に絶対的な信頼があるから学校に行くのだろうが、それでも普通ならばトラウマを負っていてもおかしくない出来事で、不登校になってもおかしくないのだが……紗夜からそういう様子は一つも見られない。
(こりゃ……おばさんにも相談しておくか?)
ボリボリと殴られた所を掻きながらそんなことを考えていると、紗夜が頬に手を添えてきた。
「ごめんね、ナオくん……私のためにこんなにも怪我させちゃって……」
「気にすんな。紗夜が無事なら、それでいいさ」
「……よし、家に帰ったら手当てしてあげる! 保健室で殆どしてないでしょ?」
「このくらい何ともないって。それよりお前の方が―」
「こんなに目を腫らして唇切っている人に言われたくありませ~ん。ほら、さっさと帰ろうよ!」
紗夜が尚人の腕を引っ張り、自分の家へ急ぐ。元気な紗夜にほとほと呆れながらも尚人もこれを楽しんでいる節が見える。
よほど今の生活が楽しいのだろう。きっとそうに違いない。
家に着いた尚人はさっそく紗夜の家にお邪魔しようと……強制的に連れて行かれようとするが、リビングを見てみると一つの封筒と置き手紙が置いてあった。それをため息をつきながら取る。封筒の中身はお金で、置き手紙の内容は……
「今月の生活費を置いておきます。それと今月からカナダに二ヶ月出張で~す……てか。まったく、一人息子を放っておいてよく行けるよな?」
「こらこら、そんなこと言っちゃ駄目だよ? おばさんもおじさんもナオ君の事を思ってしてくれているんだから」
「そう思える紗夜が羨ましいよ。さて、そっちに行こうか?」
とりあえず封筒のお金を財布に移し替えて、尚人は紗夜の家に行く用意を始める。
尚人の両親は新聞社の海外派遣員として世界中を飛び回っている。日本にいる時は一年で一ヶ月に満たないほどの忙しさで、日本を経由して旅立つ時だけこうやって生活費と置き手紙を置いていく。尚人が小さい頃は母親が専業主婦で世話をしていたが、中学三年生になる頃から父の手だけでは足りないと頼まれて、今のように一緒に飛び回るようになった。元々社内結婚で、二人とも敏腕ジャーナリストであったから中学になる頃からいつかは復帰すると考えていたが……この多感な思春期に親からここまで放っておかれるのは少々寂しい物がある。
それでも二日に一回は電話をかけてくれるし、家にいられる時はいつもこちらの話を聞いてくれる。世間の親から見捨てられた子供に比べれば、自分はまだ恵まれている。
そんなことを考えながら用意を済ませ、紗夜の家にお邪魔する。すでに勝手知ったる家なので軽く挨拶して上がり込みリビングに向かうと、すでに紗夜が救急箱を取り出して待機していた。
「ほら、ここに座って。切れてる所、消毒するから」
「ういうい」
「あら、尚人ちゃん……どうしたの、その傷?」
「今から説明しますから、おばさんも聞いていてくださいね」
紗夜に強引に消毒されながら、尚人は紗夜の母親に今日あった出来事を丁寧に説明していく。
聞いていく内におばさんの顔がどんどん青ざめていったが、尚人が助けに入ったことを言うと一気に安堵の表情を浮かべると同時に、怒りを露わにした。
「全く! なんて危ない学校なのかしら!? これはもう校長先生に抗議するしか―」
「待って、お母さん! そこまで大事にされると私が居づらくなるから電話での抗議ぐらいに留めてよ! この事はもう先生も知っているし、もう大丈夫だよ!」
「でも紗夜、貴方のことなのよ? これからもそういったことがあるかも知れないから抗議するの」
「わかってるけど……」
事を大きくしたくない紗夜にとって、学校への抗議はやめてもらいたい。だが、母が言っている事は正論なので渋々黙るが、尚人を手当てする手は休めない。
「でも尚人ちゃん、紗夜を助けてくれて本当にありがとうね」
「いえいえ、幼なじみとして当然の事をしたまでですよ。それにそういう事をする輩は許せませんからね」
「そんなに謙遜しなくてもいいのに……本当にありがとうね。さ、ご飯にしましょう」
「は~い……はい、これでオーケーよ」
「サンキュ、紗夜」
消毒の痛さに耐えた甲斐あってか、微妙に痛みが引いてきた。腫れ上がっていた目にも氷嚢が当てられて心地いい。
尚人はそのまま料理が用意されているテーブルに向かおうとするが、片眼が使えないのか若干ふらつく。それを紗夜がそっと横から支えて二人はテーブルについた。
紗夜の父親はまだ帰ってきていないが、三人はそのままいただきますをして夕食を食べ始める。
尚人は両親が海外に行くようになってから、週に何回かこうやって紗夜の所で食事の世話をしてもらっている。紗夜の母親も尚人の両親から頼まれているようで、紗夜の幼なじみでもある尚人の事を本当の息子のように思って、食事の世話をしている。
「そういえば、二人とも二年生になって二ヶ月が立つけど、クラスの雰囲気とかどうなの?」
「私は別に変わりないかな~。前のクラスの友達ともそんなに別れなかったしね」
「俺もそんなに変わりないですね。クラスで浮かない程度に馴染んでますよ。紗夜の方もそういった事は聞きませんしね」
学校での紗夜はああいう風に冷たい印象をわざと装っているが、同姓には非常に優しい。雰囲気が怖いため、少々臆病な女子からは敬遠されているが、今時のギャル風な女子や体育会系の女子からは非常に人気が高い。嫌みのない性格だから、普通にしていれば誰とでも仲良くなれるのだ。
尚人の方も親友の柿崎と天川以外とはそれなりにうまくやっている。元々人に合わせるのがうまい尚人は、クラスが変わっても浮いたりしないように最低限の努力をしているので、結構話しかけられる存在になっている。
「ならよかったわ。クラスが変わると一転して浮いてしまうって話をよく聞くからねぇ」
「確かにそういう奴はいますよ。だけど、俺から言わせればそいつは人と関わろうとする努力をしていないだけ。自分から行かないと何も開けないというのに……」
「そんな言い方ないと思うよ。なかなか積極的に行けないだけなんだから、誰かが背中を押してあげるとか手を差し伸べてあげるとかしてあげないとかわいそうだよ」
「何もしないですくい上げてくれるほど世間は甘くねぇって。だから―」
そんな哲学的な話を交えながら、夕食中はずっと紗夜の母親を交えて色々な話をしていく。
夕食を食べ終えると、尚人はすぐに帰り支度をする。長居するのは嫌いじゃないが、ここにいたのでは紗夜の母親が介入してくるので、あまりいちゃつけないのも理由だ。
「もう帰るの?」
「ああ。向こうでゆっくりするわ」
「尚人ちゃん、何かあったら言ってきてね。洗濯物とか大丈夫?」
「今のところ大丈夫ですよ。本当に処理しきれなくなったら助けてもらいますから……では」
挨拶もそこそこに家に戻り、すぐに二階の自分の部屋に入る。そこはアニメのキャラクターのポスターや大量の漫画が陳列している本棚、大きめのテレビを乗せたラックの中も大量のゲームソフトが詰められている。
尚人はパソコンが真ん中に鎮座している机の前に座り、スイッチを入れる。立ち上がるまでの間にため息を一つつこうと口を膨らませると、口内から鋭い痛みが走った。
「ッ!? やっぱり切れてやがるな……飯食ってた時もかなり痛かったし」
紗夜からプレゼントされ、愛用しているハンドミラーで口の中を見てみると頬の内側が二カ所ほど大きく切れている部分があった。喧嘩の時、しこたま顔を殴られてしまったせいだろうと思い、むしろこれぐらいで済んだのだからラッキーと考えながら、立ち上がったパソコンを操作していつも小説を書いているサイトを開ける。
今書いてネットで連載している戦闘物の小説……世間一般で言うライトノベルの続きを書いていく。人気は乏しくないが、ある程度定期的に感想を貰える読者もついているので、尚人からしたら膨大な情報量を誇るネットでの投稿で感想を貰えるのだからいいと高を括っている。
いかに読者に文章のイメージを伝えるかを考えながら続きを書いていると、不意に外から鈴の音が聞こえてきた。それを聞いた雅人はすぐに窓を開けると、猫のようなしなやかな動作で紗夜が入り込んできた。家も隣同士でお互いの部屋はベランダを介して行けるほど近いので、行く時には合図として鈴を鳴らす約束がある。
「ふぅ……やっとお母さんからの追求から逃れられた。あんなに心配しなくてもいいのに……」
「まだ言うか? あれだけ注意されていてよく言えるよ」
「ん~……別にいいの。また何があればナオくんが守ってくれるでしょ?」
紗夜が椅子越しに抱きつきながら、非常に嬉しい事を言ってくれるが、それは絶対に確約してはいけない約束である事も尚人は知っている。確かにその時そばにいる事ができるのであれば守りきろうと努力はするが、それ以外は無理に等しい。
紗夜も返事を返さない尚人の考えを察したのか、そのまま口を閉ざして尚人に寄りかかる。不確実な形の見えない約束より確実な温もりが伝わってくる今……それが大事なのだ。
言葉もないまま尚人は書きかけのライトノベルを保存し、抱きついてくる紗夜の腕を掴んで立ち上がる。そして、背負ったままベッドの方まで歩き、紗夜を優しく寝かせて自身も覆い被さった。その豊かな黒髪をベッド一杯に広げてこちらを見てくる紗夜は今夜だけはなぜか非常に色っぽく見える。
「……疲れているのに、いいの?」
「今は紗夜だけを感じたい」
「まったく……いいよ、来て」
紗夜の了承も得た事で尚人は自身の中でわき上がった紗夜への愛情を思う存分ぶつけ始める。紗夜も尚人の想いをしっかり五体で感じ取っていく。
危機を乗り越えて、今を感じ取る事ができる二人はこの夜、いつも以上に深く繋がりあった。