93.衣の裏の宝珠
「その者は、宝珠を探し続けるのだろう。可哀そうに、宝珠に縛られ、生きてゆく」
サトが、呟くように言った。
「わしは、ナギラとの生活が楽しかっただけかもしれぬ。ナギラほど、宝珠に執着を持てなかったようじゃ。
今から思えば、あやつは、このまま、世間から埋もれたままになることを恐れ、焦り、苦しんでいたように思える。
そんなものにこだわらずとも、この美浦で穏やかに暮らすという道もあったはずなのに」
「確かにそうじゃなあ。
よし、ナナカに一つ話をしてやろう。和尚は僧侶だから知っているはずじゃ」
「うわあ。おばあちゃんの昔話だね! 聞かせて」
ナナカは瞳をきらきらと輝かせた。
「昔々、ある人が信頼できる友の家に行った。
その友は、大金持ちですばらしいご馳走を振舞ってくれたんだ。
酒も美味しかったので、いつしか酔って眠ってしまった。
この時、友は仕事で急に行く所ができてしまった。出掛けて行ってしまえば、次はいつその人と会えるかわからないので、友は、価がつけられないほど高価な宝珠をその衣服の裏に縫い込んで、これを与えた」
「宝珠って!」
ナナカが声を上げた。
「ああ、そうだよ、宝珠だよ。
まあ、続きをお聞き。
その宝珠があれば、一生遊んで暮らせるくらいの高価な玉じゃ。
そして、友は仕事へ向かうため、去って行った。
その人は酔い臥していて一切の事を知らなかった。
眠りから醒め、その人は、生活の為に仕事を求めた。
生活に困窮し、衣食の為に必死でがんばったが、非常に苦労した。
もし少しでも何か得るところがあれば、それだけで満足だった。
後に、その人は、友と偶然めぐりあった。友は、その人があまりにぼろぼろでみすぼらしかったので驚き、こう言った、なんという意外なことだ。なぜ衣食の為にこのような事になったのか。
私は昔、お前が安楽になり、思うままに満足出来るようにと思い、ある年のある月日に、価がつけられないほどに高価な宝珠をお前の服の裏に縫いつけておいたのだ、今でもなお現にあるではないか。
このような事をお前は知らないで、苦しみ、憂え、悩んでいるなんて。
この人が驚いて自分の衣の裏を見ると、確かに高価な宝珠が縫い込んであったという話さ」
「それは、仏典にある話じゃ」
「その通り。
生活に困窮するこの人は、目先の小さな利を追い求め、自分自信が宝珠を持っているとも知らず、苦労し続けてきた。
しかし、本当に高価な宝は、自分自身が持っていたんだ。
ナナカ、お前の宝珠もお前自身の中にあるんだよ」
「私自身の宝珠?」
「そうじゃな、わしも、いつの間にか今を忘れ、浮付いた浅い道を歩んできたようじゃ。
ナギラが地位を得れば、わしも権力や名誉を得られるのではないか、とな。
全く愚かなことだ」
ナナカが追い求めていた宝珠は、大蛇が人々を惑わすため、欲望を象どったものだったのかもしれない。
でも、機織姫が探して欲しいと言っていた宝珠は、誰もが自分自身の心の中に持っている、燦然と輝く光の珠だったのだ。それは、人間が持つ無限に広がる可能性という極めて尊い宝物だ。
自分の内にある宝珠に気付いた機織姫は、満足気な顔をして、空高く消えて行った。
「わしは、ナギラと生活して楽しかった。
しかし、宝珠を探している間、そのことをすっかり忘れて焦燥感を募らせて、怒りっぽくなっておったようじゃわい」
確かに、すぐに真っ赤なタコのようになって、怒っていた、とナナカは思った。
「やっぱり私、間違ってなかった。それが今、前より強く信じられる」
ナナカは、自分の胸の真ん中に両手を当てた。
(ここに、あるんだ。私の宝珠が)
その時、ド~ン! と花火が上がった。
真っ赤な光が、ぱっと天に花開く。
「おばあちゃん、始まったわ、行ってくるね!」
ナナカは立ち上がった。
サトは、目を細め口元をほころばせている。
「ああ、行って来い。楽しんでおいで」




