06話_本気で大げさなリアクションする人ってあんまりいないわよね
宿の外からは星の巨人がかすかに見えていた。北へ北へと旅していたのでそろそろ肌寒くなってきた。ここら辺で追加の上着でも買っておいた方がいいだろうか。
エルアは街のガイドブックをパラパラとめくりつつ、星の巨人を見ている圭吾を視界の隅に捉えていた。この世界にきて数百年というのだから自分よりも見慣れているはずだが、何かを思い出すように見つめているその視線を見ると、何かしらの思い出でもあるようだ。
そんなエルアの様子に気づいた圭吾が、エルアの方に振り向いた。
「昔さ、星の巨人に助けられたことがあるんだよ。」
「え? でも星の巨人が動いたなんて聞いたことないぞ?」
星の巨人は、少なくとも人類が歴史を記してから動いたという事実はない。もしそんな事が起こっていれば歴史書か何かに必ず書いてあるだろうが、そのような話は眉唾以外には存在しない。
もし仮に星の巨人が動いていれば、あの巨体が動いた大きな足跡が残るはずであるが、そのようなものが発見されたという事実も無いのだ。
人類が歴史を記してから5000年余り、知の女神に関してははっきりと書いてあるが、それ故にあの巨体が動いたともなれば正確に記録されているはずである。圭吾がこの世界に来た後に動いたとなれば、それはもうはっきりと。
「うん、そうらしいね。僕が助けてもらった時もあそこまで大きくはなかったよ。」
「どういうことだ?」
エルアは、圭吾の肩に乗っているアイリの方に視線を向ける。この妖精はずっと圭吾といたらしいので一緒に動いている所を見たのだろうか。
「残念だけど私は見てないよ。その時は気絶しちゃってたしね。」
「そうなのか・・・。なんだかよくわかんない話だな。」
「ははは、ごめん。確かに今のだけじゃわからないよね。そうだね、その時のことを話すとちょっと長くなるんだけど、どこから話したらいいのかな・・・・・・。」
バタンッ!!
とここでミレイが乱入してきた。焼き鳥を買い占めに行ってくると言って出かけていたが、3人の予想を遥かに上回る早さだったので何か用でも出来たかという視線でそちらを見る。
「あんたら揃ってるわね? 早速幽霊退治に行くわよ・・・あら、何かしらその顔は? ははぁん、さては幽霊が恐いのね。あんたら揃いも揃って駄目ねぇ。よぉし、それじゃあ肝試しがてら引っ張り回してやろうじゃないの。くくくくくくくく。」
「持ってきたい流れはわかったから、事の経緯をわかるように説明してくれ。」
突然の話に少々戸惑いつつもエルアはミレイに説明を求めた。圭吾とアイリはあまり気にしていないようである。この2人からすると少々の厄介事など気にすることもないのであろうが、エルアは話をしっかり聞いておかないと痛い目を見るのではないかと勘ぐっている。
「やぁねぇ、ここは二つ返事で了承する所でしょうが。まぁいいわ。何で幽霊退治かって言うと、この街の外れにある幽霊屋敷から指輪を取ってきてくれって頼まれたのよ。なんでも昔住んでた人らしいんだけどね、幽霊が住み着くようになってからは怖くて入れないって言うのよ。情けないわねぇ。」
「そうかい。実はその人が泥棒だった、なんてオチはないだろうな?」
「大丈夫よ。こう見えても・・・見ての通り、私は人を見る目があるのよ。泥棒なんて一目で見分けてみせるわ。」
ミレイの自信満々な態度を見てエルアはため息を付いた。確かに普段からふざけた行動をとっているミレイだが、他人から怒られた記憶が無いので人を見る目とやらがあると言っても良いだろう。
しかし、普段から人の禿頭を茶化したり女の人のスカートをめくろうとしたり宗教家を論破しているのを見ていると、もちろん止めはするが心臓に良いものではない。
「そんな訳だから幽霊屋敷に行くわよ。まさかこの中に幽霊が苦手な人なんていないわよね?」
「ああ、俺は大丈夫だよ。別に苦手意識なんて持ってない。」
大多数の人間は幽霊を直接見たことがあるわけではないので苦手意識を持っている人も少ない。苦手意識を持っている人の大体は直接被害を被った人である。
「僕も大丈夫だよ。幽霊なんかより恐い連中と戦ってたしね。」
幽霊より恐い連中とは一体何を指しているのだろうか、エルアは気になった。まさかこの流れで魔物だなんて言うわけもないだろうし、先程の話も中断してしまったので今度聞くことにしようと思い留めておく。
「幽霊は大好物だよ!!」
「食うのか!?」
アイリの返答にエルアは思わず聞き返した。
「幽霊と言うよりもマナの方だね。」
エルアの疑問に圭吾が答える。
「マナって、龍脈に流れてるっていうアレのことか?」
「そう。幽霊っていうのはね、人の強い思念がマナと反応して形になったものなんだ。幽霊は一度形を形成し始めると安定するまで大気中のマナを集めるから、マナの溜まり場みたいになってるんだよね。」
「そうなのか。俺は幽霊って言うとてっきり魂がどうのって話になると思ってたよ。」
「もちろんそういうのもあるけど、それは大抵の場合リビングデッド系。ゾンビとかリビングアーマーとか、魂が肉体の代わりになるものに取り憑いた結果のものだよ。」
「とりあえず問題は無いみたいね。つまらないわ。それじゃさっさと行きましょうか。」
皆が出発をしようとしたところでエルアが待ったをかけた。
「俺が行ってもしょうがないんじゃないか? 俺は幽霊と戦う術なんて持ってないぞ。」
幽霊と戦うには、幽霊が保持しているマナを拡散させる必要が有るため魔力が必要である。一般的には特殊な魔法を付与した武器か魔法を叩きこむ。それが出来ない人は手の出しようがないので、誰か退治出来る人に頼むか放っておくしかないのである。ちなみにエルアは魔法が使えない。
「何言ってんのよ、アンタにはその『天地分断の剣[アルェミ$ymR$%%#ゲァ]』があるじゃないの。」
ミレイがエルアの持っている剣を指差しつつ言う。この剣については、全く傷も付かないし汚れも付かないし、手入れをしなくても曇り一つ付かないので何かおかしな力でも働いているのだろうかとエルアは思っていたが、倉庫でサビだらけになって眠っていたこの剣で幽霊が斬れるとは考えもしていなかった。
「まだそのネタ続いていたんだな。てかもうどういう発音してんのかわかんねぇよ。」
「凄いじゃないかエルア、『天地分断の剣[アルェミ$ymR$%%#ゲァ]』を持っているとは思わなかったよ。」
「『天地分断の剣[アルェミ$ymR$%%#ゲァ]』があれば幽霊なんてイチコロだね!!」
「なんで俺だけ発音出来ねぇみたいになってんだ!? おかしいからな!! 絶対普通じゃ発音出来ねぇからな!!」
絶対に自分の周りが特殊なんだとブツブツ言いながらエルアも仕度を始めるのだった。
目的の屋敷は街の外れにあった。街中に建てられている建物よりも数倍大きなその屋敷は相当な資産家のものであろうことが窺い知れるが、長い間手入れされていないようにボロボロで、家中を覆っている蔦や集まる黒い鳥が不気味な鳴き声を奏で、果ては晴れているのに鳴り響く雷鳴が不気味な佇まいを醸し出している。一同はその屋敷を門の前から見ていた。
「なんともまあ、不気味な屋敷だな。てかさ、この雷鳴って絶対ミレイが何かやってんだろ?」
「あらバレちゃったかしら。バレちゃったら仕方ないから戻しときましょう。」
ミレイがそう言うと雷鳴が鳴り止んだ。黒い鳥は飛び立ち蔦は消え、ボロボロだった家もまるで新築のように綺麗になる。
「全部かよ!!?」
「アンタってば人がせっかく怖がらせようとしてんのに大した反応しないんだもの。もうちょっと面白いことやってくれないものかしらね。」
やれやれと首を振るミレイ。エルアはこんなことをこなしたミレイの力量に感嘆しつつ呆れていた。明らかに力のムダ使いである。
「お前のやることって一々凄いと思うけどさ、なんか長続きしないよな。いや、別に引っ張ってくれとか言ってる訳じゃないけど。」
「こんなの長引かせたってしょうがないのよ。そりゃあ私にかかればもっとハラハラドキドキするような演出も出来るわよ。でもね、現実っていうのは淡々と過ぎていくものだし皆それをわかっているのよ。だからバレたら直ぐにネタバレした方がしつこくないじゃない?」
「まあ、確かにしつこいよりはいいかもしれんが。」
「あっはっは、でも凄いねぇ。こんな小細工誰にもできないよ。」
圭吾がよくわからない褒め方をしているが、ミレイはそれに気を良くしたのかもっと褒めろと煽ってくる。
「流石姐さん、エルアも気づかないふりしていればもうちょっと盛り上がったかもしれないのに!!」
「妙な小細工は要らないから。そもそも変に盛り上げても疲れるだけだから正攻法で行こうぜ。」
エルアは門を開けようと手を掛ける。ガシャンという音と共に門は開かなかった。当然のごとく鍵が掛かっているようだ。
「ぷっ、だっさいわね。それがアンタの言う正攻法なのかしら?」
「悪かったよ!! 鍵のことすっかり忘れてたよ!! 今のは俺が悪かったからそんなニヤニヤしながら見るんじゃねぇ!!!」
仕方ないわねぇ、と言いつつミレイはエルアと入れ替わる。そしてその懐から1つの鍵を取り出してみせた。
「ほら、ちゃんと鍵は預かってるわよ。鍵を掛けないなんて余程不用心か余程田舎かのどっちかよね。」
今度はミレイが門を押すとキイィと少し錆びた音を出しつつ門が開いた。そしてそのまま何の警戒もしていないように入っていくミレイを見て一同も続いて入っていった時、エルアが気づいた。
「おいミレイ、お前鍵使ってないだろうが!!」
「やぁねぇ、何を今更言ってるのかしら? 私の前ではどんな鍵だって無用の長物よ。」
エルアははぁ、と溜息をつく。どのようなことをしたのか知らないが、こんな泥棒一歩手前の技能を軽く使うのはいただけないと思う。そんなエルアの苦悩を察してが圭吾がエルアの方をポンポンと叩いた。
「あぁ、わかってくれるか、圭吾?」
「もちろんだよ。あんな技能だか魔法だかは真っ当に生きている人には不要だよね。でもねエルア、世の中そんな綺麗事ばかり言ってもいられないんだよ。勇者と呼ばれる人達だって、勝手に在宅中の家に上がり込んでは貴重品を物色する盗賊も真っ青の所業を行なっている世界があるんだからね。」
「それ何の勇者だよ。」
「確かに『勇気ある者』じゃなきゃそんなこと出来ないよね!!」
なんだかんだで今のを放っておく流れを感じ取ったエルアは再び溜息をついた。
ギイィィと音を立てて屋敷の扉が開かれる。かび臭く埃っぽい空気が屋敷の中から流れ出てきてエルアは思わず顔を顰めた。
「外見にそぐわず嫌な空気だな。屋敷の中ももっと綺麗な感じを想像してたよ。」
「あぁ、エルアは気づいてないだろうけどね、新築に見えるのもミレイさんが細工しているからだからね。」
「マジかよ!? 何でそんなことする必要があるんだ!?」
団扇で誇りを無駄に舞い上がらせているミレイに声をかける。
「ククククク、世の中見ただけじゃあわからないことが沢山あるってことよ。あなたにはこの埃やカビの匂いが本物かどうか区別が付いているのかしら? 案外これも偽物かも知れないわよ。」
「いや、そんなこと俺に試す意味ねぇからな、マジで。」
屋敷が古いか新しいか、埃があるかどうかなどこれ以上問答してても無駄だと感じたエルアは先へ進むことにする。玄関ホールに入ると道が左右の二手に分かれていた。どちらへ進んでも大した違いはないだろうと判断した時、エルアの前方が淡く光り出した。
エルアは足を止めその光を眺める。始めは丸かった光が徐々に形を変えていき、次第に人の形を取り始める。エルアが1人の女の姿を認識するのにそれ程時間は掛からなかった。
「これが・・・幽霊か?」
初めて見るその光景にエルアは見入っていた。幽霊なんて時々ろくでもないものとして語られるが、今の光景を見る限りはとても神秘的に見えた。もっとも、そう思っているのはエルアだけだったようである。
「あらあら、早速出たわね。アイリ、やっちゃいなさい。」
「アイサー、姐さん!!」
ミレイの指示に従いアイリが幽霊に向かって手をかざす。どうやら戦う気満々のようである。
「ま・・・待って下さい、私の話を聞いて下さい!!」
そこへ幽霊が待ったをかけてアイリの動きを止める。もちろんアイリはいつでも攻撃できる構えを崩していない。
「むむむ、どうしますか、姐さん?」
「構わないわ。話を聞いてみようじゃないの。」
「あ、ありがとうございます!!」
話す機会を与えられて幽霊はホッとしたように安堵の表情を浮かべる。幽霊って意外とまともに話せるものなんだな、と感心するエルアの様子に気づくこともなく、幽霊は話を始める。
「私はアンジェリーナと言います。この屋敷で召使をしていました・・・」
かつてこの屋敷に住んでいた貴族の召使であるアンジェリーナは一人の騎士に恋をした。身分違いだとわかりつつも募らせていく想いは果たして何の因果か、実を結ぶ事になる。
屋敷を辞めることは出来なかったし、そんなに頻繁に会えるわけでもないが、それでもこの屋敷の貴族が目を瞑っていたのも手伝って2人の想いは育まれていった。2人は婚約の誓いを立てるため、いつか断崖に咲くフローレンの花を摘みに行こうと約束をした。フローレンの花は人が足を踏み入れるのも難しい秘境に咲いており、それを取りに行けば2人の思いの強さが認められて、よっぽどの事が無い限り身分違いの恋も認められるのだった。もちろん、不正が行われないように監視役として何人か随行することになるのだが。
しかしそんな2人に戦争の災禍が襲いかかった。騎士は戦場へと駆りだされる。強くはあったがとても優しかった彼が果たして殺し合いなど出来るのかと、アンジェリーナは気が気でない日々を過ごすことになる。
そんな彼の生死も曖昧なまま、戦場は徐々にこの街へと近づいてくる。アンジェリーナはこのままこの街で待つべきか、それともこの街を離れた先で待つべきか迷った。この屋敷の貴族も戦争の関係で忙しく、逃げようと思えばいつでも逃げられる状態ではあった。
しかしアンジェリーナは思った。この街が破壊されると言うのなら、せめて自分だけでもここにいて彼を出迎えてあげたい。全ての日常が崩れ去ったのではないと伝えてあげたかった。
「・・・しかしその判断は間違いでした。当然ながら、私のような女1人が戦場にいれば生き残れるはずもありません。彼がその後どうなったかはわかりませんが、彼とフローレンの花を摘むまではこの想いも消えることはないのでしょう。」
アンジェリーナは胸に手を当て悲しそうな表情をする。ここら辺で戦争があったのはもう何百年も前の話であるが、アンジェリーナがそれ程の長い間こうして彷徨っているのにエルアはいたたまれない気持ちになった。
果たしてこの想いを救うにはどうしたら良いのかと、エルアはミレイの方を見る。ミレイはエルアの視線に気づき、力強く頷いた。
「なるほどね、言いたいことはわかったわ。アイリ、やっちゃいなさい。」
「アイサー、姐さん!!」
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
絶叫が屋敷の中に響き渡り、アンジェリーナは霧散した。
「えええええぇぇぇぇぇええぇえぇぇぇ!!!?」
あまりと言えばあまりの出来事にエルアも絶叫した。
「おいちょっと待てよ、何で今の話の流れでそうなるんだよ!?」
「何でって・・・、ねー。」
「ねー!!」
ミレイとアイリが笑顔で頷き合う。まるでいたずらが成功した子供のようなその姿にエルアは頭を抱えた。自分だけ何が起こったのかまるっきり理解できていない。
「あっはっは、大丈夫だよエルア。今のは悪霊だからね。」
悩めるエルアを救うように圭吾が解説を始める。
「あ、悪霊?」
「そう。大方僕達を危険な所に導いて殺してやろうとか思ってたんだろうね。でもね、悪霊かどうかなんてマナを見れば直ぐにわかるんだよ。」
マナの見れないエルアには今のが悪霊かどうかなんてわかりはしない。ミレイもアイリも、そこの所をわかっていてからかっていたのだろう。
「あらあら、そんなにすぐにバラしちゃ駄目じゃないの。もうちょっとからかえるネタもあったのに。」
「そんなことしていたら進まないだろう? 僕達はともかく、エルアが長い間ここにいるとあまり良くないよ。」
「そんなもの簡単に治してみせるわよ。死にたくなっても殺してあげないんだからね。」
何だか物騒な話になってきたのでエルアは聞かないふりをした。どうせ反発しても奥に行くことになるんだろうし、それならば黙って早く終わらせよう。
「それにしても・・・、今のが悪霊ねぇ。」
見た目が綺麗なほど人を騙すことも簡単なのだろうか。確かに見た目だけでは本質はわからない。悪魔が天使だと言って近づいてきても判断する術は無いだろう。もうちょっと見る目を養わないとなと、エルアは心に決めた。
「ああ、私の坊やは一体どこに・・・。」
「もう話し聞くの面倒だからやっちゃっていいわよ。」
「アイサー!!」
「きゃああああぁぁぁぁ!!」
「くそっ、アイツさえいなければ儂は今頃・・・。」
「とりゃー!!」
「ぐわぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!!」
「チェストー!!」
「ぐぶわぁぁぅぅぅえぇぇぇむぁぁぁ!!」
「・・・何にも出なくなったなぁ。」
暫くの間幽霊を退治し続けていたら屋敷に静寂が戻ってきた。もちろん屋敷の中の幽霊が全て退治されたわけではないが、出たらやられると判断されたのだろう。
「情けないわねぇ。仮にも幽霊なら恨みつらみ妬み嫉みありったけぶつけて来なさいってのねぇ。」
「まったくだね姐さん!! 悪霊なんて全て滅んじゃえばいいんだよ!!」
そういった対応が現状を導いたのにはもちろん気づいているが、2人とも何処かに身を潜める幽霊をからかうように言い続ける。
「大体幽霊なんてのはいじけてばっかりの根暗野郎ばっかりなんだから人目につかない所で縮こまってればいいんだよ!!」
「でもそんな場所も見つけられないくらい馬鹿なんだから仕方がないわね。そんな弱い想いならいっその事自然消滅しちゃえばいいのに無駄に長く残るのよねぇ。」
「あ、あの~、もうちょっと音を下げて・・・」
「だっしゃー!!」
「うぎゃああぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
「ひでぇ・・・。」
悪口を言われまくった挙句注意をしたら即消滅。そんな幽霊の最後にエルアは同情の念を禁じ得ない。
「なあ圭吾、あれ止めなくていいのか?」
どうにもいたたまれなくて圭吾に話を振ってみる。悪霊退治をしているとはわかっているがこれではこちらが一方的に悪者に見える。
「確かに一見酷いように見えるけどね、悪霊なんて出てきた時点でこっちを騙す算段を立てているんだから同情なんかしたら付け込まれるだけだよ。」
そういうものらしい。この屋敷に一体どれほどの悪霊がいるのかはわからないが悪霊の悲鳴が上がる中、その原因を作りつつ進む自分達が何か得体のしれない魔物にでもなった気分である。もちろん、エルアだけが。
他のメンツからしてみれば単にゴミ掃除をしているような感覚である。相手に生物としての意思など存在しない、むしろ生物ですら無いとわかっているからこそそのような感覚を持てるのであるが、そういった事実にいまいち納得出来ないエルアはものすごく居心地が悪い。
「いちいちちっちゃいこと気にしてんじゃないわよエルア、別に全部倒すわけじゃないんだし、目的地もそこよ。」
ミレイは無造作に扉を開けた。そういえば指輪を取ってくるんだったとエルアは今更ながら思い出す。
「お前は何でいつも目的地がわかってんだ?」
「私にわからないことってあんまりないのよ。もちろん、プライバシーに関しては調べなきゃわからないけどね。」
エルアも部屋にはいると、真っ黒な鎧が部屋の中央に鎮座しているのが目についた。人の身に付けるものだけあってそれなりに大きいが、そんなものがさして大きくもない部屋にあるので少し邪魔だと考えた時、その鎧がいきなり動き出す。
「こっ、これがリビングアーマーか?」
リビングアーマーなど一般人が目にすることなどもちろん無い。無機物が動き出すといった点ではゴーレムと同じようなものであるが、そちらはそこそこ普及もしているし、何よりこのリビングアーマーは見た目がかっこいいのでエルアは多少目を輝かせている。
そのリビングアーマーは剣を抜き放ち、剣先をエルアに向けた。
「決闘を・・・申し込む・・・。」
低く枯れてはいるが、はっきりと聞き取れる声を聞いてエルアは驚いた。
「何で俺!?」
「武器を持ってるのがアンタしかいないからでしょう? 丸腰の相手を狙わないなんて、リビングアーマーのくせに騎士道精神に溢れているわね。」
確かにミレイの言うとおり、武器を持っているのはエルアしかいない。ミレイもアイリも丸腰だし、圭吾は手甲を付けているがこっちはむしろ防具の類である。
「あんたをご指名なんだからちゃんと相手してあげなさいよ。私達はちゃんと目的の物を取ってくるから心配しなくていいわよ。」
ミレイはリビングアーマーの横を通り過ぎ、部屋の奥へと向かった。
「がんばってエルア!! ファイトだよ!!」
アイリもミレイに追随する。
「ま、まじか・・・?」
こんなのと戦って大丈夫だろうかと尻込みをするエルアを見て、圭吾がポンと肩を叩く。
「大丈夫だよエルア。君は自分が思っているよりもずっと強いから。」
それだけ言うと圭吾も奥へと行ってしまう。どうやら誰も助けるつもりは無いようだ。
「いざ・・・。」
リビングアーマーが剣を構えるのを見てエルアは慌てて剣を抜く。頭を狙って切り下ろしてきたリビングアーマーの一撃を、エルアは何とか受け止めた。
ギイィィィンと剣と剣がぶつかり合う音を背にして、ミレイはタンスを目の前にしていた。そしてそのタンスを無造作に放り投げ、壁にぶつけてバラバラにするとタンスのあった場所の壁に幾つもの小物入れが埋め込まれていた。
「流石資産家というところね。貴重品の隠し方がとってもユニークだわ。」
「ミレイさんの暴き方もとってもユニークだと思うよ。別にタンスを壊す必要なんて無かっただろうに。」
「あらありがと。それじゃあさっさと物色しちゃいましょうかね。」
物が壊れようがこの屋敷が壊れようが全く気にしないといった感じのミレイの返答に圭吾は呆れながらも、自分としてもどうでもいいのでそれ以上は何も言わないことにする。依頼人が怒ったとしてもミレイに任せよう。任せられるかな? ちょっと不安になってきた。
ミレイは早速小物入れの1つを開けた。中を覗いてみるとそこには怒りの形相でこちらを睨んでくる男の形相がすっぽりと収まっている。その男の暗い表情な何を言うまでもなく、刃をむき出しにして噛み締めて必死になってミレイを睨み上げる。
そんな男をミレイはデコピンをかまして消滅させた。あとに残ったのは大量につめ込まれた宝石類である。
「結構あるわね。それじゃあ頂いちゃいましょうか。」
ミレイは用意していた袋の中に宝石をどんどんと詰め込んでいく。選別も何もあったものではなく、ただただ鷲掴みにして放り込んでいく様に圭吾は少し訝しんだ。
「明らかに指輪じゃないのも回収してるよね。流石にまずいんじゃないかな?」
「構わないわよ別に。誰かが怒る訳でもないしね。」
「え? あぁ、なるほど。何となくオチがわかったような気がするよ。」
全て回収し終わった後、ミレイは次の小物入れを開ける。その中を覗くと、多種多様な内臓が脈打っているように鼓動し、小物入れの中を満たしていた。
ミレイはそれらを引っ掻いて消滅させる。
「今のは何を主張したかったんだろうね?」
「モツ鍋食べたいってことだと思うよ!!」
「モツ鍋ねぇ。今度食べようかしら?」
次の小物入れを開けると今度は巨大な目玉が睨みつけてきた。これでもかと言うほど血走った目は充血を通り越して少し血が滲んでいる。
ミレイはその目に粗塩を擦り込んで消滅させる。
「うわー、今のは痛そうだね。」
「いつの間にか粗塩を持ってるなんて流石姐さん!!」
「やぁねぇ、このくらい乙女の嗜みよ。」
その後もどんどん貴重品を回収したミレイは振り返りエルアの様子を見た。決闘とやらが始まってからしばらく経っているが、このあまり広いとも言えない部屋の中で2人ともまだ戦っていた。
「さてと、一通り回収し終わったことだしそろそろ帰りましょうかね。」
「そうだね。エルアにも伝えないと。」
圭吾は戦っている2人に近づくと無造作に腕を振るった。それだけでリビングアーマーは砕け散り、一切動かなくなってしまった。
「エルア、目的の物も回収したみたいだし帰ろっか。」
エルアが全力で戦っていたリビングアーマーをまるで相手にしないほどの強さを見せつけられてエルアはがっくりと肩を落とす。
「あのなぁ、そんな簡単に倒せるんなら。さっさと倒してくれても良かっただろう?」
部屋の中で全力で戦い続けて疲れた挙句、こんな決着はあまり納得したくはない。これならもっと早く助けてくれても良かったのではないか。
「何言ってんだよエルア、あのクラスのリビングアーマーと戦えるなんて大したもんじゃないか。」
「エルアかっくいー!!」
「いくら何でも誤魔化されんからな!?」
エルアの抗議など届くはずもなく、一同はそのまま屋敷を後にした。
「いやぁ、あの屋敷から本当に取ってくるとは驚きました。」
一同は今回の依頼人と会っていた。指輪を渡すと驚いたような表情を見せつつも素直に感心している。ただ、この男の見た目は見るからに・・・。
「まさか依頼人まで幽霊だったとはな。」
「うん、そんなもんじゃないかな。ちなみにあれは魂にマナがまとわりついた珍しい例だね。普通の幽霊と違ってちゃんとした自意識があって生きてる時と同じように判断が出来るんだよ。」
「幽霊っつっても色々あるんだなぁ。」
エルアは感心しつつ、この人もこれで成仏するのかと考える。実際、男は足元から消えつつある。
「みなさんありがとうございます。私はもう行かなければならないようです。しかし、ただもう1つ、この街で起こった真実について語らせてもらえないでしょうか? それこそが私がこの指輪を欲したわけでもあるのです。」
「真実?」
この街で起こったことと言えば昔の戦争くらいだろうか? わざわざこうして語ろうとしているということは歴史には記録されていない何かをこの男は知っているのかもしれない。
一同の返答が無いことを肯定と受け取り、男は語りだす。
「みなさんはライブルグという国をご存知でしょうか? 今はもう国自体が無いかもしれませんが、この街から東へ300km程行った所にある街です。アーリア渓谷の間近にあるライブルグはとても鉄鋼業が盛んな国でして、渓谷に張り付くようにして掘られた鉱床を遠くからでも眺めることができます。多少空気が悪いのが玉に瑕ですが、良質の鉄を周辺諸国に売るこの国はとても豊かな国として栄えていました。私もあそこには何度か行ったことがあるのですが、私のようなものにとっては鉄よりも鉄よりも飯の方が興味ありましたね。鉱床を切り開いているといえば土地が汚いように思われがちですが、あそこの統治者はしっかりしたものでして、土地や水が濁らないように最新の注意を払いながら鉱床を切り開いていました。なので渓谷に流れる川は、下流は多少濁っているものの上流域は正に清流のせせらぎと申しましょうか、大変きれいな川でして料理にも活かされてとてもうまい飯が食べられたものです。そんな訳でして私もあの国は気に入っていたのですが、鉄を売る値段が少々高かったのでしょうねぇ。取引先である軍事大国に大幅な値下げを要求されたのです。その要求と国からしてこれから戦争を起こす気満々だったのが目に見えていましたし、いきなりの大幅な値下げ要求に頷くはずもありませんからライブルグはその軍事大国、ベイルに侵略先として認定されてしまったのです。まぁ、元々これが狙いだったと考えればこの一連の流れは至極単純なものなのでしょう。このことはもちろん他の国々にも伝わりました。それらの国々もベイズをこのまま放っておいては危ないと思ったのでしょうね。なにせベイズがライブルグの資源を手に入れてしまえば武器の量産に歯止めが効かなくなり、戦力がそれこそ尽きることなく集まってしまうことになります。いくらベイズの横暴が伝わったとしても、いざ戦争が始まれば良質な武器を供給するベイズに傭兵などは集まってしまうでしょうし、ベイズの軍隊もかなりの精鋭揃いですから人の質と武器の質で周辺諸国が一気に侵略されてしまう恐れがあったのです。そこで周辺諸国は一致団結してベイズを落とそうと画策しました。しかしこれは無謀な挑戦でした。いくら多国でかかろうとも相手は随一の軍事大国、寄せ集めの軍隊では指揮系統も練度も得意分野もまるで違うのです。優れた指揮官がいればよかったのでしょうが流石に周辺諸国数十もの軍隊をまとめ上げるような鬼才は現れませんでした。ただ数はいましたのでそれなりに抗うことは出来ましたが、その状況が泥沼と化す戦況を作り出してしまったのです。こんな私でも貴族の端くれ、共の騎士と私設軍を連れて戦場へと赴かなければなりませんでした。正直言って全ての戦力を移動させるなど愚策もいいところだと思いましたが、上の命令には逆らえません。私の出来る事といえば首都へと赴き敵軍が来るのをただ待っていることだけでした。首都で迎え撃つのは地勢的にも戦力的にもベストな方法だとはわかっていました。しかしそれをやってしまうとこの街を無条件で放棄することに他ならない。住民には避難命令を出しましたが、戦況がかんばしくない時勢でしたので全ての住人に行く場所があるわけでもありません。むしろ行く場所のない住人の方が多かったとはっきりと言えます。そもそも、ここら一体に安全な場所など無かったのです。ベイズの侵攻はこの国を飲み込まんばかりの勢いでした。他の国では押し返したり戦況が拮抗していたりと、この国よりもマシな状況の所もありましたが、それでもベイズは手を休めることもなく、女子供老人までも情け容赦なく殺して回っていました。いくら大国とはいえ数十の国々をいっぺんに相手にできるベイズは正に脅威といってよいでしょう。我らが首都へと赴いた結果、この街は1日と経たずしてベイズに侵略されてしまいました。これに関しては私も聞いた話でしかないのですが、ベイズの侵攻は正に虫けらを踏み潰すかごとく淡々と行われていたようです。その話を聞いた時の私の心情たるや、正に怒りで人を殺すほどのものでした。こうなることはわかっていたのです。わかっていたのですが、住人の半数以上がその命を散らせたと聞けば、己の無能ぶりに辟易しました。私の連れてきた戦士たちもこのことはわかっていたのでしょうが、だれも聞いては来ませんでした。彼らとしてもこのような事実は受け入れたくないでしょうし、もし聞いてしまえば心情的に大いなる影響が出るのが明白でしたので誰も聞きに来なかったのでしょう。まったく、出来た部下を持ったものです。私の直属の騎士にも恋人を置いてきてしまった者がいたのです。私の屋敷の召使だったのですがね、彼は彼女を置いて行く時に大層迷ったそうです。果たして彼女が無事に逃げられたのかどうかは私の知る所ではありません。しかし彼女が無事逃げられていたのだとすれば、2人は今度こそ幸せになれたのでしょうね。そうです、私は2人の結末を知りません。私がその騎士よりも先に死んでしまったからなのですが、その時のことは後々語ることにしましょう。私達が首都へ赴いてからは緊張感のある日々が続きました。国中から戦力が首都へと集められている状況を考えれば無理もないことでしょう。戦士たちはあまり表に出すことはありませんでしたが、住人たちの間では絶望的な空気が流れていました。私達貴族の間の空気も大変ピリピリしたものになっていました。果たして現状の戦力で抗うことが出来るのだろうか、要請した援軍は間に合うのだろうか、いや、果たして援軍自体来てくれるのだろうか。いっその事降伏をしてしまおうという意見も出ましたが、降伏した所で我等や住人たちの未来は明るいものではありません。連中は降伏したとしてもしなかったとしても、敗者に対する扱いを変えることはないでしょう。すなわち皆殺しです。不満分子を残さないための措置であり、効率的なのは認めますがそれをされる身となりますと、やはり間違ったやり方だと言わざるを得ません。第一、万が一殺仕損じでもありましたらそれはそれは強力な怨嗟を生むこととなります。しかしこのように思っていてもベイズの侵攻に何の影響も及ぼすはずもなく、私の最後の時は刻一刻と迫っていったのです。その時既に死を覚悟していた私はせめて死ぬ前に何か成せることがないかと考えました。それまでもなるべく後悔のないように生きてきたつもりではありましたが、やはり死ぬ直前というのは何かと焦ってしまうのかもしれません。ただ私の立場上、あまり凝ったことをする余裕はありません。毎日のように軍議や訓練の視察などで忙殺されていましたゆえ、たまの休みを使って何かするしかありませんでした。そしてもう1つ問題なのは、何をするにも大した余裕が無いということです。時間も限られていますし予算も懐にある分しか使えません。これで一体何を成せるのか、私ま街へ出て考えていました。暇を見つけては街を散策する日々が続きました。その頃の街の様子はといえば、皆不安を隠しきれぬ様子でとてもそこが首都だとは思えぬほど閑散としておりました。治安が乱れぬよういつもより多く投入された衛兵たちが住民よりも多く目につくように感じられた程です。私は失った故郷の代わりにせめてこの街が再び賑やかな装いを見せてくれることを願っていました。ただ、それは所詮叶わぬ願いではありましたが。私が成せることを見つけられないまま過ごしていたそんなある日のことです、街で一人の少女を見つけました。まぁ、それ自体は別に珍しいことではありません。不穏な空気が漂っているとはいえ、衛兵のとても目立つ景色になってしまった首都は目立つところにいる限りとても安全でしょうから。私が少女のあれを見つけなければただの風景として忘れ去っていたことでしょう。その少女には、服の下の目立たない所に刻印が刻まれていました。偶然それを見た私は思わず息を呑み足を止めました。なにせその刻印は奴隷の刻印。一部地域では撲滅できずにいましたが首都においては1人もいないであろうとされていた奴隷がすぐ近くにいたのです。あの時の私の心の内と言ったら、正にドラゴンを見たかのような衝撃と、政治を携わっていた立場に対する無力感、そして底知れぬ怒りでした。このようなことがあっていいはずがありません。奴隷など、許されるようなものではありません。よく見るとその少女は服こそはちゃんとしているもののところどころに痣があり、見た目から感じる年齢と体の大きさにギャップがありました。とても、とても細い体であるという印象を受けたのです。私はすぐさま近くにいた衛兵にこのことを知らせ、共にその少女を、失礼ながら尾行しました。そして辿り着いたのはいわゆる難民キャンプでありまして、戦火から逃れ首都に逃げ延びてきた者達の集う集落でありました。衛兵と共にバレないように中の様子を伺っておりますと、何かを叩くような派手な音が響き渡り、その後にごめんなさい、ごめんなさいと許しを請う鳴き声が聞こえて来ました。これには私も衛兵も怒り心頭となりましてすぐさま家の中に乗り込みました。家の中にいたのは1人の老婆と私達が付けてきた少女。老婆は杖を地面とは逆の方向に向けて振りかざしており、うずくまる少女の震える姿を見ればそこで何が行われていたかなど明白だというものでしょう。衛兵はすぐさま老婆を取り押さえ、少女を保護しました。子供をいたぶるなど、それだけで重い罪と成り得ますのに更に奴隷としていたとなればこの老い先長くも無さそうな老婆のその後の人生など知れたものとなるでしょう。老婆は捕えられ少女は保護されましたが、その少女に関してもいつまでも衛兵の世話に任せておくわけにも参りません。平時であれば孤児院やらの施設に送って任せるところですが、生憎と戦時中故にそのような対応を行える所は見つかりませんでした。ならばと私は思い立ち、その少女の身柄を預かることにしたのです。故郷を捨て、今もなお比較的安全に暮らしているこの身でしたが、せめてたった1人の子供を、首都が攻め込まれるまでは幸せにしてやってもバチは当たるまいと考えたのです。その娘の名前はミリィと言いました。白く長い髪のとても可愛らしい娘です。ああ、申し遅れましたが私トンプソンと申します。ミリィの故郷はここから北の方へ行った所にあるエマーニアという街だそうです。ご存知かもしれませんが、エマーニアは真四角の湖がある街として有名です。湖とは言いましても魚も何も住んでおらず、湖から溢れる水が多少の川を作っているだけの、いわば巨大な水たまりのようなものです。湖の縁も内側の岸壁も、尋常では無いくらいに硬い岩盤で覆われていますので土地を削って川が作られるようなことは無いのでしょう。明らかに停滞している水ですが腐ることもなく常に清らかなる水を湛えているのはこの世界の大きな不思議の1つと言えましょう。更に言うならば汚れたものが沈まないなどというわけのわからぬ特性を持っていますので飲水として十分使用できます。時たま溺れて死んでしまうものが出てきても、その死体は決して沈まずに風に流されるまま岸へと辿り着くのです。あの湖は私の生きている時にはその深さが深すぎて一体どれくらいの水を湛えているのかわからなかったものですが、今はもうわかっているのでしょうか。そんなわけで、大量の水のあるエマーニアは軍事拠点として格好の場所だったのでしょう。ベイズは何よりも先にエマーニアを狙って来ました。我が国としましてもそこに軍事拠点を築かなかった愚は認めるべきでしょうが、あのような神秘的な場所に物々しい雰囲気を作り出すことはしたくないという意見があったのも事実です。ミリィはエマーニアから逃れ彷徨っていた所で奴隷商に見つかってしまったというわけです。奴隷商など、行なっていると発覚しただけで死刑となるような法律でしたのに何時の世にも裏でバレないように企みごとを図る者はいるものですな。先程も言いましたように平時ならばその奴隷商を捜索して首を刎ねてやるところなのですが、それが実行できなかったことはとても悔しい思い出です。とりあえずミリィには十分な休養を取らせた後、城の小間使いとして働いてもらうようになりました。城に集まっている人間が沢山おりましたので、人手はいくらあっても歓迎という状態でしたからな。ああ、そう言えばこの戦争についてあまり詳しく語っておりませんでしたな。事の始まりは何時のことだかはっきりとわかっているわけではありません。確かにライブルグに不当な要求をしたのが始まりとは一般的に言われていますが、その要求の切欠となったのが一体何なのか知っている者は既におりません。よくある展開としては新たな王が即位したとか強硬派が力をつけたとか想像しがちですが、そういった動きがあったという情報は入ってきていないのです。そう言うとある日突然宣戦布告を行ったように聞こえますが、ベイズは昔から、それこそ何十年も前から軍備拡張を続けている国でして、むしろそれが産業の土台となっているような国でした。他国にも武器を売り順調に稼いでいたはずなので、いきなり戦争を起こすのはいささか不自然に思えました。あえて言うのならば、誰かの謀略があったとしか思えない流れだったのです。我々周辺諸国もそこら辺のことで油断していたと言われれば反論の言葉もありません。相手が真に何を考えているかわからないのは政治を行う上で常に考えていなければならないのですから。そしてベイズは我々が把握しているよりも遥かに多くの兵、良質な武器を持っていたのです。優秀な魔法使いも多数揃えていました。ここまで言うと何だか我々の諜報力がザルであっただけのような気もしますね。なにはともあれベイズが本格的に動き出す前に周辺諸国は色々と準備を進めました。各国が団結して戦力をまとめたり諜報力を結集して動きを探ったり戦争回避の手段がないか模索したり時間を稼いだりしました。しかし我等の想像以上にベイズは強国となっていました。よもやあれ程の力を隠し通せるとはいささか不自然な感じもしましたが、それを考えるよりもまず戦争の準備を始めなければなりませんでした。いかに情報が少ないとはいえ、ベイズが今後周辺諸国をどうするか伝わっていたのですから戦争は避けられず、投降など愚だと判断できたからです。ベイズが一体どのような目的を持って動いていたかは正確にはわかりませんが、投降しようが何しようが最終的には皆殺しという情報が入っていました。私の知る限りではベイズの皇帝、ガンザイルはそのような人ではなかったのですがね。別に直接話したことがあるわけではありませんが、1度拝見した時にはとても温厚そうな人物で、これが本当に軍事大国の長かと目を疑った程でした。ベイズが何を目的として動いていたかはとても興味の尽きないところではありますが、結局それを調べることは出来ませんでした。これは私が死んだからというわけではないのですが、まぁ、後で話すことになるでしょう。ベイズの戦力は概ね150万。いくら軍事大国とは言っても圧倒的な数字です。それに対して周辺諸国全てを合わせても80万程の戦力で戦わなければならなかったのですから、我等が取り得る作戦は地の利を利用した籠城戦ということになります。しかしただ籠ってばかりもいられません。なにせ生活に必要な物を籠もりながら補給することは出来ませんからな。ですから諜報と情報分析はとりわけ重要な仕事となり、私は毎日膨大に送られてくる情報を精査しながら日々を過ごしていました。動きがあったのは私が首都に避難してから1年程後の事です。その頃になるとミリィも仕事に慣れてきたようで、エドやサンムと親しげに話しながら笑顔の絶やさない日々を送っていました。エドとサンムというのはミリィを保護した時に一緒にいた衛兵のことでして、あれ以来顔を出すようになっていました。皆とても仲が良かったので私も安心して仕事に没頭出来ていました・・・。」
「なげぇよ!! いつになったら成仏するんだこのオッサン!?」
あまりの話の長さにさすがのエルアも焦れた。トンプソンの話はまだまだ続きそうで、体もまだ脛のあたりまでしか消えていない。
「確かに長いわね。そろそろ飽きてきたみたいだし、さっさと成仏願いましょうか。」
「アイサー、姐さん!!」
「あふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん。」
トンプソンが奇妙な声を上げて光になった。
「・・・最後に聞こえたのはオッサンの気色の悪い声ってか。」
「あはは、ある意味下手な怪談よりゾクゾクするねぇ。」
トンプソンの成仏を祈りつつ、エルアは長話から開放された安堵感に包まれた。