13話_言葉のマジックって難しいわね
雪の降る道をムービンは歩いていた。この時期はエルア達があまり長居も出来ないだろうと思い、せめてお土産でもと慌てて出発した結果である。
この街の名物料理を用意したが、喜んでくれるかどうかは不安である。ミレイは焼き鳥しか食べている所を見たことがないし、圭吾とアイリは達観しているというか、何事も落ち着いて受け止めるような感じがする。変わり種の中にいるエルアはある意味気苦労するのだろう、時々諦めたような表情を見せていた。お土産を喜んでくれるといいのだが。
買い物はもちろん1人ではない。何かと心配症な家の人間と、何かと危なっかしいムービンなのだから出かける時は誰かしらが側にいる。いつもは大体シンシアの役目であったが、今はもういないので別の人と出かけている。
しかしふと、ムービンは気がついた。ここは一体どこだろう?
あまり寄り道とかしたことがなかったので、生まれた時から住んでいるこの街でも知らない道は多々ある。いつの間にかそんな道に迷いこんでしまったようである。
戻ろうとして振り返り連れの人を探すが、どこにもいない。どうやらはぐれてしまったようである。
こういうことは昔もあった。何故か人とはぐれやすいムービンを見つけてくれたのはいつもシンシアであった。はぐれると直ぐに駆けつけてくれる、あるいは影から見守ってくれている。以前はそういった安心感があったが、今はもう無いことである。今はもう完全に1人なんだと思うと、外気よりも寒いものが体の中に入ってきた。自分がいかに守られていたかを改めた思い知った。
とりあえず中央広場に出ようと思いついた。あそこなら誰でも知っているし、そこにあるパン屋の脇の道を通れば家が見えてくる。自分ではどう行けばわからないが、そこら辺の人なら知っているはずである。
人通りのある道ではないのか、人影は1つだけ。ムービンは中央広場までの道を聞こうとその人に声を掛けた。そして声を掛けられたその人は振り返った。
笑いの仮面が、振り返った。
「おやおやムービン、しばらくぶりですねぇ。」
「ど、どう・・・して・・・。」
以前会った時から不安はあったが、シンシアもミレイも別の道を行ってるだろうと言っていたのでそれを信じていた。実際これまでシンシアが言っていたことは外れたことがなかったし、ミレイにしてもシンシアよりすごいらしいから大丈夫だと思っていた。そしてその短慮を今更ながら後悔した。
「不思議そうな表情ですねぇ、私も不思議です。驚いたような表情ですねぇ、私も驚いています。あれからあなた達の向かった方向に行こうと思ったのですが、何故かこの街に来なければならないという想いに駆られましてねぇ。これもある種、神のお告げというものなのでしょうか?」
肩だけを揺らして、そんなわけないかとフロストゲイルが笑う。そして突然の邂逅にムービンは動けずにいた。逃げなければならないと思うが、叫ばなければならないと思うが、心に刻まれた恐怖がムービンの行動を束縛して離さない。
フロストゲイルは当たりを見回すと、不思議そうに顔を傾けた。
「おやおや、お一人ですか? 珍しいですねぇ。いや、初めてのことかもしれません。シンシアもいないし、誰もいない。こんなことは初めてですねぇ。いったい何が起こっているのでしょうか?」
現状を不思議に思いつつも、腰に帯刀していたレイピアをゆっくりと引き抜く。ムービンはその様子を冷や汗をかきながら見つめることしか出来ない。
手も足も震えている。のども震えている。フロストゲイルが一歩一歩近づく毎に、雪を踏み締める音が大きくなる程に、体から動く力が抜けていくようである。
フロストゲイルの読めない表情から言い知れぬ狂気が読み取れた。
「ムービン=ディアナ=スロークト、あなたに会えて良かったと、本当にそう、思っているのですよ。」
フロストゲイルの剣がムービンの胸に突き刺さる。肉を貫く感触、剣を阻む骨らしきものがあたる感触に、フロストゲイルは身を震わせる。それが歓喜ゆえなのか狂気ゆえなのか、フロストゲイルにはわからない。
「かふっ・・・、あ・・・ゴホッ!」
剣を引き抜くとムービンが苦しげに呻く。口から血を吐き出し服を、雪を赤く染める。厚着ゆえに胸からの出血は目立たないが、ムービンの体を確実に、赤色に染め上げていることだろう。
「良いぃ・・・!!」
感極まったようにフロストゲイルの口から言葉が漏れる。
「血に染まったムービン!!」
ムービンはとうとう耐え切れなくなり、その身を足元から地面へ倒した。もう動かないその体の上に雪が優しく包むように降り積もる。
「雪に埋もれるムービン!!」
フロストゲイルは天を仰ぎ、両手を広げて感謝する。何にと聞かれればわからないと答えるだろう。何をと聞かれればわからないと答えるだろう。何故嬉しいのかも、わからないと答えるだろう。しかし、これだけはわかった。
「なんて美しいんだ・・・!!」
「貴様ァァァァァァ!!!!」
エルアの斬撃を後ろに飛んで躱す。誰も居ないはずの雪道で、雪を踏みしめる音がエルアの存在をフロストゲイルに知らせていた。
エルアはそのまま追いすがろうとしたが、足元がおぼつかず上手く踏み込めなかったために断念する。
「ミレイ、ムービンを頼む!!」
「任されたわ。」
フロストゲイルから目を逸らすことなく、付いて来たミレイにムービンを任せる。
ミレイがムービンの体に手を乗せると、緑色の光がムービンを包み込んだ。
「おやおや、あなたもしばらくぶりですねぇ。それにしても・・・、」
フロストゲイルはチラリとミレイの方を見る。
「回復魔法ですか、優秀なお仲間をお持ちのようです。しかしですねぇ、あなたもご覧になった通りムービンには魔法が効かないのですよ。それはつまり、回復魔法も効かないということなのですよ?」
フロストゲイルの言葉にエルアは激情することもなく、ただ斬りかかる隙を窺っていた。今の言葉に思う所が無いわけではない。しかしムービンのことはミレイに任せたのだから、今は自分が出来る事をやるだけである。
挑発が効かないと見るや、フロストゲイルはレイピアを構える。その直前にエルアはフロストゲイルに向かって駆け出した。まだ構えのとれていない中途半端な体勢で、それでもフロストゲイルはエルアの剣を器用に受け流す。
二合、三合と剣を交えるにつれ、いささか自分の不利を感じ取ったフロストゲイルはバックステップを踏んでエルアから大きく距離を取ってレイピアを収めた。その不可解な行動を見て、エルアは足を止めて警戒する。
「半分正解だよ、エルア。警戒するのは構わないけど相手に時間を与えちゃあダメだね。」
フロストゲイルの後ろにいた圭吾が注意を促した。頭の上ではアイリが足をパタパタさせている。
「・・・いつの間にそちらに?」
フロストゲイルはミレイの後ろから駆けつけてくる圭吾を認識してはいた。しかし、自分の後ろを取る隙があったのかといえば、そうでもないので何故圭吾がそこにいるのかが不思議であった。
「普通に移動したんだけどね。わからなかったかな?」
それを聞いて圭吾の方が脅威と感じたのか、フロストゲイルは圭吾に向き直りレイピアを抜く。と同時に圭吾が無造作に腕を振ると、何かが割れるような音が辺りに響いた。
「初見でそれを防ぎますか・・・。」
「初見じゃないよ。この前もそれをやろうと思っていただろう? 風魔法の応用で見えない刃を作ってリーチを長く見せようっていうのは確かに不意打ちにはもってこいなんだろうね。でもね・・・、」
圭吾が両手の手甲を打ち鳴らすと、金属の打ち鳴らされた甲高い音が辺りに響く。
「そんなもの、僕には通用しないんだよ。」
圭吾は拳を構えると、フロストゲイルに向かって突き出した。途中何かに阻まれるように減速するが、その抵抗に対して少し力を込めてから拳を引き抜く。
フロストゲイルに不可視の衝撃が襲いかかり、その体を後方へと吹っ飛ばした。
「エルア、やっちゃえ!!」
「おおおぉぉぉ!!」
アイリの言葉を受けて、エルアが吹っ飛んできたフロストゲイルに斬りかかる。フロストゲイルは身を捻り、レイピアを盾にしてどうにか防いだ。
空中で防いだのと、エルアの力が強かったのとでフロストゲイルの体は空中で強制的に一回転させられたが、手をつき膝を曲げて地面に足を滑らせることで転倒することなく着地する。レイピアもとても頑丈なようで、折れてはいない。
ただ、戦うには体勢が悪かった。エルアの追撃を、横に跳ぶことで何とか躱す。
更に次の斬撃を躱したところでフロストゲイルは剣に魔力を込めた。先程圭吾に放とうとした風の刃を作るためである。もうネタは割れてしまっているが、牽制くらいにはなるであろう。その間に体勢を立て直せればいい、そのくらいの気持ちであったが・・・、効果が発揮されない。
「・・・・・・?」
疑問に思うフロストゲイルであったが、今はあまり考えている時間もない。体勢が悪いのであまり距離を開けないがバックステップで一瞬時間を作り、今度は指先に魔力を込めて炎による目眩ましを狙う。しかし効果が発揮されない。
何故かと考えを巡らせる前に、フロストゲイルの視界の端に僅かな光が入ってくる。灰色という、不自然な光。思わずそちらに目を向けると、フロストゲイルを見据えながら光っているアイリが目についた。それだけでフロストゲイルは何が起こっているのかを悟った。
反魔。あの小さな妖精が自分の魔法をことごとく打ち消していたという事実に、フロストゲイルは驚愕した。そしてその驚愕が、決定的な隙を生むことになる。
エルアの剣が、フロストゲイルの体を斜めに斬り裂いた。
「がっ・・・ぐ・・・。」
フロストゲイルが呻き、エルアは素早く後ろに下がる。斬り裂かれた傷口からは血が吹き出し、辺りの雪を赤く染めて溶かしつつ湯気を立ち上らせる。しかしそのような傷を負ってもフロストゲイルは剣を杖にしつつ未だ倒れずにいた。手応えからして確実に致命傷だというのに倒れないフロストゲイルにエルアは警戒をしつつ構える。
ただ、さすがにこれ以上斬りつける気は起きない。確実にとどめを刺した方がいいのはわかっているが、これ以上攻撃できないのは自分の甘さなのだろうかとエルアは考える。
フロストゲイルが咳き込む。仮面の下から血が流れ出たので、血を吐いているのがわかる。さすがに見ていられなくなってきたが、これも自分の起こした結果と、エルアは気を引き締め直した。
とその時、フロストゲイルが顔を上げた。その仮面の見つめる先はエルアである。何か仕掛けてくるのではないかと、重心を低くしていつでも動けるように構えるエルアであるが、その警戒は杞憂に終わった。
「美しい・・・ですねぇ・・・・・。」
それだけ言うと、フロストゲイルは倒れた。しかしエルアが警戒を緩める事はない。エルアからすれば、得体の知れない幽鬼のような相手である。今もこうしている間に復活して攻撃されないかとヒヤヒヤものである。
「エルア、お疲れ様。」
圭吾に声を掛けられてようやく力を抜いた。自分では判然としないが、終わったというのならばもう大丈夫なのだろう。
倒れたフロストゲイルをみてエルアは考える。この狂人を狂人たらしめた一体何なのだろうかと。多少見た限りでは、フロストゲイルは自分より優れた人間であるように思えた。今回の戦いだって圭吾達がいたからこそ安心して戦えた節がある。本来は一体どのような人物であったのか興味はあったが、今はそれよりも気になることがある。
「ミレイ、ムービンは無事か?」
ミレイはもう回復魔法を使っていないようである。ムービンは未だ倒れていて、ミレイの背に隠れてその顔は見ることが出来ない。状態を確かめてみようと近づくと、ミレイから声が掛かった。
「死人に回復魔法をかけても、どうにもならないわよ。」
大丈夫だろうと思っていたエルアにその言葉は相当な衝撃だったようである。目を見開いて驚愕の表情を作り出したエルアは、そのまま足の力が抜けて膝をついてしまった。
今思い返せば、何故別れる時に十分な安全を確保するよう忠告して置かなかったのか。いや、何か不審なことが無いかを圭吾にでも確認してもらえば良かったかもしれない。ああすればよかった、こうすればよかったと、意味のないことである。何しろもう結果は出てしまっているのだから。
「私が死んでいたら、の話だよね?」
ムービンがムクリと起き上がった。
「うおわあああぁあぁぁぁぁぁあぁっ!? ビックリしたぁ!! ムービン、無事だったのか!?」
「うん、何とも無いよ。」
剣が刺さったムービンの胸には血の跡が見受けられない。服全体も綺麗になっており、見えないが傷も綺麗に治っていることだろう。その様子を見てエルアは更に力が抜けた。そしてそうなった原因であるミレイを睨みつけた。
「おいこらミレイ、人を騙そうとすんな!!」
「あらやだ人聞きの悪い。死人に回復魔法使ったって何にもならないのは本当のことよ?」
「今言うことじゃねぇだろっつってんだよ!!」
反省する以前に全く気にしていないようなミレイに対して追い打ちがかかった。
「今のは無いと思うよ、ミレイさん。まぁ、僕も黙ってたけどさ。」
「姐さん、いくら私でも今のは擁護できないよ!!」
「助けてもらっておいてなんだけど・・・、今のは無いと思うな。」
ミレイが辺りを見渡した。どうやら今回ばかりは敵陣の真っ只中だと理解したようである。
「ふんだ、何よ何よ!! 本当のこと言って怒られちゃあたまったもんじゃないわね!! いいわよいいわよ、1人で焼き肉食べてくるわよ!!」
ミレイは来た道を戻っていった。
「・・・相変わらずよくわからん奴だなぁ。」
エルアがため息混じりに呟いた。
「ははは、まぁ、僕達も行こうか。ミレイさんが焼き鳥以外のものを食べるなんて珍しいよ。」
「私は脂身抜きで!!」
もうなんて言っていいかよくわからなかったので、エルアとムービンもミレイを追いかけるべく進みだす事にした。