第一話 夢覚めて
フッと意識が闇の底から浮かび上がる。むくりとベットの上で起き上がり、先ほどの夢を思い返す。
妙に生々しくて、現実離れした夢……あまりにも浮世離れしていたので夢と信じたいのだが、あれほどリアルな感覚があったのだから夢の一言では片付けられない。
寝ぼけた頭で先ほどの夢について考えていると……
「おっはよー! 早く起き……あれ、珍しく起きてる?」
「いや、夢見が悪くてな……なんか起きれた」
「ふ~ん、朝ご飯作るから着替えて降りてきてね」
扉から勢いよく現れた女の子に促されて、ベットから立ち上がる少年―早川尚人は学校に行くために制服に着替えて下に降りていく。
すでにリビングのテーブルにはいくつかの食器とその上に炒り卵やウインナーが盛られていた。後はサラダを作るぐらいだろう。
「座って~」
「いや、コーヒー入れておくよ」
「私の仕事だから、取らないでよ?」
「こういうのは共同でやっていくもんだろ?」
キッチンに立っている川上紗夜が尚人がコーヒーを入れることを咎めながら、サラダを盛りつけていく。そして、フライパンの方で焼いていたベーコンを皿に盛りつけていく。
二杯のコーヒーを持って尚人は席に着き、後れて紗夜もパンを持って席に着いた。
「いただきます」
「いただきま~す」
コーヒーを一口飲み、朝食を二人は食べ進めていく。これが尚人の日常であり、幼なじみで彼女同然の紗夜にいつも朝食を作ってもらい、一緒に登校する。
ちなみに彼女同然というのは、過去に尚人が紗夜に付き合おうと告白した時、紗夜も尚人のことを想っていたが「今の距離感が心地いいから付き合うっていう感じにはならないけど、いい?」と言われた。尚人もそれを了承して、今の友達以上恋人未満よりちょっと上の関係で過ごしている。
もちろん二人で遊びに行ったり、キスをしたり、男女のあれこれもしたりする。だが、二人の間に付き合っているという感覚はなく、昔からの幼なじみといった感覚で接している。
「もうすぐテストだけど、ナオくんはどう?」
「ほぅ? 紗夜がそれを聞くって事は今回はバッチリなんだろうな?」
「うっ……今回は大丈夫だよ! ちゃんと夜復習してるし!」
「聞いた限りじゃ、最近寝不足になっていないようだが?」
「ぐっ……」
いつもテストの成績が悪い紗夜は、今回こそ尚人にその事で弄られないように密かに夜中復習をしていたのだが、なぜか目を覚ますといつも朝日を拝んでいた。
その事を尚人は紗夜の母親から聞かされており、今回も紗夜が赤点を取らないようにいつでも教える準備をしている。
「この分じゃ、また一週間前になって泣き付いてくるな?」
「そっ、そんなことないもん! ご馳走様!」
「ご馳走様……いつもありがとうな?」
「私が好きでやってることだもん。気にしないで♪」
食器を片付けながら礼を言い、二人で洗い物をしていく。尚人の両親は海外で仕事をしているため、たまにしか家に帰ってこない。そこで家も隣の紗夜が毎朝早起きして、尚人のために朝ご飯を作りに来ているのだ。紗夜としては夜も作ってあげたいのだが、さすがに学校に加えて部活があるので疲れてしまってできない。尚人もそこまで世話になるのはちょっと気が引けるので、夜はなるべく自炊するようにしている。
洗い物が終わるとちょっと時間に余裕があるのか、二人はコーヒー片手にテレビを付けてゆっくりしていた。
『次のニュースです。昨夜未明、オーストラリアの西部で大型のパラセトラが出現しました。パラセトラは出現位置から動かず、出現から三時間後、オーストラリア空軍によって―」
「……なんか怖いね。オーストラリアってすぐ近くだし、もし日本にもパラセトラが出現したらって思うと……ゾッとするわ」
「……大丈夫だ。日本はまだ一度もパラセトラが出現していないだろ? 世界中からも日本が一番安全だって言ってるから、これからも大丈夫さ」
否定の言葉を寸前の所で飲み込み、紗夜を安心させるかのように確証のない事を言う。
パラセトラは尚人が生まれる前から出現しだした虫のような姿をした生命体であり、その出現方法や目的などは一切わからず、ただ人類を闇雲に攻撃する侵略者と言っていいような存在である。幸い現存する火器で対応できるため、現在は世界規模の災害と国連が認定して、パラセトラを出現した際には出現した国の軍隊か国連軍が早急に対処する事で騒ぎが大きくならないようにしている。
先ほども言ったが、日本ではまだ一度もパラセトラが出現していない。なぜだかはわからないが、これが今後も出現しないという確証には繋がらないのは明白である。この事はちょっとでも聡い人ならば、すぐに気づく物だ。過去に原子力発電は絶対に安全という事が神話にまで昇華されたが、2011年に起きた東日本大震災で原発事故が起き、自然災害から来るその脆さをこれでもかと言うほど見せつけてくれた。三十年以上事故無く運転できたからと言って、それが絶対安全に繋がるわけではない。事故というのは自然災害とヒューマンエラーによって簡単に起きるのだ。
この後、日本……世界全体で急速に太陽光発電と風力発電によるインフラ整備が行われ、原子力発電及び以前から環境問題が取り沙汰にされていた火力発電が廃れていった。
尚人はそれを知っていながら、あえて大丈夫だと断定した。無闇に本当の事を言って不安がられるより、嘘を言ってでも安心させた方がいいに決まっているという紗夜を思う気持ちがそうさせたのだ。
「ほら、テレビ見てると学校に遅れるぞ?」
「そうね。それじゃ、準備してくるわ」
紗夜は学校に行く準備をするため一度自分の家に戻り、尚人も歯を磨いて学校に行く準備を始める。
教科書、各教科のノートに加えて、財布、最近読んでいる軍事系ライトノベル、ポータブル端末を鞄の中に入れて、玄関に行く。
学校指定の靴を履いて、戸締まりをして歩道に出るとすでに紗夜が待っていて、肩を並べて歩き出した。
「ねぇねぇ、週末は暇?」
「そうだな、特に遊びに行く用事とかはないな」
「じゃあさ……買い物行こうよ! 私、服とか欲しいし、ナオくんもそろそろ新しいのが欲しいでしょ?」
それに対して尚人は、顎に手を添えて考え込む。
尚人は基本的にオシャレには無頓着なので、いつも紗夜にコーディネートしてもらっている。彼は世間一般で言うオタクであり、オシャレに金を使うぐらいなら自分の趣味に金を突っ込む考えをしている。無論紗夜がコーディネートしてくれる時はちゃんと支払うが、それ以外は全くと言っていいほどオシャレに金を使わない。
自分の懐具合と次の小遣いが振り込まれてくる日を脳内で相談し、大丈夫と判断したのか顎から手を外して顔を上げる。
「OK、紗夜が言うのなら行こうか?」
「やった! よ~し、今からの季節に合う服を考えるぞ~」
それからは他愛もない話をしながら二人が通う高校―県立栄高校が目に見えてくる。すると、紗夜が何かのまじないなのか、目を覆うように片手でこめかみを数秒押さえた後、まるで仮面をかぶるようにゆっくりと手を下に下ろす。覆われていた目は先ほどまで明るい印象を与える大きい瞳から、冷たさを感じる切れ長な目に変わっていた。雰囲気も先ほどまで醸し出していた明るく元気な女の子から、どことなく冷たさを感じるクールビューティな雰囲気になっていた。
「はぁ……学校なんて無くなればいいのに……」
「だったら、そのまじないをやめろ。モテるのが嫌で、そのまじないしてんだろ?」
「これになっても言い寄ってくる男が多いのよね。私にナオがいるって事は知れ渡っているはずなのに、何で来るのかしら?」
中学校の頃から尚人とそういった関係になっている紗夜であるが、その明るくて容姿も可愛い事もあって、そういう関係になったと知られても告白する男子が続出した。それが嫌になった紗夜は、学校では近寄りがたい雰囲気を醸し出すために暗示をかけるようにした。効果はあったのか、言い寄ってくる男子は減ったが、むしろそれがいいという男子が現れて、暗示をかける前よりは少ないが想いを告げる男子が少なからずいる。
それでも前の状況よりマシなのか、以後暗示による性格の切り替えを今も続けている。
「これって、肩凝るのよね。なんか肩肘張っているような感じがしてさ?」
「帰ったらいくらでも癒してやるから辛抱だ。ほら、校舎に入るぞ?」
文句をたれる紗夜をなだめながら校舎に入り、別々のクラスなので下駄箱で別れる。尚人は自分の教室に入り、いつもの仲間が集まっている自分の席の所へ向かう。
「おっす」
「おっ、今日も夫婦で登校か? うらやましい限りだぜ……」
「うるせ。つ~か、柿崎……今日の朝に変な夢を見た」
「どんな夢なんだ?」
自分の席に座りながら、前の席にだらしなく座っている柿崎勇人に今日の朝見た夢を思い出せる限り話していく。
最初は真面目に聞いていたが、最後の方になると机にだらしなく頬杖を突いて感想を言う。
「それ、なんてギャンダム?」
「ですよね~」
「第一パラセトラの大群って言うのが考えられないし、この長屋がそんな原爆みたいな爆弾で荒れ地に変わるなんてまさに夢だな。それに人型兵器って言うのが極めつけだ」
「そんなことありません! 現に国連のパラセトラ対策本部では戦闘機や戦車による制圧限界を考慮して、新たに人型兵器を研究している噂が後を絶ちません!」
「うおっ!? いきなり興奮するなよ、天川。いつ来たんだ?」
「尚人さんが長屋を焼け野原にした辺りから」
大声で割って入ってきた天川雅也が、尚人の夢の話を聞いて少々興奮気味に一人で話を展開していく。いつもの展開なので、天川の話をBGMにしながら違う話をする。
「そういや、C組の相川がなんか川上の事を狙ってるらしいぜ? この前、放課後に川上を喰ってやるとか仲間内で騒いでいた所を見たぞ?」
「……あっそ」
「あら、余裕なのね?」
「相川って、サッカー部のチャラ男だろ? 女をとっかえひっかえ喰っているような奴に紗夜がなびくわけがない」
「信頼している事で……おっと、そろそろ先生が来るぞ。マサ、一人語りしてないで席に着け」
「ですからロボット物というジャンルが確立したのは、人がいつか人型ロボットを作り上げたい、乗りたいという願望から……あ、もうそんな時間ですか?」
柿崎が席に座る事を促すと同時に教室の扉がガタガタと音を立てて開き、担任が入ってきた。
今まで騒がしかった教室は、担任の来襲でバタバタと音を立てて急速に静粛さを取り戻していく。天川も慌てて席に座り、柿崎も体勢を直して正面に向き直る。
ある程度の静けさを取り戻すと、担任が今日の連絡事項を話し始める。尚人はそれを頬杖をついて聞きながら、辺りを見回す。前にいる柿崎は真剣に聞いているようで聞いていない。手元ではポータブル端末で何かしているようだ。天川も同様に端末でなにやら戦闘機のデータを展開して眺めている。
一通り教室全体を見回したら、尚人はまた朝の夢の事について考え始めた。
(……駄目だ。柿崎達に言って笑い飛ばされても、俺はどうしてもあの夢が夢だったなんて思えない)
ロボットに乗っていた感触も、熱波が混じった風もすべて妙にリアル……それこそ、今いる現実が夢とでもいえるぐらい現実感があった。
深い思考に陥りそうになり、尚人は一度首を軽く振って夢は夢だと割り切った。
外の方に視線を向けると、空に雲一つ無い晴れ間が広がっていた。海の全反射と乱反射が起こしている自然現象なのに、それを見ただけでさっきまで考え事をしていた心がこの空のように晴れていく。
担任の連絡も終わり、これでHRが終了。入れ替わりに一限目の授業である現国の教師が入ってきて、すぐに授業を開始する。
尚人は準備をしながら一つ欠伸をし、こっそりとライトノベルを開くのであった……