第二話 妬む者、守る者
昼休みになると、学生はこぞって一階の食堂に集まる。栄高校の食堂は普通の高校にある学食がちゃっちく見えるほど充実している。そのため、昼間になると席の取り合いが殆ど戦争状態になり、言い争いや喧嘩など日常茶飯事である。他にもお弁当やパンの訪問販売があるのだが、これもまた評判が良く、部活をしている者や女子達がおやつとして買い込んでいくので、すぐに売り切れる。
そんな喧噪とは打って変わって、屋上で紗夜と一緒に自前の弁当を食べている尚人はふと今朝柿崎に言われた事を思い出して、とりあえず紗夜に忠告しておく事にした。
「紗夜、サッカー部の相川がお前の事を狙ってるみたいだぞ?」
「相川って、あのチャラ男? 正直部活やってるときの視線がウザ過ぎてしょうがないのよ。こっちをジロジロ見て、にやにやしてるのよ?」
「それだけ聞くとストーカーだな。やっぱりイケメンだと何でも許されるってのは本当だな」
「てか、学校にいる男の視線がウザいわ。どいつもこいつも私の身体見てさ……下心丸出しで最悪」
紗夜の身体は高校生にして完成された身体で、本職のモデルが悔しがるほど均整が取れたプロポーションをしている。しかも、ダイエットや美容に何も気を遣っておらずにこれなので正直女の敵である。さらに全人類男子の大好物である巨乳でもあるため、思春期の男子の視線はどうしてもそこに集中してしまう。
「ま、ナオは別だけどね。私の胸に視線が行ってもなんか気にならないし」
「言っとくけど、俺だって下心はあるんだからな。思春期の男子ナメんな」
「だけど……エッチな事とか考えてないでしょ?」
「それは……慣れてるからな。今更その程度じゃ何も思わないよ」
ズカズカと男子の聞かれたくない部分を聞いてくる紗夜であるが、やはりこうやってくだけた質問をしてくるのはよほど尚人のことを信頼しているからなのだろう。
尚人の持っている弁当だって、毎朝紗夜が早起きして作ってくれる物だ。それを静かな屋上で一緒に食べるのは、毎日たるい学校生活の中で、大きな癒しになっている。
しかし、それを時たまぶち壊そうとする輩も存在する。
「あっ、やっと見つけた……川上、ちょっといいか?」
「噂をすればなんとやら……何、相川君?」
ワックスで決められた頭に丁寧に整えられた眉毛、シルバーアクセサリーを色んな箇所に付けていかにもチャラい雰囲気を漂わせる男……相川が来て、表情はあくまで普通でも内心で舌打ちをする紗夜。どうせ用件など、先ほど尚人から聞いた事であるのは間違いない。
「俺の事を噂してくれるなんて嬉しいね~。今日の放課後、時間取れる? な~に、ほんのちょっと話したい事があってさ?」
「……ええ、いいわよ。部活前なら、少しだけ時間あるし」
極上の笑顔で相川の誘いを承諾し、駄目かと思っていたのか相川は派手にガッツポーズまでして喜びをあらわにする。
「でもいいの? 隣に彼氏がいるのに?」
「ナオには関係ないもの。これは私と貴方だけの問題でしょ?」
「そうだけど……早川君、念のためあんたの許可を取っておくけど、いいよな?」
頼んでいるのに睨みをきかせて承諾しろと言わんばかりの高圧的な態度で尚人から許可を得ようとする相川を、一つため息をついてあっけらかんと承諾する。
「別に紗夜も言ったけど、これはあんたと紗夜の問題だから俺には関係ないね」
「OK。何があっても、恨むなよ?」
意気揚々と屋上を後にする相川であるが、尚人と紗夜はその背中から下衆な欲望が滲み出ているのを感じた。
これは絶対何かあると踏んだ二人は、再び昼食を再開しながらどうするかを話し合っていく。
「さて、どうしたものかな……」
「たぶん連れて行かれるのは……旧部室棟の二階の空き部屋。あそこならそう簡単に人も来ないし、何かするには絶好の場所よ」
「胸くそ悪ぃな。あんな見え見えの下心もそうだけど、紗夜になんかしようって魂胆が気に入らねぇ」
「何かあったら、守ってくれるんでしょ?」
「ああ。俺も隠れてついていくわ」
「私も陸部の男子に何人か声をかけておくわ」
紗夜も尚人もこういった事に慣れているのだろう、あり得ないほどスムーズに対策を決めていく。
それから二人は雑談に戻って、昼休みを過ごしていくのであった。
放課後になり、教室は部活に行く者や友人とどこに遊びに行くかの相談で騒々しくなる。その中で尚人は先ほどの事を柿崎達に相談し、一緒に旧部室棟に向かっていた。
二階に上がる階段近くの茂みから息を潜めて、紗夜と相川が来るのを待つ。
「相川の奴も下衆い事考えるね~。ここは謂わばヤリ部屋として知られてるのに連れ込むって……」
「ぼ、僕達で止められるのでしょうか?」
「心配するな、マサ。一応、紗夜の方も陸部の男子に声をかけておくって言っていたから何とでもなる……来たぞ」
不安がる天川をよそに、相川と紗夜が二人で部室棟に歩いてきた。尚人はそれとは別に何かしらのグループが近くにいないかと確認すると……下駄箱の方でこの学校の不良グループがこちらを見ているのを見つけた。
「おい、尚人。あいつら、相川とつるんでいるのを見た事あるぞ」
「俺もだ。近づいてきたら、止めるぞ」
サッカー部の相川には色恋沙汰の噂の他に、黒い噂も常に絶えない。不良グループとつるんで、カツアゲや乱交、果ては麻薬をしているという噂まであるが真相はわからない。しかし、注意しておいて問題はない。
不良グループを注意深く観察しながら、三人は茂みに深く隠れ、部室棟のさび付いた階段を上がっていく二人を監視する。今のところ何もなさそうだが、扉が開く音と同時に下駄箱にいた不良グループが動き出したので、柿崎が飛び出そうとするが、それを尚人が止める。
「おい、早くあいつらを止めねぇと!」
「まだ現場に来ていないんだ。今止めるとこっちが因縁付けられるぞ」
うろうろとグラウンドを闊歩し、通りがかる運動部全部にイチャモンを付けるが、間違いなくこちらに向かってきている。ようやく表情がかろうじてわかるぐらいまで近づき、その表情がニヤニヤしているので、これは間違いないと判断した尚人は不良達が階段を上っていくのを確認し、二人に合図してその後を追っていく。上りきったその先では、不良達が紗夜達が入っていたであろう部屋の取っ手に手をかけていた。
「おい、待ちな」
「あぁん、なんだおめぇらは?」
リーダー格の男にギロリと睨まれて、天川はすくみ、柿崎は身構え、尚人は平然とその睨みを真っ正面から受ける。
「その部屋には紗夜と相川がいる。まさか、今から多数で囲ってヤろうなんてゲスな事は考えてないだろうな?」
「あぁっ!? 俺達が何しようが、お前らには関係ねぇことだろうが!!」
「今から俺達が川上で楽しむ事なんて、お前らには関係ねぇよ!!」
「へぇ……紗夜で楽しむってね?」
不良の一人が口走った一言から、尚人はこの告白自体紗夜に酷い事をする口実だったのだと悟る。不良達も口を滑らした一人をド突いたりして戒め、逆上する。
「んだったらやんのかコラァ!?」
「上等……来いよ?」
「オラァッ!?」
リーダー格の男が尚人にどでかい一発を顔面にぶち込む。所が尚人はそれを全く避けようとせずにもろに喰らった。
口の中が切れたのか、ペッと赤い唾を吐き出して柿崎達に問いかける。
「なぁ二人とも……こいつらから手を出してきたんだよな?」
「……あぁ」
「なら……これは正当防衛だ!」
尚人の掌底が不良の顔にもろに入り、鼻血を吹いて尻から倒れ込む。
そのあまりにも早い一撃に何も反応できずにいた残りの二人は、倒れてから怒りにまかせて尚人に殴りかかる。
そこでリーダー格の不良を尚人が、もう片方の不良を柿崎が相手になり、漫画で見るような喧嘩が始まった。
天川はというと……すでに逃げていた。
喧嘩が始まるちょっと前、空き部屋に連れてこられた紗夜は何も言わない相川の真意を探るためにジッと見ていた。
それを何を勘違いしたらそうなるのか、照れたように顔を背けて見ている紗夜を咎める。
「そんなに見つめるなよ、恥ずかしいだろ?」
「……用は何?」
勘違いに嫌悪感むき出しでさっさと用を終わらせようとするが、相川はもったいぶるように黙る。
こんなナヨナヨした男のどこがいいのだろうと苛つきだした時に、ようやく相川が口を開いた。
「川上って、本当に付き合っていないんだよな?」
「ええ。付き合っているっていう関係の人はいないわね」
しかし、付き合っている以上の関係を持っている人はいるのは、この学校に通っている同学年の者なら誰もが知っているはず。
「いやぁ、前から思っていたけど……俺さ、川上の事が好きなんだ」
「ふ~ん、で?」
「もし、嫌じゃなかったら……俺と付き合わないか?」
呆れて物も言えないと言わんばかりに紗夜は肩をがっくりと落とす。高校に入って以来、自分と尚人の関係は後輩に知れ渡るほど周知の事実。それなのにどうして告白してくるのだろうか?
紗夜にはそれが全く理解できない。それでも否定を言葉にしなければ、この類の男達は肯定と捉えてしまう可能性がある。
「悪いけど、貴方とは付き合えないわ。私、貴方のようなチャラくて軽い男は嫌いなの」
「これからは君だけを見ているからさ、ね?」
「はぁ……貴方、その言葉で何人もの女の子を騙してきたの? 貴方の言葉からじゃ全く真剣味が伝わってこないの」
「厳しいなぁ~……どうしたら、本気だって信じて貰えるかな?」
顔では笑っているが内心で相当紗夜の言葉に苛ついているのだろうと感じながら、紗夜はこの男を女である自分が徹底的に言葉で打ちのめす事に決めた。
こういう男は同姓からどれだけ罵倒されようが殴られようが態度を改めようとはしない。異性からの言葉の方が堪える。
「ナオはいつも私のために本気になってくれるの。私を本気で愛してくれて、本気で慰めてくれて、本気で楽しませてくれる。だから、私も本気でそれに応えるのよ。貴方がナオ以上に私を本気にさせられるとは到底思えないけど?」
「でも付き合ってないんでしょ?」
「ええ。だけど、それ以上の関係よ。てか、私達にそういった感情は必要ないのよ。私達は付き合うって言葉より遙かに深く繋がっているから」
二人は幼い頃より一緒にいて、お互いの事をもう知らない所はないほど知り尽くしている。相手の行動は大体読め、何を望んでいるかすら瞬時に察する事ができる。尚人と紗夜はそこまで深く繋がり、愛し合っているのだ。
だが、相川とて引くに引けない。これまで自分に落とせなかった女は存在しない。しかも今回ゲットするのは学園一可愛いと言われている川上紗夜だ。短期間で別れたとしても箔がつくのは間違いない。
だからこそ、相川は必死に食らいついていく。
「俺と付き合えば、それよりも深く繋がれ―」
「しつこいわね……だから付き合わないって言っているでしょ!? あんたみたいに下心を丸出しにして言い寄ってくる男は虫酸が走るのよ!!」
ついに紗夜があまりにしつこく食い下がってくる相川にキレた。元々この手のタイプは嫌いだったので、よくここまで我慢したと自分でも褒めたくなるほど耐えた。キレた紗夜は尚人でも手に負えないほど言葉がきつくなる。そのため、学校でも「告白しても、怒らすな。命が惜しければ」という不文律があるほど紗夜を怒らせる事はタブーとされている。
「よくもできもしない事を言えるわね? あんたと付き合ったらナオより深く繋がれるって、冗談もほどほどにしてくれる? あんたみたいに女にだらしなくてだるそうに毎日を過ごしている男が、女を本気にできるわけ無いじゃない! どうせ今回呼び出したのも私の身体が目当てだったんでしょ!?」
「ぐっ……言わせておけばこのアマ……こっちが下手に出てりゃ、好き放題言いやがって……」
最初はキレた紗夜をきょとんと見ていた相川であったが、今までの蓄積もあって怒りを露わにする。声のトーンが低くなり、目も据わって紗夜の後ろの壁に思いっきり手を突く。それでも紗夜は怯えるどころかさらにきつくにらみ返す。
「何、本心突かれて逆ギレ? みっともない事この上ないわね?」
「るせぇ!? おめぇは男を舐めすぎだ。その事を今からたっぷり後悔させてやるぜ?」
「っ!? いやっ!! 離して!」
手首を捕まれて、無理矢理顔まで鼻先の距離まで詰め寄られる。紗夜は相川の欲望に眩んだ醜い顔を見てゾッとする。
人はこんなにも醜くなれる……しかもこれから下衆な事をしようというのだから、さらに酷くなるのだろう。
世の中の性犯罪が無くならないのは、きっとこういう欲望を垂れ流すバカ達が何の罪もない人にその欲望をぶつけてしまったからなのだろう。今から自分が襲われるというのに、それをどこか冷めた目で見ている自分がいることに紗夜は少しの驚きを持った。
それでもこんなクズみたいな男に自分を言いようにされるのはごめんだ。
「離しなさいっ!」
「っ!? ……てぇな!!」
「あぁっ!?」
全力で平手打ちをかますが、それに激昂した相川は紗夜の顔を殴り飛ばして吹き飛ばし、倒れた所を馬乗りになって動けなくする。
いよいよ状況がまずい事になったので、必死に抵抗するが……悲しいかな、女性の力では大の男の身体を動かす事はできない。
胸のリボンを無理矢理引きちぎられ、シャツのボタンを乱暴に飛ばしながらその豊かな胸を露出させられる。
「へへへっ……やっぱりいい身体してんじゃねぇか?」
「いやぁっ!! 誰かぁ!! 助けてっ!!」
「無駄無駄……ドアの前では今頃北条君達が見張ってるから誰も助けに来ねぇよ」
それを聞いて紗夜は絶望する。北条はこの栄高校で不良のトップに君臨する男であり、常に五、六人ほどの取り巻きを連れている。不良ならではの威圧感もさることながら、喧嘩の強さもトップクラスだ。これでは紗夜が頼んでいた陸上部の男子も近寄れない。
最後の希望も断たれ、紗夜の頭が真っ白になっていく。その中で思い浮かんだ事は……
「ぐっ……助けて、ナオ!!」
「ケケケッ、愛しの恋人の名前を叫んだ所で―」
「ところがどっこい、助けに来るんだよなぁ~……これがな」
「なっ、いてててててて!?」
突然上から声が降り注ぐと同時に頭部に猛烈な痛みが襲いかかる。痛みに悶えながら、声がした方向に目を向けると……そこには口から血を流し、片眼を腫れ上がらせた尚人の姿があった。
「な、ナオ!」
「大丈夫か、紗夜?」
血で汚れた自分の制服を紗夜に掛けてあげながら、紗夜の身体に怪我がないか簡単に見る。幸い少々擦りむいたのと殴られたのか顔を赤く腫らしている程度なので、一安心すると同時に尚人の怒りのボルテージは加速度的に上がっていく。
「なんでてめぇがここにいんだ!? 北条君は!?」
「北条ならそこで寝ているぜ……あぁ、気絶しているって言った方が正しいか? 他の奴らも柿崎と一緒にノしちまった」
ドアの外は座り込んで休んでいる柿崎と、倒れている不良達で死屍累々と化していた。
あの後、尚人と柿崎は不利な状況にもかかわらず、柿崎が三人、尚人が北条含む二人を倒した。その後、満身創痍の尚人は部屋から激しい物音が聞こえたために踏み込み、現在に至る。
「それより……よくも紗夜に乱暴してくれたな? こいつはぁギルティだ……俺の中じゃ、生涯五本の指に入るギルティだ」
「な、何言ってやがる?」
「先に言っておくわ。貴方はもう……その顔で女の子を口説けなくなるわ」
髪の毛を鷲掴みにして無理矢理立たせ、そのまま力尽くで放り投げる。その際、髪が抜けるがそれを汚い物を触るかのように振り払う。
「か、髪がぁ~~!?」
「今まであんたのようにあたしに乱暴しようとした奴が二人いたの。その時もナオが助けてくれたんだけど……その二人、顔が砕かれたのよ。結果、二人はもう一生モテない顔になっちゃって寂しい事になっていると思うわ」
「さぁ……覚悟してもらおう、か!!」
「グギャッ!?」
下からすくい上げるように顔にパンチをめり込ませ、相川は悲鳴にもならない声を上げて壁に激突させられる。もろに顔の中心にパンチが入ったため、陥没まではいかないが鼻血が大量に噴出し始めた。
殴った際についた血を気にせず、さらにフック気味に顔面にパンチをぶち込む。その力は半端なく、一瞬頭蓋骨が歪むほど強いパンチを受けた相川はみっともなく倒れ伏せてしまう。
すでに抵抗する様子は全く見られないが、それでも尚人の怒りは収まらない。顔を鷲掴みにして、片手で相川を持ち上げる。
「あががががっ!?」
「てめぇは俺を……怒らせた。この顔を潰すまでは絶対にやめねぇぞ!」
さらに力を入れて、顔を潰そうとした時……さらにこの空き部屋に入ってくる人影があった。
「お前ら、そこでなにをやっとる!?」
「せ、先生……」
先生の介入により、顔を潰そうとしていた尚人に冷静さが戻り、相川の顔を慌てて離した。相川のこめかみにはくっきりと尚人が掴んでいた痕が内出血になって残っていた。
ここでようやく……尚人の喧嘩と紗夜の危機は終わりを告げた。