08話_危険はどこから来るかわからないわ
「私の弟子もどきはあと5人いるわ。」
「そうか、そんなにも犠牲者が・・・。」
エルアはミレイの弟子もどき達に同情した。きっと会うたび苦労させられているのだろうと。
「姐さん、私は私は!?」
「アイリじゃあ当分マスコットから抜け出せないわね。」
「ガーーーン、ショオオオォォォォォック!! でもでも、妖精さんは頑張っちゃうもんね!!」
「おいおい、コイツの弟子になりたいのか? やめとけ。アルワードだって大変そうだったろ?」
アイリを不思議な目で見ながらエルアは自制を促す。なぜわざわざ自分から地獄に飛び込むようなことをするのだろう? というか、ここで止めるのは圭吾の役割なのではないかと思った。
その圭吾はニコニコとその様子を見ているだけで止める様子など全く無い。
「エルア、あんた何か勘違いしているみたいだけど、私ってば結構気遣いのできる女なのよ。そうねぇ、例えば・・・、あら、エルアの進行方向に小石があるわ。躓いたら危ないわね。」
ドンッ!
エルアを小石から遠ざけるミレイの気遣いにより、エルアは道の脇に押し飛ばされる。押し飛ばされてはいてもそこまで体勢が崩れていなかったので、さほど慌てずに着地をすることが出来た。
「キャッ!!」
しかし人に当たってしまったようである。慌てて声のした方を見ると、頭を抱えてうずくまっている娘の姿が見える。
「す、すみません。大丈夫ですか!?」
どこか怪我をしたのではないかと思い容態を見ようとするが、娘は怪我をした様子もなく顔を上げた。
「え、えと、はい。大丈夫、です。」
娘はエルアと同じくらいの歳で、長い白い髪と青い目、透き通るような白い肌を持ち、まるで精巧に作られた人形が人間になったその容姿に、エルアはしばし息を呑んだ。
「あらあら、うちのエルアがいきなりごめんなさいねぇ。」
「ほとんどお前のせいだからな!?」
ミレイの言い様にエルアは正気に戻った。エルアは女に手を差し伸べ立ち上がらせると、改めて謝罪をする。その様子を見ながらミレイはフンフンと何かを考えるように頷いている。
「ピコーン!! 閃いたわ!! ちょっとエルア、私達はちょっと用事が出来たからそれまでその娘とデートでもして来なさいな。」
「何言ってんだお前!? それにその閃いたってのは何なんだよ!?」
「細かいこと気にすんじゃ無いわよ。あなた、エルアをよろしくね。」
そう言ってミレイは娘に小袋を握らせた。突然のことに娘は小袋を返すことも出来ずに戸惑うばかりである。
「お、おいミレイ・・・!!」
「それじゃあしっかりやるのよ!!」
ミレイは有無を言わさず去って行った。圭吾とアイリもミレイに付いて行ってしまう。まるで打合せていたかのようなその動きを見せられて、エルアはしばし呆然としていた。
「で、これからどうするつもりだい?」
2人の様子を伺いながら圭吾が尋ねた。話を聞いていてミレイに合わせたのはいいが、ここから先どう動くかを聞いていなかった。
「くくくくく、そんなの決まってるじゃない。エルアのエスコートっぷりを見て後でからかってやるのよ。」
「さすが姐さん、堂々と腹黒いことをする!!」
圭吾はやれやれ、と首をすくめながらも様子をうかがうことをやめはしない。ミレイのことだから後で本当にからかうのかもしれないが、それだけではないということを圭吾は知っている。ミレイとアイリも観察に専念することにしたようだ。もちろん、その様子は隠れる所から見ていたエルアにまるわかりである。
「何がやりたいんだあいつら・・・。」
会話は聞こえてこなくても様子を伺っていることくらいはっきりわかる。建物の影から顔を出しながら覗いている連中を見て、というか目も合っているというのにさもこっそり見ているという風に装っている態度に呆れている。ミレイとアイリなんかニヤニヤしながらエルアに顔を向けている。
「もう、シンシアまで・・・。」
ミレイたちの反対側を見ると、同じように建物の影から顔を出して様子をうかがっている女がいた。こちらは金髪の緩やかなウェーブがかかった灰色の瞳をした女であり、その頭の上に乗っけているものが人目につく。
「なんだあれ・・・、なんかの耳? 犬・・・いや、猫か?」
考えても何にもならないような気がしたので、エルアは深く考えるのをやめようと思った。きっとどこかで流行っているのだろう。それで解決である。
「あ、あの・・・、」
声に振り向き改めて娘の方を見る。小袋の中を見て困っている様子だ。
「これ、受け取るわけには・・・。」
エルアも小袋の中を見ると、そこには金貨が詰まっていた。謝罪のつもりなのか何なのか知らないが、相変わらずわけのわからないことをすると、エルアは頭を傾げた。
娘がエルアに小袋を渡そうとするのを、しかしエルアは手で制した。
「まぁ、貰っちゃっていいと思いますよ。確実に無意味な行動ってわけでも無いと思いますし、後で返せなんて言う奴でもないんで。」
そんな事が起これば自分が説教してやると言う。確かにここまでする必要は全くないのではあるが、なんだかんだ言って先を見据えていたりするのがミレイであると、ほぼ無意識ではあるが思っていたりする。
「それよりもとっとと行きましょうか。連中が何考えているのかはわかりませんけど、こうしていてもしょうがないですし。俺はエルアって言います。とりあえず、よろしく。」
「あ、はい。私はムービンって言います。」
そう言ってムービンは頭を下げる。
状況的にミレイとシンシアは何かしらの関係があるのだとは思っているエルアだが、ムービンはその事に気づいている様子もない。なので敢えて悩ますこともないだろうと思い、ミレイ達のいる方向とは別の方向に足を向けた。
「なんかごめんな、付きあわせちゃって。」
「ううん、大丈夫。久しぶりにお友達が出来たから嬉しい、かな。」
お互い歳も近いので敬語はやめようということになり、今は適当に街を歩いている。土産物屋を覗いたり立喰したりしているが、ミレイ達がずっと一定の距離を保ったまま顔をのぞかせているので何ともやりづらい。
ああやって挙動不審な連中は目立つのではないかと思ったエルアであるが、以前に注目を集めるようなことをしておきながら全く気にされなかった事があった事を思い出し、これもその類かと納得した。それならば自分達にもバレないようにしろとは思ったが。
ムービンはここから北の方にある街から来たらしい。あまり長い間街から離れると親が心配するのでそろそろ戻らなければいけないらしい。その短い期間のせいかどうか、ムービンは自分の目的を達せていないそうだ。シンシアという女性はムービンの護衛も兼ねて同行しているメイドさんらしい。
「エルアは、どうして旅をしているの?」
問われてエルアは返答に困った。各所を見るのは楽しみだが、別に自発的に旅に出たわけでもない。祖父がボケた感じになって、幼馴染に強引に乗せられた所にミレイとあって・・・と改めて考えると何か策略めいたものを感じた。だが確信はないので黙って留めておくことにする。
「まぁ、観光目的かな。昔っから色んな所を見て回りたいとは思ってたけどさ、今回の旅はなんか成り行きで始まっちゃったからこれといって明確な目的は無いんだ。」
「そうなんだ・・・。私はね、お兄ちゃんとお姉ちゃんを探してるんだ。」
ひょっとしたら生き別れなのかと思ってエルアは返答に注意しようとしたが、しかし心配したようなものでも無いようだった。
「昔ね、とっても優しくしてもらった覚えがあるの。とっても好きだった覚えがあるの。だから探しだして、もう一度会いたいって思ったんだけど、どんな人達だったか全く覚えてないの。シンシアも、私が生まれる前から家にいるけどそういう人は見たこと無いって言うの。でもね、本当にいたんだって思うんだ。」
エルアはシンシアの年齢に驚いた。どう見てもムービンの姉くらいにしか見えなかったのだが、随分と若く見える人もいるもんだ。しかし自分の旅の連れを思い出して、あまり驚いてもしょうがないかと思い直す。
探し人に関してもエルアがどうこう言えるものでもないので別の話題に変えようかと思ったら、少し長い棒が回転しながら飛んでくるのが見えた。
その棒を見てムービンは頭を抱えてしゃがみ込み、エルアは冷静に飛んでくる棒を見て空中で捕らえた。放っておけばムービンに直撃のコースだったのでエルアはホッと息をつく。
「もう大丈夫だよ、ムービン。」
「あ、ありがとうございます。」
ムービンは立ち上がって安堵の表情を浮かべる。
「ごめんなさーーい!!」
「ごめんごめーーん!!」
棒が飛んできた方向から2人の子供がやってきた。1人が同じような棒を持っているのを見て、エルアは2人がチャンバラでもやっていたのだろうと検討をつけた。
「おいお前ら、危ないから他所でやれよ。」
棒を子供の1人に渡しつつエルアが注意をする。
「ごめんなさい。あんなに飛ぶとは思わなかったから。」
「あそこでやってたんだよ。」
そう言って指差した先を見ると、結構遠くに広場が見える。子供の力ならば余程上手く飛ばさない限りここまでは来ないだろう。2人が決してわざとではないことがわかり、エルアもムービンも仕方がないかと子供達を許すことにした。
「シンシアが、家を出ることになったんだ。」
道端で行われていた大道芸を人の混んでいない所で見ながら2人は一息ついていた。今はジャグリングが行われており、投げているボールが増えたり減ったりして客の関心を引きつけている。
「シンシアって、ああ見えてすごく強いんだよ。私達は今までにも何度か街を出ていたんだけど、それもシンシアの強さが信頼されていたから許されていたことなんだ。」
エルアは大道芸を見ながら、やはりミレイの関係者である線が濃いなと考えていた。聞けば直ぐに答えるだろうから後で聞いてみようかとも思う。
ジャグリングは投げるものを変えているようだ。よく注意しなければわからないくらい素早く正確に、ボールから本や棒きれに変わっていく。
「でもシンシアが家をでることになっちゃったから、もうこういう旅は出来ないと思う。みんな心配症だから、シンシアくらい強い人が側にいないと不安になるんだって。だから今回でお兄ちゃんとお姉ちゃんを見つけたかったけど、もう帰らなくちゃいけないの。」
ちなみにその2人の特徴はあまり覚えていないのだという。記憶が曖昧で特徴もわからず、ひょっとしたら会ったことがあるかも知れないけど気づかなかっただけなんてことも考えられる。だからそれだけの情報ではエルアは心当たりを探ることも手伝うと言うことも出来ないでいた。
こういう場合の人探しって一体どうやるのだろうかとエルアはジャグリングを視界に入れつつ考える。ジャグリングはいよいよ危険なものを扱い出す。抜き身のナイフや剣、ハンマーなど、失敗すれば確実に怪我をしそうなものばかりである。そういった心配を餌にして客を引きつけている。
エルアは話の途切れたムービンから少し意識を離して危ないなぁ、なんて思いながらなんとなしに眺めている。しかし思考の大半はムービンになんて言おうか考えていた。きっと見つかるとも諦めるなとも言うことは出来ない。それが傍観者視点の無責任な発言に過ぎないことがわかっているからだ。
そんな発言はしたくなかったが、情報が少なすぎるので自分が探すとも言えない。ムービンもなんとなく愚痴っぽいことを言いたかっただけなのだろうが、だからといって無責任な発言はどうかと思う。
ただ黙っているのも気が引けるので、とりあえず2人の特徴を思い出すような質問でもしてみようかと思ったら、視界の隅に鳥が横切った。それだけならば気にも留めなかったが、飛んでいく方向には今まで見ていたジャグラーがいる。飛んでいた鳥はあろうことがジャグラーにぶつかり、その手元を大きく狂わせた。そして投げていた内の1つのナイフがこちらに向かって飛んでくる。
「マジか!?」
エルアは慌てて剣を取り、ムービンは頭をかばいつつしゃがみ込む。この体勢はムービンがシンシアから、最低限身を守るための方法として教わったものだ。ムービンはシンシアに戦い方を習おうとしていたが、基本的にシンシアはムービンに甘く、なおかつムービンの身体能力が人並み以下であったためあまり効果のあることは出来ずにいた。
エルアは飛んできたナイフを叩き落とし、一息ついた。もし放っておいたらムービンに直撃のコースであった。
ジャグラーが慌てて駆け寄り謝り倒してくる。事の経緯を見ていたエルアはこのジャグラーを責める気にはなれなかった。いくらなんでもジャグリングしながら特攻してくる鳥を避けろなんて言えないだろう。エルアの心になんともモヤモヤした感覚を残しながら、2人はその場を後にした。
「ごめんなさい、エルア・・・。」
「ん、何を謝る必要があるんだ?」
前方から幌馬車が向かってくるのが見えたため、道の端に寄りつつ聞く。エルアは特に謝られるようなことをされた覚えもないので疑問に思う。
「私のせいなの・・・。私がいるからさっきからおかしな事が起こっているの。だから、友達もみんな気味悪がって離れていっちゃって・・・。」
久々の友達とはそういうことかと、エルアは納得した。しかし自分のせいでおかしな事が起こるというのは何かの思い込みであろうか?
「1年程前からおかしな事が起こるようになったの。頭の上から何かが落ちてきたり、魔物をよく見かけるようになったり、歩いている所の地面が崩れたりするの。そのたびにシンシアが守ってくれていたんだけど、私の周りでしか、こういうことが起きないの。」
エルアは不思議な事もあるもんだと、その話を聞いていた。偶然だとは思うが、ムービンが落ち込むほどには頻繁に起こっているようだ。その上シンシアがいなくなるというのだから内心不安でたまらないのかもしれない。
エルアはふと、ミレイなら何かわかるのかなと思った。今までの流れを考えてみればミレイが予めこの事を知っていたということは簡単に予想できる。ならばこの事を必ず知っているはずだと思った。直ぐに頼るのも何だか情けない感じがしたが、自分では何もわからないことがわかりきっているのでとりあえず後で聞いてみるかと考える。
バキッ
「ん?」
何かが折れるような音に気がついてエルアは振り返る。すると横手から、先程向かってきていた幌馬車が視界いっぱいに広がり、今にも2人に倒れ込もうとしていた。
エルアは慌てて、頭をかばってしゃがみ込もうとするムービンを抱えて幌馬車の進行方向とは逆方向に飛び込んだ。その直後幌馬車は派手な音を立てて横転した。
幌馬車からは積荷であろう、鋼鉄製の鎧や剣などの装備品が散らばっている。
「・・・洒落になんねぇぞ、これ。」
エルアはムービンを抱えて起き上がりつつ惨状を眺める。どうやら幌馬車の車軸が折れて横転したようだが、積荷を見る限りではあんなものの下敷きになってしまったら多少身をかばっていようがどうしようもない事は明らかだ。ムービンはエルアの袖を掴みつつ不安そうな顔をしている。
エルアは謝罪を受けた後、幌馬車をどうにか立て直そうとする光景を見つつ一旦ミレイ達と合流することを考えていた。正直言ってこれ以上のことが起こればムービンを守ることは出来ない。しかし一旦合流すれば後はどうとでもなるだろう。今までムービンを守って来たというシンシアもいる。
しかしずっとこちらの様子を覗いていた連中の姿が今は見えない。気づかれたのに気づいて身を隠したというわけでもないだろう。なにせ最初からバレていることはわかっていたのだから。
このような状況になっていきなり姿をくらましたことにエルアは不安になっていた。ひょっとしたらまだ助けを求める時期ではないのかもしれない。連中は何かわからないが、目的があって姿をくらましているのだろうと思う。そうでなければ全員が全員、この状況に気づいてなにもしないわけがないと、確信を持って言えるからだ。
衛兵が集まって馬主に事情聴取が行われている様を野次馬とともに眺めつつ、このまま考えていても何も進展しない、そう思ったエルアはとりあえず来た道を戻ろうとムービンに提案しようとした時、声をかけて来る者がいた。
「おやおや、なにか騒ぎが起こっていると思えば、久しぶりですねぇ、ムービン。」
話しかけてきたのは1人の男、のようだった。高い身長と体格、声から男だと判別できるが、なにせ仮面を付けているのではっきりとそうだとは言いがたい。体の前を開けてローブを被り、笑顔の刻まれた仮面を付け、腰にレイピアを帯刀するこの男には、夜道では絶対に会いたくない印象がある。
「せ・・・先生・・・。」
「こんな所で会うとは奇遇ですねぇ。」
「・・・知り合いですか?」
仮面の男に声をかけつつ、エルアは油断のない視線を巡らせる。単に格好が怪しいだけならばエルアもこんなに警戒はしなかったが、しかしエルアの袖を掴むムービンから伝わる震えが、2人が穏やかな関係でないことを明確に示していた。
「えぇ、えぇ。私は以前ムービンの家庭教師をしていたんですよ。それで先生なんて呼ばれているわけです。もっとも、クビになっちゃいましたがね。」
「そりゃなんでまた。」
「くっふふふ、私のミスですよ。ムービンに色々な魔法を浴びせていたのがバレちゃいましてねぇ、即刻クビ、ですよ。本当はもっと時間が欲しかったんですがねぇ。」
「・・・ってめぇ、何をしてやがんだ!?」
今の言葉でエルアは一気に警戒を強めた。しかしそれを気にする風でもなく、仮面の男は平然と佇んでいる。
「大丈夫ですよぉ。なにせムービンには魔法が一切効かないんですから。」
「魔法が・・・? お前、何を言って・・・。」
エルアは真意を問いただす暇もなく、仮面の男の指に青白い炎が灯る。そしてその炎をそのままエルアへと向ける。
「・・・っだめ!!」
それを見てムービンがエルアの前に立ちはだかる。エルアがムービンをどける暇もなく、仮面の男の指から凄まじい炎が放出された。しかしその炎はムービンに接触する前に弾け、霧散していった。
その様子を見ていた周囲の人々から悲鳴が上がり、衛兵が慌てて向かってくる。
「ほうら、ね。このように魔法を弾いてしまうんですよ。一体どういう仕組なのか気になる所ではあるんですが、肝心の魔法が効かないんじゃあ調べようもないんですよねぇ。」
向かってくる衛兵を電撃で昏倒させつつ、その様子に呆然としているエルアが聞いているのかの確認もしないまま、仮面の男は話を続ける。野次馬たちはその場の危険性をまざまざと見せつけられて足早にその場を去っていく。
「しかしまぁ、魔法が効かないとわかっているのに私の事を怖がるだなんて、一体どういうことなんでしょうかねぇ?」
エルアは無言でムービンの前に立った。言うまでもなくこの男は危険である。ここで逃げようと背中を見せれば一体何をされるのかわかったものではない。この男は、おそらく気づいていないのであろう。たとえ魔法を怖がる必要がなくとも、向けられる悪意にこそ怯えているのだということに。
「ただねぇ、この仕組を解明できなくとも気になることはあるんですよ。これだけの力なのですから、ムービンが死の淵に立った時に何か素晴らしい力が発揮されるんじゃあないかと思うんですよ。どういったことが起こるのか、気になりますよねぇ。興味津々ですよねぇぇ。たとえ何も怒らなかったとしても、この剣が、ムービンの胸に食い込む光景を、見てみたくはありませんかぁ?」
笑いの仮面が、更に歪んだような気がした。
「・・・この変態野郎がっ!!」
エルアは気合を入れ直し、剣の柄に手を掛けた。
魔法を使おうとすれば斬る。
剣を抜こうとすれば斬る。
そう自分に言い聞かせて対応が遅れないように神経を集中させる。
エルアから仮面の男まで大体2歩。仮面の男がとっさに下がったとしても3歩で斬りかかることが出来る距離である。相手が余裕を見せて油断している限り、決して遅れを取るような距離ではない。
仮面の男は気を張る様子もなく腰に佩いたレイピアにゆっくりと手を近づけて、
「そこまでです、フロストゲイル。」
辺りの空気が一気に凍りついた。
まるで極寒の地を思わせるような気迫がいつの間にか目の前に現れた女性、シンシアから放たれているのを感じ、エルアは先程までの警戒を一切忘れて怯んでいた。ミレイと初めて会った時に浴びせられた気迫が単なる悪ふざけであることをまざまざと実感させられるくらい質の違う怒気が辺りの空気を凍りつかせている。
「おやおやシンシアじゃあありませんか。どこかにいるとは思いましたよ。でも、ちょっと出てくるのが遅いんじゃあありませんかぁ?」
仮面の男、フロストゲイルは真正面から怒気を浴びせられているにも関わらずまるで何事もないようにシンシアに話しかけた。
「今直ぐ引きなさい。今ならばまだ見逃してあげますよ?」
「ふっ、くははははは。おぉ怖い怖い。確かにあなたならば私を始末することなど簡単なことなのでしょうね。しかし、ですねぇ、それならばなぜ今まで行動に移さなかったのですか? 何か私を始末できない理由でもあるのでしょうかねぇ?」
怒気が更に強まる。
エルアはシンシアの後ろにいるだけだというのに、骨の芯まで凍りつくような空気に体の震えを止められないでいた。足の力も完全に抜けそうになるが、それでも立っていられるのは後ろに守るべき存在がいるからであろうか。
そしてそんな怒気を真正面から受けて平然としているフロストゲイルは一体何者であるのか、エルアにはわからない。ただわかるのは、フロストゲイルが普通の人間とははるかに違う心を持っているのではないかということである。
シンシアが一歩前へ踏み出した。その踏み出した足の生み出す振動が地の底まで伝わっていく感覚が怖気と共に伝わってくる。それはあたかも世界そのものが踏みつけられているような、果てしない恐怖を想起させる。
周りの木も建物も、シンシアから少しでも離れようと言わんばかりに、ギシギシと音を立てながらその身を歪ませている。
そんな中、フロストゲイルは何も感じていないと言わんばかりに自然な動作でレイピアの柄に手を掛けた。
「あんたらいい加減にしときなさいな。」
と、2人の間に割って入ったのはミレイである。後ろには圭吾とアイリも付いて来ている。
未だに緊迫感のある空気は払拭できていないが、2人の動きは確実に止まっている。
「そうそう、そこの仮面の人もいい加減にしないと、」
圭吾が手甲をギイィィィンと打ち鳴らすと今まで凍りつき、圧迫されていた周囲の空気が一気に払拭される。それどころか今にも闘気を漲らせるような、熱い空気に変わっていく。
「僕達が相手になるよ?」
変化した空気の中で、肌にビリビリと来る闘気がエルアの肌に突き刺さる。もちろんフロストゲイルにもそれは感じられているだろうが、やはり全く気にした様子はない。
「・・・ふっ、くくく・・・、これはさすがに分が悪すぎますねぇ。いいでしょう、ここは大人しく引いておくことにしますかねぇ。」
フロストゲイルは去って行った。その後を追う者は誰もいない。
人のいなくなった街中で張り詰められていた空気が正常に戻る。と同時にエルアが安心感からか、膝を折ってへたり込んでしまった。
「エ、エルア、大丈夫!?」
ムービンが心配そうにエルアの顔を覗き込む。ムービンは先程の張り詰めた空気の圧力を一切感じていないようである。
「あらあら、情けないわねぇ。だめよ、この程度で力抜かしちゃあ。」
「む、無理・・・。さすがにあんなの堪え切れんわ・・・・・・。」
「さすがにあれは辛かったよねぇ。僕もここに来る時は結構怖かったよ。」
エルアの反応も致し方なしと、圭吾が同意する。
「エルアももっと根性つけなさいな。あ、ムービンは別にいいのよ。だからさっきも圧力を一切感じないようにしてあげたしね。私ってば気の利く女でしょう?」
「おま、俺にもやってくれたっていいだろ!?」
「そんなことよりも場所を移しましょうかね。ここにいたら誰かしら来るわ。人混みの中で話すのは面倒でしょう?」
「ああ、聞き入れてくれないとは思っていたよ。」
このような扱いはいつものことであるが、エルアはやりきれないと言った感じで溜息を付いた。
「まずは改めまして、シンシアと申します。エルアさん、このたびはお嬢様を守っていただきありがとうございます。」
先ほどの場所からそこそこ離れた場所の喫茶店に入り席についた後、シンシアはエルアに頭を下げた。先程の光景を忘れられないエルアとしては、ものすごい違和感のある光景である。
「い、いや、自分は大したことしてませんよ。あの時来てくれなかったらどうなっていたかもわかりませんでしたし。」
「全くね。自分の力に見合わないようなことをすると怪我するわよ。そこら辺の分別ぐらい付けられるようになりなさいな。」
ミレイの容赦無い突っ込みにエルアは顔を顰めた。
「お前なあ・・・、俺なりに頑張ったと思うんだが?」
「頑張るにしても状況を選ばなきゃダメよ。はっきり言うけどねぇ、エルア、アンタあのままもうちょっとだけ放っておいたら死んでたわよ? たしかに剣だけなら勝てるだろうけど、相手は魔法も使えるの。それこそアンタなんかが近づく前に首を撥ねることが出来るくらい実力に差があるの。危険なものを危険とちゃんと認識できなきゃあ長生きできないわよ。」
ミレイの言葉に、エルアは言葉をつまらせた。確かにフロストゲイルの実力を正確に把握しているとは言いがたい。魔法だって、一瞬で使えるようなものではないという思い込みもあったが、相手がその程度の対策をしていないなんて考えるなんて愚かとしか言い様がないと気がついた。
「エルア・・・、ごめんなさい。私のせいで・・・。」
ムービンは今の話を本人以上に重く受け止めてしまったようだ。フロストゲイルと相対してしまったのは自分のせいであるとでも言うように、その表情には深い反省と謝罪の色が張り付いている。
「い、いや、あれは俺が悪かったんだよ。俺が馬鹿だったから相手の実力も読み取ることが出来なかっただけだからさ・・・。」
「そうよ、エルアは馬鹿よ。馬鹿だから慎重に行動しなきゃいけないのに馬鹿だからそんな事もわからないくらいに馬鹿なのよ。」
便乗して追い打ちをかけ続けるミレイの言葉にエルアは顔を引き攣らせた。
「ねーねー、この猫耳どうしたの!? 触っていーい?」
アイリがシンシアの頭上をクルクル飛びながら猫耳に興味津津である。
「かまいませんよ。ちなみにこれは以前、ミレイさんから貰いました。」
「イヤッホー!! モッフモフー!!」
「なんだ、やっぱりミレイの知り合いだったか。」
「あらエルア、それくらいは気づいていたみたいね。シンシアはアルワードと同じような立場よ。実力的にはアルワードが上ね。あの子はまとめ役みたいなものだから。」
「そうなのか・・・、アルワードって凄いんだな。」
内心ものすごく苦労しているのだろうなと思うが、それを口に出すことはない。そう言ってしまうとシンシアに関しても苦労していように聞こえるかもしれないからだ。大丈夫だとは思っているが、エルアはなるべくシンシアを怒らせたくないという気持ちを強く持っている。正直言って、恐いから。
「ところでシンシアさん、あのフロストゲイルって何者ですか? 普通の人間の精神状態には見えませんでしたけど。」
圭吾がシンシアに訪ねた。圭吾ならばフロストゲイルに簡単に勝つことが出来ると、先程のやり取りを見て確信を持っていた。手の内も先読みできたし、力もあまり強くない。だからこそ、シンシアのあの圧力の前で全く屈しない様子に疑問を持った。圭吾が同じ立場だったならば真っ先に逃走を考えていただろう。
「そうですね、あれは狂人というか、変態というか・・・、いろいろな部分が壊れてしまっている人間なんです。恐怖や危険を感じても全く怯まない、なまじ力や知恵を持っているものですから厄介なものですね。」
「僕も色々な人を見て来ましたけど、あれは結構やりづらいタイプですね。話が通じていたからまともな判断は出来るようですけど、自分の身の安全よりも目的を大事にする感じですね。まぁ、絶対に無理だとわかったら引くようですけど、正攻法の通じにくい相手ではありますね。」
「ええ。説得など通じませんし、半端な力では押し返されるだけです。それに性格も悪い。だからこんなに可愛らしいお嬢様に魔法を浴びせたりこんなに美しいお嬢様に剣を向けたりこんなに愛らしいお嬢様に・・・」
「シ、シンシア、もうそれくらいで・・・。」
暴走しかけたシンシアにムービンが待ったをかける。どうやらシンシアは少し残念な人らしい。
「そうそうエルア、この2人もしばらく一緒に行動するようになったからよろしくね。」
ミレイの言葉を聞いてエルアは訝しげに聞き返す。
「・・・初めっからその予定だったんじゃねぇのか?」
今までの流れから言えばエルアの疑問も当然であろう。しかしミレイは言いたいことはわかっているという顔をしながら何のことかしら、と話を適当にはぐらかす。
エルアは圭吾の方を見るが、困ったような笑顔で首をふるだけだ。アイリはいまだにシンシアの頭の上でモフモフしている。
「まぁ、別にいいよ。断わる理由も無いしな。」
「そういう訳ですのでお嬢様、帰りは来た道とは別ルートになりますが、皆さんと一緒に行動することになりました。」
訳など何も話していないのでそういう訳も何も無いが、ムービンは嬉しそうに頷いた。
「うん、皆、よろしくお願いします。」